401系と421系の違いを回想しろ
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東北と西南!
全く異なる地域に配置され形式も違うのに塗装がほぼ同一という恐怖! いや〜難しいね〜orz
両方とも乗るには乗ったけど、1000km近く離れていると、そうちょいちょい見たり乗ったりできないからな〜orz そう言えば421系のやっつけ冷改車にグロベンのオバケみたいなのが乗っていたけど、あれは気象レーダーか何かですかねwww 403系を初めて見たとき、
セミクロスシートなのに10の位が「0」になっていて誤植じゃないかと思った。 401・403系が登場した頃は、国鉄はまだ「十の位の数字が0なら通勤型、1〜3なら・・・」とか細かく区分してなかったからな。
せいぜい「十の位が0なら一般型、5〜なら有料長距離列車用」くらい。
だから151系、153系、157系なども、後の世から見れば特急型、急行型、準急用の筈なのに全部、十の位が5。 クハ401とクハ421は低運転台があったのが魅力ですね。 401系:全車旅客車として登場
421系:モハ420の一部がサヤ420という事業車で登場
151系九州乗り入れの助っ人で481系完成後に復帰 415系誕生時、401・403系の改番を見越して、クハはクハ411として301番から付番された(クハ411の0番台が存在しない。)。
改番の具体的な記述は見た事が無いけど、モハ400、401がモハ410、411に、モハ402、403がモハ412、413に、クハ401がクハ411-1〜を想定していたのかな。
クハ401のラストは90なのに、415系クハが301から付番してるから、クハ421からの改番も見込んでいたのかな。 行橋始発幸崎行きが421系
上野始発四ツ倉行きが401系
じゃね
多分 改番が検討されていたのに実施されなかったのはなんでだろう?
やはり面倒くさくなったのかな。 飽くまで後の世から見た話だが、形式ではなく番台で区分すればちょっと整理できたな。
401系基本番台(常磐線用)
401系300番台(九州用)
403系基本番台(常磐線用)
403系300番台(九州用)
403系500番台(3電源対応) 周波数以外は同じじゃん、421系は裾にラインが入ってたけど後に消えたし 出来ればやってたんだろうけど、例えば、京阪の複電圧車のようにスイッチ類の操作や機器設定を変更することで両電圧に対応させたわけだけど、50/60Hzの両周波数に対応させた1型式にすることは難しかったのだろうか?
中庸の55Hz仕様で設計して、両周波数に対応させるとか、考え方甘い?
ELだと容量大きくてこわいけど、ECだとなんかできそう・・・。 車両用のシリコン整流器が実用化して10年も経たずに、50、60ヘルツの両用化出来るとは予想出来なかったのかもね。現代のVVVF車よりも進歩が早い気がする。
その一方で平成まで415系は造り続けられるんだけど。 >>17
末期のは交流は片方しか走れないので
本来はモハ402/403やモハ423/422にもどさないといけなかった >>18
50Hz専用に戻ったのは東日本仕様だけじゃなかったっけ?
九州に60Hz専用車の増備はなかったような・・・ 湖西線作ったときに423系を配備しておけば
敦賀まで直流化しろとかでもめなかったと思う。 >>20
423系そのままじゃ無理でしょうね。
半自動などの寒冷地仕様にしないと。
しかしそれで敦賀直流化が回避できたか謎。 結局のところ113系では永原から北側に行けないのが発端で、
当初は気動車(その後交直両用)で1日に指で数えられるくらいしか便がなかったことが
永原から北が交流であることが原因だと思われてしまった. まあ元交直急行車を京都まで乗り入れさせるという手もあっただろうけれど 421は最初の頃下ほのうに帯が入ってなかったっけおでこにもあったかな?
常磐線方面に行った時に401見てライト周り以外帯無し塗装を見てなんだか偽物臭く感じた
時代によってはどっちも裾とデコに帯があったかどうかは知らない
当時は旧客の列車を選んで乗ってたのであまり興味が無かったが今思い出すと421あたりでも涙が出るほど懐かしい
当時を思い出すと頭に浮かぶ光景はダイヤモンドカットの便所使用知らせ灯が点灯してるところなのが謎だ
いつどこで列車に乗ってもそこそこ混んでてなんとなく車内を見ていたなあ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています