短命に終わった車両 5
大阪市交30系にもいるぞ
8年しか持たなかった中央線用のやつ
しかも谷町線のアルミ車みたいに大型押し出し材のやつ 120キロを出せないため早期引退した都営5300だが、当初は120キロという考えはなかったのかね? まぁ7000系最終増備車も全車廃車されたから多少は… メトロ7000の最終増備は先に中間車2両が廃車されていたが、結局残りの車両も去年廃車になった 直近に運用終了した都営の平成製造車
5300形
6300形GTO車
10-000形後期車
10-300R形先頭車
10-300形初期車
12-000形GTO車
また、12-000形IGBT車も廃車開始 >>65
もれもそう思った。高性能トリオ5500,6500,7020は
みんな面倒みている三田がなくなって、12,3年で廃車になってるし
8000はじめ末期都電で15年くらいで廃車は多い
2500は9年で廃車で内一年は使ってなかった、下回り再用だが
あと1500の台車はあつらえなおしたから長く使ってないやね >>66
御堂筋線から中央線に転属した際に余った車両を活用するために先頭車だけ新製したが、結局その先頭車ごと廃車になった模様
つまり後の都営10-300Rや名古屋市営3159と同じパターンだな >>61
南海で思い出したが、7100系1次車が6000/7000系より先に廃車になったのも、阪急が5200系を2300/3000/3100/3300/5000系より先に廃車したのと似たような感じがする
但しこちらも経緯はそれぞれ異なる様だし南海7100系1次車の方は短命ではないが >>57
事故廃車は六甲事故と勘違いされてません?
2200は阪神大震災で被災がきっかけで電動車を付随車化、6000編入と思うけど 同じ顔なのに1本だけ解体されるパターン
メトロ06/07系(07系は存続しているが06系は解体)
相鉄9000系
名古屋市営地下鉄3050形 東の会社はJR東を皮切りに短命車ばかりになりがちだけどその当のJR東は103が火を噴いたトラウマでもあるんじゃないかと想像したが 火吹いたならアルカディアの方がもっと先だぞ
それで古いエンジンを根こそぎ淘汰したから
千葉のどこかのローカル線でやってるようなDMH17Hの動態保存なんかJR東日本は却下だよ 名古屋臨海鉄道のDL、NB251は昭和40年8月の開業時に導入され、
入換時のブレーキ力不足で翌41年5月に廃車、日本車輌に返却されたらしい。
その後の動向がわからない。他社が購入したのか、改造されたのか、解体されたのか。 今は公営から民営への譲渡は厳しいみたいで、それで都営や神戸市営の車両が新しくても解体の憂き目になっているとか メトロ6000の最終増備車は確か重故障やらかして丁度16000増備中だったために修理されずそのまま廃車だった様な 名鉄8500は会津鉄道ではなく北近畿タンゴ鉄道に譲渡されていたらもう少し使いこなせたかもしれない >>85
あまりスピードを出さない、会津鉄道線内の快速用で使ったからいけなかった。
東武線で都内まで直通する特急として使っていればもっと長持ちしたかもな。
それだと車両数が足りなさすぎだったんだけどさ。 103が火を吹かなければ以降の車両施策も史実とは違ったかもしれないが、実際に運輸省に怒られた案件だったため以降は物に厳しくなったのは間違いなさそう 205系の321系風仕様
西日本の205系0番台で最も迷走していた頃
結局短期間で水色帯に戻されたけど似合ってなかったなー
どさくさに紛れてサハ205がお亡くなりになった そもそも事故が無ければあの色は出なかったし323も環状線特化仕様にはならなかったと思う そもそも元々は車両を長く使う予定が突然103が火を吹いた案件だけで考え方を180°変えるという事は、相当ダメージが大きかったと想像した >>62
キハ130は
三セク向け標準型車両を導入したところ
塩害+北海道の寒さに耐えられず
早めの廃車になった
のかと 仮にE331がまともに走れていたとしてもホームドアや小田急VSE車の惨状からして量産はされずに早期廃車だったのは変わらなかったかもしれない 東急5000の6ドアは登場時点では必要だったが、大井町線溝の口延伸と並行する小田急の複々線化完成により田園都市線の混雑率が低下したため廃止となった 上田交通クハ290
連結相手が最古参の丸窓電車だから新しく感じたけど昇圧工事の際にあっさり廃車 >>69
でも改めて考えたら207系900番代も経年23年で解体されてるんだな
さすがに同じ常磐線系統の415系2階建て先頭車よりは長かったけど 西武101系の一部編成(機器は4000系に転用されたのでそこまで無駄にはなっていない) >>99
VVVFを新しいのに交換すればまだ使えそうだけど車体は205系と同じ構造だし、仮に南武線、八高線、横浜線(ATC付きなので可)に転属してもすぐにE233系置き換え又はE231系転属で10年も持たなそうだし 京阪500型
京津線準急として活躍していたけど非冷房車だったので石坂線に追い出され
いつの間にか700型の種車となるため廃車 国鉄103系みたいな内倒前面窓は京阪500の個性だった
自動車対策で車体下部に蛍光テープ貼ったり車幅灯装着したり色々試行錯誤していた >>101
一部は小江戸用10000系のドナーにもなった101系もあり。
701系のドナーもある上、701系の6両編成化で余ったクハに101系の走行系を移植した新501系は、ろくに使われず10000系のドナーにされた。 京阪500の床下機器は一部叡電800に流用されて今も現役のはず
車体も部品も100%流用されなかった短命No.1はなんだろう? >>85
というか、東海が引き取ってキハ85に編入したらダメだったのかしら? 北越急行683-8000スノーラビット仕様は西日本に移籍して他車と同仕様に >>110
683-8000は683系の中で唯一ブレーキシステムが違うからな
683系の基礎ブレーキは踏面ブレーキなのに対し8000番台はキャリパブレーキ
681-2000が同番台唯一と呼べるとこは塗装だけ
あとはホワイトウイングと同じ そして683-8000をそのまま直流転用改造すれば良いのに
しらさぎを巻き込んだ謎玉突き転用改造祭りの引き金となった 伊豆クレイル
651系中古車をリフレッシュして投入されたけどコロナ禍のあおりを受けあっさり廃車 車両自体は長命だったけどな
でも延命してあと8年くらい走らせて欲しかったと思う JR九州キハ58/28/65改造ジョイフルトレイン
各地区で登場したけど方針転換によりあっさり居なくなってしまった
ブンブン、吉四六、サウンドエクスプレスひのくに、らくだ等々・・・ 改造種車がエンジン非力な国鉄型だからな
エンジン換装しても変速機も換装しないとフル発揮できないし らくだ→吉四六→ジョイフルトレイン大分→しらぬい
らくだ→ゆ〜とぴあ→しらぬい
ころころ改造されて最後はあっさり廃車って可哀そう・・・ >>114-115
651-1000番代自体が改造から9年で全廃だからね
まさかの185より先に651が廃形式に >>119
185が残ってるのは、クロ157の併結相手がいなくなるから? >>114
スーパーひたち時代の酷使もあった
130キロ走行で距離が飛躍的に伸びたうえに海沿いで塩害もあった
伊豆クレイルも塩害に苦しんでたはず >>124
DD54の中には出来てもろくに走らせられないまんまポイされたのもあるから、それらとどっこいどっこいかも。 128(σ・∀・)σゲッツ!!
128キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
128(・∀・)イイ!! 京王7000は非貫通編成の解消で更に廃車が増える予定 京王7000は更新から8年で廃車になった車両あり(中間車2両だけだが) スーパーサルーンゆめじはもっと長生きすると思ったけど意外と短命だったな
やはり塩害の影響か パノラマライナーサザンクロス
12系700番台ジョイフルトレインの中では一番短命
専用塗装機ED7678、DE101131も用意されたのに・・・ 小田急50000系VSE
大好きやったので辛すぎる㌆㌆㌆㌆。゚(゚´Д`゚)゚。㌆㌆㌆㌆ >>133
既にRSEやEXEが闊歩していた時代になんで連接車なんだろうと、VSE登場当時は疑問に思った。
どうせ展望特急車両作るなら今のGSE相当のボギー車でもよかっただろうに。
こればっかりは小田急らしからぬ「先見の明のなさ」だったな。 小田急50000系VSEと同時に2005年に登場した都営新宿線10−300系の
初期型の8連がまさか20年も持たずに廃車に成るとは思わなかった。
因みに俺はこの2形式のNゲージを所有している。これからも大事にして行くよ。 RSE→JR規格適合車
EXE→着席通勤用のビジネス特急車
VSE→ロマンスカー(LSE/HiSE後継)
で自然と連接台車にしたんだろうな
喫茶店サービスもあったし 都営は12-000形ですら廃車にしてしまうくらいだから仕方ない(リニアモーター式の地下鉄車両を廃車にしてるのは都営だけ) 更に目黒線系統の車両で廃車が出てるのも今の所都営6300形だけなので、いかに都営がバンバン廃車にしてるのがよく分かる 更に都営は5300形も120キロを出せないのが要因で27編成もあったのに早々に全廃になった
5300形が登場した時は120キロ運転という想定はなかったそうだから運が悪かったとしか… >>134
小田急は1000形ワイドドア車も結局失敗だった
小田急の通勤時間帯の輸送改善は通勤車両のドア構造を見直しての混雑緩和ではなく、結果的にロマンスカーの座席数確保だったからね
今のEXEみたいなものがもっと早くから考えられていればワイドドア車は登場しなかっただろう まぁVSE(小田急50000系)が出た時期では、連接車ではE331系まで登場してたからね
しかも、E331系の方が出たのが後だったから単に当時の情勢が情勢だったという事 >>135
都営新宿線の場合は、やっぱりかつての新造先頭車で懲りたのかね?
元々10-000の増結車を捨てるのが勿体無いからという理由で先頭車だけ新造したものの、最終的にはその先頭車ごと廃車になったが、
考えたらどこかのタイミングでどちらか一方の寿命を残して廃車しかなかったからしょうがない
(仮に中間車だけ新造しても、今度は先頭車の寿命が先に来てしまう事になる) >>142
10-300でも初期の8連に増結車を組み込んで10連化した編成がある。
8連製造時でも10連化を想定して設計してあったが、その設計と違う形で増結車が組み込まれた。
同じ事をすれば良いだけなのに、なぜか編成ごと作り替えた。
東京都っておカネあるんだな。 >>143
だから増結したとしても既存車の寿命が来た時に増結車の処遇が問題になるって >>142
10-300R形は元から10年で廃車前提での製造だった
10-000形の増結車がJR209系やE231系と同じ構造だったら16~17年での廃車も問題はなかったが、あまりに頑丈だったので先頭車の方を増結車の残存寿命に合わせる形となった 10-300形(オール新造編成)も同じ
2010年に10両化された編成はともかく残りの編成は10年も開いてる
既存の中間車を使用することも可能だったが、改造とかが面倒になりコスパも悪いから8両まるごと廃車という結論となった 都営新宿線、都営車の10連化決定がもう少し早ければ、10両固定編成は
10-000増結車の他編成への組み替えで用意できて、10-300Rを作らずに済んだ。
でも完全10両化で10-300初期車の8連まるごと廃車は避けられなかったか。
製造後20年しないうちに廃車なんて、都庁にもったいないお化けが東上線から来るぞ ただその東武東上線だって、ドア故障した10000はそのまま廃車したから…
(脱線した10000は意地でも修復したんだが、やはりダイヤ改正での車両数見直しが関係?) 東武は一昔前なら古い車両でケチケチ(大切にではない)使い続けてたが、最近では方針が転換したのか経年が浅い車両でも平気で潰すようになった。 >>152
それは東やメトロにも言えるが(東の場合は103が火を吹いたのがトラウマになってそうだけど) とりあえず廃車された10-300はタイミングが合えば京王に譲渡されて7000の6+4や8+2編成を置き換えという手もあったかもしれないが、解体落札のタイミングが理由なのか間に合わなかった
都営(に限らず公営企業)は解体も入札なのがね…(一度解体業者に落札されると後戻りできない) >>152
川越工場を閉鎖したというのが響いているのかもしれない
東も低経年の車両を平気で廃車する様になったのは大船工場を閉鎖した辺りからであり、大船工場があった時はもう少し使い方が安定していたんだが… >>147
用地が無かったのも見送られた原因
東京都交通局に広大な土地がなく京王重機整備に依頼する羽目になりそう >>153,155
東の場合、E231-500の6ドア車の4ドア化の時に4ドアのサハを作って
数年後、山手→総武→武蔵野と玉突きが始まったら今度はE231-0のサハで廃車を出したんだよな。
のちにE235に組み込んだ10号車はドア位置違うから新製しないとまずかったけど、7号車のサハは
総武線のサハを上手く使って、ってならなかった不思議。
ドア上の案内表示をLCDにするとか改造がややこしくなるのを避けたかったのはわかるんだが。 サハは計画変更に振り回されがち
西日本のサハ111-7000は体質改善したのにあっさり廃車 >>158
東急2000系のサハも、更新後は一度も営業せずに廃車になったらしい
(ただ他の更新車とは違って室内照明のLED化は見送られていた模様だからこの時点で更新後の田園都市線での営業は一時的なものになる想定だったと思うが) VSEと10-300形はE331系とは違いちゃんと走っただけまだマシ E331系はキハ285とは違いちゃんと営業運転しただけまだマシ 営業運転は果たせたのにちゃんと走れてないって、矛盾すぎる クモユ143
当時の最新仕様
・前面窓がHゴムから金属抑えに
・冷房装置はAU13搭載
・パンタグラフは1台(=他車との併結が前提だったから?)