無人駅の記憶(-ω-)
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厚岸から糸魚沢駅あたりの風景は日本でも屈指だとボクは思う(-ω-)
横浜市内で生まれ育った自分にとって、衝撃的だったのは、エゾシカの群れを何頭も目撃したことだった(-ω-)
ボクは、糸魚沢駅を何回か訪れたが、残念なことにこの駅は、もうない(-ω-)
好きな駅は多いが都会の駅よりも地方の駅が、より味わい深い感じがする(-ω-) のと鉄道能登線の沖波駅。99年夏、沖波のきりこ祭り見るため、この駅で降りて民宿に泊まる。一面一線の無人駅で周囲には店なんぞない。この辺り、無人駅だらけだったが。廃線されたから、今は残骸となってるだろうけど。 倉吉線山守駅
線路の終端の車止めの前に農道があり、農道の向こうは畑になっていて、
山守~中国勝山間を結ぶ予定だった南勝線の工事が着手された形跡はなかった。
南勝線は山守を出た後、畑の向こうに見える郵便局の裏手付近で築堤を上り、左にカーブして
関金町堀清水の集落に入っていってたかも レス4だが、のと鉄道の能登線終点、蛸島駅も無人駅だったな。この駅で降りて近くの海水浴場で泳いだ。終点駅だから留置線もあり沖波に比べれば人家もあるが、海水浴シーズンだというのに乗降客は少なかった。 境線大篠津駅
駅周辺は幹線道路以外には人家も商店もなく、ホームからは米子空港の
滑走路とターミナルビルがはるかに望めるだけだった。 とっくに廃止されたけど、ふるさと銀河線の一面一線の無人駅、駅周辺は笹が密生。
どの駅だったか、よくわからないが、笹森駅の可能性。 俺にとっての思い出の無人駅は、五日市線の熊川駅だ。
小学生だったころ、使い終わった切符を改札でもらうことなんてまずできなかったので、
(ください、って言っても「ダメダメ」っていわれた)
無人の熊川で降りれば、使用済み切符をゲットできたのだった。 夜間だけ無人駅だった指宿枕崎線南鹿児島駅が、完全に無人駅になるとは思わなかった。隣に市電の電停もあるし、利用者そこそこいるのだけどな。 無人駅ながら雰囲気が賑やか。流氷が見える駅・北浜。 無人駅の割合が一番多い都道府県は高知県。
北海道かと思っていたら意外な結果。 >>17
独特の雰囲気があるね。
シャッター下した店が多いけど、やっている店もわずかにある。 有人から無人化じゃなく、国鉄時代の最初から無人駅というのが関西の実家近辺の路線によくあった。
駅舎もなく単線に片側ホームのみ。地方都市の近郊なので特に見るものはないが、
宅地と田んぼや空き地、雑木林が程よいバランスで拡がった風景は、
上京20数年目の自分の中にいつも「実家感」として浮かんでくる。 昭和30年代以降に開業した駅舎のない無人駅は客車列車の多くが通過して
気動車のみが停車していたから時刻表を見ると直ぐに判別出来た 1981年4月から84年3月まで、高校通学のため、国鉄八高線の北八王子駅を利用した。
当時の北八王子は、線路1本、ホームひとつのわびしい無人駅であった。
柵なんて枕木流用だった(むかしはそういうのよくあった)
それが、おいらが高校卒業したあと、線路は2本になり、ホームも2つに増え、
有人になり、エレベータまでついて、はてはみどりの窓口まで設置される始末・・・
いやはやずいぶん進化したもんだと、たまに列車に乗って通るたびにそんなことを思う。 山陰本線824列車は、無人駅の宇賀本郷、飯井、久代、敬川の4駅はホーム有効長の
関係で通過していたが、この4駅に停車する客車列車もあった。 倉見駅(相模線)。
そのうちに新幹線も停まる駅になるかもです。 筑波鉄道のような中小私鉄だと、棒線の無人駅でありながら廃止ないし放置されたホームに線路があり、草茫々になってたりする。貨物営業廃止→本数削減で列車交換減少→一線棒線化→無人駅(順序が異なるものもあるが)といった過程か。
>>23 北八王子の逆を行く例が、同じ八高線の竹沢駅。
国鉄時代、有人駅だったのが、交換設備廃止でもう一つのホームが使われなくなり、JRになってから無人化。 >>27
新幹線とまるようになるかわかんないけど、
もしとまるようになったら、たぶん駅名かわるよね。
新倉敷(元・玉島)とか新下関(元・長門一ノ宮)みたいに。
なんていう名前になるのかな・・・寒川神社がそこそこ知名度あるから、
「新寒川」とかかな 広島県の備後落合駅は好きな駅のベスト30には入れたいと個人的に思います(^^
島根県と広島県を結ぶ木次線は好きな路線のベスト10には入れたいと個人的には思います(^^
真冬に乗ると雪の量の多さに驚かされる木次線。
なんとか存続して欲しいものです。 日本最東端の駅・東根室では、まだ下車したことはない(-ω-)/
根室では何回か下車して、2回宿泊したのだが(-ω-)/
納沙布岬は2度訪れたことがある(-ω-)/
訪れてみると改めて北方領土が近い(-ω-)/北方領土は断固として日本の領土だと
ボクは思う(-ω-)/尖閣諸島や竹島も言うまでもなく日本の領土なのだが、ここでは
その主張は置いておく(-ω-)/
根室駅は納沙布岬の方向を向いていないのが、なんとも不思議な感じがする(-ω-)/
ボクは生まれも育ちも神奈川だが、一番好きなのは北海道である(-ω-)/
釧網本線と花咲線と宗谷本線は当然のことながら好きな路線のベスト10に入るし、
富良野線も函館本線も味わい深いものがある(-ω-)/
死ぬ時は北海道の青空を見ていたいとボクは思う(-ω-)/来年は浜小清水駅に立ち寄りたい
(-ω-)/ そういえば、鶴見線って、
鶴見以外は全部、無人駅じゃないか・・・?
そういう路線も珍しいよな。 結構あるぞ
久慈線、宮古線、盛線、角館線とか
廃線前の根北線もそうだな
白糠線の上茶路は無人化後も簡易委託で乗車券販売してたらしいが 海芝浦駅は都会の中のローカル線の雰囲気で、わりと好き。目の前が海。 廃止が噂される地方私鉄が、無人駅化が最も先行してなかったか。
80年代初めの筑波鉄道、土浦と筑波の間で有人駅だったのは新土浦と常陸北条くらい。 名鉄美濃町線の専用軌道内の無人駅、一面一線のも結構あったが、ホームの高さは都電荒川線の専用軌道内停留所より低い。軌道法上ではどちらも停留場か。
荒川線の無人の停留所は無人駅と呼ばれないけど。 >>46
> ホームの高さは都電荒川線の専用軌道内停留所より低い
そりゃあ車両にステップ付いてるんだから当たり前 >>47 はあ、だから?
ちなみにwikiでは美濃町線、岐阜市内線の併用軌道区間内、路面上から直接乗降するのも「駅」としている。まあ、地域によって「駅」か「停留場」か言い方に違いがあるのだろうが。 >>48
> はあ、だから?
単に事実を指摘しただけだが 砂の器撮影時はまだあちこちで蒸機が走ってたんだよな 半家(はげ)駅。平家落人に因んだ場所。
留萌本線の増毛(ましけ)駅は残念ながら2016年に廃駅に。 北条鉄道 播磨横田駅
駅周辺は田畑が広がっていて、ホームからは農村がはるかに望めた。 >>54
無人駅から無賃乗車できると思って無賃乗車してたら車掌が切符を検札に来たり、
無人駅の手前で切符を回収に来ることもあったな 流山線の幸谷駅
移転前は無人駅で流山で「幸谷から」と言って運賃を払った 倉吉線上灘駅
倉吉線廃止前日には、駅員が昼間時のみ倉吉駅から派遣されてきて、
待合室で切符販売やホームに立って列車見送りを行っていた。 >>16>>20
国鉄時代の四国は隣駅が(括弧書き)してるのが多く見られたな 四国の駅名標はローマ字や所在地が入っていない簡易的なものが多かった 簡易駅はたいがいホーム長が2両分くらいしかなく、それ以上の編成だと
「後ろの車両の扉は開きません、前2両から降車願います」という車内放送。
ホーム脇すぐに踏切があると、停車中はみ出た車両が踏切上に鎮座したままというのが日常の光景。
地方私鉄とかだと有人駅でもそんな感じか。 野上電鉄の無人駅にはホーㇺの上屋の天井から駅名標が吊り下げられて取り付けられていたが、
「きたやま」などと書かれた無人駅の駅名標の隅っこに小さい字で「沖野々」と書かれてあったが、
何の理由があったのだろうか >>62
広告の一部
沖野々
木村医院
今でも盛業中 紀州鉄道学門駅
御坊行き列車はなぜか停車せず、通過した。
この駅は乗降客がいないときは、路線バスのように列車は通過してもよいことに
なっているのだろうか。 花咲線(根室本線)にも指宿枕崎線(折り返しまで時間がなく、ラーメンも食えなかった)にも
乗ったが、高田馬場あたりの混み合ったホームの横を通過すると、帰ってきた感でホッとする。 >>56
いや、出来るかって話じゃなくて、むかしは出来たよな、ていう
過去の思い出話だからべつにいいと思うよ。 かつて200人からの駅員がいて、給水施設や転車台まであって、駅前には旅館やタクシー
会社もあったのに今は無人駅、秘境駅、100円稼ぐのに25万円。 備後落合なら、保線とかもあったろう
駅員だけで200人はない 筑豊地区など鉱山あった所なら、かつては貨物の取扱いが多く相当数の職員が勤務していたが、JR化した頃にはもう無人駅というのが少なくないんでは。 指宿枕崎線は2回乗ったことがあるのだが西大山駅で下車したことがまだない。
まだまだ修行が足りないとボクは思う(-ω-)
無人駅とは関係ないがY浜線のN山駅が今月の15日を以て、みどりの窓口の営業を停止してしまった(-ω-)
18きっぷなどを購入する時は9割方このN駅だった。隣のK居駅もみどりの窓口の営業を停止している
ようだし、今後はN津田駅に行って購入することになるのだろうか(-ω-)
昔は根室駅とか名寄駅とか男鹿駅とか18きっぷの購入先も多彩だったのだが。名寄と男鹿の時はピンク色
のきっぷだった記憶がある(-ω-)
思えばあの頃は若かった(-ω-) 3セク移管目前でも金沢支社管内の無人化攻勢やまず
特急停車駅以外は次々とここに仲間入り 雄信内
30年以上も昔、当時も駅付近には住宅もほとんど無く
真冬は猛烈な寒さだったが、上り2番列車の到着が
近づくに連れて待合室は活気付き始めて
結局、20人くらいが乗り込んだ
駅付近はほとんど無人地帯だが、主な利用者は
3キロほど離れた天塩川対岸の雄信内から自家用車で
送り込まれ、天塩中川へと通う高校生である事を
この時、初めて知った >>10
米子空港が米軍基地だった当時、飛行機と蒸気機関車の接触事故があった。 >>54
函館本線の東森から乗った客が、砂原経由で大沼で降りた際に
大沼の駅員に『森からだよ』と自己申告して
森→大沼の運賃を支払っていた。 山陰本線中山口駅
無人化される前は駅舎が雑貨店になっていて、委託駅だったが現在は駅舎は無く、無人駅で
駅舎跡は駐輪場になっている。 駅舎改築前の月岡
平成3年のゴールデンウイーク、早朝6時台というのに
キヨスクが店を開き、国鉄OBらしい、Iさんも派出して切符を販売していて、すがすがしかった 4月に函館本線大沼駅に立ち寄ったら無人駅になっていて驚いたよ
2、3年前でも「保線区があるので、ここは無人にはならない」と、駅員も太鼓判だったし
昔は終日、結構な人数の駅員が詰めていて、売店もあったが 釧網本線茅沼駅
タンチョウの来る駅、というのに惹かれて、今月駅寝しました。
朝5時半、ホームのベンチに座って始発を待ってたら、近所の人が掃除に来てビックリ。
「昨夜泊まった?」
「(素直に)はい!」
「今シーズンは君が一人目だよ」
以前はライダーハウス代用みたいだったらしい う〜ん
おまえらみたいのは、日本の
「旅館業の客として役に立つ」
「日本の経済に役に立つ」
というのに、当てはまらない面が多々ある
1980年代やらに無人駅で駅寝しました・・・
2000年代にはネットカフェに泊まってます・・・
こんな若者、青年、おっさんやらがいるような日本になってたら、
そりゃ経済、国力は落ちぶれていくのはあたりまえ
おまえらに、これがわかるか?
それとは対照的な
「年に2回は、高級旅館に家族で泊まります」
おまえらのうちで、こういう人は一人もいないんじゃないのか?
この話を、死ぬまでには理解できるくらいに頭に入れろな 阪急の駅長不在駅がリモートになってて実質無人駅になってる件 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています