【国鉄】【私鉄もどうぞ】懐かし時刻表談義
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ここは,古の時刻表(主に〜20世紀中)をネタ元に,
気づいた点,疑問点などのさまざまな話題を取り上げるところです。 1964年当時の近鉄大阪線の急行
大阪上本町-鶴橋-大和八木-名張-伊賀神戸-佐田(=榊原温泉口)-伊勢中川-松阪-伊勢市-宇治山田
1968年
上本町-鶴橋-大和高田-大和八木-桜井-榛原-名張-伊賀神戸-榊原温泉口-伊勢中川-松阪-伊勢市-宇治山田
今の特急なみに止まらない。今も通過しているのは桜井駅だけ ちどり4号 米子⇒宍道23:32⇒木次0:25⇒備後落合2:19⇒広島
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ちどり3号 広島⇒備後落合1:08⇒木次3:07⇒宍道3:42⇒鳥取
ちどり4号 広島⇒備後落合2:52⇒木次4:34⇒宍道5:06⇒米子 昔の國鉄は電車や気動車使用の列車で、明確に数分で折り返ししているのがかなり有ったようで、
機関車の付けかえが必要となる客車列車ではできない芸当。 個人的には、備後落合発の最終列車の早さが気になるんですよね…
まぁ、ちどりがあるからいいのでしょうか。 準急新東海(東京〜名古屋(〜大垣))
準急伊吹(名古屋〜大阪(〜神戸))は全車指定席でしたが、
東京〜大阪を走破していた急行にはどうして全車指定席が無かったのだろうか。 野上電鉄1967年
日方駅 始発6:00 以降22:00まで完全30分ごと
登山口駅 始発5:20 6:17 以降21:47まで完全30分ごと 1967年10月号より
中央本線 名古屋⇔恵那で運転の『恵那峡1号』『恵那峡2号』
運転日 10/8,10,15,22,29,11/5,12
全車指定席の普通列車で,途中の停車駅は千種のみ
下り1号 名古屋7:48発→千種7:56発→恵那8:52着
下り2号 名古屋8:53発→千種9:01発→恵那10:00着
上り1号 恵那15:40発→千種16:38発→名古屋16:47着
上り2号 恵那17:56発→千種17:56発→名古屋18:05着
所要1時間強で,急行列車なみかそれよりも速い。 昭和39年
初乗り3キロまで10円
101キロまで280円
昭和42年
初乗り3キロまで20円
100キロまで360円 200キロまで720円
300キロまで1080円
400キロまで1450円 1967年10月の時点。
関西本線の快速は、一時期今宮駅に停車していた。
普通の大半が天王寺折り返しになっていたことと関係があるようです。
翌年に普通の湊町再延長とともに再び通過に戻った。 時刻表、1970年位までのが捨てきれずに段ボールにごっそりはいってる
200冊位かな
1980年代からのは20年前に捨てて、今になって後悔している
皆さんどうやって保管しているのかな 気動車を客車列車に連結して運転するときに、電源はどうしていたのだろうか。
例えば大畑⇒大湊⇒野辺地⇒(客車列車に連結)⇒青森 >>54 エンジンをアイドリングさせて発電し、車内用電源としていたのでは? 新宮まで電化した時のか
この時から表紙が再び写真一面になったんだよな ここまで後⇒前の順に出ているので,
次は山陽新幹線の延長前か。 昔の近鉄時刻表は横長だった
>>35
国府・新安城・新木曽川・笠松は? 最近の近鉄時刻表は知らんが昔は全駅掲載じゃなかったな 新宮電化で165系を急行に使うことはできなかったのだろうか 1978/10復刻版にて。
新幹線運賃・料金早見表の注意書き
○隣の駅までの料金900円は自由席に限ります。指定席は1600円となります。 >>65続き
今でも隣の駅までの料金は自由席に限り990円または880円なので
全く値上がりしていないのはいろいろとまずいのでは。 当時は値上げ値上げで行き過ぎもあったので当時が高すぎただけかもしれない 復刻版1978年10月
新快速は速いけれど、普通列車もそれほど遅くはないのでどちらも使える。
今は普通列車が止まりすぎで新快速が混雑する要因になっていると思う。 万博真っ最中の1970年8月号復刻してくれないかなぁ・・・? 急行能登路が行き交う七尾線。
今は七尾線急行は1つも無い 誤植。
大阪の地下鉄拡大図で桜島線の「安治川口」が「宇治川口」になっている。 飯田線の急行伊那8号の行き先が「美濃太田」になっている(電車では行けません) >>66 新幹線新駅が沢山開業したので隣の駅までの距離が近すぎて新幹線乗る意味のある所が
かなり減ったな。
今だと東海道山陽ならば新横浜と小田原、小倉と博多ならまずまず
昔なら三島みかんうなぎウズラきしめんの間
とかも旨みはあったが、今は全てこの間に
新駅が出来ている。まったくしょーもな。 >>62
南海からの乗り入れ車の関係で電車化出来なかった。
当時は和歌山市と和歌山の間がまだ非電化だった。 名古屋と新潟はどう往来するのが良いのか
赤倉の経路はズタズタになってしまった >>77
架線下DCだよ
キハ58でグリーンと指定以外は非冷房 「こまくさ」もそうだな
山形から青森までのDC急行 小倉→佐賀→下関
門司港⇔長崎・佐世保に各1往復だけ電車運転の普通列車があった。
どちらも急行列車なみに停車駅が少ない。
鳥栖~佐賀~肥前山口~肥前鹿島~多良~湯江~浦上~長崎
└~大町~武雄~有田~早岐~佐世保 急行列車(気動車運転)をさしおいて475系を使うわけがないので423系なのだろうけれど
そうなると昭和53年時点ですでに長崎まで423系が走っていたことになる。 新宿駅直通の中距離列車
85年で一瞬消え、翌86年復活、93年に夜行もろとも全て廃止(夜行は臨時スジでまだ残る)
らしいけど、ウィキに書いてある、
『最終的に残っていた朝晩の下り3本、上り1本の新宿発着の列車』(←夜行含んでる)
の各列車の始発もしくは終着駅って、わかります?
当時乗ってるし、アルプスで塩山で折り返したり、
新宿の中距離ホームに中間改札が存在してたのも覚えてるけど
記憶的にはそれだけなので、復刻版などを見れる方はご教示ください。 同じ時期
清水港線は7往復
3615、3616って何だろう
貨客混合かな?
https://i.imgur.com/f0iD7Nf.jpg 1978年には
ひかり号
東京~博多 東京,名古屋,京都,新大阪,岡山,広島,小倉,博多
東京~博多 東京,名古屋,京都,新大阪,新神戸,姫路,岡山,福山,広島から博多各駅
東京~広島 東京,名古屋,京都,新大阪から広島各駅
東京~岡山 東京,名古屋,京都,新大阪,新神戸,姫路,岡山
東京~岡山 東京,名古屋,京都,新大阪,岡山(一部の時間のみ) 変則停車ひかり号
東京~新大阪 東京,名古屋,米原,京都,新大阪
東京~新大阪 東京,新横浜,静岡,名古屋,米原,京都,新大阪
新大阪~博多 新大阪,岡山,新倉敷,三原,広島,徳山,新下関,小倉,博多
こだま号は原則として東京~新大阪のみ運転 >>92
そもそも 何のwikiに記載されているの? >>92
復刻版を買おうとは思わんの?
自分で調べたらそれは財産になるだろうよ >>89
4.5往復だった
客車を分割統合するのかな 421Mの上諏訪夜行とかを言ってるのかな?
お世話になっている
Rail Artさんのブログで探してみたら?
http://blog.livedoor.jp/railart/archives/4932144.html >>81
ステップなしの車両(421、423、415系)を使用したため、
停車駅はプラットホームの嵩上げ工事が必要だった。
そこで、工事を最小限にとどめるために停車駅を絞った
という説明をどこかで読んだよ。 新宿ってスカ色115系の中電がまだ発着してる
ような気がする。何か同じ色の横須賀線と
比べると薄汚かったような記憶。
それと清水港線はスハフ42かなんかが保存
されてるけれど、そんな急行用車両が使われる
のは本来の姿じゃないよな。今じゃ車で難なく
行き来出来るのによく鉄道敷いたな〜って思う。 >>99
清水港線は沿線工場の貨物輸送がメインで、旅客輸送なんか眼中に無い感じだったな
その1往復も高校への通学列車みたいなもんだったからな ネットで検索した内容をネットに転記するなら、引用元のURL貼りな 1978年復刻版。
北陸本線の普通列車は大部分が電車運転(すなわち471系)になっている上に
普通といっても一部は急行列車なみに通過駅がある。
当時北陸急行に乗った人はどのように感じただろうか? 急行並みに止まらないのは
昔からある(東京~米原~新潟)
それよりも小舞子駅(海水浴仮乗車場)
11月でも上りが1本だけ停車していたのが不思議
https://i.imgur.com/nQtBoyY.jpg
https://i.imgur.com/JI6xvva.jpg >>105
1948-8-30廃止
廃止の10ヶ月前時刻 >>81の続き、1978年長崎本線。
長崎行きの急行平戸と急行西九州が旧線経由で走っていたようです。途中駅は全て通過。
上りの方は、平戸は新線経由ですが、
ほかの急行(西九州、出島)は肝心の部分に列車名やグリーン車マークが印刷されていて
どちらなのかが判別不能。 特急.みちのく 上野⇔青森(常磐線経由)は、
無くなった旧特急はつかりを復活させたものなのだろうか。 急行みちのくから引き継いだ日中運転の急行十和田1号が特急化される事となり、特急みちのくとして復活 東北によくわからない列車
1978年10月
1722D 陸前古川5:19発→仙台6:46着
の注意書きに『陸前古川発の車両は小牛田止まり。仙台行きは小牛田から連結。』
ということは結局は小牛田で乗り換えなのですが、『小牛田乗り換え』と書けない理由が何かあったか?? >>110
その頃の東北はその書き方が他にもあったね。八戸線陸中八木発の列車は八戸から急行深浦になるけど、「陸中八木八木初は鰺ケ沢止まり。深浦行きは青森から連結」だったかと。 昭和43年5月の時刻表では休日運休ではなかったようだ
途中で列車番号が変わる列車は珍しくないが
この列車は小牛田で分断後も同一の列車番号で運行してたってことか?
それだと「小牛田で連結」の言い回しに疑問が残る 旅客車は小牛田で全車入れ替わるけが併結している荷物車だけ直通とか、
陸前古川発仙台行きの回送車が連結されているとか…
乗ったことがある人がいりゃ一発解決の事案なんですけどね。 似たようなの今でもあるわ
大阪発のひだは高山行きだけど岐阜で名古屋からのと連結
名古屋発は飛騨古川行きだから
大阪から飛騨古川行くには
岐阜なり高山で車両移動しなくてはいけないっての >>116
それは全然違うぞ
そのひだは重複区間があるが陸羽東線のには重複区間がない >>117
似たようなものと言っているのだから、許してやれって。 >>118
お前ってさあ、余計な事を言って物事を大きくするタイプだろ? >>112
その列車は
2711D⇒2712D⇒633D 急行深浦 深浦発 陸中八木行
深浦から川部は普通列車。鰺ヶ沢で増結し川部から急行列車。
青森で深浦発の部分をを切り離し。八戸線はまた普通列車に戻る 逆方向は
636D⇒4713D⇒618D⇒3714D 急行深浦 陸中八木発 深浦行
陸中八木から八戸まで普通列車。八戸から急行列車。
青森で深浦発を増結し急行むつ4号と連結。
川部でむつ4号と分かれて五能線は普通列車。
鰺ヶ沢で陸中八木発の部分を切り離して,残りが深浦まで
むかしの東北は奇怪な列車が多い >>122
大正14年は何冊か持ってるけど
漢数字表記なんだよなあ
復刻版は東亜旅行社のかな? 当時のことだから台湾、朝鮮、満洲や樺太の列車も記載されているのだろうか。 >>124
復刻版はわからないけれど
台湾、樺太、朝鮮はのっているよ 基本的に全国版なら外地も乗ってるよ
樺太は戦時中から内地扱いだし 特急いしかりは6両のうち指定席がわずか1両だけ
これのために専用車両をつくるよりも
すでにあった711系を小改良して、急行かむいの数を2倍にしたほうが安上がりだったと思う 昔の電話の方法を教えてください
例えば,近畿日本鉄道 大阪本社 (771)3331/名古屋支社 (54)3331
と記してありますが,電話のときに予めどこの地域なのかを宣言していたのですか。 交換手を介さずにダイヤルだけで全国つながるようになったのは結構最近なんだよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています