私の立場からは、階級論的に塾経営するならば、貧乏な家庭の子供は結局その血筋的に欠損があるか、環境的な因子があるかですが、問題はそのふたつの欠損がなくても、それを自律的に支援するのは民間塾のすることではないです。
やはり階級的に低い層を相手にしても、それは単価を下げるだけで結局塾のブランド価値も下がるだけです。結局階級の再生産するだけなので、その底辺労働者の育成を目指すのに、論理的思考を権力も求めていないのです。
ですから階級的に高い層を階級的危機意識を利用して高い付加価値をつけて商品を売るだけなんです。そういうプチブルこそ経営の安定手段として有効です。