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■■剣道の当たり判定は不自然■■2本目
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
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2008/07/09(水) 04:15:26ID:3BDJ8Rb8
胸を突かれても無傷。
肩を袈裟懸けにされても無傷。
大腿部を斬られても無傷。

だが、小手を斬られると即死www

もう、ルールありきの、ただの竹刀競技だろ。
0058名無しさん@お腹いっぱい。
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2008/07/12(土) 09:37:44ID:k9r0BYiA
ごめんまたアンカーずれたorz
馬鹿は>>54で補足くれたのが>>55氏でした。
0059名無しさん@お腹いっぱい。
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2008/07/12(土) 11:35:57ID:whWW7pcj
こうしてまた否定派の頭の弱さが露呈されていくのね…w
別に剣道嫌い!っていう価値観は良いんだよ勝手に持ってれば。個人の自由さ。
ろくに議論も出来ない癖にそれを吹っかけてくるのが問題www
0060名無しさん@お腹いっぱい。
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2008/07/12(土) 16:00:13ID:IwFXYPoR
剣道・剣術なんでもいいけど、変わり者が多いね。

皆さん、くどそー。
0061名無しさん@お腹いっぱい。
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2008/07/12(土) 16:20:00ID:k9r0BYiA
>>60
たぶんくどいのは俺だけっすw道場の人とかみんなさっぱりしたもんだよ。
もしここと同じ話したら「分かってないなぁって感じだよねあはは」ってなもんだろうなぁ。
良くでる擁護派レスの「やってない奴には分からない」ってのが大勢でしょうね。
0062名無しさん@お腹いっぱい。
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2008/07/12(土) 17:17:07ID:IwFXYPoR
>>61
でもここの人たちは、剣道も剣術も上手な人はいないのだろうね。

剣道家も剣術家も、一癖2癖ありそうな人ばかりのような気がする。

てゆーか、考え方に柔軟性がないような気がする。
0063名無しさん@お腹いっぱい。
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2008/07/12(土) 17:43:05ID:5NJQU6k3
>>57
やっぱ剣道厨だわな。
現実が見れないんだから。それで現実を提示されるとファビョルw
厨が理解できるまで一般的な武道・武術の世界を提示しよう。

大義塾塾長 中村藤雄(剣道日本2008年六月号より抜粋)
中村博道、持田盛二、森寅雄に師事。亀井一郎範師、小林英雄範師、篠塚増穂範師、
宮崎正裕教師に技を伝えた。

中山(博道)先生は父の道場で「おい藤雄君。」と言って、私に足捌き、体捌きを教えた。
〜中略〜相手が打って来る時は、左右いずれかに開いて打つ。〜中略〜
「決して相手の刃の下に立つな。刃の下に立つと、かわしたつもりでも肩を切られる。
相手の刃は肩の外で空を切るようで無ければいかん。」と言って、
打って出る私の竹刀を半歩右に開いて私の左半面をポンと叩く。〜中略〜

だが現代剣道は竹刀競技であって剣道ではなくなった。ただバカバカと当てるだけである。
全日本選手権大会の選手の剣道たるや、私には見られたもので無い。

聞いた話では五分間の試合で、なんと75回も打ちを出していたというから、
単なるあてっこ競技と言わざるを得ない。〜中略〜

竹刀競技の人は、当たっても怪我をしないから、剣の怖さを知らない。
〜中略〜高野先生も中山先生も、何でもこなせないと本物の剣道家で無いという。
だから私は上段も二刀も、薙刀もやった。上段をやらなくては、
上段の気持ちが分からない。二刀もしかり。
0064名無しさん@お腹いっぱい。
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2008/07/12(土) 17:48:25ID:k9r0BYiA
>>62
2chには色んな人がいるから十把一絡げには把握出来ないと思うよ。俺はご察しの通り大したもんじゃないけどねw

考え方の柔軟性って具体的にはどんなものなんだろう?
自分と違う意見に対して「それは何故なの?」って聞いて相手の考え方を知ろうという態度は柔軟性ある態度だと思うけど、よく分かりもしないで「そうですね、そうですね」っていうのは柔軟とは言わない気がするよ。
トピックがあくまで「剣道」の話なんだから剣道の情報を基礎として共有するのは当然だし、剣道から離れたものについて語りたいならそれこそトピックの大転換をした方が良いんじゃないかと思うけどね。
ごっちゃに色んな話がでるのは2chの持ち味だけど効率は悪化するよな。だからスレチがたたかれる訳だが。

ところで自分の知ってる剣道剣術の凄い人たちは大抵一癖も二癖もある人なんだけどその意味でも俺なんか大したことないかもしれんw
0065名無しさん@お腹いっぱい。
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2008/07/12(土) 17:49:39ID:5NJQU6k3
>>57
剣道というものは剣術から生まれたもので、真剣を扱うという「精神」が根底にあるわけだ。
だから件のように、剣道でも実戦を想定しての足捌き、体捌きを教わる。
これがその部分。

>中山(博道)先生は父の道場で「おい藤雄君。」と言って、私に足捌き、体捌きを教えた。
>〜中略〜相手が打って来る時は、左右いずれかに開いて打つ。〜中略〜
>「決して相手の刃の下に立つな。刃の下に立つと、かわしたつもりでも肩を切られる。
>相手の刃は肩の外で空を切るようで無ければいかん。」と言って、
>打って出る私の竹刀を半歩右に開いて私の左半面をポンと叩く。〜中略

ここでは剣道のルールに現れない部分、すなわち「精神」を教えているわけ。
剣道厨は見ればわかるように、剣道だけをやってるとバカになるから、
この記述を見ても、どこが精神なのか。何が一般的なのかがわからなくなる。
0066名無しさん@お腹いっぱい。
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2008/07/12(土) 17:52:44ID:fzjhv3s8
現在の剣道が「実戦的か否か」とは異なる独自の価値観を持っていて、
剣道家がそれを大事にしているというのは理解できる。

しかし、例えば空手がそうであるように、もっと色々な流派
(すなわち価値観)が存在するのが自然なのではないかと思う。

もっと言えば、どのような技術を伸ばそうとしているのかが明確に
なっているならば、自然に流派(価値観)は分かれてくるのでは
ないかと思う。

「実戦的か否か」という視点は、どのような状況での戦いを想定し、
そこではどのような技術が必要とされているかを明確にすることへと
連なりうると思う。そういう意味では、精神性を強調するよりも
前向きな議論になると感じるが・・・。
0067名無しさん@お腹いっぱい。
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2008/07/12(土) 17:55:32ID:5NJQU6k3
>>57
剣道が真剣を扱う剣術から派生したことは「一般常識」と言ってよいだろう。
それ以外の答えはないのだから。
剣道厨は厨ゆえにそれがわからない。

だからこういうことを書いてしまう。
>さっさと「実戦を想定すれば」と限定した趣旨の発言指定アンカーと文字通り
>「一般的武道、武術の世界」の説明よろしく。「一般的」って言葉の意味が
>分からないなら辞書引いてこい。

まともな剣士であれば、先生の言わんとすることは理解できるはず。
スポーツ化した剣道をみて「精神がなくなった」と嘆いているわけだ。

大義塾塾長のお言葉。
>だが現代剣道は竹刀競技であって剣道ではなくなった。ただバカバカと当てるだけである。
>全日本選手権大会の選手の剣道たるや、私には見られたもので無い。
0068名無しさん@お腹いっぱい。
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2008/07/12(土) 18:03:28ID:fzjhv3s8
あと、>>54なんかでも引用されている文章によると、中村藤雄氏は
宮崎正裕氏にも自らの技を伝えた、とある。
「決して相手の刃の下に立つな」という教えを実践していたからこそ、
宮崎氏は試合であれほど勝っていたのではないか?少なくとも、彼の
強さの一因にはなっていただろう。

そのような宮崎氏が、現役時代に「正しい剣道ではない」、すなわち
現代の主流の剣道とは違う、として剣道マスコミその他から
散々叩かれたのは皮肉なものだと思う。
0069名無しさん@お腹いっぱい。
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2008/07/12(土) 18:05:48ID:2uxaL25a
>>65
>剣道というものは剣術から生まれたもので、真剣を扱うという「精神」が根底にあるわけだ。

ここからして間違いだから
却下

まず少しは真っ直ぐ進んでくれ、スタートから逸れまくってたら話にならん
0070名無しさん@お腹いっぱい。
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2008/07/12(土) 18:12:21ID:fzjhv3s8
>>65
>中山(博道)先生は父の道場で「おい藤雄君。」と言って、私に足捌き、体捌きを教えた。
>〜中略〜相手が打って来る時は、左右いずれかに開いて打つ。〜中略〜
>「決して相手の刃の下に立つな。刃の下に立つと、かわしたつもりでも肩を切られる。
>相手の刃は肩の外で空を切るようで無ければいかん。」と言って、
>打って出る私の竹刀を半歩右に開いて私の左半面をポンと叩く。〜中略

>ここでは剣道のルールに現れない部分、すなわち「精神」を教えているわけ。

それは「精神」というか、どのような状況での技術を学んでいるか、という
状況設定、もっと言えば練習の目的だよね。
その前提が、貴方と貴方が「剣道厨」と呼んでいる人たちの間で異なる
と思う。
0071名無しさん@お腹いっぱい。
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2008/07/12(土) 18:29:35ID:2uxaL25a
>>66
流派とか現在はもう殆ど関係ないんだよ
空手は実社会で空手そのままで使う場合があるかもしれない。
たとえば護身とかね
柔道にしてもそうだ
だけど、剣道には真剣を持って殺しあうという、剣術初期の形は残し得ないんだよ

空手は空手道という道を示しているかもしれないが、私は空手に深くかかわっていないので
その深い精神は知らないからここではなんとも答えようがないが、剣道が剣術から発祥した
精神でありながら剣という強大な凶器を封じられたことでその流れが大きく変わったことに
対して、空手は武術武芸としての形を大きく留めているだろう
それが多数の流派が存在する理由だと思う

それでは剣道が、本来剣で殺しあうという目的を失ってもまだ残そうとするものはなにか?
というところに現在の剣道の本質があるんだよ
だから、現在の環境で剣道に流派なんていうものは本来存在出来ない

柔道をやってきた人や、柔道によくかかわってきた人は知っていると思うが、
国際柔道になって柔道は柔道という生き方まで含めた『道』という要素が薄れて
金メダル争いのスポーツになってしまった面が大きい
スポーツが広く広まることはいいことだが、広まったために本来失ってはいけない
礼節といったものもおろそかにされ始めている
これは前スレを見てもらったら解るが、柔道を知るものにとっては残念で仕方ない
もちろん、日本の道場で柔道を修める場合、そういった指導もきちんと行われている
わけだけど、海外では必ずしもそうではないのだろう、ひどい試合も多々見受ける
柔道は、優れた逮捕術であると同時に、優れた『道』を示しているのだけれど
現在の状況は柔道からそれを遠ざけているように見える

歴史や環境によって、剣道はずいぶん見た目の形を変えてきているが、それでも先人が
残したかったのは何なのか?まずそれを理解しなければ現在の剣道は理解できないと思う
0072名無しさん@お腹いっぱい。
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2008/07/12(土) 18:31:30ID:whWW7pcj
>>ID:5NJQU6k3(もう面倒くさいからこれでいいやw)
剣道の成り立ちの最初の一歩もよく分かってない奴が良く言うwww

剣道がどうして剣術から派生したのか、剣術のどの部分から派生したのか知ってるか?
剣道がどうして面を打つことを大切にして首への攻撃を包摂しないのか、それは即ち
中心を攻め、相手の剣を殺し、機先を制して捨て身で打ち込む
そういう一撃を身に付けるための一稽古法が剣道の成り立ちなんだよ。
つまり、相手の中心を割った一本を身に付けるために他の致命傷になり得る攻撃を判定から外すことで相対化してるの。
何でその一撃を目的としたのかには諸説あるが、素肌剣術で相手を崩す最初の一撃として相手の顔面を斬り付ける攻撃が真剣勝負で非常に有効であったから、というのが理由といわれている。
宮本武蔵の60戦無敗の戦法の殆ども相手の眉間を斬り付ける攻撃で崩す戦法だったと言われている。
だから、「頭」じゃなくて「面」なんだよな。
ちなみに、小手・胴・突きに関しては面を打つ形の中の崩れを指導者が指摘し、正すために打ち込むものと考えられている。
高段位の先生に対して小手や胴を狙いに行くのが「失礼」に当たるのはそこが分かると納得出来る。
このように、ルールの中で勝つ方法を探っていくのではなくて剣道が目指そうとした「一撃」を至上目的とすること、それがお前が言っている「剣道の精神」の本当の中身だ。
それが例えば首への攻撃、足への攻撃が面と同様に一本になるルールになったらどうなる?
一本にならない不十分な面打ちでも許されてしまう、相手に打たせて斜めに交わして首を狙い打つ、相手の攻撃の届かない足元に屈みこんで足をなぎ払う
そんな武道になったら「面への会心の一打」なんてとても生まれない。
目的があるから、ルールが決まる。「目的」は相手を殺すことではない。だから、ルールも実戦的にはならない。これが剣道のルールが実戦的でない、本当の理由。
これが、剣道の精神が立脚されている「現実」なんだよ。
剣道は剣術から派生している・剣術は真剣を扱う武道だ・だから剣道も真剣を前提にしなくてはならない そんな単純な作りにはなっていませんw
お前が剣道を語るにあたっていかに剣道を分かってないかはこれだけ言えば充分だろ。断っておくが、これは前スレでし尽くされた議論だぜ。前スレからいたというお前が理解できてないということは到底信じられないw

ついでに、レスの命題が「実戦的観点から見れば」っていう限定の上での話だ、って言ったのはお前なんだから四の五の言わずにさっさと根拠アンカー提出しろよ(三回目)
自分が言ったことくらい責任持てよ馬鹿なりにさwww
0073名無しさん@お腹いっぱい。
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2008/07/12(土) 18:39:17ID:5NJQU6k3
>>68
まさにそこなんだよね。
剣の術理とか理合いというのものは、ルーツを同じくする剣道でも多くは通じるのだが
現代剣道は、そういうものを意図的に排除して、内にこもっている面が強い。
排他的なんだな。

歴史も伝統も理合いも関係なく、「ごく一部の人間」の作った価値観を金科玉条の
ごとく信仰している剣道は、中村先生の言を持ち出すまでもなく剣の理合いに触れた
立場からみれば滑稽にしか見えないものなんだが。
0074名無しさん@お腹いっぱい。
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2008/07/12(土) 18:46:14ID:whWW7pcj
>>66
>>71
剣道にも多数の流派がありえるのではないか?という可能性の議論については、自分も>>71氏と近い立場。
ただ一方で、多数の流派や形があることによるメリットのようなものも考えられるから、変わった動きに対して「それは邪剣だからダメだ」と一方的に否定してしまうのもいかがなものかとは思う。
ただし、やはり剣道なのだから相手の中心を攻めて勝って打つ面を目指す、という軸はぶれてはいけないんじゃないかと思う。

というか、それ以上に剣道って物凄く動きに個性の出る武道(スポーツ)だと思う。
100人競技者がいても、本当に100パターン動きの個性があると言っても過言ではない。
道場でもそうだよね。袴の名前なくても構えを見ただけで「あ、○○さんだ」って分かっちゃうもんで凄く面白い。
また、道場や学校によって剣風の傾向もはっきりと見て取れる。ただ、そういう微妙な違いってフィクションでは表現しにくいから剣道ものの漫画とかって結構こけるんだけどw

少なくとも、相手の機先を制した正面からの面打ちを打つ、剣道と言えば面、っていうのは剣道が本来持っている価値観なんだからそこは共有していかないと、
それこそ「スポーツ化」「当てっこ化」の一途を辿ると思う。
逆に、面打ちとかどうでもいいから相手の体に攻撃すればOKなルールが良い、という価値観が進んで出来たのがスポチャンと言えるな。
これはこれでスリリングで楽しいものだから、良い価値観と文化だと思うよ。
もっと総合的に、組打ち等も含めた日本古来の剣の殺法を教養として身につけたい、或いは伝統的な武芸として守りたいという価値観が進むと剣術になる。
これもこれで素晴らしいものだと思う。ってこれは手前味噌だけどw
そういう剣道の価値観に自分が合わないと思ったら別のものをやれば良いんじゃないかな。
小手打ちにこそ剣の魂が宿る、小手打ちで全てを決めてやる、そういう考え方で剣道をしていると試合・スポーツの側面としては上位に入っていけるかも知れないけど武道としての目的を掲げて剣道する人からは「邪剣」と言われてしまうのは仕方ないことだと思う。
0075名無しさん@お腹いっぱい。
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2008/07/12(土) 18:48:37ID:5NJQU6k3
>>71
柔道についてはその通りだと思う。
さらに多くの人が剣道に感じている違和感も同じ理屈と思えばいい。

柔道における「死に体」というのは、相手の技が効いた時点で死んでいるのだから
その後の反撃は認めない。
という「精神」なわけだ。
だが、外人にはその「精神」が理解できない。
「死に体」が理解できないから、外人の理屈では、体が動くなら反撃は認められるべきであろう
ということになる。

よって柔道の国際ルールは変わって、どんな状態であろうと最後に背中をついたほうが負け
という、非常におかしなルールになってしまったわけだ。
これを見て「柔道の精神が失われた、転がしスポーツになってしまった」
と感じるのは正しいと思う。

同じように、剣道をみて、武道の精神が失われた「竹刀競技」になってしまったと感じる
剣士が多いのは、ごく当たり前のことだと思う。
0076名無しさん@お腹いっぱい。
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2008/07/12(土) 18:50:51ID:whWW7pcj
あと、宮崎選手が叩かれた方向性は「現代剣道の主流ではない」という論調ではなくて「剣道本来の動きから外れている」という論調だよ。
どっちかっていうと何度も貼られてる中村先生の「剣道本来の動き」という立場からの批判だ。
相手の剣の下に立たない、とかそういう動きでなくて、実際には相手の隙が生じたとしてもリスクのある技を控えて相手のミスを待つ戦法だったりとか、
一本取った後の試合内容に積極性が欠けている、とかそういう類。
ID:5NJQU6k3はいい加減事実を自分に都合良いように捻じ曲げるのやめたら?www知ってる人から見たら滅茶苦茶恥ずかしいぞ。
0077名無しさん@お腹いっぱい。
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2008/07/12(土) 18:58:55ID:fzjhv3s8
>>71
>それでは剣道が、本来剣で殺しあうという目的を失ってもまだ残そうとする
>ものはなにか?というところに現在の剣道の本質があるんだよ
>だから、現在の環境で剣道に流派なんていうものは本来存在出来ない

現在の環境で流派が存在できない、なんてそんなことはない。
現実に、中山博道氏の流れを継いだ日本剣道協会や一剣会もある。
全剣連の価値観が圧倒的多数なのは、多分に政治的なものだ。

>歴史や環境によって、剣道はずいぶん見た目の形を変えてきているが、
>それでも先人が残したかったのは何なのか?
>まずそれを理解しなければ現在の剣道は理解できないと思う

それが剣道の精神だと貴方は言いたいんだろうが・・・。
別に実戦的なのが最高などとは思わないが、剣道において技術と精神は
密接に結びついている以上、少なくとも例えば「正しい剣道」の正しさの
根拠とかは明確にすべきではないか?
そういうところを曖昧にしては、それこそ空虚な精神論になってしまうの
ではないだろうか。
0078名無しさん@お腹いっぱい。
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2008/07/12(土) 19:00:09ID:5NJQU6k3
>>72
>素肌剣術で相手を崩す最初の一撃として相手の顔面を斬り付ける攻撃が
>真剣勝負で非常に有効であったから、というのが理由といわれている。
  ↑
ちなみにこの理屈は都市伝説ね。
顔面というのは反射的に防御しやすく、的としても小さく、致命傷になり難い。
また、真剣は折れやすいので崩すなんて手間隙をかけずに、初撃から致命傷を狙う。
よって古流の剣術では、袈裟切りが基本になるわけ。

首筋には頚動脈が走っているから、1センチでも刃先が当たれば致命傷。
また、外れたとしても肩に当たれば相手の戦闘力を削ぐことができる。
相手が下がれば踏み込み、逆に踏み込まれれば防御に転ずる。
だから古流では「八双」で構える形が多いんだ。

まあ古流には流儀が沢山あるから、中には顔面攻撃を重視しているものも
あるかもしれがないが、一般的ではないな。
0079名無しさん@お腹いっぱい。
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2008/07/12(土) 19:09:34ID:fzjhv3s8
>>77
>あと、宮崎選手が叩かれた方向性は「現代剣道の主流ではない」という
>論調ではなくて「剣道本来の動きから外れている」という論調だよ。
>どっちかっていうと何度も貼られてる中村先生の「剣道本来の動き」
>という立場からの批判だ。

少し違う。
現代剣道の主流(というか理想)=正しい剣道であり、その正しい剣道と
宮崎氏の剣道はかけ離れている、という論調だった。
現に、当時の剣道日本での主たる論調は次のようなものだった。
「勝ったのは凄いが、正しい剣道ではない」
中には、次のような酷評を述べた八段範士もいた。
「高校生の延長のような剣道では、勝っても評価できない」
0080名無しさん@お腹いっぱい。
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2008/07/12(土) 19:18:50ID:k9r0BYiA
>>79
いや?それなら「宮崎選手の動きは本来の剣道の形に沿ったもので間違いではない」みたいな古流傾向の先生からの擁護があるべきだと思うけどそういう擁護はつかなかったと記憶しているが。
高校生の剣道=当てっこ剣道で、一刀の重みを大切にする中村先生のような剣道、とはつながらないのが自然な捉え方では
0081名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/12(土) 19:42:17ID:fzjhv3s8
>>80
>それなら「宮崎選手の動きは本来の剣道の形に沿ったもので間違いでは
>ない」みたいな古流傾向の先生からの擁護があるべきだと思うけど
>そういう擁護はつかなかったと記憶しているが。

宮崎氏の当時の動きが古流の立場から見てどうだったか、というのは
わからないが、>>54にも引用されている「決して相手の刃の下に立つな」
という教えを、宮崎氏は実践していたように思う。
当時は審判に不利にみられかねない剣風だと認識されていたから、
そうでなければあれほど勝てないと思う。

現に当時宮崎氏と稽古したk八段(例のk本県警の事件の首謀者)が
インタビューで宮崎氏について次のように述べていた。
「モノが違う。打っていってもそこにいない。」
これは、上記の教えを実践していた証拠だと思うのだが、どうだろう?
0082名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/12(土) 19:52:06ID:fzjhv3s8
>>79
結局、当時の宮崎氏は、手数・動きなどから一刀の重みを大切にしていない、
「正しい剣道」ではない、と評価されたが、「決して相手の刃の下に立つな」
という教えは実践していたと。それがあれほど勝った一因だというのが
個人的見解。
0083名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/12(土) 21:48:33ID:IwFXYPoR
剣道の選手は、他の競技に比べさほど運動能力に優れた人はいない、
その中で、宮崎選手は剣道の運動理論を理解し、運動能力と剣道センスが優れていたからだ。

他の運動競技の一流選手が、少年時代から剣道を始めたら今の全日本剣道の選手は、
到底敵わないだろう。

身体能力は、悲しいかな剣道の選手はかなり劣る。

それをいろいろな論理で、剣道家は,誤魔化す!

けっきょく、身体能力及び運動センスのあるものには、かなわないんだよ!


ハンドボールの宮崎大輔が、剣道の宮崎氏の動きをしたら、宮崎氏もかなわない。

身体能力+センスのある人間に、敵わないから、変な剣道理論が存在するのだと思う。
0084名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/12(土) 22:06:40ID:IwFXYPoR
>>82
結局、身体能力・運動センスに優れた人に敵わないということだよ!

剣道の選手は、他の競技の一流選手に比べて身体能力、運動センスに劣る。

その中で宮崎氏があれだけ勝てたのは、剣道の運動理論を理解し、身体能力及び剣道センスに
優れてたからに他ならない。

ハンドボールの宮崎大輔選手が、宮崎氏の動きをしたら、今の剣道の選手が勝てる者は間違いなく
いないだろう。全盛期の宮崎氏も敵わないよ!

しかし、剣道家は変な論理?理論?付けして誤魔化すのが好きだよね!!

0085名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/12(土) 22:09:03ID:IwFXYPoR
>>82
結局、身体能力・運動センスに優れた人に敵わないということだよ!

剣道の選手は、他の競技の一流選手に比べて身体能力、運動センスに劣る。

その中で宮崎氏があれだけ勝てたのは、剣道の運動理論を理解し、身体能力及び剣道センスに
優れてたからに他ならない。

ハンドボールの宮崎大輔選手が、宮崎氏の動きをしたら、今の剣道の選手が勝てる者は間違いなく
いないだろう。全盛期の宮崎氏も敵わないよ!

しかし、剣道家は変な論理?理論?付けして誤魔化すのが好きだよね!!

0086名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/12(土) 22:13:32ID:IwFXYPoR
頑張れ剣道!

他の競技者が、わかるスポーツに成れるように!!
0087名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/12(土) 22:47:37ID:IwFXYPoR
勝っても評価されない、競技ってある意味貴重だな。

頑張れ剣道!
0088名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/12(土) 23:05:15ID:n3BcCz3/
剣道のルールの中で問題なく勝利したというのに、剣風がどうこうと
批判されるのはおかしいと思うな。
他のスポーツではそういうことはないんじゃないか?

古流の脚捌き体捌きは、打たれない斬られないことが前提。
剣道の捌きは打たれても一本にならなければよし、という動き方。
むしろ相手の打撃を恐れずに打ち込み、一本を狙うような動きが
高く評価される。

剣道の試合でどちらが優位かというと、宮崎氏の例を見れば古流の
捌きのほうが一歩も二歩も秀でていると言えよう。
0089名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/12(土) 23:17:16ID:n3BcCz3/
>>82
手数に関しては剣道のルールで一本になれば、それ以上の威力を重視する
必要はないと宮崎氏は考えたんじゃないかな。

例えばプロボクシングだとパンチの威力でKOを狙うのも戦術として有効だけど
アマチュアボクシングは、ルール的にパンチを当ててポイントを稼ぐ戦術が
有効なように、ルールに応じて戦い方を変えるのは合理的だわな。

それを批判するほうがどうかしてると思う。
0090名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/12(土) 23:44:22ID:fzjhv3s8
>>88
>剣道のルールの中で問題なく勝利したというのに、剣風がどうこうと
>批判されるのはおかしいと思うな。
>他のスポーツではそういうことはないんじゃないか

剣道の世界に特有だろうね。
少なくとも、ルールの中で正当に勝った人間が
ここまで徹底的に批判されることは他の世界ではないと思う。

しかし、剣道の世界では結構みられる現象だ。
例えば、中倉清氏も「汚い剣道」、「変剣」などと死ぬまで言われ続け、
そのたびに中倉氏はローソクの炎を見つめて気を鎮めていたという
(中倉氏の伝記にその旨の記述あり)。

上記のようなことが時折みられることから、「剣道は競技ではない」、
と言われているのは、その通りだと思う。
0091名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/12(土) 23:54:24ID:fzjhv3s8
>>89
>手数に関しては剣道のルールで一本になれば、それ以上の威力を重視する
>必要はないと宮崎氏は考えたんじゃないかな。

これは違うと思う。
宮崎氏の打突は非常に重く、打突を受け続けた対戦相手が、宮崎氏に
勝ったものの次の試合は手が痺れて試合にならなかった、という話を
聞いたことがある。
ボクシングに例えるなら、KOパンチを連発して打てる能力を持つ人。

>ルールに応じて戦い方を変えるのは合理的だわな。
>それを批判するほうがどうかしてると思う。

これは同意。
0092名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/13(日) 00:04:36ID:Z3FX3r+J
元々武道は力の弱いもののために、とかいう言葉もあるけど剣道は特に運動能力より理論、精神、胆力勝負といった傾向が強いと思う。
逆に、運動神経がある選手が必ずしも剣道家として大成するとは限らないのも事実。
特に中学生くらいから部活で始めたグループを観察するとそういう傾向って良く分かると思う。
学生から剣道やってる人は「○○は運動神経は良いのに何故か剣道は下手」そういうことって経験あるはず。
そういうところを考えると「剣道は競技ではない」、その通りだと思う。
機先を取り面を打つ、そういう真っ向勝負では60歳以上の老人が運動能力抜群の20代後半から30代にかけての選手を子供のようにあしらってしまう、
そういう嘘みたいなことが実際に起こるのが剣道という世界。
「一本」の判定も審判に委ねられていてその内容も完全な基準がない、スポーツとしては非常に不完全なものだな。
オリンピック競技に関しても、「一本」の説明は難しいだろう。

ところで宮崎選手の剣道についての議論に関しては
・一本の重み=無駄うちが少ない、という中村先生の話に含まれていた意義から何故か威力の話になっている点
・宮崎選手の試合はビデオが擦り切れるほど研究したけれども別に古流の体捌きだなとか避けが秀逸だなとか思ったことはない
という二点が疑問。
個人的に宮崎選手の動きは慎重派だとは思うが強く非難されるほど剣道の本質から外れているとは思わなかった。
ただ、攻めが無形過ぎて真似は出来ないなと思う。
0093名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/13(日) 00:19:48ID:gM81AFNR
>>92
>一本の重み=無駄うちが少ない、という中村先生の話に含まれていた意義
>から何故か威力の話になっている点

それは、>>89の意見に対してコメントしただけ。
無駄打ちが多いか否かでいえば、何らかの布石になっていると感じることが
多く、無駄打ちは少ない人だと個人的には感じる

>別に古流の体捌きだなとか避けが秀逸だなとか思ったことはない

古流の体裁き、とは言っていない。
中村氏の教えの影響を受けているのだろうと言っている。
>>81であげたk八段のコメントをみても、体捌き、防御は優れている
と思う。
0094名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/13(日) 00:48:13ID:Z3FX3r+J
>>93
前半はそんなところだろうとは思ったよ。
まあこれ以上威力の話なんかしても仕方ないっていうかずれてるでしょう、って言いたかったってことでご勘弁
後半に関しては良かったら>>93の見た感想も聞きたいけどね。

ところで無駄を省くためにそろそろ>>1の内容について浮動の部分を固定しないか?
途中で出てきたけど、「剣道の当たり判定は不自然」という命題について、「実戦を想定するなら」という枕詞を付するのを基本として考えるのか、
それとも無限定に「不自然だ」という主張を提示したいのか、どちらの立場なのか区別せずに話すことはすれ違いを惹起するだけで誰の得にもならないと思う。
個人的な立場としては「実戦では」という趣旨なら反対する余地はないし、
「無限定に」ならば、それは何故なのか、
つまり(繰り返しですが)「剣道はかくあるべき」という前提に照らして「不自然」と考えると推定するところ、その「剣道観」の内容と根拠であったりとか、
或いは「剣道」⊂「武道」であることに着目して「武道はかくあるべき」という前提から同様に「不自然」、或いは「剣道は武道でない」という主張が出てくると考えられるところの「武道観」の内容だったり根拠だったり、
(但し、「武道」に関しては「実戦的なものこそ武道」という言葉遣いをする人もいるからその場合はその人の言う通りで、やはり異論を挟む余地はないでしょうね)
そういうものを質問することが出来れば議論として前進すると思われるのに、第一段階の選別の段階で「不自然」という主張がどっちの意味で使われているのかわかりにくいから無駄な擦れ違いが生じていると思う。
途中で言われてた通り、「実戦では」という条件付き主張がこのスレのスタンダードならばそのように宣言しておいた方がいいのでは??
こういうとき>>1がいれば音頭を取ってくれると思うんだが、個人的には>>1の降臨に期待したいw
0095名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/13(日) 00:57:37ID:gM81AFNR
>>94
>後半に関しては良かったら>>93の見た感想も聞きたいけどね。

後半とは、どの部分?


>途中で出てきたけど、「剣道の当たり判定は不自然」という命題について、
>「実戦を想定するなら」という枕詞を付するのを基本として考えるのか、
>それとも無限定に「不自然だ」という主張を提示したいのか、
>どちらの立場なのか区別せずに話すことはすれ違いを惹起するだけで
>誰の得にもならないと思う。

そうだね。
明確にしておいた方が、その後の問題が議論しやすい。
0096名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/13(日) 01:28:33ID:Z3FX3r+J
>>95
後半、とは宮崎選手の動きに関して、先の中村先生の談話の影響を受けているという可能性を控除した上での素朴な感想、といったところです。
…と言われても難しいトコロですけどね。
前出の八段の先生の言葉とは独立して素朴に思うところ、って感じで良いです。自分以外の人がどう見たかのサンプルとして伺いたいだけなので。

固定について、捕捉すると
「剣道は実戦的には不自然なんだから剣道そのものは不自然」
っていう主張は明らかに「無限定」の方だね。ちょっと考えなくても分かると思うが。
結局、「実戦では不自然」という主張と「剣道が不自然」という主張を繋げるものを提示しなくては成り立たないという意味で全く同じ主張なわけで。
そこら辺も考慮しつつ、大部分が争う気のない部分を排除するための確定は非常に有益だと思いますね。
0097名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/13(日) 01:48:18ID:TspgpxjL
剣道は大正時代に命名され歴史が浅い。
流派はなくルールがあるだけ。

○○道≒なにかの術の一部を取り入れて精神を磨くためのもの
○○術≒相手を殺し、理論的なテクニックで相手を倒す術

剣道はあてっこスポーツなのだからルールどおりでこれからもイイジャマイカ

そもそもの武術はどんな手を使っても勝つことを主としてるが
武道では精神的な面を重んじてる、平行線議論乙
0098名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/13(日) 01:54:58ID:gM81AFNR
>>96
>宮崎選手の動きに関する感想

宮崎氏の動きに関する第一の感想は、まず剣道で良いとされる
「正しい剣道」の型から、かなり自由であること(特に試合)。
例えば、剣先を完全に開いた構えで誘いながら相手をどんどん後退させる
ほどの攻めを展開している場面を何度か見たが、対戦相手のレベルの高さ、
全日本という緊張した場面であることを考えると、凄いというほかない。

第二の感想は、形としては守っている場面でも常に相手にプレッシャーを
かけ続けているように思われること。
宮崎氏に対する批判の一つのタネとなった、いわゆる「現代的防御」にしても
受けっぱなしになることはほとんどなく、相手が中途半端な動きになれば
すぐに応じて一本にしてしまえるだけの心身の備えができていた。
そのような場面の典型として個人的に思い出すのが、警視庁の原田選手との
試合で、原田選手の片手突きをかわしての小手を決めた場面。
非常に厳しい打突機会の捉え方に、感銘をうけた記憶がある。

>大部分が争う気のない部分を排除するための確定は
>非常に有益だと思いますね。

同意。
0099名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/13(日) 10:49:09ID:jrGfI7jp
最近のレスは文章長いの多いな。

否定厨のバカはコピぺだけだがなwww

バカにはちゃんと書いてあげても理解できないよ。
0100名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/13(日) 11:23:15ID:vlQw65dM
運動力学、スポーツ理論がわかる人なら宮崎選手の剣道がわかると思う。

打ちが強いのも、剣先を完全に開いた構えで誘いながら相手をどんどん後退させる
ほどの攻めができるのも、身体のスピード(宮崎選手は白筋スピード筋が多い人だろう)
に加え、右手・左手・剣先で力点・作用点・支点を作り出し更にスピード及び
打ちの強さを生み出している。

構えも、支点を安定させ、攻撃も防御も瞬時に反応できるようにしているだけだ。

更に間合いの駆け引きが、剣道選手の中では群を抜き、これで天下を取れるわけだ。

宮崎選手クラスでは、全日本レベルでは、緊張しません。

0101名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/13(日) 13:41:19ID:VdQWdbS0
このスレにおける >>1 の命題は
(1)剣道の当たり判定が、「実戦を想定した場合」に「不自然」であり
(2)よって武術・武道ではなく、単なる竹刀競技である
の二点になります。

この二点についてはすでに結果が出ているのではないでしょうか?
0102名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/13(日) 14:04:42ID:eI2tF+bh
>>101
(2)について、なぜ武道・武術は実戦的でなくてはならないのか、という説明がなされていないため(1)につき是、(2)は不明でしょう。
少なくとも「竹刀競技」「武術」「武道」そういった言葉の定義をきっちりさせないと命題を共有するのは難しいのでは?
例えば「竹刀競技だけど武道だ」という考え方も充分取り得る。
言葉が指す領域と、なぜそのような領域指定をするのかについて納得できる説明をしなければならない。
0103名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/13(日) 14:11:45ID:VdQWdbS0
>>102
武術と武道の関係について、柔術と柔道の関係を参考にすると
「武術」は実戦を想定した戦闘術であり、他人と競う目的のものではなく(基本的に)
ルールはない。
「武道」は一般に広く伝える為に、安全性を考慮し競技性を持たせたものと言えるでしょう。
よって武道にはルールが存在することなりますが、やはり実戦を想定しているんですよ。

例えば柔術は、素手をもって相手を制圧する技術体系であり、柔道はそこから
組み技のみを抽出してルール化したという関係になります。
互いに組み合って格闘を行うので、常に「実戦」であり勝敗の判定基準もわかりやすく
客観性があります。

剣術は刀をもって戦う為の技術ですが、剣道はそこから何を抽出したのかがよくわからない。
相手を動けなくするようなKOに類した勝ち方は存在せず、真剣であれば勝負が決している
ような打撃でも一本をとらない。
しかも「一本」かどうかは審判の主観に任せられている。
はなはだしくはルールに明記されていない「剣風」なるものを持ち出して勝者を批判する
ことすらある。
ということで、非常に不合理なように感じられます。
0104名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/13(日) 14:17:35ID:eI2tF+bh
ちなみに運動能力が高ければ誰でも剣道が強くなるっていうのは明らかな勘違いだよ。
昔筑波大のコーチをしてた人に聞いたんだけど筑波の女子の大将は50m10秒らしい。勿論、普通に速い人は幾らでもいるけどその人たちより大将が頭一つ抜けて強いって話。
間合いの駆け引きが抜群、っていう辺りに剣道での強さの本質がある。
途中でバレーの選手に宮崎選手の真似させれば無敵、みたいなこといってるアホがいたが話にならん。その選手に宮崎選手並みのセンスがあれば強くなるだろうけどね。
運動能力は高いのに埋もれてる選手なんか幾らでもいる。さらに、加齢で運動能力が落ちても強い人は充分戦えるから幾つになっても続けられる。
そこら辺が剣道の面白みだと個人的には思う。天井が見えねぇ。
0105名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/13(日) 14:43:27ID:eI2tF+bh
>>103
剣道が何を抽出したかはこのスレの過去ログをさらうだけで出てくるのでそちらを参照してください。
要旨を述べるなら、相手の攻撃の当たらないところから当たるところに踏み込んだと同時に相手を崩す顔面への斬りつけ、「面」を打ち込む、という特定の攻撃方法を身につけるための稽古法が剣道の元なんです。
特定、と言いましたがしかしこの動作には剣での戦いの重要な要素が多数盛り込まれていることは剣術家の方々も証言する通りです。
ところで、不合理というなら「元打ち」が無効というのも非常に不合理です。刀は引き斬りなのだから先端で打つより元で当たった方が良い打撃なはずなのに有効にならない。
(この話題がなかなか出ない辺り否定派に剣道未経験者が多いことが伺いしれますが。)
刀だったら触れたらダメージになるはずだが、稽古法として目的があるため敢えて部位を限定しているんです。
それは、投げ技の部分を抽出するために柔道で打撃を禁止するという方法論と変わりません。
「打撃があろうが柔道の投げが強いなら投げれば良いじゃないか」と言われればそれは違うと分かりますでしょう。特に柔道で、殴られたら負けというルールができてしまったら尚更です。
つまり、面を打って相手を崩し、袈裟や首打ちなどでとどめをさすという二段階の攻撃の一段階目にフォーカスしたのが剣道、ということ。
とどめの一撃、それで相手が戦闘不能になる一撃と並べて考えるのは剣道の目的を理解していないことになります。
武術は実戦用、武道は文化だが実戦を元にしているという定式化は説得的ですが、実戦から武道への抽出の観点が安全性のみというのはやや分析が粗いかと思います。
実戦の動き、駆け引きや精神から「ここぞ」という一部分に特に文化的価値を見出して武道化していくというあり方も武道の通常の一態様です。
「刀だと危ないから竹刀にしよう」として剣道になった、と考えると多数の誤解の温床になりましょう。
0106名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/13(日) 16:14:27ID:vlQw65dM
>>104
身体能力+運動センス
0107名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/13(日) 16:24:45ID:gM81AFNR
剣道が>>105のいうような成り立ちをしているとすると、やはり剣道という
ジャンルは剣道独自の精神・価値観を追求している独自の「文化」とでも
いうしかないものであり、競技とするには究極的には不適合なものだと思う。

このスレの主題である当たり判定の問題や、「剣風」なるもので持ち出して
勝者を批判する問題などは、剣道がその独自の精神・価値観と究極的には
不適合なものを自らの内部に抱え込んでいるがゆえに発生しているように
思われる。

剣道で運動能力が高い者が必ずしも勝者とならないことや、年齢を重ねても
若者と対等以上にできるものであるのも、剣道独自の精神・価値観と
強く関連しているように思われる。
この点に関連して、以前習っていた先生(当時八段、後に九段)が次のような
ことを剣道について言っていたのを思い出した。

「試合をやれば若者の方が強い。ただ、剣道はそういうものではない」

これは、試合、即ち通常のスポーツ競技に近くなればなるほど運動能力の
ある者が優位になるが、剣道独自の精神・価値観に上手く適合すれば
(これはルールを利用しているとみることもできよう)、剣道では
運動能力の差を埋めて余りあるものだということだと現在は理解している。
0108名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/13(日) 16:32:19ID:vlQw65dM
剣道=通常のスポーツです。
0109名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/13(日) 16:51:55ID:Z3FX3r+J
>>106
運動センスっていうと汎用的な運動神経、って感じがするよね。
実際に学生時代剣道してた人なんかは>>104の言うことがよく分かるんじゃないか?
俺の先輩の代で補欠だった人は足速いし球技出来るしガタイ良いしで色んな部活からスカウトされてたけど、
剣道が好きだからって言って剣道部にいたっけな。
ま、剣道知らない人には信じられないことなんだろうけど、これは経験則から導かれた事実。
どんなに他のスポーツで鳴らした人でも大学、高校から初心者として始めたなら始めてから1,2年は底辺レベルの選手にも歯が立たなくて悔しい思いをするのが殆ど。

>>107
大方同意。
本質的に競技にしにくいものだからこそ、「本来の形」を守るために段位という指標があるのだし、
(但し「形」というのは分かり易くFORMという意味ではなく、もっと無形的な目標たるもの。高段位の先生でも剣風は皆異なる)
競技として勝利を目指すばかりに失われてしまうものがないように高段位者は「口うるさく」警鐘を鳴らすのだろう。
そのような、「文化」をどのような名前で呼ぶかは人の自由。それこそが「武道」だ、という物の見方も充分に在り得る。
「剣風」問題についてはそんな感じで、「当たり判定」の問題は「剣道」というものに対する誤解が主な理由かな。
「面を打つことが至上目標なんだ」と言われればそれは筋が通ったシステムだろう。勿論、他の打突部位が簡単に取れすぎて面が疎かにされてはならない、という政策的意識も働いているだろうが。
剣道はスポーツだ、と考えれば競技としての不合理さが目に付くし、武道だから実戦的でなくてはならない、と考えれば実践的でないという面が目に付く。
どちらのアプローチも、結局は剣道の性質をきちんと理解してないがために生ずる違和感だ。
高段位の先生の剣道がどう凄いのか、そしてどうしてその域に達したいと願うようになるのか、そういったことは、仕方ないが実際にやってみないと分からない。
試合が強い人と剣道が強い人の違いは、構えあった印象だけで全く違って見えるはず。そういうことが分かると剣道をするのも見るのも面白くなってくる。
0110名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/13(日) 17:55:57ID:vlQw65dM
剣道独自の精神・価値観とは、わからないが。

剣道は、通常の運動選手からすると、大半か?一部か?剣道家の考えとは、
話が交わることはないだろう。

普通の人からは、剣道は競技を行ってるのだから、スポーツだと認識するのに
大半か?一部か?剣道家は競技ではないと。

剣道は、競技を行いながら、競技ではないと。
本音と建前の、昔の封建的社会感が見え隠れする。

これが剣道の精神・価値観なのか?
0111名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/13(日) 18:12:47ID:vlQw65dM
剣道ぐらいだな、本来の剣道とか正しい剣道とか、他の競技にはない論理が存在する、

あきらかに封建的競技だな!
0112名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/13(日) 18:36:21ID:22o2hYeC
今日はID:vlQw65dMか・・・
武道、武術が解らないからってここで遠まわしに聞くなよ
例え華道、茶道でも、作法、品評、精神、人となり、姿勢といった
体系建てたものの考え方はお前には理解できない
柔道、柔、試合、柔術、合気道、合気、合気柔術
それぞれにどういった意味や方向性があるか解らないだろう
道というのはそれらのと体系を全て含んで表現するもの
よって生き方、人生まで高まる
武士道とは武士術ではなく武士試合もない
まあお前には言うだけ無駄だろうが
0113名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/13(日) 19:48:21ID:gM81AFNR
>>109
>高段位の先生の剣道がどう凄いのか、そしてどうしてその域に達したいと
>願うようになるのか、そういったことは、仕方ないが実際にやってみないと
>分からない。
>試合が強い人と剣道が強い人の違いは、構えあった印象だけで全く違って
>見えるはず。そういうことが分かると剣道をするのも見るのも
>面白くなってくる。

剣道の独自の精神・価値観を受容すれば、そう考えるようになるだろう。
付言すれば、運動能力のある初心者が剣道をできるようになるまでしばらく
かかるのも、剣道の独自の精神・価値観を心身で受容するまで一定時間が
必要だということなのだと思う。

問題は、現在の剣道の独自の精神・価値観を受容するか否かだ。
剣道がスポーツ競技としても不合理で、実戦的でもない、というのは
今まで散々このスレでも議論されてきたところだ。このようなある意味で
摩訶不思議な「文化」である現在の剣道の独自の精神・価値観については、
人によっては嫌う向きもあって当然だと思う。

現在の独自の精神・価値観が圧倒的多数になるまでに切り捨ててきた技術・
思想は確かにある。全剣連から分かれていった剣道団体が小規模ながら
存在するのもそのあたりに理由があるように思う。
また、中倉清氏について戦前においては「変剣」という評価はなかったにも
かかわらず、戦後になって「変剣」という評価・レッテルを貼られたことも
そのあたりの事情をあらわしている。

個人的には、もっと柔軟に思考し、色々な試みをなしていくべきと
考えている(そのような試みの一つが、剣道出身者により創始された
スポーツチャンバラであるともいえると考えている)が、もしそれが
実現すると、現在の剣道の独自の精神・価値観は圧倒的多数ではなく、
色々ある中のワンオブゼムになる。
それが果たしてよいことなのか個人的には迷うところ。
0114名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/13(日) 22:56:20ID:UU2VjbDn
>>105
>「刀だと危ないから竹刀にしよう」として剣道になった、と考えると
>多数の誤解の温床になりましょう。

これは剣道だけやってる人の勘違いだな。
古流というか、剣術は型稽古がメインで、互いに木刀をもって、攻防の形を繰り返す
稽古が普通だった(今でもそうだけどな)。
しかしながら、より実戦的な「打込み稽古」をやりたいという欲求から、
稽古中の安全を確保する為に、竹刀や防具が発明されていったわけ。
防具で防御可能な部分が、面であり胴であり、篭手の部分なので
メン・ドウ・コテの三箇所が主な打突部位となった。
後になって「突き垂」が普及して、「突き」が入り現在の剣道の原型になったんだよ。

>「面」を打ち込む、という特定の攻撃方法を身につけるための稽古法が剣道の元なんです。
>特定、と言いましたがしかしこの動作には剣での戦いの重要な要素が多数盛り込まれて
>いることは剣術家の方々も証言する通りです。
これは剣を知らない剣道家が勝手に思い込んだもので、面を打つ動きは実戦的な動きでは
ないし、実戦では役に立たない動き。
剣術ではどの流儀でも「袈裟斬り」が基本になっていて、面を打ちは重視されていない。
0115名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/14(月) 02:26:06ID:P0C8yplZ
剣道は実戦を念頭においていないというのは、もう議論済みだ。
0116名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/14(月) 03:39:47ID:P0C8yplZ
遅レスだが・・・。

>>73

戦後に剣道の世界にも価値観の大転換が発生したように思う。
その結果、例えば中山博道の一派やその影響を受けた人々などは徐々に
表舞台から姿を消していき、いわゆる「正剣」を信奉する人たちが
圧倒的多数派になっていった。こうした傾向は人為的なものだと思う。
0117名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/15(火) 16:54:06ID:M+iB+roV
>>113
正統派を一つ挙げてそれを守るというのは文化の形としてわかりやすい。
剣道の在り方はそれに近いと言えるし硬直化しているという指摘にも尤もだと思える。
ただ、その反面競技として成立させて見ず知らずの相手とも共通言語としたいというニーズに答えるためには一つの価値観をピックアウトして文化の基盤にすることが必要になっていると思う。
当然だが、剣対剣の戦いには面を斬りつける以外の定石もあるのだから面を斬りつけるのが剣の戦いの唯一の価値観と言っている訳ではない。(>>114乙)
元々面を斬りつけるという特定の攻撃をピックアウトしてその上に醸造された文化を保持している訳だから、それに対して価値観が硬直化している、もっと多様な価値観を、という提言は不適当なのではないだろうか?
例えば袈裟が有効という価値観があるのならば「袈裟を斬り合う競技体系」を考えればいいことだし、途中の日本刀競技を考えようという提案も非常に良質だ。
しかし、それを「剣道のルール上で」実現しようというのはどのような価値があるのか、意図があるのか大いに疑問だ。
剣道側から見れば「武道として成立した剣道へのメリット/デメリット」と言っても良い。ルール改定ののち、どのような立ち合いになるのか精査する必要がある。

また以上から、逆に剣道家が特に気をつけなくてはならないことは「剣道が剣のすべてと思うなかれ」ということだ。
「剣道最強」のような立場に自分が嫌悪するのもそのためだし、剣術やスポチャンを見下すのは道理を弁えない恥ずべき行為だ。
しかし、実感としてはそのような剣道家は決して多くないとも思う。剣道は剣道、としてそれが持つ文化性を大切にすることは何ら間違った行為とは思えない。

やっと武道とは、レベルの話が出来るようになった気がしています。

>>110
剣道には段位審査というものがあって「大半の競技者」は段位取得も剣道の目的にしているわけです。
あとは分かるな?
0118名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/15(火) 17:06:15ID:M+iB+roV
>>113
あ、提言が不適当云々というのは>>113氏ではなくて「ルールが不合理だ」と言う否定派一般に対する反論です。書いてるうちに>>113氏に向けられているような論調になってしまった。
個人的には剣道以外の所で様々な試みがなされるのは良いことだと思う。(実は一度スポチャンに参加したことがあるのだがあれはあれでスリリングで楽しかった。)
剣道の他にも多様な選択肢があって良いと思うし、そのような競技との比較を以て剣道という価値観が独自に持つ良さ(或いは悪さも。剣道があらゆる意味で万能な文化である訳はないのだから)を確認することにも繋がる気がする。
また他競技との違いがわかりやすく提示されることで>>1(+スレタイ)のようなズレた批判をする人間やそれが正しいと誤解をする人間も減るだろう。
ただし、現状では剣の競技は剣道の寡占市場なのはその点申し訳ない(?)とは思うけれど。
0119名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/15(火) 20:15:18ID:Tv5hRgi8
>>112
統一的な考しかもたない、独創的な考えが無い、日本古来の柔軟性のない剣道家。

俺にいうだけ無駄だな。
0120名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/15(火) 20:32:18ID:Tv5hRgi8
>>117
他の競技には無い、良くも悪くも独特の日本文化だと思う。

剣道競技で勝つことだけを、求めるならば必要ないし。

しかし、強さだけではない、年月を積んだ剣道個人の深みというか実積を
評価するという点では良いのであはると思う。
0121名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/15(火) 20:34:39ID:Tv5hRgi8
×良いのであはると思う。
○良いのであると思う。
0122名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/15(火) 20:58:53ID:Tv5hRgi8
他人の意見(体系付け)を聞くとゆう事も、大切だと思うが。

他人の意見(体系付け)に陶酔するのは・・・(大多数の日本人
・群れ好き日本人)進歩がないね!

何事も進歩は、少数意見から・・・。




0123名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/15(火) 21:28:58ID:b0jyqgBe
>>117
>元々面を斬りつけるという特定の攻撃をピックアウトしてその上に
>醸造された文化を保持している訳だから、それに対して価値観が
>硬直化している、もっと多様な価値観を、という提言は
>不適当なのではないだろうか?

>しかし、それを「剣道のルール上で」実現しようというのはどのような
>価値があるのか、意図があるのか大いに疑問だ。
>剣道側から見れば「武道として成立した剣道へのメリット/デメリット」と
>言っても良い。ルール改定ののち、どのような立ち合いになるのか
>精査する必要がある。



当たり判定などルール上の問題だけではなく(それは問題のごく一部に
過ぎない)、全体的な価値観・評価基準の単一化が進んでおり、
むしろそちらがより重大な問題だと思う。

ルール上問題なく勝っている勝者に対して激しい批判が向けられるのも
そうだ。去年の全日本の優勝者が決勝で決めた「かつぎメン」について
「子供達に悪影響を及ぼすおそれがある」などと評されていたのも、
そのような単一化の例といえる。許容範囲がどんどん狭くなっている
のではないか?

もっとロングスパンで考えれば、外弟子だけで何万人も存在すると言われた
中山博道の流れを汲む系統が、全日本などの表舞台からほぼ姿を消した。
流れを汲む中倉清氏が死ぬまで激しい批判を受けたり、中村藤雄氏を通じて
間接的にではあるが影響を受けている宮崎正裕氏が同様に激しい批判に
さらされたのも上記のような流れの出来事といえる。
ルール上、彼らの剣道が特に問題があるとは思えないが、そのようなことも
実際あるわけだ(思い込みだろうか?」。

そのような全体的な価値観・評価基準の単一化の流れの中で
起こっている出来事はそれこそ枚挙に暇がない。
技術的にもほぼ消滅しつつあるものも覆いのではないか?

文化の保持というなら、そのような現状をどのように評価するのか?
繰り返すが、当たり判定などルール上の問題はそのような現状の問題の
ごく一部に過ぎないと思う。
0124名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/15(火) 21:30:15ID:b0jyqgBe
覆い→多い
0125名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/15(火) 21:47:56ID:Tv5hRgi8
2007年全日本剣道決勝戦、担ぎ面が決まりました。

あっと審判団から物言いがつきました。

なんと!子供に悪影響がある技であると認定されましたので、再度試合再開です。

てな具合か?
0126名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/15(火) 21:53:20ID:Tv5hRgi8
2007年全日本剣道決勝戦、延長が長引き、明日再戦となりました。

もう一度、有効技を確認するようにと担ぎ面の人に通告されました。
こんな感じかな?

剣道批評家の人が子供に悪影響及ぼすと思うがな。
0127名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/15(火) 22:12:50ID:Zrvq5JXY
>>123
剣道に批判的な人が結構いるってのはそういうことなんだよね。

勝者にケチをつけるというのは、武道の世界でも、スポーツの世界でも
ありえない話なのに、剣道界ではそれを諌めるような人がいない(笑
ルールに不備があるなら、改正しましょうかという話になるはずなんだけど
そういうこともせずに、ただ批判するだけなんだよな。

それを恥ずかしいとも思わない姑息な人たちに「精神」とか語って欲しく
ないわけよ。
0128名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/15(火) 22:32:52ID:b0jyqgBe
>>127
>それを恥ずかしいとも思わない姑息な人たちに「精神」とか語って欲しく
>ないわけよ。

批判が的確なものならまだいいのだが・・・

ここで個人的疑問。
剣の術理とか理合というものがあるとして、上記であげた激しい批判に
さらされた人たちはそのような「理合」から外れていたのか?
また彼らに対する批判の根拠となった「正しい剣道」は「理合」に
そっているのか?
0129名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/15(火) 22:49:29ID:OXO9p6Qe
>>128
剣の術理とか理合ってのは、端的にいうと「斬られずに斬る」ということで
批判された人はむしろ、剣を理解している人たちなんだよな。
だから剣道の試合でも強い。
強いがゆえに嫌われ批判される(笑
だから、剣を知っている人たちからは、剣道は竹刀競技だと言われちゃうわけ。

適切かどうかわからないけどボクシングに例えて話をすると
現代剣道は、足を止めて打ち合うのが正しく、それ以外は汚いと考える感じ。
きちんと正面を向いて打ち合えと言う。
古流や古流の流れを汲む剣道の一派は、フットワークを使い、相手の攻撃を
かわしながら、パンチを打つ実戦スタイル。

戦えば技術的には後者のほうが優れているわけで、ルールにも違反していないん
だけれども現代剣道はそれがおもしろくない。
だから「剣風がどうこう」と批判しちゃうわけよ。
0130名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/15(火) 22:56:47ID:b0jyqgBe
>>129
>剣の術理とか理合ってのは、端的にいうと「斬られずに斬る」ということで
>批判された人はむしろ、剣を理解している人たちなんだよな。
>だから剣道の試合でも強い。
>強いがゆえに嫌われ批判される(笑
>だから、剣を知っている人たちからは、剣道は竹刀競技だと
>言われちゃうわけ。

現代剣道で誰かを批判するとき、「当てっこ剣道」という言葉を
使用するときがあるけど、「理合=斬られずに斬る」、だとしたら、
むしろ「当てっこ剣道」、すなわち当てられずに当てる技術を磨いた方が
理合にかなうのかもしれないね、極端な言い方だけど
0131名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/15(火) 23:27:49ID:R5tOVq/6
>>123辺りが言ってることは大方正しいと思うが、剣道批判の根拠が「当たり判定」でないのならこのスレッドのトピックからは外れるのではないかと思うのだが。

ところで担ぎ面が子供に悪影響を及ぼす、というのは剣道を指導した経験が少しでもあれば分かるのでは?
左手を中心に残した、正しい担ぎ面は何ら問題のない技だし全日本優勝者が決めたのもそのような技だと思うが(資料がないので分からない)、
子供が真似をして左手を正中線から外して斜めに振りかぶる変な癖がついてしまっては良くない、まずは正中線を通した基本の技を見につけてから、
というのはいかに中村先生やその門下の方とてその通りだと仰ると思う。(剣先が開いていて中心を取っていないように見える構えでも、左手は正中線を通して中心を押さえている。勿論宮崎選手も同様)
教育的見地から、特定の技は癖がつき易いから使いすぎないように、というのは何ら間違ったことではないだろう。担ぎ面は応用的な技だし。
もし、全日本優勝者の技がその瞬間だけでも左手が中心を外れるような打ち方をしていたのなら、それは子供に真似させるべきではないと思う。
ちなみに批判はあっても剣道に取り直しはないのでご安心をw そこは競技だから、審判の旗がどう見ても間違っていると分かっても結果は取り消されない(と思う)。

何だか、「現代剣道」という実体の無いものが批判されているようだがその実物は例えば古流とどう違うのだろうか?
「斬られずに斬る」という発想からなる高度な動きが存在するのは確かだが、例えば自分が剣道を始める子供に対して「斬られずに斬れ」というアドバイスをすることは無いと思う。
相手の攻撃を避ける、防御するということの前にまず自分の打ち所・捨て所を捉えて全身で打ち込むということを覚えてからでないと何も出来ない選手に育ってしまう。
「斬られてもいいから斬る」ということすら完璧に実現するのは物凄く難しいことで、それなりに剣道をしてきた自分でもまだまだ成らせることが出来ない程だ。
「斬られずに斬る」ことが出来る選手はその土台としてそういうことがしっかりと出来ていて、その上で「斬られずに斬る」動きが出来るのだと思う。
これは想像に過ぎないが、中村先生のかの言葉も宮崎選手だったからこそ与えられ、生かせる叱咤だったのではないだろうか。
何も知らない者が「斬られずに斬る」をやろうと思っても「当てられずに当てる」、相手の打ちを避け回るばかりの剣道になってしまう。
教育的見地から見るなら避ける剣より打ち込む剣、担ぎ面より正面打ち、そういったことを奨励するのは間違ってはいないだろう。
剣の操作の基本を大切にしよう、ということが「現代剣道」の正体ならば、それは充分に剣の理合に適ったことである。
ただ、奨励の手段として選手の特殊な動きをただ批判するのはやはり適切でなく、「基本が出来ているからこのような動きも出来るんだ」という段階をしっかりと踏まえた解説と教育をした方が良いように思う。
応用だけを追い求める者は何でも大成しないが、基礎を固めた上での応用は価値のあるものであり、応用を禁忌として封じ込めるのは確かに「価値観の硬直化」だろう。その点の「現代剣道」の実践者の横着は否定出来ない。
0132名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/15(火) 23:48:33ID:R5tOVq/6
>「理合=斬られずに斬る」、だとしたら、
>むしろ「当てっこ剣道」、すなわち当てられずに当てる技術を磨いた方が
>理合にかなうのかもしれないね、極端な言い方だけど

>>130氏がどれだけの剣道のキャリアをお持ちなのかは分からないが、例えばこれは(>>130氏が剣道の基礎をしっかりと身につけている方なら違うが)
「斬られずに斬る」を奨励した場合に生ずる弊害の一つだ。
仰る通り、極端に過ぎるし本質的に間違っていると思う。
もし、>>130氏が剣道をあまりやっていない方ならば是非その理念で剣道をやっていただきたい。
何も出来ないことが分かるだろうからだ。
少なくとも、これから剣道を始めようとする小学生や中学生に対して、かのようなものが「剣の理合」だと教えることは非常に危険だ。
そして、それを「理合」として剣道を始めても宮崎選手のような選手は絶対に生まれ得ない。
私たちも、段位審査を研究したりする際に五臨や葉隠等の古来の剣術書を紐解き研究することがあるが、やはり「剣の理合は斬らせずに斬る」として教えているものは皆無と断ずるに躊躇しない。
斬られたくないからこそ捨て身の一打を、というのは古くからの剣術が常に伝え続けているところで、やはり剣の理合の第一歩は「捨て身の打ち」なのだと思う。

但し、現代剣道の問題点もそこに同時に浮かび上がるのであって、捨て身の打ちの前提が「そうでなければ斬られる」からであるところ、
剣道では捨て身でなければ斬られえても一本にならない=負けないため相手に斬られることを軽く捉えてしまいがちだ、という点だ。
それこそが、「相手に打たれても先に当てていれば良い」という意味での当てっこ剣道の横行であって(当てっこ剣道という言葉も多義的ですね)、
相手より先に当てられれば中心を、相手の剣を殺す「攻撃は最大の防御」たる打ちになっていなくても良い、とする動きの横行である。
剣道が、少なくとも後に打った方を勝者とすることは出来ないからこそ、このような当てっこ剣道に対しては剣道の本旨忘れるなかれ、と警鐘を鳴らすしかあるまい。
0133名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/16(水) 00:19:53ID:JuakNJnj
考えてみると中村先生の「竹刀の下に立つな」「剣の恐ろしさを知れ」という言葉も、同じ趣旨の言葉であると思う。
決して「斬られずに斬れ」と仰っているのではない。現代剣道のルールを奇貨として剣の本質を忘れるなかれ、というメッセージだろう。
そしてもう一つ特筆すべきは、既に指摘した方もいるがこれが剣道日本の記事であるということ。
剣道日本は間違いなく「現代剣道」の場となっているジャーナルだ。
それが、「中村先生の思想を批判する」という立場にたっている、という前提は記事が掲載されたという事情それだけでも無理があるように思う。
剣道派の方が、中村先生の言葉が剣道批判の材料になり得ないというのはそれが剣道の立場からでも充分に受け止められるものだからであって当然の反応なのだろう。
このスレッドでの中村先生の言葉は意図を極端に捻じ曲げられているように感じる。
また、どちらの解釈に分があるかという客観的根拠に於いても上に書いた趣旨として捉える立場の方が、厚い。
0134名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/16(水) 00:51:46ID:T5rsAVGK
>>131-132
>ところで担ぎ面が子供に悪影響を及ぼす、というのは剣道を指導した
>経験が少しでもあれば分かるのでは?

「かつぎ面」といえばその質を問うことなく全否定する画一的態度を
批判しているだけで、貴方のいう教育的効果については否定しない。

>相手の攻撃を避ける、防御するということの前にまず自分の
>打ち所・捨て所を捉えて全身で打ち込むということを覚えてからでないと
>何も出来ない選手に育ってしまう。

私もそのように教えられたし、剣道を人に教えるときにはそのように説明
している。捨て身の技の大切さは承知した上で、しかし、防御から
教えるやり方もありえるのではないかと思うようになっている。

ボクシングでも、殴る技術を教える前に殴られない技術を教えるところも
あるようだ。確かに防御偏重でやっていると攻防のバランスの崩れた剣が
出来上がってしまうだろうが、それは攻撃偏重の場合でも同じことだ。
要は偏重の状態にならないように、初心者に対しては指導者がコントロール
する必要があると思う。
それは、ボクシングなどの場合、セコンドがやっているよね。
0135名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/16(水) 01:10:39ID:JuakNJnj
>>134
バランスの問題に関しては確かに別の視点として考えられますね。
剣道は、あらゆる格闘技に比べて先手必勝、攻めろ攻めろと教えられる攻撃偏重の文化であることは否めないと思いますし、
それが剣道の価値観であるところは恐らく揺るがないのでその点、全体として何かバランスを欠くという指摘は充分可能でしょう。
(完全に余談ですが、そのような攻撃偏重の思想が戦時に軍国主義に於いて利用されてしまったという面もあります)
やはり、剣道が攻撃偏重であるからこそ剣道で結果を残したければまず先に攻撃を勉強するのは当然の流れなのでしょう。(「剣の技法」としての是非はともかくとして)
ですから、「剣道をする」ならば防御とのバランスを考えることよりもきちんとした打ち込みを先に教えることが徹底されていますし、剣道で結果を出す選手たちも皆(というか剣道をする者は皆、かも知れませんが)そのような稽古で錬を高めていますね。
結果、それで「攻撃偏重」となることも無いと思います。(剣道自体が攻撃することを是とするため当たり前ですが)
考えてみれば剣道の稽古は攻撃ばかりです。防御的な部分は足裁きくらいで(だからこそ差がつく部分ですが)素振りから始まって切り返し、基本技、打ち込みと攻撃を叩き込まれますね。
それは剣道をやるからには避けられない宿命なのかも知れません。>>134さんの考える「防御から教える」というのは具体的にはどのような稽古法なのでしょうか?

別に、私は攻撃>防御という価値観を強烈に支持しているわけではない点は誤解なきようにお願いします。
ただ、剣道という文化を見ると攻撃偏重はそれ自体の性質であるということ、加えて宮崎選手や中村先生もやはり攻撃を主体とする剣道の文化の中で練成し、己の剣を切り開いていったのであって
全く別のストリームから生まれた者ではない、ということを指摘したいに留まります。
「実戦なんだったら攻撃よりもっと防御を大切にした方が良いのではないのか?」
という指摘は全くそのとおりだと思いますし、その点「剣道は実戦では防御が弱い」という指摘もかなり幅広く妥当するのではないかと思います。
勿論それは、剣道という枠組みを飛び出した上での話ですが。
0136名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/16(水) 01:11:06ID:T5rsAVGK
>>133
>考えてみると中村先生の「竹刀の下に立つな」「剣の恐ろしさを知れ」と
>いう言葉も、同じ趣旨の言葉であると思う。決して「斬られずに斬れ」と
>仰っているのではない。

防御偏重で腰のひけた剣がダメなのは当然の前提だろう。
>>54で引用されているそれらの言葉の意味は、真剣を扱うことを前提に
するのであれば、相手の竹刀を体に触れさせないようにしなければならない、
としか読めないのだが。

>剣道派の方が、中村先生の言葉が剣道批判の材料になり得ないというのは
>それが剣道の立場からでも充分に受け止められるものだからであって
>当然の反応なのだろう。
>このスレッドでの中村先生の言葉は意図を極端に捻じ曲げられている
>ように感じる。

>>54で引用されている言葉は、明らかに現代剣道のある部分を批判している
ようにしか読めないのだが(全否定ではないが)・・・。>>73が指摘して
いるように、剣の術理や理合が現代剣道でも多くは通じるものであるはず
なのに断絶している部分が大きいから、>>54のような表現になった、と
考えているのだが違うのか?  
0137名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/16(水) 01:33:34ID:T5rsAVGK
>>135
>>134さんの考える「防御から教える」というのは具体的には
>どのような稽古法なのでしょうか?

とりあえず思いついたものを考えると・・・

まず基本的な足捌き(フットワーク)は最重要だろう。
その上で効率的なよけ方を学ばせる。足でかわす、竹刀でかわす、それぞれの
場面において、次の場面につながりうるようなよけ方を学ばせる。相手が連続
して攻撃してきた場合はどうするか、距離をとるのか、懐にとびこむのか、
相手を打つのか、それぞれの状況に応じて考えていくと。
あと、安全でかつ次の展開につながる距離のとり方(非常に難しいが)。

その中で、防御偏重になったときにはかえってつけ込まれやすいことなど、
必要事項を適宜入れていく中で攻撃についても意識を向けさせ、防御と
攻撃のバランスを失さないことが重要であることなどを理解させていく。

防御から入る体系を作るには、セルフディフェンスを流派の目的としている
柔術の体系なんかを参考にすると面白いかもしれない。

とりあえず、こんなところ。
0138名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/16(水) 01:34:06ID:JuakNJnj
>>54で引用されている言葉は、明らかに現代剣道のある部分を批判している
>ようにしか読めないのだが(全否定ではないが)・・・。

恐らく、その「全否定ではない」という部分が肝なんだと思います。
私が書いたのも、やはり現代剣道の一部分の批判ですね。(現代剣道、は特定の内容ではなく現代行われている剣道、という意味です)

「この発言があるから、剣道なんてやってもダメなんだ」
「つまり剣道の当たり判定で稽古をしてもダメなんだ」
そのように解釈する者がかつていました。(今はどっかいったかと思うと夏蝿のように湧いてきますw)
また、「それゆえ剣の理合=攻撃<防御だ。当てっこは理合に適う」という趣旨で捉えるのもやはり間違いだと思います。
「剣道の攻撃偏重の中でも、竹刀は刀であることを忘れてはならない」ということ、即ち私が書いたところの当てっこ批判と同じですが、それを意味する趣旨と解するのが自然ではないでしょうか?

また、
>剣の術理や理合が現代剣道でも多くは通じるものであるはず
>なのに断絶している
という点について、では通じるはずなのに何故断絶していると考えますか?
>>73氏は意図的に排除したかのように書いていますが私は違うと考えます。
一つは、「斬られずに斬る」が実戦的であり、実戦では防御と攻撃のバランスも重要視されるところ剣道は攻撃を是とし特化する武道であるため、
攻撃の理合の前に防御の理合が相対化する、ということを>>73氏は理解していないということ、
それに加えて真剣の術理でも攻撃はかなりの重要性を占めていた(というのは文献からしか推察できませんが。)点で、>>73の「剣の術理」に対する理解が不十分であること、
つまり、現代剣道にも剣の術理(特に攻撃面)は充分伝わっていながら>>73氏はそれを理解できていないというのが真相かと思います。
しかし、現代剣道に伝わるべき、伝わってしかるべき術理というか、競技としてのルール上は必要ないがそれでは剣の攻撃の術理を体得するものとして真っ当できない、というのが
中村先生の仰る忘れてはならないこと、現代に於ける相手に打たることを軽視するという捩れへの警鐘なのでしょう。
そのように解することで、全てが論理的に素直に繋がっていくと思います。
0139名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/16(水) 01:45:03ID:JuakNJnj
>>137
なるほど、確かに防御方法をバリエーションをつけて意識的に練習することは効果的な気がします。
ただ、相手が打ってくることが分かったならその機先を制して打つ、というのが剣道のオーソドックスな戦法なので
まず防御ありきではなかなか一本を取れる選手には育たないかも知れませんね。
(どちらかというと、選手云々というよりは剣道に対する防御法の指導という感じなのかもしれませんが。。)
打ってこない相手だと思ったならば打たずに攻めて苦しくなったところの起こりを叩く、という感じで処理されてしまう気もします。生半可な攻撃は隙を生むだけですし…
打突に至らない攻めが防御の役割を果たしていることも考えると、失礼ながら防御を以って攻撃の代を為す、という程の変革を起こせるものではない気もしてしまいました。
やはり「剣道」の稽古法としては苦しいのではないでしょうか?と言っても仕方ないですけど。
ご意見ありがとうございました。
0140名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/16(水) 01:56:15ID:T5rsAVGK
>>139
初心者に対し攻撃・防御のどちらから入るか、どのような教え方をするのか、
という話だから、上のような説明にした。
打突に至らない攻めが防御の役割を果たしていることは承知だが、
どのような教え方をするにしろ、そのあたりはかなり上級で教えてできる、
というものでもないしね。

ただ、現代剣道の攻撃を是とする思想を相対化すべきではないかと
個人的には考えているので、あえて書いてみた。

現代剣道は隅から隅まで独自の価値観・思想で固まっている。
それ自体は悪いことではないが、その中で失われたものがあるというのは
上で書いたとおりだ。その文脈の中で中村藤雄氏の発言もとらえるべきと
思う。
0141名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/16(水) 02:07:16ID:JuakNJnj
>>140
そうですね、結論として思うところは似通っていると思います。
陳腐な言い回しですが「真剣同士の戦いの緊迫感」みたいなものは相当相対化されていますし。
その中で、剣道人として何をしていくべきか中村先生の言葉をどう捉えていくべきかを考えると、
真剣ならばどうなるのか、といったことを年頭に置きつつ剣道をしていく中で「失われたもの」を追求していくことなのではないかと思います。
ルールに依存することなく、正しい、目指すべき一本とは何なのかを考えることもその一歩であると思います。

長々とありがとうございました。
0142名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/16(水) 02:20:44ID:T5rsAVGK
>>141
こちらこそ、ありがとうございました。
0143名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/16(水) 04:07:25ID:9YWNTIZ2
>>132
>私たちも、段位審査を研究したりする際に五臨や葉隠等の古来の剣術書を
>紐解き研究することがあるが、やはり「剣の理合は斬らせずに斬る」として
>教えているものは皆無と断ずるに躊躇しない。
>斬られたくないからこそ捨て身の一打を、というのは古くからの剣術が
>常に伝え続けているところで、
>やはり剣の理合の第一歩は「捨て身の打ち」なのだと思う

おいおい、本当に「五輪書」読んでるのかよw
五輪書地之巻には
 『武士の兵法を行う道は、何事においても人にすぐれるところを元とし、あるいは
 一身の斬り合いに勝ち、あるいは数人の戦いに勝ち、主君の為、我が身の為、
 名を上げて身を立てんと思う。これ、兵法の徳をもってなり』
とある。
分るよな?
武蔵は「どんな状態でも人に勝つのが兵法である」と説いているわけ。
相手の人数が多くても勝たねばならない。
それを
 『太刀の徳を得ては、一人にして十人に勝つことなり。一人にして十人に勝つなれば
 百人にして千人に勝ち、千人にして万人に勝つ。然るによって、わが一流の兵法に
 一人も万人も同じことにして、武士の法を残らず兵法というところなり』
と伝えている。
一人で十人を相手に斬られずに勝つのが武蔵の言う「兵法」なわけよ。

捨て身どうこうってのは、剣道が一対一のスポーツだから出てくる発想であって
いわゆる「剣の理合」ではないの。

ちなみに沢庵の「不動知神妙録」では
 『例えば、十人にして一太刀ずつ我へ太刀を入るるも、一太刀を受け流して
 跡に心をを止めず、跡を捨てて拾い候はば、十人ながらへ働を欠かさぬにして候』
と教える。
つまり、相手が多い場合でも、特定の相手に拘らず常に一対一で受け流していけが、
スキを見せずに十人を相手にできるということな。
「捨て身」というのは、一人の相手に拘ることになるからダメなわけ。
0144名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/16(水) 04:28:00ID:9YWNTIZ2
>>132
ついでに新陰流の「殺人刀」では
(現代語に要約すると)
 人に一太刀浴びせるのは容易い。人に斬られぬことは難しい。
 相手は斬ろうと思って打ち付けてくるが、身に当たらぬ間合いを熟知して
 驚かずに、あえて敵に打たせる。
とある。
そしてこう続く。 
『敵は当たると思ふて打てども、つもり(間合い)あれば当たらぬなり。
 当たらぬ太刀は、死に太刀なり。
 そこをこちから越して打って勝つなり。
 敵のする先は外れて、我かえって先の太刀を敵へ入るなり。
 一太刀打ってからは、はや手をあげさせぬなり』

つまり敵の「先」の一撃をかわすことで、逆にこちらがファーストストライクをものに
することができると教えているわけ。
「斬られずして、斬る」というのが「剣の理合い」というのは常識だと思うぞw
0146名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/16(水) 12:07:23ID:sDUkmEAX
すまん、誤爆したw

>>144
葉隠も読もうぜ!
しかし「剣の理合」っていうのも色々あると思うな。
素肌剣術で武芸者として生き残っていこうと思うならまず斬られないように、が大切だったと思う。一人対多人数とかも攻撃動作は最小限にせざるを得なそう。
斬られないで生き残っていく中で技が磨かれていくとするなら、それこそボクシングの話のように防御から先に教わることもあったのかもしれないね。
0147名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/16(水) 15:03:45ID:6FzMtVY4
今まで見てきて一番有意義なやり取りが成立した気がするがトピックからするとどちらの立場からもさほど結論は変わらないようだな。
剣道の価値観は実戦そのものではない。剣でのやり取りの一部分をフォーカスして、現代ではその精神を人間としての生き方に沿え高めていこうとする文化。
当たり判定が不自然だ、という批判はそのような剣道の性質を理解していないからそう見えるだけ。攻撃偏重の価値観が肌に合わないなら余所へ行けば良いし誰も止めない。
そのように剣道が文化として、また競技として実戦の要素を切り落としながらもなお剣の道であろうと足掻く矛盾からこそ競技としての歪みも生まれる。
そのような足掻きをどう評価するかは人それぞれなのだろう。

剣道なんて150年の歴史も持たない競技、その内容や取り巻く環境も戦前戦後、現代とどんどん変わっている。
また数年程経ったら剣道を巡る議論や環境も全く違うものになっているのかも知れないな。
柔道のように国際主義の中で合理化・定式化の波に揉まれて剣道としての本来の姿を著しく見失ったものにはなっていないでくれと、現代の剣道家としては願うばかりか。
何が「正しい剣道」なのかは誰かが決めて押し付けるものではなく理想的には個々が考えるべきことだから、剣道日本のようなジャーナルで様々な剣道を紹介し、比較議論するような試みがもっとあっても面白くなるかもしれんね。
0148名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/16(水) 16:19:45ID:jEltKim1
>すなわち当てられずに当てる技術を磨いた方が
理合にかなうのかもしれないね

宮崎氏の剣道、合理的な剣道だと思う。だから6度も日本一になれたと思う。

>やはり剣の理合の第一歩は「捨て身の打ち」なのだと思う。

実力の低い人が、実力の高い人に使う打ち方だと思う。
実力が接近したもの同士では「捨て身の打ち」は使うべき打ち方ではない。

0149名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/16(水) 17:21:02ID:J3I1o/KE
虚実を読めなきゃ防御もクソもないかと。

一年くらいやってりゃどんな防ぎ方すればいいのかなんてわかるだろうし。
学ばなきゃいけないのはどう防ぐか、よりどこを撃ってくるかだろ
0150名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/16(水) 17:22:14ID:J3I1o/KE
虚実を読めなきゃ防御もクソもないかと。

一年くらいやってりゃどんな防ぎ方すればいいのかなんてわかるだろうし。
学ばなきゃいけないのはどう防ぐか、よりどこを撃ってくるか、だろ
0151名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/16(水) 18:21:32ID:ls3rkbW0
もう、お互いに噛み付くのは止めないかい。
剣道には剣道の良い所があるし、剣術には剣術の面白い所がある。
これが分かっていて、お互い尊重し合える者同士で、オフをすると
それはもう、とても面白いもんだよ。
0152名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/17(木) 05:23:17ID:9G9oD3FK
>>151
剣道屋やしったかが多いからね。
デタラメな理論で長文書いてるようではガキと同じで話にならない(笑
0153名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/17(木) 11:19:57ID:OhUzeq5r
>>152
お前の脳みそが足らないだけだろwww
0154名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/17(木) 12:58:01ID:kjPk0fLe
>>147
>剣道が文化として、また競技として実戦の要素を切り落としながらも
>なお剣の道であろうと足掻く矛盾からこそ競技としての歪みも生まれる

そういうこと。
時代環境の問題で、技術も精神も徐々に変形していったのだろう。
実戦的技術といっても、それを使用できる時代環境がなければ、そのような
技術が育ちにくいのは剣道に限ったことでもない。

ただ、それなら競技に特化した技術・価値観が大勢になるのが自然なのに、
「正しい剣道」に代表されるような競技への特化を阻む価値観が多数派で
あるところに剣道の特殊性がある。
それも平和な時代における付加価値のつけ方の一つといえようか。
0155名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/17(木) 14:53:59ID:9G9oD3FK
>>153
こういうレスを見ると、剣道をやってると精神が歪むのかなと思う。
0156名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/07/17(木) 17:59:01ID:OhUzeq5r
>>155
絶対お前みたいなバカが湧くと思ったwww
例えば、お前が人に石投げてお返しに突き飛ばされたら
それはお前に原因があんだろ?他人に対してバカな事言えば
存在を否定されるのは当たり前だろが。タコwww
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