冷房、非冷房混在時代の思い出
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堂々と沖縄の領海荒らしてる臭菌屁に呼ばれて
ホイホイとすっ飛んでく玉城知事ってどうなの? 国鉄103系での冷房・非冷房の混在について:
山手線・京浜東北線は両端数両ずつが冷房車、中間2〜4両が非冷房車、という混在をよく見たけど
中央快速線は逆に両端先頭車だけ非冷房車、中間8両が冷房車、という編成があった。
クハ103-140とか結構冷房改造の時期が遅かったような気がする。 >>4
非冷房クハに暫定で冷房スイッチだけ付けた事例もあった。じゃないと中間冷房車が使用不能になってしまう。 小海線ではキハ58冷房車+キハ58冷房車+キハ28非冷房車2両といった編成もあったが、
非冷房のキハ28には冷房電源がないため、キハ58は冷房付きでも冷房を作動させることができず、
小海線列車は夏場でも窓を開けたまま走行していた。 南海本線では非冷房の7000系が主に普通列車の運用に入り、優等仕業に就くことは少なく、
全車冷房化の完了した7100系が特急・急行・一部の普通列車の運用に入っていたが、
7000系も冷房化されてから特急から普通列車まで運用されるようになった。 冷房付きの8000系各停、準急を追い越していく東武伊勢崎線6000系非冷房快速。この頃は地下鉄乗り入れが全部非冷房だっかたら、非冷房車が当たり前だったが。
で、6050系デビューすると冷房付きの6050と非冷房の6000の混成編成が出た。 混在編成だと夏季は冷房車両の方が混んでいた
不思議だった 冷房使用期間ではないが…
1981-12-9 (水)
8312M 臨時急行東海52号
↑大垣始発品川行き
Gクハ153- 535非冷房(前灯シールドビーム化)
Fモハ153-134非冷房
Eモハ152-134非冷房
Dサハ153-11冷房改造
Cサハ153-205非冷房
Bモハ153-126冷房改造
Aモハ152-126冷房改造
@クハ153- 514非冷房(貫通幌取付)
8両中なんと5両も非冷房が組み込まれていた。冷房モハは宮原より新快速117系化で捻出された分だが、それ以外は新製当時から大垣電車区の生え抜き。
一応、仮に夏季でも冷房電源はサハ153-11から自車含めて5両まで給電は可能。 中央快速線はさっさと201系化されて優等生
一方中央緩行線は103系はまあまあ優等生だったのに
オール非冷房10連の101系と東西線の5000系が平均点をグーッと下げてた 東急8000一味の「冷房もどき車」とか(クーラーキセは付いてるのに冷房機自体はない)
この仕様での冷房・非冷房混成編成ってあったんだろうか
東急ではないけど、冷房を使わない冬などの時期には
本来なら冷房車でもクーラーを外して(蓋を付けて)営業運転に入っていた車両もあったな
自分が見たことがあるのは、本来であれば完全に冷房車編成だけとなっていたはずの都営10-000形 個人的なこのスレに関わる思い出は、103系だと国鉄末期に横浜線の冷房化率を上げるために
山手線で編成全体で冷房車となっていた編成からMM'ユニットを色はそのままに相互交換して
横浜線はサハのみが非冷房車、山手線では中間のMM'ユニットを中心に
非冷房車が組み込まれる感じとなったパターンもあったか
どちらの路線もATC区間を走るから、先頭車は当然冷房が付いたATCクハだけ 京阪神緩行線や大阪環状線で首都圏ATC化の関係で先頭ボロクハ+中間車が新製冷房車という編成が多く増備されたけどそのボロクハが山手線や京浜東北線からやって来た当初は非冷房のままで扇風機のスイッチを冷房回路に繋げてオンオフスイッチの代わりにしていたらしい
ちなみに元山手線のボロクハは京阪神緩行線に、元京浜東北線のボロクハは大阪環状線に入った 名鉄にあったラインデリア?って冷房じゃないんだよね? >>18
京浜東北の先頭車はクモハ主体だからそれはほとんど無かったのでは、関西には昭和52年位に阪和線にまとまって転属してるけど。 >>20
クハ103-1など1・2桁車番や500番台のボロクハは京浜東北線出身で1976・77年に新製冷房車の中間車と共に大モリに配置された
一部は8両編成全ボロ編成の転属もある
クハ103-9と41の2両は上記京浜東北線からの転属とは無関係に1979年頃山手線からやって来た >>19
瀬戸電の暖房車か、懐かしいな
栄町乗入れから約10年
3770や6600などの天井送風機、
当時の俺も含めて、素人には冷房に見えてしまった 後でごちゃごちゃになってしまったけれど
6600系が普通専属で,冷房の有る3780系は急行というすみわけのつもりだったのなら
いちおう筋は通っていると思う。 >>5
扇風機のスイッチで冷房を起動できるよう細工したのなかったか? >>24
関西の先頭ボロクハが首都圏から転属して間もない頃の非冷房で中間車が新製冷房車という組み合わせの編成の場合そのやり方だった >>18のボロクハの転配
山手を大阪環状
京浜東北を東海道山陽
に持ってけば青い方は塗り換えなくても使えたのに >>16
8000系だと微妙なのですが後から2号車を追加した8232が怪しい感じで8000系インチキ冷房車から抜かれた車両を冷房編成の8019Fに連結したもの、新玉川線用の8500系で8517Fがこれに該当すると思う。なお8500系インチキ冷房車は車内側の吹き出し口が冷房車の物と同じであった。 >>20
京浜東北線は検修庫が長い浦和区は10両貫通編成が入れるので両端クハの編成だった、S61年頃に下十条区と蒲田区の編成も浦和に統合されています。 >>21
> クハ103-9と41の2両は上記京浜東北線からの転属とは無関係に1979年頃山手線からやって来た
その間の時期、蒲田に数ヶ月居ましたが(京浜東北線では中間封じ込め以外要らないので横浜線用でしょう)、
名目上ですかね?
言うまでなくもともと対だったクハ-10と-42は仙石線へ転用
クハの組み合わせがバラバラになった原因路線としての「横浜線」への言及を殆どの記事で避けているのは
一体何なんだろうなぁ 昭和50年頃の東武東上線では、8000系冷房車編成の各停を7800吊りかけ非冷房特急が追い抜く
ことがよく見られた。 >>31
同時期の東横線は少ない冷房車と大多数のインチキ冷房車の各停、非冷房の7000系急行で構成されていた。 >>13
その編成は当時の中京快速の標準的な編成で、大垣持ちに代わって中京快速と
共通運用になった急行比叡にも使用されてた。
宮原時代の比叡は完全冷房だったから明らかにサービスダウンは明白で、
もうその頃から比叡廃止を視野に入れてたんだろうと思う。 >>16
開業時の新玉川線、8617-8723-8033-8233-8133-8517編成、8617、8723、8517が冷房車、8033、8233、8133が冷房車モドキで冷房改造はS54頃実施。たの冷房準備車も同時期に冷房改造実施。 >>20
京浜東北線のクモハ付き編成は大井工場で冷房化後に関西に移ったと記憶する。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています