忘れることの出来ない鉄道車両
あなたにとって一番思い出に残る鉄道車両・可能ならもう一度乗車してみたい鉄道車両について語りましょう。 >>438
つい抑速制動にノッチを入れてしまいそうだね 国鉄207系と営団06系
どちらも異端ゆえ夭逝してしまった クモヤ441
車体は新製されたが足回りは旧国から流用? >>441
はい。
何故か交流や交直両用の車両は吊り掛けの旧型車でも、
新性能車両のような有難い番号がいただける。 ↑
✕クモユ141
○クモユ143
製造後わずかな期間で夭逝した薄幸な車両だった >>448
事故廃車でもないのに4年の生涯は短いね もしクモユニ143だったら123系として現存したかも。 本当に破棄したのか、『破棄したことにした』のかはどちらなのかという。 E251
元気な頃の両親と最後に伊豆に行った時に乗った 251系って保存車一両も無いんだよなあ、確か。特殊な車両だから地方私鉄譲渡は困難だったろうけど 先頭車一両位大宮に保存してもいい気がする。 郵便車は気動車の場合は
一部の足回りの部品は国鉄末期の廃車発生品を流用したキハ31,32,54に流用 クモハ84形
登場した時は、たまげて腰を抜かしてしまった。 多分>>5と同じ車両だと思うけど
上京して東急の電車に乗ったら
木の床だったので衝撃を受けたよ 営団銀座線の旧性能車両
昭和50年頃までいたように記憶している。 >>478
吊り掛け車は必ずカルダン車と組んでいた。
両方混じったモーター音がトンネル内に響き渡っていた。 >>480
昔の営団の車両がそうだった。
リコ式って言ったように記憶している。
事故により失明した人がいたため、全廃したとも記憶している。 クモヤ491形→クモハ491形 1958年(昭和33年)2月および3月、仙山線の仙台 - 作並間の交流電化と作並 - 山寺間の直流電化を直通する試作交直流電車 583系
大阪のホームで見た時、何で新幹線が在来線ホームに居るんだ? と思った >>493
上野駅から583系の昼行特急に乗った世代だが俺は「普通は赤いのになんでこいつは青いのかな?」としか思わなかったな
父親が「こいつは夜は寝台列車に変身するんだぞ」と教えてくれてなんとなく納得したのを覚えてる
車内で中段上段寝台の収納部分とか説明してくれたし
ちなみに父は鉄でもなんでもない
単に旅慣れた釣りバカ 583系を改造した近郊型電車も忘れられない。
特に増設した運転台は不気味にさえ見えた。 >>491
ロクサン型と宮電斜頸の凸凹コンビをサーモン色にした奴ですね 都営地下鉄6000形
幼少期の思い出
この頃に大体の好みの形が決まってしまうみたい >>496
はい、今では写真でしか拝することができないけど、交流・交直流の色の原点はそこにあるんではないかな? 秩父線の500系は当時珍しい地方私鉄発注の新造高性能車 キハ40系
JRでは使い古した気動車のイメージだったが、小湊鐵道に導入されて
初めて五井で見たときは「掃き溜めに鶴」の様相を呈していた。