網干・宮原の113系について語ろう!
2004年(宮原は2012年)まで活躍を続けていた沼の深い網干・宮原区の113系について語り合いましょう! 途中で前面部の板厚を変更する設計変更してる
大菅踏切事故は前面強化未施工の初期車の盲点突かれちゃった感じか
103系も東日本の低運は前面強化してるが高運転台は対象外 国鉄形気動車を思えば
まったくとんでもなくはないわな。
イメージ的に見慣れてないだけで。 福知山のやつはスペックがキチガイじみてるよな
2両オールMかつ110キロ対応
特急街道なので特急に追い付かれないよう110キロ対応を温存した? >>234
むしろ大阪←→尼崎間の追いつかれ対応だと思うが >>235
大阪-宮原間も外側線走るから特急に追いつかれない必要があるしな
それ考えると、旧客+DD51の列車は大丈夫だったんだろうか 無問題ではと。DLは馬力面も無問題だし、
当該区間は停車駅少ないから
影響波及前に逃げ込めたり終着できる。
回送区間だって旅客を気にせず加減速できるし 片福連絡線(仮)開業前の尼崎は平面交差だったような
関西の113系は結局地下線には入線経験無しか 網干の113系ってフラット音酷かったのでしょうか? 網干の113系と言えばワインレッドのシートモケット
シートピッチ拡大車はグレー枠のまま
保全工事施工車はクリーム枠に塗り替えられていた この格好は、変態の姿ではない!!紳士の姿だ!!拝めるだけありがたいと思え!!愚民共!! あぁ~雨降っちゃったね、しばらく雨宿りしないといけないね…二人っきりで… 湖西線での半自動
だんだん区間や時期が短くなっていったような 三日月形取手の大型化
クリーム枠にワインレッドモケット >>248
一時期115系6M1Tも走っていたような そう、一時期115も来ていた
共通運用だったので、日によって便によって113だったり115だったり
>>33あたりを参照 そのころだと117系4両が普段だったので
113系7両はなかなか壮大に見えそう 大垣
播州赤穂
備前片上
遠い行き先にロマンを感じた >>251
大垣7時過ぎに発車するのが7両だった
椅子取りゲームが起きたヤツ >>256
真ん中1両だけ色違い、車内転クロで大垣ダッシュ前到着時に現認できたら目指せグリーン車感あった □□□■■■□
中間のサハとモハユニットだけN40というパターンもあった
ちょっとでも改造が終わればどんどん投入 113-700
サハが作られなかったしクモハも作られなかった
115-300/1000と同じシャッター式警笛を装備
中途半端に新しいからほとんど転換クロス化されずにセミクロスシートが最後まで残った 2700(7700)番台は新製車と改造車(←2000/7000)が続番 セーフはセーフ、アウトはアウト。
ルールとは、厳しいものなんです。 >>254
当時のダイヤ作成者に聞かないと真相はわからん >>4
大阪駅を高架化する際に操車場を別の場所に移すことになり
その場所の当時の地名が宮原町だったので宮原操車場と名付けられた 宮原は「みやのはる」か「みやばる」のイメージがある
なお生まれたときの本籍が熊本で大学は小倉 >>278
そうなんですか。詳しくお聞かせいただければ幸い。