【国鉄】【私鉄もどうぞ】懐かし時刻表談義
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21 飛乗りや飛降りをやめて戴きたい。
22 窓から物を投げぬ様にして戴きたい。
23 爆発性の危険物を持込まぬ様にして戴きたい。
24 進行中扉を開かぬ様にして戴きたい。
25 顔や手足を車外に出さぬ様にして戴きたい。
26 客車のデッキに立たぬ様にして戴きたい。
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不要な操作となった9,現在は不可能な21と24を除くと,
100年経過した現在も通用する内容 実際に日本人が列を作り順番を守れるようになるには戦時下まで待たなければならなかった 1~5、11~16 未だ守られていない
7 果物を持ち歩いて食べていた人いたのか
20 近年ようやく達成近い(まだ喫煙席あるところがあるが) >>323
「みかん」あたりかなと。手で皮を剥けるし。
昭和初期ではないが、昭和30~40年代だとkioskで「冷凍みかん」を夏場に売っていた。
まあ、俺のようなジジイじゃないと知らないかw 3~5全然守られていない
あとデッキに立ってはいけなかったのか・・ キハ58系は最初それ前提でデッキにベンチレーターなかったんだよね ああ、冷凍みかんは今でも売ってるのか。ジジイはあかんなw 333(σ・∀・)σゲッツ!!
333キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
333(・∀・)イイ!! >>323
21番は扉の自動化によって、当時想定される動作としては不可能になったことは正しいが
代わりに開閉間際の乗降が発生 >>335
昔は鉄道が最速の交通手段だったから
医学の献体と通常の遺体でも料金が違った こうなると「弘済出版の大時刻表」が読みたくなるな。
あれの編成図は好きだった。車両形式まで書いてある上、電車特急の場合は中間の運転台まで表示している細かさ。 足尾線の1区間列車(足尾⇔間藤)が大正時代からある 昭和22年12月号の巻末に翌年カレンダーが載っていて
紀元2608年 昭和二十三年度七曜表
(この下に毎月の表)
となっている。
紀元(皇紀)がちゃんと流通していたのが分かったし
今も書いていたら便利だと思う。 ほとんど昭和を数えるだけですんでいた頃は困らなかったのだろう、と想像するけれど
昭和>平成>令和とまたぐと計算が面倒すぎるので、
次善策として皇紀を使うのはだめかな。 >>318
新人物往来社の「戦時中時刻表」は、付録を除いた6冊のうち3冊
昭和20年9月、昭和21年2月、昭和22年12月が、JTBの復刻版 終戦直後編(1999/12発売)と時期が重複しているけれど
両方購入した人どう思ったのだろう
付録が外地の満洲や朝鮮の時刻表なのでこれに魅力を持った人はまだしも。 戦中戦後時刻表(>>318のe-honでの表記が間違っているが)だけ内容が載っていた
メインの6冊
昭和18年3月 昭和19年4月 昭和19年10月
※昭和20年9月 ※昭和21年2月 ※昭和22年12月
付録
満洲支那汽車時間表 昭和17年7月
朝鮮鉄道時間表 昭和19年秋季号
各号の解説
JTBの時刻表復刻版 終戦直後編
>>312からメイン5冊を引用
※1945年9月 ※1946年2月 1946年8月
1946年12月 ※1947年12月
※が同じ時期の発行 >>344
個人的には同感だけど
戦後教育で日本人に自虐史観が装備させられてしまってるままだから
例え話として国がそう指示しても反対意見多そう
(政治団体が云々もそうだけど、フツーの人たちの拒否感がという意味で) うまい具合に和暦が併存しつつ西暦が定着してるってありがたいことだと思うよ
台湾とか面倒なことになってる 1943年1月、3月、4月、7月、10月、11月あるけど
1943年10月改正は復刻されていないんだね
特急富士が東京~博多に短縮されたり、不要不急路線が一気に増えた 生まれたときから交通公社大型時刻表なので小型は集める気が起きない。1964年10月すら興味わかない。 昔は臨時列車が付録だったりするから、大型版の見易さに慣れると
使い勝手が悪い 当時のはとにかく見辛いな
新しい様式での時刻なら食い入るように見たいんだけど >>354
ゆめもげら さんって言う人が
pdfで直したのをアップしたみたい 大型と小型について言うと
39年9月号549ページにある食堂車案内で,販売品に
時刻表(大)(小)
とあるので当時はB6版が大型で、
さらに小さい版があったという解釈で良いのだろうか ヨドバシカメラの通信販売に、近年の単品復刻に加えて
JTBの終戦直後編と、新潮社の満州朝鮮の在庫が有る >新潮社の満州朝鮮
これもまだあるのか
昭和の時代に発売された時刻表復刻版のセットなんてあっという間に完売したって聞いてるんだがな
その後も、再度復刻されるまで古書市場で高値がついていた
発行部数が違うのか、それとももう食傷気味なのかね JTB時刻表1984(昭和59)年2月号の復刻はいつになるのだろうか。 アマゾンにもJTBの終戦直後編、戦後編5と
新潮社の満州朝鮮の在庫あり 時刻表が100円のころの広告
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早わかり東京交通案内 80円
東京都の交通網は複雑です
本書で無駄な時間と費用を節約
目で見る日本の温泉 1700円
220カ所の温泉郷を専門カメラマンが完全に捉えた
美しい写真集
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上の東京交通案内は今でも需要がありそう。
下の1700円というのは今だと2万円弱?
どういう人が購入した写真集だろう。 骨董的な価値のあるものや復刻版ではなくて、うちに放置されてる1970年代以降の
時刻表を見ると、1.交通公社(JTB) 2.弘済出版社 3.日本旅行の発行に大別できる。
2はKIOSKの運営もやってた国鉄内部の生協のようなものだが、国鉄時代は1の時刻表
を駅で標準に使ってた。いち早くワープロ的なきれいな印刷に代わった。
しかしJR化後はなぜか3発行に「乗り換えた」のはどんな事情があったのか?
なおJTBの時刻表のあとがきにはJR化後の号ではじめて分割民営化政策に
対する不満が書かれていた。
なお小型サイズが結構好きだった「交通案内社」版の時刻表も売られてい
た。 中央本線の瑞浪〜中津川電化で登場した大垣⇔中津川の列車(多治見-大曽根間ノンストップ運転)
はどの車両だったのだろう。
72系は中津川までは行かなかったから70系かな 昭和30年当時の食堂車定食料金へつっこみ。
特別急行 300円、350円、500円の3種類
は良いとして,
普通急行 朝食150円、昼・夕食240円、ランチ240円
・・・・昼食とランチは同じモノではないのか??? お買いになった方はいらっしゃいますか?
と何故言えないのだw 急行きたぐに(青森~大阪)
寝台は新潟~大阪だけ連結していたのはよいとして
座席車のうち1両だけを秋田で切り離す必要性は何だったのか 急行ことぶきとは別に設定されていた南九州グリーン号は
どういう人対象だったのだろう。 電子版ですでにある1958年、1975年や1980年の10月号のムックは出ないのかねえ 新幹線の全車自由席列車を表す○の中に全自(正確には○は0系の顔)の表記は
一目瞭然なのにやめてしまった 臨時列車 急行やえがきの経路が
徳山~広島~岡山(折り返し)~倉敷~米子~出雲市
広島~芸備線~木次線~宍道を通らないのは
急行ちどりの夜行2往復あるところに加えて3往復目を入れるのをためらったのか 復刻版は昭和50年代に出た戦前・戦中編と戦後編、戦後編2を持っていればよろし 駅探とか見ると新幹線開業後の並行する幹線って今は殆ど普通列車ばかりで味気ないな。
昭和のそれまではほぼ1日通して特急、急行、夜行とかがにぎやかに時刻表に掲載されてた。 岡山開業号(1972年3月)の訂正表に意味をなしていない訂正が有った
復刻版の巻頭7頁にある訂正表の右下。
254頁|543列車|追加|【 】
【 】の中に何かの文が入るはずだったのだろうけれど
肝心のものが入っていない 創刊号。「○◇氏経営」と書いてある乗合自動車がたくさんのっている
個人タクシーは今も続いていますが個人バスはさすがに無くなったのかな。 >>390
当該部分にカッコだけ追加、が正規なんじゃね? 国会図書館デジタルコレクションでは時刻表が全く見られないことに気付いた
郵便線路図とかならあるのにな >>392
【 】はほかの列車には運転日が入るのと、特別急行の列車名(急行は[ ]で囲んである)
[十和田5号] 【3月15日→5月21日及び夏A運転】
【つばめ51号】 【4月29日→5月2日運転】
この543列車(普通列車)には何もないので【】だけあっても意味がない 上り夕方に【休日運休】があるから543列車も【休日運休】か? ひょっとしたらそうかもね
で、その訂正の字が抜けたと 急行のグリーンに乗車するときに
急行東海などにあった自由席では急行券・グリーン券(今と同じ)
指定席だと急行券・グリーン券に加えて指定席券が必要だったのは知らなかった。 >>397
> 指定席だと急行券・グリーン券に加えて指定席券が必要だったのは知らなかった
指定席券は要らないよ
急行券とグリーン券だけ 「急行券・グリーン券」←急行の指定席グリーン
「急行券・自由席グリーン券」←見たまま
「急行券・指定席券」←急行の普通車指定席
「急行券」←単なる急行券は自由席がデフォ
特急券については指定席デフォだから
単なる「特急券」表記の券=指定席特急券 400(σ・∀・)σゲッツ!!
400キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
400(・∀・)イイ!! 東京駅毎時0分は停車駅の少ない博多行き
12分はは停車駅が多い博多行き
16:00は例外で停車駅が多い博多行きが入っていた 横須賀線は昼間に横須賀止まりで半数くらいが横須賀⇔久里浜の区間運転と接続していたが
逗子止まりにして区間運転を逗子⇔久里浜に拡大した理由は何だったのだろう。 大正14年版「汽車時間表」掲載の桜の名所
『仁和寺は山陰本線花園駅、嵐山は同嵯峨駅から十丁と隔らない』
当時の便は京都⇔園部 1日5往復と、長距離列車が1日7往復。
あれから百年で大混雑する区間になってしまった 昭和60年3月
あかつき1号・3号の諫早~長崎は寝台券不要(立席特急券で乗車可能)といっても
当時だとこんなに短区間の乗車は尋常では言えないような そこ単体でみれば「誰が乗んねん」って場合でも
普通列車の本数に関係してたりとか、他の理由は必ずあるはず 諫早駅
(前略)
7:03 普通 新線経由
7:14 普通 旧線経由
7:30 あかつき51号
7:40 普通 旧線経由
7:47 普通 新線経由
8:15 あかつき1号
8:52 普通 旧線経由
9:04 あかつき3号
9:22 かもめ1号
9:30 普通(ノンストップ)
9:57 かもめ3号
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