■■剣道の当たり判定は不自然■■2本目
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胸を突かれても無傷。
肩を袈裟懸けにされても無傷。
大腿部を斬られても無傷。
だが、小手を斬られると即死www
もう、ルールありきの、ただの竹刀競技だろ。 >>322
謙遜しなくて良いよ。
君くらいになると、相手が居なくても、手を出さなくても考えるだけでイけちゃうんだろ。 >>323
お主目の付けどころが玄人ぢゃのぅ。
かなりの素振りマスターと見た! 立ちんぼが真剣持ってて、打ち込みの甘い奴を斬るんだよ。
みな切られまいと懸命に稽古するから絶対に上達! 結局この話って好みの問題じゃないの?剣道も剣術もスポチャンも全部フィクションなんだから。
真剣じゃないけど木刀素面で打ち合いしたことはあるよ。怖かった。 あんなぁ。
毎朝だいたい決まった時間に起きて
30分ぐらいしたらウンコしたくなって
ドバ〜っと出て
残便感もなく
腸の中が空っぽになったような爽快感があるんやけど
またその30分以内にウンコしたくなって
1回目のドバ〜っの半分ぐらい出る。
その後はウンコしたいってことはなく
翌朝までウンコしない。
なんで二部構成やねん。
1回目終わったあの爽快感は何ですねん。
マジなんです。
というかちょっと古流武術が誤解を受けてる気がすんだが
古流武術が殺しの技術ばっかで殺し自体を目的にしてるとかさ。
そんなんなら現代社会で存在を認められないんじゃないか?
むしろ極限の状況を想定する事で武術としての動きが繊細かつ
極まった物になっていくことこそ、古流の醍醐味ではなかろうか?
そうなると当然精神論なども高度に発達すると思うんですが…
まあちょっと前のレス中にあった古流が無思想のチャンバラってのに
すごい嫌悪感を覚えたので…スイマセンはい(煽りには慣れてる筈なんだがねぇw)
べつに剣道が嫌いと言うわけではないですが、こういうこと言う人がいるとするなら一寸引く
まあ競技人口が多い分いろんな人がいる事でしょうし、古流を引き合いに出して
剣道は実践的でないというような、本当にこいつ古流やってんの?剣道と立ちあったこと案の?
って言うようなレスに腹が立ったのでしょうが・・・
(個人的に剣術の技は斬り合いには強いですが層の厚い剣道の上層選手は
実際に斬り合いしたとしたら強い人はたくさんいると思います。
つまり剣術は技に優れるが本気の人が少ない、剣道は本気が多いが技の洗練はされてないと。
うまい表現が見つからないですが…) 別に殺しを目的とした技でも、技術として、
伝統として、趣味として価値があれば
存在は認められるよ。
精神がどうの、道がどうのってのは
流派や個人ごとの問題だから気にすんな。
剣道やって勝ち負けに固執するのも自由
軍隊格闘技やって武道性を追求するのも自由。 剣道家からは古流は「禁じ手」が解禁されてるのが古流の一番の強み
であるとの偏見がある〜の意見には同意.
古流が目指すのは寧ろ「スポーツ的」な筋力や瞬発力では到達
出来ない術理へのロマンの追求.だから実現する人は稀だとの自覚
もちゃんとある.
古流側も剣道の(体力は年齢で衰えるし,ケガが多いけど)実践で鍛え
られた強さは充分認識しているもの.もしそうでない人がいたらそれ
は現実を知らないだけ.
古流修行者もどんどん防具稽古をすべきだと思う.
問題は剣道が打ち方や歩法に画一的な基準を当てはめ過ぎで
古流修行者がうまく両方の稽古を相乗効果的に修行しづらい
ところだろうと思う. >>337
まさしくそれです
古流も明治までは防具稽古が盛んでしたが、武徳会発足による
試合規則の制定に伴い撃剣稽古が減ったのは事実であり、
それは古流と剣道双方に大きな溝を作ったように思います。
そうでない流派も有るにはありますが…
試合規則はもっと術利(姿勢や発声、足捌き、竹刀捌き等)に関して自由になっても良いと思う。
当たり判定を増やした減らしたはあまり関係がないような気もせんでもない。 古流側でも有効打突部位が面,小手(左右),胴である事に特に異論は無いもの
と思う,せいぜいで脛(脛当て必要)までは検討すべきだろうけれど.
充分な打突のみが一本なのも一定の合理性は説明出来る.曰く実戦ではなかなか
踏み込めないものであるから軽いものは無効である云々.また人に拠っては剣道
の面は「面=おもて=目など」を斬りつけて怯ませてとどめをする残心で成立
していると唱える立場もある(これは居合の抜き付け,斬りおろしにも共通する)
しかし介者が基本となる古流では元来甲冑の隙をつくべく太刀筋が曲線するから
どうしても剣道(及び一刀流)の直線的斬りおろしとは噛み合ない.
しかし,実戦で袈裟切りや振り回す太刀に対応出来ないで済むものだろうか?
事実明治期の剣道家が園部武雄女史の風車の剣筋のなぎなたにいかに苦戦
したか知らない人はいまい.
古流の身体操作にはやはり刮目すべき深い理合が隠れているものだし,
剣道も試合にあってはそれら多様な背景の剣にも有効を認める寛容な
ルール規定であれば可能性は無限にひろがるものだと思う. 野糞は中学時代によくやったなぁ。
というのも男子トイレの個室の扉が閉まってると
「誰か糞してるぞ!誰や?誰や?誰や?」
よじ登って見られたりする。
見られた後はもうどうなるかわかりますよね。
だからとても学校で糞することなんて考えられなかった。
学校で糞したくなればひたすら我慢するしかなかった。
あの時は堂々と個室に入れる女子がうらやましかったなぁ。
学校終われば部活をサボって一目散に家に!
何時間も我慢できたはずの糞がもうすぐ出来ると思えば緩むのか
家に着くまでに漏れそうに。
はい。何度も野糞しました。
不思議なことにトイレで糞するより
野糞の方があの開放感というか気持ちいいというか。
あの頃以来、カバンやポケットに必ずティッシュを忘れずに入れておく
癖はついたけど高校生になって今日に至るまで
野糞はしておりません。
中学時代の良き思い出のひとつかも。
剣道云々かんぬん書いてるヤツの話って、だからどうした?
って事を一生懸命駄レスしてんよなwww ヨーグルトやと思って食べたら
木工用ボンドやった。
繊細である打ちと軽いだけの打ちは区別できるようなら
だいぶ変わるかなあ・・・ あんなぁ。
毎朝だいたい決まった時間に起きて
30分ぐらいしたらウンコしたくなって
ドバ〜っと出て
残便感もなく
腸の中が空っぽになったような爽快感があるんやけど
またその30分以内にウンコしたくなって
1回目のドバ〜っの半分ぐらい出る。
その後はウンコしたいってことはなく
翌朝までウンコしない。
なんで二部構成やねん。
1回目終わったあの爽快感は何ですねん。
マジなんです。
剣道の当たり判定というか、それも含めた現代剣道の価値観それ自体が
「剣」の技術の可能性を狭めているような気がして仕方ない。
例えば、上のほうで議論された「正しい剣道」などはその典型例。
要するにそこに言う「正しさ」とは、>>212が言うように
一部の人間の好みを強要しているだけのように思われる。
ルールの中で正当に勝利した宮崎正裕氏や中倉清氏に対し、碌な分析もなく
「汚い」、「変剣」などの負のレッテルを貼って疎外する態度は、
「自分に都合の悪いものは見ない」精神的ひきこもりではないか? ここでの問題の本質は「正剣」の理想とする剣道が真に
優位性から極まったスタイルであれば必死に「矯正」
しても本望と言えるだろうが,実際は常にそうだろうか?
高段者審査で求められる様なスタイルは「結果的に」無駄が
省けて至るべき境地であり,その形態だけを真似ても無意味
なのは自明.所謂達人の境地が形態模写で身に付く筈はなく
深い術理を積み上げなければならないだろう.
私見ではそういう領分は古流の様に形稽古からじっくり修行
する方が向いており,剣道自体は競技に特化してあくまでルール
内での錬磨で技術が発達するのに任せるべきではないだろうか?
この発想なら宮崎批判など生じなかったと思われる.
剣道の競技ルールが実戦性を離れないよう留意しつつも,競技
のもたらす切磋琢磨に任せるなら,自由な剣風や古流をベース
にした遣い手も出易いと思う.結果剣道人気も盛り返すと期待
したいのだが・・ >>346
>「正剣」の理想とする剣道が真に優位性から極まったスタイルであれば
>必死に「矯正」しても本望と言えるだろうが,実際は常にそうだろうか?
常にそうか否かどころか、非「正剣」とされた宮崎氏や中倉氏が
あれほどの実績を残している時点で「正剣」の優位性などないだろう。
特に宮崎氏の場合、常に否定的にみられるアウェー状態(審判含む)の
中での実績であることをリアルタイムでみているから、余計にそう思う。
>高段者審査で求められる様なスタイルは「結果的に」無駄が
>省けて至るべき境地であり,その形態だけを真似ても無意味
>なのは自明.
というか、技術を向上させたら「結果的に」高段者審査で求められる様な
「正剣」スタイルになる、というのが恐らく単なる思い込みだろう。
現に、中倉氏は九段になっても「変剣」というレッテルを貼られていた
わけだし。
そもそも中倉氏が「変剣」というレッテルを貼られたのは戦後になってから
であり、戦前にはそのような評価は存在しなかったという。
中倉氏のスタイルが戦前と戦後で変わっていないなら(変わっていないはず)、
『極まれば「正剣」になる』、が戦後に発生した思想だということがわかる。
そして、宮崎氏や中倉氏などの例をみると、繰り返すが「正剣」の優位性が
証明されたから「正剣」に圧倒的に傾いた現在の風潮が形成された、とは
いえないだろう。
多分に幼少からの「教育」の成果によってそのような風潮が形成された、
というのが正しいように思う。
考えてみれば、本来「剣」自体が多様な技術を内包しうるからこそ、
歴史上も異なる考え方を持った多くの優れた流派と人間たちを生んできた
わけで、『極まれば「正剣」になる』というのは歴史的にも正しくないのは
自明だ。 >>346
>剣道の競技ルールが実戦性を離れないよう留意しつつも,競技
>のもたらす切磋琢磨に任せるなら,自由な剣風や古流をベース
>にした遣い手も出易いと思う.
多様性を確保するなら、『極まれば「正剣」になる』という思想を相対化
しなければならない。だが、現代剣道を始めたときより刷り込まれた
上記の思想を相対化するのは、貴方が思う以上に困難だと思う。
現に貴方はこう書いているよね。
>高段者審査で求められる様なスタイルは「結果的に」無駄が
>省けて至るべき境地であり,その形態だけを真似ても無意味
>なのは自明.
ここには、『極まれば「正剣」になる』という思想的前提が明確に現れて
いると思うが、どうよ? >348
自分は必ずしも「正剣」が不合理だとは思いませぬ.
実際「正剣の総本山」高野佐三郎氏が遣い手であり数多の剣士を
寄せ付けぬ存在であったのがそれを証明していると思いますれば.
しかし同時期に中山博道があり軽妙な体裁きで相手を躱しつつ短めの
竹刀で翻弄する剣風で古流の玄義を剣道に活かしていたのも亦事実.
つまるところ「多様性」を容認し得た戦前と剣連の独裁体制の弊害
(戦前のイメージを払拭してスポーツとして認知される為に)規格
統一が行き過ぎた戦後剣道の差ではないかと存じまする.
剣道が狭い規格に収斂したのは主に政治的理由でしょう.
先の中倉清氏と縁深い植芝盛平(合気道)や国井善也(鹿島神流),黒田
泰治(改心流等)など古流遣い手と同時期に交流もあったにも却らず・・
少し前に空手道(全空連)は流派が型をお互い尊重しつつ組手競技では
純粋に競技に徹っせられる幸運を指摘する御仁もあられましたが空手と
剣道では流派と連盟の関係がかなり異なると謂う事かと.
柳生新陰流の先々代などは武徳会にも加わり,剣道にも関わっていますが,
どうにもそれが剣道の規格に影響した形跡は見られませぬ,剣道はあくまで
一刀流からの系譜に止まり袈裟切りや鐘木足は採用されずじまい.
園部女史の風車のなぎなたに翻弄された明治期の並み居る警視庁の剣士
たちはしかし,剣道を多様な流派の共存錬磨出来るものには遺してくれ
なかった訳であり,これも剣道と国民体育即ち教練の密接不可分の時世
ゆえかとも嘆息するばかり・・
>>350
>自分は必ずしも「正剣」が不合理だとは思いませぬ
同意。
問題なのは、多様性を排斥する風潮。
>つまるところ「多様性」を容認し得た戦前と剣連の独裁体制の弊害
>(戦前のイメージを払拭してスポーツとして認知される為に)規格
>統一が行き過ぎた戦後剣道の差ではないかと存じまする.
上記のように同意。
>剣道が狭い規格に収斂したのは主に政治的理由でしょう.
これまた同意。
戦後、剣道が生き残るには仕方がなかったのかもしれないが。 め〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん!
その瞬間
プ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッツと
屁をこいたことある?
戦前にあった多様性を取り戻そうとしたら、柔道のように競技化を
もっと進めていくしかないと思う。
「競技化は剣道の本質を失わせる」という批判が必ず出てくるが、
その程度で失われる「本質」など、本質とはいえないのではないか。
柔道の場合、各国が元々自国がもっていた格闘技をもとにして
独自の技術を編み出してきており、日本はそれに対応を迫られている。
石井慧などは日本固有の技術に加えて、外国柔道の研究も怠りなくやって
勝利した好例だ。
自分の価値観に合わないやり方に対し「それは正しくない」などと
負のレッテルを貼ってネガティブキャンペーンをやるよりも、
各国の独自の技術を尊重・研究しつつ自分の技術を伸ばしていくほうが
正しい態度だと思う、 先にあった「実戦性」が重要と心得る.
柔道にあってアイデンティティーは「道着」でもあるが歴史
に従えば「組み討ち」であろう.サンボ的な捨て身技を是認
するか否かも敵が刃物(小刀類)を帯び,或は自ら甲冑を着て
いて尚,その技が相手に飛びかかり組み伏せ首が刈れるかが
「一本」の基準であるべきだと.
剣道あっては当然「日本刀」であろう.
太刀,打刀を問わず日本刀に準じて運用が作(な)されて
いれば燕返しよろしく「切り上げ」ようが水平に胴を薙
ごうが,上段で風車に振り面を狙おうが本来は是しであろう.
(ただ横面に就いては鼓膜破損の危険も考慮は必要かと)
よく指摘される「刺し面」批判だが,一部からは「太刀」
での介者剣術では深い太刀の反りを利用して下から相手を
斬る刀法があり,これは刺し面とも通じるとの意見もある
ようで「実戦性=刀」から大振りのみを礼賛する考えにも
一定の批判の余地があると思われる.
なぎなたは現在も時折剣道と交流試合があるが,女子の競技
なぎなたに留まらず古流の長刀,長巻きの刀法も交流して貰
いたいものだと思う.それにより定寸化以降喪われた大太刀
の理合と一刀流が同じ土俵で競う事も叶い多いに研究に貢献
するのではないかと.
こういった「実戦」優先の考えと「スポーツ」だから竹刀競技
でいいとの意見もありどこに基準を置くかもまた意見の分かれる
ところだと思われるが. 剣道に「実戦性」が必ずしも必要ないというのは、上のほうでも議論されて
いたよね。それならそれでいいと個人的には思うが、現在の状況では
あまりに思想統一が行き過ぎて「剣」の技術の可能性を狭めていることは
否めない。
ルール上問題なく勝っている勝者に対して、気に入らない場合には
負のレッテルを貼って激しく批判するという剣道の世界独特の悪習に
それが現れている。宮崎氏や中倉氏に対する批判の例は、その典型だ
もしルールに不備があるというなら変更すればいいだけのことなのだが、
それはせず、ひたすらネチネチ批判し同調圧力をかけるだけ。
ムラ社会的体質。
ルール上問題なく勝っている勝者を称える、ルールに不備があるなら
変更する、ルールの中での技術に意味不明な制限をかけない、など、
まともな競技化への道を進むのが良いと思う。 昨夜飲みすぎた。おつまみの柿ピーも食いすぎた。
夜中に息苦しさで目が覚めまた寝るの繰り返し。
柿ピーが効いてきたのか自分の屁でも目が覚める始末。
それ以降、息苦しさはなくなったが屁の連発が止まらない。
朝になりうんこしにトイレ行ったら確かな手ごたえ。
しかしでかい屁が一発でうんこは少量。
そしたらまたうんこしたくなって今度はちゃんと出た。
家を出てしばらくしたらまたうんこがしたくなり
誰でも入れる某トイレで今日3回目のうんこ。
それ以降、うんこはしたくならないけど
屁が止まらない。
出るときは思いっきり
ブ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ
又は
プ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ
けどなんか出たぞ〜ってな感じですがすがしい。
また休みの前夜には飲みすぎて柿ピー食いすぎて
思いっきり屁をここうと思った。
楽しみだw
>>356
フェンシングのエペとかフルーレ見たいに色んなルールを作るって云うのは如何かな。
現行の侭のルールと剣術の様なルールと二通り遣ってみたら如何だろう。 >>358
いいね。
そのほうが、ルール自体を相対化しやすい。 そもそも、剣道って見世物のためのスポーツじゃないだろ フェンシングが三つに分かれてるのはそれぞれ使う得物が違うから。
剣道でそれを言っても一刀と二刀の違いくらいしかないだろう。
二刀は競技者自体が少ないから今あえて分ける必要などない。 「短剣道」がある.
銃剣道に付随してる扱いではあるけど.
なぎなただってある意味「長刀」剣道
と言えなくもない・・(?!)
二刀だって本来独立しててもいいはず
だし,4尺以上の竹刀の剣道の存在(半身,
スネあり)だって当然あってもいい.
剣道が単一競技であるべき理由こそ寧ろ
ないとも言えるだろう. >>362
>二刀だって本来独立しててもいいはず
二刀は今分ける必要がないというだけで、独立してはいけないとは言ってない。
>4尺以上の竹刀の剣道の存在(半身, スネあり)だって当然あってもいい.
4尺以上の竹刀が刀といえるかどうか正直微妙。
遠間から脛ありの剣道がしたければ自分で「長刀」剣道と呼んでるのに、単純になぎなたやればいいだけだろう。
>剣道が単一競技であるべき理由こそ寧ろないとも言えるだろう.
二刀には独立しろと言っておいて、言ってることが矛盾してないか?
>>363
>試合で長刀対短刀があってもいい
短刀使って長刀相手に勝てるのか正直疑問。
剣道三倍段の意味を知っていれば普通は敬遠するだろう。
結局今剣道が抱えている問題はルール変更で解消できるようなものではないと思う。
グチグチ言う奴には言わせておけばいいし、必要なのはそれに耐えて自分の信念を貫く気合と根性だけだろう。 短刀が長刀より不利なら
不利な状況を打開する策を施すのが武道だと思うので
短刀を規制する必要は無いね
小太刀の型だってあるんだし
宝の持ち腐れ 小太刀が不利だの剣道三倍段だの
つまるところ勝敗にこだわってるだけじゃないのか? 歴史的に鎌倉の頃の騎射戦の時代「太刀」は弓の補助,つまり拳銃の
様なサブアームだった.故に寸も短かった.
それがようやく刀が主武器になった南北朝時代に徒歩(かち)武者
が「大太刀」を遣った.介者剣術は長巻,大太刀,長刀のどれでも基本
は同じ半身で袈裟切り,大きく股を割る歩行.
それが本来の剣術で神道流や新陰流はそれを定寸の刀にも適用している.
一方で戦国が終り平時のみの素肌剣術中心になって一刀流が存在可能
になった.寧ろ一刀流こそ後発の例外的存在だったとも言えなくもない.
この事実に鑑みても,「殺陣」などが相変わらず半身袈裟切りなのからも
一刀流のみに偏重した現行剣道では不自然で,どちらも並立してもいいと
思う.その方法として,短刀,定寸,長寸,二刀に剣道競技が分かれて存在する
のもいい方法だと思う.
「なぎなた」は実際やってみれば分かるけれどあれは「女子薙刀」を
近代的集団稽古に対応させる為振り上げてから斬る「二段階操作」中心
で(だから構えが左足,左手が前になる)古流の男(大)薙刀の手法で
は遣えない(一本にならない).
近代化は剣道にも薙刀にも「画一化」を強要したと言えそうである.
日本には豊かな流儀の遺産があるのだから,それを活かす発想をする
のも先人への恩返しになるのではないだろうか. >>365
別にあんたの武道観なんか知らないし、現行ルールでも長さ制限はあっても下限はないから
重量さえクリアできたら小太刀でも出れるだろう。
それよりそんなに小太刀にこだわるなら>>362がいってる短剣道をやったらどうなんだ?
>>366
>小太刀が不利だの剣道三倍段だのつまるところ勝敗にこだわってるだけじゃないのか?
もともとが勝負にこだわる剣術家の言うようなことじゃない。
>>367
>一刀流のみに偏重した現行剣道では不自然で,どちらも並立してもいいと思う
現代剣道が一刀流の流れをくんでいるというだけで、その他が競技化しないのは
そちら側であえてそうしてるからだろう。
>短刀,定寸,長寸,二刀に剣道競技が分かれて存在するのもいい方法だと思う
もうすでに短剣道、剣道、なぎなたでそうなってるでしょう。
それともそれらをすべてひっくるめて剣道と言いたいの?
>近代化は剣道にも薙刀にも「画一化」を強要したと言えそうである
それぞれに事情があることを分かれ。
それに問題があるなら一つ一つ具体的に提案すればいいだけだろう。
言ってることが抽象的すぎてさっぱりわからない。 現行ルールでも、もっと多様な技術が可能なはず。
変えるべきは頭の中身。
ルールの中で正当に勝利した現役時代の宮崎正裕氏に対し、
碌な分析もなく「汚い」、「変剣」などの負のレッテルを貼り
当時の剣道界をあげて疎外した態度こそ、狭量な体質、
頭の硬さを示す典型例。
基本的には、現在も変わっていないのではないか? ttp://oshiete1.goo.ne.jp/qa3804810.html
ちょいと面白い質問があった。
得物が違うから当然技術は全然違うけど、
正中線の話とかは興味深いね…
ものすごい素直な意見だと思った。 >>368別にこだわりなんかないし今のままでも構わない。
実際に稽古しても、端から見ていても剣道やってる人間は懐が狭い奴が多いと感じているだけだから。
で、>>364と同一人物とお見受けするから質問するが、なぜあなたは今のルールにこだわるのか聞かせてくれないか? >>371
>なぜあなたは今のルールにこだわるのか聞かせてくれないか?
それは>>364でもう言ってあるし>>369も同じこと言ってくれてるよ。
むしろルールに問題があるならどこか教えてほしい。 >>371
>剣道やってる人間は懐が狭い
というか、総じて真面目だが頭が非常に固いという印象がある。
ルールを変えるにせよ、ルールの中で色々と工夫するにせよ、
柔軟性がないと新しい発想が出てこない。 なんか話し聞いてると剣術家はただ単に竹刀競技がしたいみたいだね。
だったらスポチャンなんかがおススメだろう。
スポチャンでは短刀定寸長刀二刀のすべてが使えるし、有効打突部の指定もなくより実戦的だ。
剣道のルールを変えるよりそっちをやった方が手っ取り早いと思うよ。 明治期には互いの流派を名乗ってから立ち会いが行われる伝統が
まだ続いていた.
全てが統一されたのは戦後の事.それも実際は限られた人間の間で
利害やコネが絡んで不諾々々(しぶしぶ)決まっていった経緯は
関係者のみの識る処・・・
防具剣道は江戸時代から脈々と培われた遺産で,面を着け存分に
打ち合い,礼を尽くしてから面を取り黙想〜一連の武道特有の
爽快感.これが堪らなくて剣道を,武道をやっているのだと思う.
失礼ながらスポチャンや一部のスポーツ化した武道ではこの醍醐味
が喪われているのではないだろうか?自分が少なくともスポチャン
をしない理由は雰囲気が合わないからである.(勿論軽過ぎる得物に
も不満はあるが)
剣術側も勝手に競技をやれとの意見はわかるが,実際問題流派武道が
そんな簡単にいかないのは分かる筈だ.本来それらの垣根を越える為
に興武所も作られ剣道につながって来たのだから.
実際幾つかの防具稽古も行う道場を覗いても,その流派の為だけの防具
稽古であってその範囲を出る事はまず無いという現実がある.
>>377
>全てが統一されたのは戦後の事.それも実際は限られた人間の間で
>利害やコネが絡んで不諾々々(しぶしぶ)決まっていった経緯は
>関係者のみの識る処・・・
この辺の事情を詳しく書いた文献とかない?
現在の剣道の問題は、突き詰めるとここに原因があるように思えて
ならないのだが。 >>377
>失礼ながらスポチャンや一部のスポーツ化した武道ではこの醍醐味
>が喪われているのではないだろうか?
これは、そうでもないと思う。 つかスポチャンやってる人達をみたが、ただ片手でスナップ利かせて
膝打ちだけやってたぞ。要は球を使わないテニスだろ。 >>377
おれもそこらへんは知りたい、
けど絶対に主流側の資料は残さんだろうな・・・。
有るとしたらわりかし多く竹刀剣道に参加してた
中山系とか、無刀流系ならそんな話は有るだろうな。
中山博道剣道口述集あたりはどうかな?これの形を保存せよ、「
という項目からに中山師の主張と武徳会での経緯は書いてる。
武道の爽快感は人によってそれぞれ。
試合に勝った時、技を覚えたとき、褒められた時、練習そのもの…
スポチャンにどれもないとは言い難いなぁ… オフレコでしか残っていないだろうから資料としては出て来ないものと思われ.
自分も伝聞やそのまた伝聞でしか事情は伺い知らないのが実情.
しかし連盟や周辺組織(居合,杖から学連諸々)まで結局縁故コネが最優先の世界だった
のは確かだと考える次第.
伝記や遺稿集の類いからだけでも結構その辺が透けて見えるものも無い訳ではないし・・
本格的な研究者が出ればいいけれど,発表後の立場はかなり苦しくなると推測する.
剣道などの「礼」の雰囲気に満足を覚える人にはすぽちゃんをはじめとするユルい
空気は馴染めないのではないかと思う.権威主義の行き過ぎも良くないが,水平平等に
指導者もそっちのけにだらだらやっているノリはどうしても好きにはなれない.(自分の
知っているすぽちゃんだけの傾向なら失礼) 戦後の居合の制定形を定める際の話でも大体同じだった様だがかなり限られた人脈の
なかで策定され了承されて行ったものだと聞いている.
現在は二刀に指導要項の策定が進んでいるようで〜
http://hakudoh.com/pc/page05_01.html
結局連盟が唯一に近い権威であるのだから,連盟は無理な指導,規制はしないで
競技の為の各組織の調停者であるべきだと思う.流儀も歴史も違うものが一同に
集う組織は純粋に中立的な媒介者であるべきなのではないだろうか?
剣道が単一の競技であるべきか,各流儀の基礎の上に集い行う競技の便宜の為に
連盟があればそれでいいのか・・意見が分かれるのではないだろうか? 戦後に、統制が行われたということは共通認識ということでいいのかな? 相変わらず、>>377が言うような限られた人間の間で決められた価値観で
やっていることは確かだが、宮崎正裕氏の出現以降は、
それ以前と比較して流れが変わったという気はする。 >>381
>ただ片手でスナップ利かせて膝打ちだけやってたぞ。要は球を使わないテニスだろ。
スポチャンも一本の判定をもっと厳格にして、カスッただけでは一本にならないようにしたり、
受けの概念を導入して、先に相手の剣に当たった打ちは一本にしないようなルール変更をすれば
競技としてそれなりに楽しめるんだけどな。 >>386
全然変わってないだろ。
せめて剣道はキホンキホンと口うるさいのを何とかしてほしい。
無理して不自然な形ですることが本気で修行になるとでも思ってんの? >>388
あれでも変わったほうだよ。
以前は、もっと締めつけがきつかった。 防具素材も技術発展とかあるんだろうし、部位増やしてもいいよねぇ
袈裟の為の肩、脛。特に足は実際に薙刀でやってるんだし、問題もないだろうに。
篭手も下段からの切り上げが有効になれば戦術も増える。 >>390
切り上げになるかは分からないけど上段や二刀の上げ籠手は内側から狙っても構わないだろう。
剣道で肩と脛は怪我につながるのでやめた方がいい。
やるなら胴突きだけど相手に中段に構えられたらそもそも打てないし、今でも迎え突きが相手の打ちが無効にすることを考えると
すでに有効とも言えるだろう。
あと二刀は胸突きも有効打突部に加えるべきだと思う。 >>391
どう怪我につながるのさ
胸突きも有効部位を高めに取ると防具の改良が必要だろうしのう
二刀の胸突きは昔は有効だったよね、ルールまた変わってたのか?
つうか喉の部分は改良しないと現状でも危ない……
危険だから自制させるより、使いやすくする努力をすべきなのに、その辺の改良、怠ってるよね 現状の垂れ式の強度を上げて形状をほんの少し変えれば、
喉も、肩への袈裟も安全に出来るだろうにね。 >>392
>どう怪我につながるのさ
どう考えたって危険だろう?
肩(というより首)は神経のたくさん通ってる場所だから、そんなとこ打って万が一何かあってはシャレにならんだろうし、
なぎなたと違ってリーチの短い竹刀で脛を狙うと足と絡んで転倒の原因になったり、下から振り上げて剣先が股間に入る危険もある。
>危険だから自制させるより、使いやすくする努力をすべきなのに、その辺の改良、怠ってるよね
防具は動きやすさも考慮しないといけないから。
下手に防御箇所増やせばそのまま動きの制限につながるし、単純に強度を上げるのも重量が重くなっては意味がない。
結局は今がベストってこと。 今の防具が最善かの検討も行われたわけでもないの、現状がベストって……? 防具は本来流儀ごとの稽古の便宜に基づいて考案発達したものであり
所謂「模擬実戦性」の為ではなかった.
剣道の打突部位はあくまで(一刀流の)稽古の為に有用な理合に基づ
いて採用されている事を忘れてはいけないと思う.「面」を重視し面の
補助的な意味で他の部位が扱われるのもここに由来すると思う.突きが
喉もとのみなのも胸や胴まで認めると面より容易になってしまうから
だろう.
新陰流では「肩」を袋撓で打つが,半身で袈裟切りの太刀筋で攻防する
必然であって一刀流や直心では互いが正対しての攻防だから胴を以て
代用しこれが幕末に一般化したようだ.
スネ打ちは直心を中心とした幕末の興武所では普通だったと思うが,一方
一刀流系では袈裟に斬ったり体を傾ぐのを嫌う理合から明治期になると
スネを排除していった(お陰で園部女史の薙刀に苦戦した.柳剛流を幕末,
明治期に容易く打ち破ったとする逸話は対薙刀の苦戦の事実からも改めて
検証する必要がありはしまいか)
すぽちゃん等と違い剣道では模擬実戦性ばかりに着目しても限界があるよう
に思う.理合を学ぶ主旨は外せないと.ただそれが一刀流系だけの現代剣道に
限界を感じるのも事実.剣道そのものを拡大解釈するか,剣道に並行した競技
を設けるか方法は色々あると思うが.
袈裟を防具を導入して竹刀での撃ち合いに取り入れてる流派ってある? 直心影流では現在もスネ打ちのある防具稽古を行っている.そこでは袈裟に打って
いる.ただ直心影流自体は新陰流などよりかなり一刀流や剣道に近い正対した姿勢
の部類に入ると思われる.半身の新陰,神道流系とはかなり違うものに思う.
所謂「袈裟懸け」とはいっても一刀流や剣道の方には自らの正中線を保ったまま
太刀筋だけ斜に斬るものと思うかもしれないが,神道流や新陰流や介者剣術で謂う
処の袈裟は一重身や斜(車)の構えと呼ぶ半身姿勢から肩を大きく傾いで重心
を倒して移しながら体重移動を利用して斬る袈裟切りを指している.
この様な正中線を固定しない身体運用も剣術には一般的だが,剣道側がこれを理解
出来るかが重要になって来ると思う.ただ太刀筋のみ袈裟なら胴打ちは既に袈裟にな
っているのだから.しかし大太刀や介者剣術に由来する傾いだ体の運用の袈裟は半身
や鐘木足の歩法と同様剣術の深い理合の根幹をなしている要素であるだけに剣道側
が理解,受容出来るかを問われるのだと思われる.
剣道が古流とりわけ神道,新陰流と共存するかは打突部位というよりやはり「半身,
鐘木足,体を傾ぐ運用」など術理の違いを理解するかに懸かっていると思う.しかし
剣道の形や構え(脇構えなど)にそういった古流の要素が存在するのだから本来は
幕末や明治期の様にそれらをも許容するのが本義なのだと思うのだが.
因みにスネを打つのに(現代)なぎなたの様に上から斬りおろして打つだけではなく
「斬り上げ」でも認めるのが本来だと思う.介者では斬り上げは「鼠径部(股間)」を
狙うものだが便宜的に脛当てを打つのが妥当だという経緯があるので.胴も全く同様に
一刀流の理合以外を認めるのなら水平や斬り上げで打つ事も有効にしなくてはならない.
あと裁付け袴(たっつけばかま)で着けるべきすね当てを股立ちして付けている訳だが
股立ちを極端にしなければそんなに不格好(主観だからなんともいえないが)ではない
と思うのだが・・ なんの拘りか知らんが、長文書くなら「、」「。」を使ってくれんか。
よさそうな事書いてるみたいだが、読みにくいからスルーした。 >>399
打突部位の違いはどうしようもないとして「半身, 鐘木足,体を傾ぐ運用」は全然ルール違反じゃないから。
ここでグダグダ言うより実際にやってみるといいだろう。 審判の主観に伴って
一本にはしてもらえないだろうって事かね
今の時代に真剣がどうのと言ってる奴の方がどうかしてる。 真剣がどうのと言っている奴なんて、剣道の世界にいっぱいいる。
つまらん。
やはり防具,とりわけ面が出来てから剣道が剣道になったのだろうと思う.
袋竹刀で充分だったものが(耐久性は四つ割竹刀に劣るが)何故わざわざ視界の悪い,
現在の防具になったか理解に苦しむ.防具だからこそ剣道独特のぶつかっていく斬り込み
スタイルも成立する訳だし,打突部位も限定されなくてはならなかったのだと思う.
袋竹刀で自由に打ち合うとアウトボクシング的なお互いかなり探り合う展開になるもので
飛び込んで行く剣道スタイルは稀になる.(スポチャンの剣だとバックハンド打ちとかあって
これはこれで少し現実味が薄い気もする)
防具の思い切った近代化が出来ないのは,それではもう剣道でなくなってしまうからに
他ならないのだろうと言うのは邪推だろうか?
それでも剣道の遺産は大きいものだとも思う.実際に袋竹刀で剣道経験者と対決しても
その勢いに乗った打ち込みにはしばしば不覚を取られ,いい面を頂く事も少なくない.
剣道は大したものだと思う.剣道の経験は決して無駄にはならないと確信している.
ただ総合的な剣術として,或は得物を選ばぬ護身術の基礎武術として有効かというと.
それはまた違ってくるとは思う. 剣術がいかにして剣道スタイルに統一されてきたかで一つ面白い話がある。
馬庭念流の師範家に埼玉のK家というのがある。江戸時代から代々樋口家から免許を貰い念流師範をやってきた家。
まだ剣道家としてご子孫がおられると思うからとりあえず名前は伏せる。
某大学の先生がこの家の歴史をまとめてるんだけど、その中に明治大正以降の稽古の様子があるんだよ。
それによると、この家の師範は埼玉の武徳会の幹部になってる。
その影響か、だんだん形稽古より竹刀稽古の割合が増え、大正末には一般の門人は昇段のため武徳会の形(ようは今の剣道形)と竹刀稽古のみで、一部の専門の門弟のみが念流の形を保存継承のためにやった、と書かれている。
論文が書かれた当時(昭和四十年代)は明治大正に修行した御当主が健在だったので念流形は全て残っていたみたいだけど、今はどうなんだろうか? ゴツい面や胴をつけてるんだから木刀でやればいいのに あぁ俺んちの近所にも念流系統の御老がいたらしいけど
最近無くなったらしいって近所の防具屋に聞いたな
結構残ってる流派なんだな
>>412
直心影流の稽古を体験されてみては?まじで頭から火花出ますよ.
山岡鉄舟(無刀流)ばりにぶっとい竹刀使ってるんで.
剣道には左右対称の動き(歩み足からの左手前の打ち込みや左右の小手などなど)を有効にして欲しい.
あとは面は視界を改良する余地は大いにあると思います.
試合はあくまで技術と理合の成熟度を競うためのもので、なんでもあり
だと泥沼になるからこのような形になったのだろうと思う。本番は、
逆に簡単には相手の間合いには入れなかったと思う。相手の刀の下に
飛び込むわけだし、一発で殺されるかもしれない。だからこそ、打つ
スピードとかよりもどのような時に打つかという機会を捉えるための
練習を組立から学んでいたみたい。人を殺さなくても生きていける
現代であるが、違う意味でぐっちゃぐちゃの現代、相手の刀の下に
飛び込んでも涼しい顔をしていられるような気概をこの武道から学び
とれたらその価値はまた一層高いものとして認識されると思う。 >>415
というわけで(刀怖い)、おもいきりのいいやつが一方的に斬り殺して
倒された方が逃げるってパターンが幕末じゃ多かったような…… おいおい幕末とか、一人殺すのに多人数で当たるのが当たり前だったんだぜ。
とても尋常に勝負とかいう状況でもなかっただろうよ。 ★第一回 ティンタジェル・剣術トーナメント大会
期日: 12月27日(土) 時間: 12:00 〜 18:00 参加費:¥1500
高貴なる皆様へ
ティンテジェルは中世の剣術の普及にまい進してまいりましたが、今回剣術や武術を習っているすべての人を対象に、
剣術トーナメントを開催することになりました。
三つのトーナメント戦を行います。
1)フリースタイルソフトソードトーナメント
武器やスタイルは自由に選択してください。武器はソフトソードと認められたものであれば何でもかまいません。
武器をお持ちでない方にはレンタルもあります。 刀もあります
2)レピアトーナメント
ティンタジェルは東京でレピアを教えている唯一のスクールです。参加される方はティンタジェルのセイフティールールに従ってください。
3)ロングソードトーナメント
ティンタジェルは西洋の武術、ロングソードの講座を最初にはじめたスクールであり、ロングソードクラスは私たちが誇るクラスであります。
■ご注意トーナメントはあらゆる人が参加できますが、必ず”ソフトソード”の構造で作られた基本サイズのロングソードを使用してください。レンタルソードもあります。
◆各トーナメント戦で、各賞が授与されます。
◆大会にふさわしい服装でご参加ください。
◆セイフティールールの詳細はおってお知らせいたします。
◆注意 レンタルソード (デポジット制) ソフトソードレンタル料金は1000円です。
レンタル時、破損した場合の保証金として別途9000円をお預かりいたしますが、使用後、何も問題がなければ返却いたします。
◆準備 全身がターゲットになりますので股間カップを出来れば用意してください。面は剣道のものでも十分です。
丈夫なグローブもしくは小手。 レピアを希望する場合は長袖および長ズボン。
> > ■大会に参加ご希望の方は下記アドレスにお名前、ご連絡先、参加ご希望の旨を書き添えお送りください。多数のご参加をお待ちしております。
申し込み キャッスル・ティンタジェル http://www.castletintagel.com/
ティンタジェルにはバーコーナーとラウンジがあります。ドリンク、軽食、アルコールがサービスできます。
終わったあとはゆっくりとくつろぐことが出来ます
しかし、他競技もそういうのあるかもしれんが
国体の地元有利の謎判定とか審判の贔屓判定の方が深刻じゃね?
あれ、勝利した方も苦い思いするからマジ止めて欲しい。
勝利を自分自身誇れなくなる。 いや、地元で開催すれば近場の体育館とか武道場が
新築か改築で綺麗になるから意味はある。
トイレが和式オンリーから綺麗な洋式になるだけで大分違う。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています