思学舎 進学プラザ 最高!part3
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いくら厳しい規則を作って、家臣に強制しても、大将がわがままな振る舞いをしていたのでは、規則などあってなきがごとしである。人に規則を守らせるには、まず自身の言動を反省し、非があれば直ちに改める姿勢を強く持たねばならない。 晴信(信玄)が定めや法度以下において、違反しているようなことがあったなれば、身分の高い低いを問わず、目安(投書)をもって申すべし。時と場合によって自らその覚悟をする。 晴信(信玄)の弓矢は欲のためではなく、民百姓を安楽にするためだと民に知らせれば、わしが軍を進めるのを待ち望むようになる。 負けまじき軍に負け、亡ぶまじき家の亡ぶるを、人みな天命と言う。それがしに於いては天命とは思はず、みな仕様の悪しきが故と思うなり。 戦いは四十歳以前は勝つように、四十歳からは負けないようにすることだ。ただし二十歳前後は、自分より小身の敵に対して、負けなければよい。勝ちすぎてはならない。将来を第一に考えて、気長に対処することが肝要である。 今後は、一人働きは無用である。足軽を預かっていながら独りよがりの行動をとれば、組の者は組頭をなくし、味方の勝利を失うことになるからだ。 勝敗は六分か七分勝てば良い。八分の勝ちはすでに危険であり、九分、十分の勝ちは大敗を招く下地となる。 百人のうち九十九人に誉めらるるは、善き者にあらず。 人の一生は、重荷を負うて遠き道をゆくがごとし。急ぐべからず。 勝つことばかり知りて、負くること知らざれば、害その身に至る 天下は天下の人の天下にして、我一人の天下と思うべからず 家臣を扱うには禄で縛りつけてはならず、機嫌を取ってもならず、遠ざけてはならず、恐れさせてはならず、油断させてはならないものよ。 不自由を、常と思えば、不足なし。心に望み起こらば、困窮したるときを思い出すべし。 およそ人の上に立って下のいさめを聞かざる者の、国を失い、家を破らざるは、古今とも、これなし。 あぶない所へ来ると、馬から降りて歩く。これが秘伝である。 キャプテン翼VS
1992年3月27日発売。
原作の【小学生編】のストーリーと小学生編のキャラで日本代表を結成し
「ワールドジュニア」に挑むオリジナルストーリーで構成される。
ワールドジュニアの対戦相手として【Jr.ユース編】で対戦するチームが多く
登場するが、映画で登場したカルロスやヘフナー、
「II 」で登場したキムやシャなども参戦している。 試合画面は『キャプテン翼II』を意識した画面となっている。解像度の問題で
画面が狭いのでチャーリーの絵は表示されず、ラジオ放送という設定になっている。
このゲームでは主役選手以外の選手の名前が全員付けられることになり、
名前の公募を行い、当選した人の名前が使われている。
このゲームでのセーブはパスワードだが、
CPU戦のフリー対戦モードで国内チームが全て使用可能になる
「もりさきもつかつてね」といった洒落たパスワードが存在する。
タイトル通り、シリーズ初の対戦(通信対戦)では
全チームから選ばれた有名選手26人の中から好きなメンバーを
選んでオリジナルチームで対戦するのだが、選手選択のシステムが特徴的。
まず1P側(先にタイトル画面で対戦モードをにカーソルを合わせて決定した方)が
攻撃でPK戦を行い、勝った方のプレイヤーが先にキーパーを選ぶ事ができる。
互いのキーパーが決まったら攻守を交代してPK戦を行い
、勝ったプレイヤーが先に選手を1人選び、その後負けた方が選手を1人選ぶ[6]。
これをメンバー全員が決まるまで繰り返す。このPKはキーパーの能力値は関係なく、
単純に確率の問題なので攻撃側が有利になっている。 メガCD
テクモからメガCD専用ソフトとして発売された作品は以下の通り。 キャプテン翼
1994年9月30日発売。原作の冒頭から、
【対修哲小編】・【小学生編】・【中学生編】までを再現。 CDであることを生かし、ビジュアルシーン(試合以外のやりとり)においては、
アニメ版の声優を用いて演出している。 ゲームシステムは基本的に『II』『III』に準拠しているが、選手だけでなく選手のコマンドにもレベルと経験値が存在し、
よく使用するコマンドほど能力値が高くなるシステムが追加されている。 他にも、一度戦った試合をいつでも再戦できる「名勝負モード」、
対人戦が可能な「2P対戦モード」などが追加されている。 ファミコン版では未登場だった必殺技等も再現されており、
「チャーリー劇場」[Note 5]は一試合ごとに違いがあり、
原作で詳細が設定されていなかった敵チームのキャラクターには、
様々な高橋陽一作品から容姿や名前が引用されており、細部に至って作りこまれている。また、【ジュニアユース編】は収録されていないが、シナリオをクリアすると2P対戦モードのみ、 全日本ジュニアユースのメンバー[Note 6]で構成された チャーリー高橋
実況アナウンサー。
キックオフさせずに放置しておくと勝手に喋り出したり、
マイクをかじりはじめたり、眠り出したりと色々なパフォーマンスを繰り広げる。 ドライブオーバーヘッドやスライダーキャノンといった必殺技の名前が、
チャーリーの口から初めて明らかになることもある。 「V」ではキャラ画像やパフォーマンスがなくなり、
オランダ戦でのサイクロン封殺イベントやオールスターに出るのみとなった。 ボーナスって春の成績も関係するんだよね?明確な基準ってあるんだっけ? いくら考えても、どうにもならぬときは、四つ辻へ立って、杖の倒れたほうへ歩む。 いさめてくれる部下は、一番槍をする勇士より値打ちがある。 一手の大将たる者が、味方の諸人の「ぼんのくぼ(首の後ろのくぼみ)」を見て、敵などに勝てるものではない。 家臣を率いる要点は惚れられることよ。これを別の言葉で心服とも言うが、大将は家臣から心服されねばならないのだ。 決断は、実のところそんなに難しいことではない。難しいのはその前の熟慮である。 人を知らんと欲せば、我が心の正直を基として、人の心底を能く察すべし。言と形とに迷ふべからず。 最も多くの人間を喜ばせたものが、最も大きく栄える。 人間は、健康でありすぎたり、得意すぎたりする時にも警戒を要するのだが、疲れたおりの消極性もまた厳に戒めなければならない。 多くを与えねば働かぬ家臣は役に立たぬ。また、人間は豊かになりすぎると、結束が弱まり、我説を押し通す者が増えてくる。 大将というものはな、家臣から敬われているようで、たえず落ち度を探されており、恐れられているようで侮られ、親しまれているようで疎んじられ、好かれているようで憎まれているものよ。 最初に軽い者を遣わして埒があかないからといって、また重い者を遣わせば、初めに行った者は面目を失い、討ち死にをするほかはない。 人生に大切なことは、五文字で言えば「上を見るな」。七文字で言えば「身のほどを知れ」。 平氏を亡ぼす者は平氏なり。鎌倉を亡ぼす者は鎌倉なり。 われ志を得ざるとき忍耐この二字を守れり。われ志を得んとするとき大胆不敵この四字を守れり。われ志を得てのち油断大敵この四字を守れり。 愚かなことを言う者があっても、最後まで聴いてやらねばならない。でなければ、聴くに値することを言う者までもが、発言をしなくなる。 大事を成し遂げようとするには本筋以外のことはすべて荒立てず、なるべく穏便にすますようにせよ。 われ独り出頭して、一人して事を埒あけたがるように致す、これ大なる病なり。 宮本武蔵
江戸時代初期の剣術家、兵法家、二刀を用いる二天一流兵法の祖。
国: 日本
生: 1584年頃
没: 1645年6月13日(享年61) 千日の稽古をもって鍛となし、万日の稽古をもって錬となす。 初めの少しのゆがみが、あとには大きくゆがむものである。 体の大きい者も小さい者も、心をまっすぐにして、自分自身の条件にとらわれないようにすることが大切である。 観見二つのこと、観の目つよく、見の目よわく、遠き所を近く見、近き所を遠く見ること、それが兵法の要である。 打ち込む態勢をつくるのが先で、剣はそれに従うものだ。 人のまねをせずに、その身に応じ、武器は自分の使いやすいものでなければならぬ。 平常の身体のこなし方を戦いのときの身のこなし方とし、戦いのときの身のこなし方を平常と同じ身のこなし方とすること。 多数の人間と戦う時は、こちらが待っていてはいけない。敵が四方から攻めかかってきても、むしろ、こちらから、一方へ追い回す心で向かっていくべきである。待っていてはいけない。こちらから強く切り込み、敵の集団を追いくずし、切りくずしていくのである。 武士といえば、常に死ができている者と自惚れているようだが、そんなものは出家、女、百姓とて同様だ。武士が他と異なるのは、兵法の心得があるという一点においてだけだ。 伊達政宗
出羽国と陸奥国の戦国大名。
陸奥仙台藩の初代藩主。幼少時に天然痘により右目を失明し、後世独眼竜と呼ばれる。戦国時代、東北地方に全国的にも屈指の領国規模を築いた。
織田信長の統一事業を継承していた豊臣秀吉に服属し、関ヶ原の戦いでは徳川家康の東軍に属し、二代将軍徳川秀忠、三代徳川家光まで仕えた。
家光からは特に尊敬され「伊達の親父殿」と呼ばれた。 仁に過ぐれば弱くなる。義に過ぐれば固くなる。礼に過ぐれば諂(へつらい)となる。智に過ぐれば嘘を吐く。信に過ぐれば損をする。 気長く心穏やかにして、よろずに倹約を用い金銀を備ふべし。倹約の仕方は不自由なるを忍ぶにあり、この世に客に来たと思へば何の苦しみもなし。 朝夕の食事はうまからずとも褒めて食ふべし。元来客の身に成れば好き嫌ひは申されまじ。 今日行くをおくり、子孫兄弟によく挨拶して、娑婆の御暇申すがよし。 物事、小事より大事は発するものなり。油断すべからず。 馳走とは旬の品をさり気なく出し、主人自ら調理して、もてなす事である。 仮初にも人に振舞候は、料理第一の事なり。何にても、其の主の勝手に入らずば、悪しき料理など出して、差当り虫気などあらば、気遣い千万ならん。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています