夜行列車総合スレ★28
寝台新幹線「あさかぜ」
東京21:10発、品川21:07発、新横浜21:28発・・・24:00〜06:00時運転停車・・・
岡山06:22発、広島06:57発、小倉07:44発、博多08:01発、熊本08:34発、鹿児島中央09:17着
時刻表上では十分使えるw
腰痛持ちにはこりゃええわ
新宿発ができたら100万点 庶民は座席夜行移動が普通で
寝台車料金は当時はエリートだった大学初任給一か月分だっけ
寝台車と座席夜行のありようは変わったにせよ
そういう意味では元に戻ったともいえるな
でも今はエリート職の初任給一か月分でもクルーズトレインは乗れんか 日本にこれだけ新幹線と空港が増えれば今さら夜行列車なんて必要ない。
趣味的というか懐古的に夜行列車を走らせて欲しいという気持ちは分かるけど
需要と供給のバランスに採算が取れなければ毎日走る夜行列車なんて
復活しないし、団体やイベント的に更に赤字解消で高額設定でないと無理だよ。
貧乏人は高速バスにLCC、金持ちは新幹線に大手航空会社便にクルトレという
住み分けが出来ているのだからそれでいいじゃないか? 1975年で考えると新幹線の東京〜博多が普通車指定席含む合計料金で8,710円
同年の「あさかぜ」の東京〜博多B寝台特急券含む合計料金が8,710円
ちなみに「あさかぜ」の客車三段式の下段(1,400円)で計算
1975年の高卒平均初任給73,500円、大卒平均初任給89,300円 1975年当時の羽田福岡の飛行機は
運賃は鉄道のおよそ倍
それでも各社合計で経由便含めて20往復ばかし設定されてた >>269
いまのうちに夜行バスに乗りまくっといたほうが良いかもね
いずれ運転手不足で減りまくるから
夜行列車みたいに無くなってから騒がなくてすむように >>267
東京から品川までは時間を遡るのは未来指向ですな。 昼行バスが好き
仙台17時発→東京22時着みたいな 俺も夜行バスはあまり寝られないから
昼行バスで昼寝するほうが好きだな 1975年3月新幹線博多駅延伸の羽田空港〜福岡空港は片道19,500円
鉄道は安くて飛行機は高かったけど度重なる国鉄の運賃・料金値上げで
逆転現象が起きた。 夜行列車走らせるためには
夜行に乗務する乗務員の点呼で
管理者も起きてなきゃならないし
信号係もいなきゃならんし
女性乗務員のセキュリティも
あるだろうし労務面も大変だな。 新幹線の夜行列車運行は乗務員区、車両を扱う運転区、駅員、変電区に
CTC管理など多くの人間が必要で人件費が一番高い昨今、到底無理なのに
夢の新幹線夜行列車という脳内妄想だけで案を描いてる輩に問い詰めたい 新幹線はかなりハードル高 そうだから、コンテナ貨物に寝台車を連結すればいいよ。 てか今は働き方改革で極力深夜労働は止めようという風潮だしそれに伴って深夜の移動も極力避けようという考え考え強くなってると思う 脳内社会が現実社会の全てと思ってしまうと生きづらいぞ >>283
新幹線に夜行列車がないのは線路上で大勢の人が働く必要があるからだぞ >>282
指令「ダイヤ乱れのためコンテナ列車は途中駅中線(ホームナシ)で24時間手配」 >>282
アメリカじゃ富裕層の自家用列車を貨物列車の殿に連結させて旅してるらしい 8/2、8/3ムーンライトとき
23:59長岡入線→長岡構内停車→6:00長岡発→東京着
需要はありそう 新潟始発の新幹線とたぶん東京着30分くらいしか変わらない >>281
まあそういうな
みんな夜行が現代では難しいことはわかってるんだよ。
でもさ、九州行きブルトレとか、大垣夜行とか、北斗星やトワイライトの末裔がいまも続いていたらなっていう妄想じゃないか。
恐竜が絶滅して鳥しかいなくなっても、もし今いたら、って夢をみたっていいじゃないか
さっきまでそんなこと考えてリビングにNゲージ広げてEF65PF+24系さくらとのんびりしてたら、
3歳の息子がE5はやぶさに替えてっていって、交代したところだよ。 >>292
>>286
しかも運転士は会社がタクシー手配 ボックスシートは寝心地悪かっただろうな
眠れないという人多かったとか? 垣鈍の165が373になったのってもう30年近く前か
ボックスの夜行に乗ったことないのが40歳とかになるんだな >>297
東武や秩父の夜行でもボックスだし
若くても乗ろうと思えば乗れる 安く移動するためには寝心地とか言ってられなかったからな
今は皆金ない安く旅行できないとか言ってるけど
寝心地とか贅沢言ってたらそら旅行できませんわ ボックスシートだろうと座れるだけマシ
通路に新聞紙敷いて体育座りで寝るとかの時代 新宿23:55発の長野行き夜行441Mに乗って小淵沢(5:01着)まで新聞紙敷いて床に寝ましたけど? アルプスってみんな白馬で降りるの?
大町で降りるのって少数派なんかな >>295
悪くても寝ざるを得ない
いやなら通路に寝る
ムリに上野から青森まで座ってるとケツが痺れて、必死でたどりついた青函連絡船の雑魚寝が天国 初めて青函連絡船に乗った時は座席だった
高校生だったからか隣のおじさんがとても親切にしてくれた
おじさん、ありがとうございました。 青函連絡船懐かしいなぁー
初めて乗船したのは1975年の夏の終りだったけど49年前でもまだ思い出が染み込んでいる
上野駅から19:00発の急行八甲田で青森(6:15着)まで乗り、青函連絡船5便で津軽海峡を
越えたけど椅子座席の海側を押えたけど殆ど同級生とプロムナードデッキで過ごしたり、
船内食堂で朝飯を食べて過ごして5便は函館駅桟橋へ10:20に到着。
優等列車接続は11:40発、釧路行きの特急おおぞら3号と11:45発の網走行き特急おおとり
だったけど当時の道内特急には自由席連結がなくて当然の事ながらワイド周遊券の
自由周遊券は急行の自由席しか料金フリーパスで乗れなかった。因みに下り特急は北斗が
東室蘭から、おおぞらが帯広から、オホーツクとおおとりが遠軽から、北海が札幌から
自由席扱いになる号車はあったけど急行が多かったので困らなかった。
函館11:50発の急行宗谷の自由席で札幌まで行ったけど山線経由で16:30に札幌到着、
上野から札幌まで21時間30分の旅だったけど当時はそれが苦痛に感じなかった。
大学1年生での初めての北海道だったのと青森駅60分と函館駅30分の乗り継ぎ時間が
あったせいと夏のお盆輸送を終えた8月下旬からの旅立ちで乗り物が空いていたのが
幸いして退屈しなかったのが要因だと思われる。 まだ特急が特別急行としての面目を辛うじて保っている時代だったね。