■■剣道の当たり判定は不自然■■2本目
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胸を突かれても無傷。
肩を袈裟懸けにされても無傷。
大腿部を斬られても無傷。
だが、小手を斬られると即死www
もう、ルールありきの、ただの竹刀競技だろ。 >>216
剣道の歴史と古流の歴史をそういう風にしか比較できないところが既に
何もわかってない人間のせりふ
剣道の歴史が何から生まれどういう変遷の元に現在の形に落ち着いたか
解っていたらそんな恥ずかしいせりふとても並べられないはずだが
やっぱりコイツ何もわかってない >>219
>現代剣道の問題点は剣道のルール批判にどのような影響を及ぼす?
>深く関連性を持つ、なんて言われても抽象的過ぎてわからない。
その点は、>>204で例を出して書いているが文章が読めないのか?
この部分だが。
>例えば肩や首筋への打撃を排除した現行ルールは実戦性という観点から
>みてどうか、という話は、そもそも現代剣道の価値観からみて実戦的で
>ある必要があるのか、という話になってくる。
要するに、どういう技術を目指すのかによってルールの設定方法は
変わってくる。どういう技術を目指すのか、というのは価値観そのものだ。
だから、現代剣道の価値観の問題はルール批判と密接に関連するわけだ。
ところで、よりわかり易くするためにスポチャンを例にしよう。
現代剣道の隣接分野であるスポーツチャンバラはどういう技術を
目指して創られたのだと思う?
>剣道のルール批判「じゃあどんなルールにすれば良いと思う?」って
>いうことも聞いてみたい。
これはスポチャンの話を済ませてからのほうがわかりやすいので、
先に上の質問に答えてくれ。 それから>>219に対してもう一つ。
>「正しい剣道」の推奨は多分に教育的見地からのものだと思う。
これについてだが、教育的側面は否定しないものの他の側面も
存在すると>>209で書いた。
中倉氏や宮崎氏、その他「汚い」などの不名誉なレッテルを貼られた
人たちは、どのような理由でそのようなレッテルを貼られたと思う? >>221
んー、まだ齟齬があるな。
つまりさ、中村氏のいうような「剣道」を実践する或いは「自由な剣道」も当然に認める、
しかしルールは「剣道」に則る、
そういう選択肢が潰れてるんじゃないか?ということが言いたい訳。
加えていうなら、これは剣道日本が中村氏の談話を掲載したという立場から導かれる一つの提案だと思うんだよ。
剣の道を剣道で体現せよ、はストレートに読んだら中村氏の立場でもあると思われるし宮崎選手もあくまで剣道を大切にしてるわけだし。
ちなみに俺もこの立場。
現代剣道批判をルール批判に直結させるっていうのはこういう立場を看過してるんじゃないか?っていう話ね。
正当の勝者を批判する、或いは一定の形を押し付けるのは外的に見ても批判の対象になり得るけど「面を打つ・守るより攻める」といった価値観そのものはそれを取りたがる人がいるんだからほっとけよっていうのが普通の考え方な気がする。
「打たれてもいいから打つ」はレベルによりけり。基本の身に付け方としてはありじゃないかな。
目的がルールを規定するのは同意。
スポチャンはかじった程度で詳しくないけど、「当てられずに当てる」のがルールの本旨でスポチャンの目的もかくものだと思うよ。
ってかこの質問をよく知らない俺にする必要あるのか?なんかのプロセス?答えると答えてもらえるらしいので答えてみましたが。 >>222
このスレを読んで少し調べて、教育的な見地から、という美名の下に自由な価値観が否定された実情があるのではないかということを感じたのは既に述べた通り。上段の胸突きの話しかり、そういうのはまずい。
てかさ、>>222さん俺に聞かなくても分かってることがあるならわざわざ問わずに説明してくれちゃっていいよ?w自分の見解と違うと思ったらその時に言うからさ。
俺の「代案は?」っていうのは普通に否定派の人がどう考えてるのか俺は普通に分からないから質問してるわけ。
時間勿体ないしプロセスは最低限でいこうよ。 >>212に基本的に賛成
真剣で長時間中段正眼を維持するのは無駄だし腕が疲労するもの。
古流のなかでも一刀流は素肌剣術に特化して発生しており他の古流が少なからず介者剣術の要素を遺すのとかなり異なる。
定寸より大きい太刀が前提の介者剣術では下段、脇構え、八相に構えての遠間からの攻防が普通。凡そ現代剣道の攻防技術で真剣にすぐ適用出来るものは僅かでしかない。第一剣道家の多くが真剣を持っても竹もろくに斬れない。
それでも竹刀競技だからいいってのならもっと古流や幕末〜明治初期の撃剣スタイルの自由な剣道を並行して認めるべきだ。袈裟懸けや撞木足のスタイルをまるで合理的でないなどと盲信を前提に否定されるのは古流からは腹立たしい限り。
剣道の多様化、多分剣道関係者はそれを一番厭がり且つ恐れていると思う。
>>223
>中村氏のいうような「剣道」を実践する或いは「自由な剣道」も
>当然に認める、
>しかしルールは「剣道」に則る、
>そういう選択肢が潰れてるんじゃないか?ということが言いたい訳
いや、価値観を論じた結果、ルールを変えないほうがいいというなら、
変えなくてもいいわけだ。だから、別にそういう選択肢も潰れてない。
>スポチャンはかじった程度で詳しくないけど、「当てられずに当てる」のが
>ルールの本旨でスポチャンの目的もかくものだと思うよ。
剣道日本のインタビューで、スポチャンの創始者は次のような意味のことを
答えていた。少し長くなるが、思い出しながら書いてみる。
即ち、少年たちに剣道の稽古をつけていて(創始者は剣道5段だか6段、国体
出場経験あり)少年たちの竹刀が、自分の体や、面の横あたりに掠ることが
あると。剣道だと「まだまだ」ということになるが、剣道では「真剣だったら
・・・」というロジックをよく使用するのに、真剣だったら大きな怪我に
なりかねないにもかかわらず、そこを無視するのはおかしいのではないかと
疑問を持っていたと。
さらに、剣道では「気剣体一致の技でないと一本ではない」といわれるが、
これも真剣ならば何らかのダメージを負うのに、一種の暗示をかけて
一本ではないという理由付けにしており、それが剣道のディフェンスの
技術を非常に甘いものにしている。
このような暗黙の了解による決め事が剣道には多く存在し、それが技術の
妨げになっているので、いったんそのような決め事をやめて子どもの頃の
チャンバラ遊びの自由さからやり直すべきだと考え、スポチャンを創った。
ネーミングは「ニュー剣道」などとすると、剣道側から文句が出そう
だったので、チャンバラという剣道よりへりくだった名前にした。
大体、インタビューはこのような内容だった。以下、まだ続く。 >>226の続き
このように、スポチャン創始者の頭には「当てられずに当てる」という
ディフェンス重視の目的のほかに、剣道で暗黙の前提となっている
決め事から自由になる、という目的もあったわけだ。
そのような明確な目的があるから、得物は自由、当たったら一本、
相打ちは両方負け、のような各種ルールができている。
このように明確な目的・価値観ががあるからこそ、それに対応して
ルールが決められるわけだ。それに対して剣道はどうかというと、
目的・価値観はかなり曖昧だ。「剣の理法の習得を通じた人間形成」と
いったところで、具体的にどのような技術を目指しているのか、
さっぱり明らかではない。「正しい剣道」ではないなどという例の批判も
何に対して正しいのか、即ち具体的にどのような技術を目指しているのか、
明らかではなく、厳しい言い方をすれば「お前の剣道は認めない」という
感情だけが伝わってくる感じがする。
要するに、具体的にどんな技術を目指すのかが明らかでなければ、
適切なルールも、「正しい剣道」とやらもあったものではないと思う。
だから、「どんなルールがいいのか?」という質問については、
「まず、どんな技術を目指すのか、それをいくつか明確に決めてから、
その目的に適合するような数種のルールを用意すべきではないか」と
個人的には答える。現行より攻撃重視でいくのか、防御重視で行くのか、
などなど、どのような技術を目指すかは色々考えられるよね。 >>224
>教育的な見地から、という美名の下に自由な価値観が否定された実情が
>あるのではないかということを感じたのは既に述べた通り。
教育的な見地があっただろう、というのは当たっていると思うが、
政治的に「変剣」というレッテルを貼られたと思われる場合も多い。
例えば、恵○孝吉氏の場合などはその典型だと思う。
恵○氏の場合、その硬派な言動や、全日本で当時事実上の禁止状態だった
二刀で試合をしたことなどから、徐々に睨まれて「変剣」というレッテルを
貼られるようになっていった(これに関連して、高知大学の教授だった
専門家が書いたある本によると、「恵○氏はその実力は高く認められながらも、
段審査では合格は望めない、という風聞が剣道界でまことしやかに
伝えられている」という文が出てくる)。
また教職員大会の個人戦でも、一本の技を沢山打っているにもかかわらず、
審判が旗を上げず負けてしまい、それが試合に出なくなるきっかけに
なったと恵○氏自身がインタビューで言っていた。
中倉氏のように戦前には「変剣」という評価はなかったにもかかわらず、
戦後になってそのような評価になり、それが死ぬまで続くという事例も、
中山博道氏の系統が表舞台からほぼ姿を消したこととあわせて考えると、
どうなのだろうという気はする(確言はできない)。
宮崎氏の場合、全日本の最初の優勝の頃は好意的にとりあげらていたが、
その後、激しすぎる非難に見舞われたことはご承知の通り。
宮崎氏の試合振りは、別に変わっていないと思われるが・・・。
宮崎氏のときはリアルタイムで見ていたが、なぜこれほどまでに批判される
のか単純に不思議に思った覚えがあり、それが「正しい剣道」や、「正しい
剣道」に代表される現代剣道の価値観への疑問の端緒になっている
少なくとも、「正しい剣道」を理由に他人を批判するのであれば、その
「正しさ」の中身を明らかにすべきではないだろうかと、個人的には思う。 >>228の続き
>>228であげた3人の例は、最初は必ずしも「変剣」という評価は
受けていなかったのに評価が大きく変わった、という点に共通点がある。
彼ら3人の剣道の内容が大きく変わったとは考えにくいので、
剣道の内容以外の原因により評価が大きく変わった、と考える
のが自然だろう。「変剣」のレッテルを貼られることにより、そういう
ものだという空気ができたしまったと。
「正しい剣道」の内容の曖昧さはそのような空気を助長する役割を果たした、
と思われる。結局のところ、「正しい剣道」か否かについて確たる基準が
ないのだから、そうなってしまわざるを得ない。
そのほうが、剣道の世界の中の世論を作り出す側としては都合が良いのかも
しれないが。 俄かに空回りの流れだな
否定派にしろ、肯定派にしろ道を見つめ自問自答を繰り返すことは
個の成長に繋がる。双方が良い答えにたどり着くためには、始めに
結論ありきでは、まあ不味いだろうな。
剣の道の創めは、負ければ死だった。よって負けざる剣という思想も、
剣の道を歩むと決めたその心構えと共に共生していた。
剣の道を歩む者は、その志に死をいとわない。またその道を歩むなら、
志半ばでこの決心を、死して倒れてなるものかと、相反する心構えが
内在していたんだな。
剣道を始めたがゆえに取り付かれる邪念は評価だ。
だがこの評価というのは、剣道の道に限らないのだな。
人は他者からの評価に、心揺れるものだ。
評価を得るために、試合に勝つ事を欲するようになる。
美学、評価、実利
これはすでにパラドクス。であるから、ここで評価が多様化する。
しかしね、現代の剣道は、負けても死なないのだよ。
そして、剣で人を切る時代でもないのだよ。
ならば、今ではなく、後世に残すべきは何か?そこを考えてみて欲しい。
日本人は、敗者に美しさを見出せる、世界でもめずらし美徳を持つ人種だ。
こういう稀有な美学を体現できるものは、現代日本にも既に数少ない。
剣道は、今よりさらに美しくある可能性を残した、人の踏み歩む道なんだよ。 >>230
現代剣道に剣道に「美学」はないわな。
ルールを定めて競技の形式をとっている以上は、ルールが至上にあり
判定は、公平、公正でなくてはならない。
勝ったものを批判するのはあってはいけないし、勝つための努力を批判しては
いけない。
ところが現代剣道は、「剣風」なる曖昧なものを下敷きに指導を行っている。
ルール上認められている行為も、剣風が卑しいなどとケチをつけて甚だしくは一本を
とらない。
優れた技をこき下ろし、勝者を罵倒するというデタラメが許されるのは剣道だけ。
こんな剣道精神に迎合するということは、自分の頭で考えることができず、他者に
すべてを任す「飼い犬精神」を育むことになるだろう。
飼い犬というよりブタといったほうが良いかもしれない。
「狼は生きろ、ブタは死ね」
という格言があるが、精神が卑しきものは剣の道で生きる資格がない。 >>231
本当に剣風というのは曖昧なのか?
至上というものの姿がそんなにも見えないか?
卑しさや崇高というのがそんなに判断の難しいものか?
ルール上勝てばよいというのは崇高なのか?
短絡というものは往々にして卑しいものだ
勝てば官軍などという言葉は卑しいものの典型だ
深みに触れてもそれが解らないなら、救いようがないが
触れても居ないものを語っているならば恥曝しだ
>>232
「正しい剣風」というものが明確に示されていないなら曖昧だわな。
また、正しい剣風が試合で「弱い」なら、それを守る意味があるのかどうかは
議論の余地があるはず。
少なくとも信念をもって「弱い技」を好んで使っている以上、相手の動きや
技にケチをつけてはいけないだろうし、勝ち負けに重きを置かないならば
勝者のスタイルを卑しいとか、変則と批判する理由がないだろうと思う。
勝敗関係なく、ただスタイルを守りたいだけなら演舞をやっていればいい
ことで、試合をする必要はないだろう。 例えば空手には、型と組手(試合)の二つがあり、ともに競技として成立している。
型では姿勢が問われるが、試合になれば、少々崩れていようが一本入れれば
勝者として認められる。
剣道のように勝者が批判されることはまずありえない。
人間が互いの技能を高めての殴り合い(まあ寸止めもあるが)である以上
勝敗は紙一重であり、そんなそんな格好よく決まるというものではない。
これはボクシングなどでも同様。
姿勢よく格好よく一本決めるのが当たり前という現代剣道の精神は、
ほかの武術・武道からみても非常にヌルい感覚だと思う。 >>234
それであれば、真剣を持って殺し合いが出来る場所を探し彷徨えば良い
否定のための理論構築でないのなら、真にヌルくないものを現実に
求めてみたらどうだ?
とたんに口先だけの話になるんだろ?
剣の技と言うのは今後もどんどん失われていく。
それは世の流れだ。
そんな中、普遍な本質を残そうとする思想こそが今の剣道
そして、今の試合は、そういう変遷を経て存在する。
頭をぶん殴れば一本って思想がそもそも届いてないことに何故気づかない。 >>235
技が失われていくなかでどうして本質を残す事ができるのか?
術が極まって道に至るのではないのか? >>236
剣道に入門したとき最初に技を教えられたか? >>235
様々な制約で誘導されて現在の「一本」になって剣道が成立しているのが分かっていない。
自由な剣道にしたらそれこそ袈裟懸けや左足前の構えや撞木足、切り上げなど幾らでも成立する、なぎなたの女子に翻弄されるのが現在の剣道の実態。
問題はその高野佐三郎〜持田盛二へと正統派とされる剣道も名人のカタチだけ真似てても武術としては極められず筋力体力の剣道なのがほとんどな事。
剣道家は武術として極められなくてもカタチだけととのえた剣道で本当に満足しているんだろうか?
居合や古流を並行する人達はやはりその辺が動機なのだろうか? 剣道になぎなたが勝ってるのを今まで一度も見た事が無いのだが。 >>239
体験してみなされ
あと古流には(現代)なぎなたじゃなく薙刀(男薙刀)もある。こちらはブンブン振り回したり(屈むだけのスネ当てじゃない)マジな切り上げの太刀筋もあるから。
介者剣術の太刀筋はこうゆうものだと体験出来る。
空手と剣道の差
80年代の全空連覇者の内田への評価と90年代の全剣連の宮崎への評価の違いという事かも?
どちらも革新的な試合巧者だった。
(したくてもとても統一など出来ない)空手は流派や競技の多様性が保証されている、(ほぼ)一党独裁の剣道は駄目という事なのか。 「美学」といってもな・・・
宮崎氏などがやられたような集団イジメのような真似はダメだろう。
そもそも「正しい剣道」の確たる根拠なんてなくて、その場の空気で
決まるようなものだし。
現に、宮崎氏の評価も全日本で6回目の優勝をするころには再度変わって
「自在の剣さばき」なんて評価もされていたよ。
「3回優勝くらいなら変剣で、6回優勝なら自在かよ、いい加減だな」と
感じたのを思い出すよ。 薙刀、槍術に剣道はもちろんかてるわけがない
剣術でも厳しい、対応技が流派ごとに大体あるが
リーチ上、同実力なら
槍や薙刀のほうが圧倒的に有利(狭い場所や屋内を除く) いや,寧ろ問題は「リーチ」だけじゃなくて変化のない
直線的な攻防に終始する剣道が特殊なわけで・・・
興武所は男谷だから直心だとして,おそらく警視庁,
武徳会そして高野のラインで一刀流から更に単純
化された現代剣道が「政治的に」強制されて行った
はず!
挙国一致の御時世とはいえ,中山博道や植芝盛平など
武徳会にも古流や多様な流派剣術評価の可能性は
あったろうけど・・・結果的には現在の剣道に収斂
しちゃったと. 結局、同調圧力の強いムラ社会的体質なんだよな。
気に入らない奴には「変剣」だのレッテルを貼って、村八分にあわせると。 ここで騒いでる池沼共は本物の高段者に稽古付けてもらったことないんだね。可哀想に。
なんで宮崎選手みたいな変則的なのがいけないかって、ああいう剣道をするにはある程度の筋力がないとできないからだろうよ。
お前らは6、70歳になってもあの形を続けられるつもりなの?
高校や大学で終えるならまだしも、この先剣道で食っていこうっていうのにいつまでも体力に任せてちゃ駄目だって話だろ。
宮崎選手は基礎が出来てるからいつからでも修正が効くんだろうけど、お前らみたいに基礎もまともにやらずに実戦(笑)とか言ってる奴らには無理だろうな どんな武道・スポーツであれ競技ルールの枠内で技術が特化されてくるのは、
当然のことなんだよね。それで競技上不都合なことがあれば、
ルールを改正して対応するのが普通。
ところが、剣道の場合ルールを改正せずに、「正剣」の思想で批判して
技術の特化を押さえつけるという、非常に不自然なことをしている。
どんなルールに改正しても、「正剣」の思想で押さえつけるんじゃ
「ルールの枠内での技術の特化vs正剣の思想」という基本的構図は
全く変わらない。
現行ルールでも、「正剣」の思想が相対化されて自由に技術を特化させる
事ができるようになれば、問題ないと思うんだよね。
変えるべきはルールではなく、頭の硬さの方なのだと思うよ。 >>246
>なんで宮崎選手みたいな変則的なのがいけないかって、ああいう剣道を
>するにはある程度の筋力がないとできないからだろうよ。
>お前らは6、70歳になってもあの形を続けられるつもりなの?
宮崎氏と同じく変則的、「変剣」と呼ばれていた中倉清氏は、
80歳を越えても強さを維持していたがね。それも筋力的なものかね? やっぱり試合の結果からしか物事を考えられないようだ
それこそが変質で頭の固さだとも気づかずにね 剣道を辞めようかどうか迷っている。現代剣道に日本の美徳など感じられない。もし現代剣道にあるのだとしたらそんなものに価値はない。様式化形式化の現代剣道が嫌いなわけだ。
結局のところこうだ。私個人の意見としては日本独自の精神性を受け継ぎつつ、剣道が競技である限り剣風は自由であるべきである。なぜならルールの範囲内ならなんでもできるのが
「競技」の本質だからである。これだけは断固言い切るが競技はルールの範囲外から特定の思想によって抑制されてはならない。
いわゆる正剣以外認めたくないのなら競技を辞めればいい、それだけで片つくではないか。競技化の弊害については柔道という良い例があるが競技である以上独自の精神性が失われる
のはある程度仕方ない、だがその中で日本人として自国の文化に誇りを持つことに倫理的な価値がある。日本独自の精神性を残す
為に潔く競技剣道など廃止にしてしまうのもいい案ではないかと思う。 正剣=武術的に正しい=筋力を使わない
にならないのが致命的!
宮崎選手のはやさは体重移動の巧さだろう。かの中山博道も腰に重しをつけて稽古した様に、体重を利用しない限り筋力を克服した境地にはならない。
中倉清的な正中線も然り、体重の運用の為に必然的に具わったもの。
そのカタチだけ真似て凝り固まった姿勢を強要してるのが戦後の正剣だろう。
それじゃあ結局筋力で補うだけだから結局年齢で衰える。
剣道家の想定する古流には一刀流が多く、新陰流や神道流等は余り意識されないかも知れない。しかし逆に一般人には時代劇や歌舞伎で見馴れた袈裟懸けや半身でのめり込んで斬る方が「日本的」と映るはず。正剣と豪語しても一般人には別の世界の話。
筋力を遣わず体重や体内筋力を駆使する剣術には正剣の基準は通用しない。剣道はそこに謙虚になり剣道を狭い世界に完結させない度量が欲しい。
また古流ももう一度竹刀競技を幕末の様に自由な基準で復活させたらよい反証になるはずだ。 >>250
剣道が国際競技化することを危惧している人は多いだろうな
>>251
こういう書き込みをみると、古流には素晴らしいノウハウが沢山あることが
推察され、習いたくなる。 一つの示唆としては
古流もピンキリで真贋はまちまち。
ただ介者剣術の時代は太刀以外に大太刀長巻薙刀と得物が長大で元から腕力では扱えないので体重や重心を扱うノウハウが蓄積された。
刀が定寸化して剣術も形骸化のリスクが発生したとも。
その意味では現代剣道の竹刀はいかにも腕力に頼ってしまいがちな寸貫目かも知れない、古流ではもっと軽いかもっと重いかのどちらか。
新陰流の木刀も袋しないもかなり短く軽いし、直心影流では短い袋竹刀と重い木刀や振り棒を使う。
いずれも「軽い刀を重く 重い刀を軽く」を学ぶ為。薙刀(長刀)も古流の木刀は重い。故に介者剣術式に股を深く割る構えを取る。大太刀でも然り。これが軽々振り回し出来たら術の域に入る。 古流の動きってのは、重心の移動を、筋力ではなくタイミングでやるんだ。
脱力して重心を移動して力を入れる。この細かい繰り返しで体をあやつる。
で、「斜め」に動くんだ。
この動きは(観客としてみてもわからないと思うが)直接対戦すると消えたように見える。
消えたというと大げさだけど、瞬間移動されたというのか、視界には入ってるんだけど
「え! そこにいるの?」みたいな感覚ね。
これは膝をつかって、すり足で踵から踏み込む運足なんだけど、剣道って「足を上げて」
踏み込むからどうやってもワンテンポ遅れるんだよな。
動きも読まれるし、怪我の原因にもなりやすい。
あれはなんの意味があるんだろうね。
宮崎氏のビデオを見た事はないが、おそらく踏み込みも摺り足に近いはず。
私見では剣道の跳び込み足は一刀流の沈身(膝抜き)の歩み足がかなり
劣化したカタチなんじやないかと推察する.
正対して体重を活かせば沈身が普通だろうから.(切り落としの際に)
実際薬丸自顕流なんかは思いっきり沈身して斬りおろす.
しかしこれは半身で「掛かり身」と呼ぶ肩から傾いで体重を利用する
鐘木足,一文字腰(股割りの姿勢)の系統(新陰流など)よりも或は
習得が難しいとも思える.
だから一刀流では明治大正の「兵隊さん」には難しいし,敵にまっすぐ
「突撃ー!」させるには剣道の跳び込み足で充分だった・・・なんて
のは想像したくないけど.実際剣道の根本思想は「相打ち」上等の「
一歩踏み込め 後は極楽」だし・・・
剣ど〜なんて、どうせマイナーな、運動能力や運動センスがイマイチの人達の
競技だということ、これは間違いない。
人気スポーツなら、その競技をしていなくても人々は観戦するが、剣道は競技者
以外は興味を示すことは無い。
だから、勝者を非難できたり、上の立場になると何でも非難することが公然と
許される間違いなく独占的・閉鎖的競技だ。
他の競技で、勝者を称えず、非難したら、非難した者が非難されるが、
剣ど〜は、マイナー競技だから許される。
なんだかんだ議論しても、合理的より不合理が尊重される馬鹿競技だよ!
だから、剣道してる者は、頭の柔軟性の欠ける人物が多い。
>>257
剣道が一般の人にあまり人気がないのは、一般の人には
勝ち負けがよく分からないからだと思う。僕自身も、ある程度
上達するまでは、相打ちのときなどどちらが勝ちなのか全く
分からなかった。メジャーなスポーツにはならないだろうし、
ならなくてもよいと思う。剣道は、武道とスポーツの中間のような
特殊なスポーツだ。 棒や剣で勝敗を追求する運動体系は現在でこそ徒手格闘におされて相対的に若干関心はうすれたが人類史とともに興味の尽きた事のないものだと思う。
逆になんで球技や陸上の記録に人がそんなに夢中になれるのか昔から謎だった自分にはかなり特殊な攻防に限定されるフェンシングなんかより剣道は全然これからも関心のある対象だと思う。
だからこそ狭い人々の都合だけて完結しない透明性や多様性が保証されて欲しいもの。
剣道が上達するかどうかは、一に指導者に依る。もちろん個人の体力・資質
が基礎になるが、下手な指導者に習っていると、資質があっても上達しない。
やみくもに「かかり稽古」や実戦形式の稽古ばかりさせる指導者は最悪だ。
相手の竹刀の動きにどのように対応していくか、さまざまな場合を一つ一つ
丁寧に分析して指導出来るような知性のある指導者に習うと、驚くほど上達が
早い。(本人の努力は当然必要だが・・。)
■阪神大震災「ざまー見ろ」と騒いだ朝鮮人
るんるん ♪ 阪 神 大 震 災
∧_∧ ♪ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
<丶`∀´> <
( 在日 ) │ 日本人が地震で 6千人も死んだぞ
| | | │
〈_フ__フ │ いい気味だ ざまー見ろー!
【生活保護】 │
【二十数万】 │ もっといっぱい 死ねばいいニダー
【生活保護】 │
【二十数万】 \_________________ >>261
同じように指導者がデタラメなおかげで努力しても報われなかった選手も数多くいる。
これも剣道に批判的な人間が多い理由の一つになっているだろう。 剣道に批判があるのではなく、
今の主流の剣道の不合理的な考えに批判があるのだと思う。
剣道はこうあるべき的、狭き考えが横行してるのに批判がある。 ここの否定ゴタク厨は日本語からして未熟だね
ファッションって言葉もとんちんかんな使い方してた癖に
必死でお茶を濁して逃げてるね
良くこんなチンカス相手にまじめにレスできるよな
剣道やる奴って忍耐力が尋常じゃねーなw 己の信念を貫けぬ者は何をしても同じ
求めれば得られるでしょう、剣道等以外でも >>267
同意
剣道だけが特別なんて思ってる剣道家が多いこと。
何だかんだ言ってもスポーツは、運動能力・センスなんだよ!
中学から剣道始めて、指導者もいない遊び剣道部でその運動能力で高校にスカウトされ。
中学県大会で優勝した2人に、最初から勝てたのは身体能力・運動センスがあったからほかならないんだよ。
精神力も確かに大切だが、身体能力を高めることが勝つためには重要なことだ。
剣道は筋力は関係ない、何が体重移動だ?
瞬発力筋に優れた者がかなり有利なんだよ。
けして勝つだけじゃなく精神修養も大切だが、競技を行う以上勝つ事を
目的にしないことはおかしい。
じゃあとりあえず>268は甲野氏に挑戦してみれくれ!
自慢の筋力や瞬発力を駆使して甲野氏の技を破ってからにしてくれぃ〜甲野氏は(私見では失礼ながら)「最高峰」じゃないが、今一番敷居が低く古流武術を体験させてくれる人だから、まじで簡単に参加出来るから(笑)
遅レスだが、
>>158
>「正しい剣道」なるものが競技への特化だけでなく、
>博道の系統までほぼ全滅に追い込む態度が問題なのでは?
同意。これが一番の問題。
何を信じるかは人の勝手で、「正しい剣道」を信じる人がいても
別に構わないが、やり方が非常に排他的。
>相手の剣風にまで注文をつけるようじゃ、外国に負けて当然だわな。
負けて当然だし、「剣風が・・・」と日本の現代剣道の世界でしか
通じない理屈を持ち出したところで、諸外国に対して説得力があるのか、
正直疑問に思う。 >>268
剣道だけじゃなく、武器を扱う武道の場合は、筋力よりも技のほうが大切なのよ。
理由は二つあって
一つには、筋力があろうがなかろうか両者の破壊力は同等と扱われること。
二つ目には、スピードは(必ずしも)筋力に比例しない事。
これは古流武術の基本的な考え方ね。
だから高齢者でも短い時間ならとんでもない強さを発揮できるわけ。
実戦を想定すると、それなりのスピードで刀が触れれば斬れちゃうわけで、
剣道でも、いいタイミングで当たれば一本になる。
KOパンチみたいなものはないし、威力があるから二本分とかにはならないので
筋肉をつけて破壊力を磨く必要はない。
また、剣先をかわす、わずか一寸(3センチ)ほどの動きに筋力はさほど関係
ないし、剣を振り下ろす速度も、筋力があるから速いというものでもない。
競技である以上、勝つことが大切というのは同意。
勝利を得る為の努力で、精神が磨かれる面もあるからね、 甲野さんは講習会とかで技がかからず恥かきまくりなんて話もあるようですが >>272
甲野氏も普通の人間なんだから掛かったり掛からなかったりが当たり前。
毎週通ってくる弟子にほぼ確実に技が掛かる合気道他の師範が異常。
異常ってのは馴れ合いが普通になってることだけどね。 たとえば黒田鉄山先生じゃ気楽に技をみせてくれないし! 高校と大学時代に日本一になった知り合いが現役バリバリの頃に10段の70過ぎのじいさんと試合する機会があって、
「10段つっても、あんなじいさんに負けるかよ!」
と思ってたら、ほとんど何も出来ずに負けたと言ってた。 >>271
筋力=スピードじゃないんだよ。
>>271さんは、筋肉には白筋・赤筋・中間筋があるのは知らないようだな。
瞬発力の競技者は、パワーの筋力とスピードの筋力の2つを意識して
トレーニングしてるんだよ。トレーニング法もそれぞれ違う。
筋力だけならボディビルダーに敵わないけど
スポーツ向きではない。
しかし重量挙げの選手は、ものすごいシュンパツ力を身につけている。
これは白筋のトレーニングによるものであの体で垂直跳び80オーバー
はかるくジャンプする。剣道なら遠間からかるく打ち込んでくるだろう。
しかもスピードがある打ちで。
やはり剣道も、シュンパツ力の競技、ウェイトトレーニングが有効だ。
シュンパツ力の競技で、ウェイトトレーニングをしない競技者はいない。
技術が互角なら、筋力特に速筋に優れた者には敵わない。
(100%とはいわないが)
確かに技術で、体力を負かすこともできることもあるだろうが。
そしたら、>>271さんは技術だけ磨けばよいとゆうことだが。
スポーツ理論を知る者たちからは、笑われるだけだろうけど。
今度のオリンピックの瞬発力競技で一般人のような体の人は間違いなくいないはず。 武器を扱う武道の場合の限定とゆうことだったんだね。
それでも、技術と瞬発力の両方トレーニングしたほうがいいよ。
瞬発力を身につけたほうが、技にキレがでるだろ。
瞬発力だけ意識してトレーニングしてもある程度パワーがついてしまうが。 乙、と書いて何か高尚な意見でも言ったつもりになっているのかね・・・。 >>276
これは、かなり間違ってるなー
ボディービルダーっていい体してるけど、筋力は殆ど無い
腕相撲でも半分くらいの腕の細い奴にころっと負ける
が、めったに腕相撲なんてしないのもボディービルダー
筋肉を傷めることを極端に嫌うから
重量挙げの選手はスピードが非常に遅い
これは、調査異性による破壊と再生を繰り返す事で必要な
筋力を得るトレーニングをするから
筋力、体重比が圧倒的に素早い移動に向いてない
ウエイトトレーニングには幾つかやり方がある
そのやり方で得られる筋力も全く違う
技術が互角というが、技術が全く解ってないし
スポーツ理論をもう少し理解してから書き込んでくれたほうが良いな
長いだけで嘘ばっかりだ こんなこと言ってるやつに限って色白メガネデブなんだな >>280
ウェイトトレーニングの実態を知らない人の妄言でした。 柔道は精神性が失われたというが、「外国のやり方を否定しないが
日本柔道を貫く」という姿勢は一貫している。精神性という名のもと
形式化を押し付ける剣道の世界よりも好感が持てる。
柔道界の態度のほうが潔さという点で、より高い精神性を保っているように
思われる。 >>280
君…、トレしたことないだろw
ビルダーやリフターどころか、ただのトレーですらないだろw 剣道は精神性を重んじるが、実は精神性が劣るとゆうことか。
否定から始まる馬鹿競技! >>287
お前の気持ちは痛いほど判るよ。
気にしなくて良い。結局人間なんて奇麗事言っても皆間違えて生まれてきたんだから。 左利きって構えのことかな?
別に規制されているわけじゃない
左腕前左足前でもいいし、左腕前右足前でもいい
教えられる人がいないだけ 授業でやる剣道じゃ左利きは左手前で構えるとか体育教師が言ってたなww
でも実際左利きが右手前に構えた方が全然有利なんだがなwww
まぁ実際やった事ない脳内には判らん事だがなwwww 釣りだと思うけど、有利不利の問題ではないと思うんだが。 左対右だと鐔競り合いの逆交差の判定はどうなるんだ? >>291
こういう都市伝説が当たり前のようにまかり通ってるのが今の剣道界。
もしおまえが右利きなら左手前にして構えてみろ。
どんだけやりにくいか馬鹿でもわかる。 左利きの選手全然いないじゃんかよぼけええええええええええ 薙刀は試合中に左右グリグリ変えるやんけ
剣道だってグリグリしてもいいはずだ 大小の刀は左腰にと、武士は右利きに矯正されますから仕方ありませんね 柳生新陰流「九箇之太刀」には左手左足前の型がある.
塚原卜伝の得意技だったとも伝えられる〜 左利きは上段に構えればいいだろう。
基本的に左手一本で打ち込めるからな。
>>297が言ってるように持ちが右手前なのは仕方ない。 >左利きのID:nxzQpMnT&ID:5S4/esiw&ID:OX88oFWZ
稽古不足なだけぢゃね? それならもっと防具を近代化した方が・・・
各部の新素材化と面の視界を改良するだけでもかなり違うはず.
左手前にまではいかないけども足の左右なら非連盟系なら歩み足の打ちもありなので. >>304
1kg前後。要は竹刀2本分と思えば良か。 重量自体はそうだが、形状の性質上それよりは重く感じる /~⌒⌒'Y⌒' 、 、i ,
/ Y ヽ - ○ -
l Y ヽ ´ノ `
l i~"~´  ̄`^´~゛゙i | (
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ヽ / ,へ ,へ ヽ/
!、/ 一 一 V
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ヽl /( 、, )\ !
| ヽヽ二フ ) /
丶 ┃ .ノ
| \ ヽ、_,ノ
. | ー-イ
>>303
それなら竹刀の形状もだな。カーボンでわざわざ竹棒の形を再現するなんて具の骨頂。
日本刀の刃(にあたる部分)や鎬、反りを持った構造にすべき。
当てっこに近くなると、年寄りが負けるから反対されるだろうな。 >>309
俺もカーボン竹刀を初めて見たときに、
何で竹に似せる必要があるんだ?、と不思議に思った。 竹刀の規定が体格に関係なく一律に(年齢,男女の区別のみで)
統一されてるのは体格の大きい選手に有利過ぎるかと.
戦前までは「三八の上限規定」だったと思うのだけど.
軽過ぎるものにしないように体格に応じて規定するとか・・・ 江戸後期に竹刀剣術の試合では規定がなく、4尺5寸〜5尺〜
さらに長く等。
長い竹刀を作り試合を有利にするものが続出したために
それを防ぐために3尺8寸の規定が作られた。
結局リーチが長いもののほうが有利で、5尺〜の竹刀ではもはや
剣術ではなく突くだけの槍的な動きになっていたそうな。
有名なのだと大石進とか。
「当てっこ竹刀の道」であって「剣の道」からは程遠いのが剣道
剣道も近年80年ほどの歴史しかないですからね 三所受けが汚いとか言われるけど、実際の切り合いならば別に万全の守りでもない。
小手面胴だけだからあんな形でも守れてしまう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています