懐かしの広域運用
北へ南へ東へ西へ・・・
国鉄時代に車両運用効率向上を目的に実施された広域運用を語りましょう 寝台特急「あかつき」「明星」の14系客車
所属の早岐客貨区を出区して、「あかつき」で大阪に到着後、
「日本海」と共通運用されて、青森まで往復、大阪到着後、
今度はその日の夕刻の「明星」で西鹿児島までの運用などもあり、
「日本海」が雪の影響などで大幅に遅れて大阪に到着すると、
「あかつき」「明星」にも遅れが生じたり、車両故障多発など、
問題も多かった。 上野〜金沢間上越線経由「はくたか」が、53-10までは大ムコの485系だった。 特急「おき」5・2号のキハ181系
新大阪・大阪~米子間のキハ181系「まつかぜ」1・4号の1~4号車と共通運用されて、
米子から「おき」5号となって小郡まで運用され、小郡で滞泊後、翌日のおき2号で米子に到着後、
まつかぜ4号の付属編成と連結して、新大阪まで走り、向日町へ戻っていた。 長い距離を走らされるとそれだけ車体の痛みも早く進行するのかな >>7
距離だけでなく走行時間も劣化の要因として加味しないと スレ主さんの言う「広域...」に該当するかは分かりかねますが、
首都圏の101/103/113/153系が大阪地区で走り続けてる姿には、一抹の哀愁を感じました。
九州地区所属の「客車」が東京駅で見られることは、日常茶飯事であり、特筆すべきことではなかったと感じてました。
客車という性格上、至極当然の事だと言えるでしょうが...。
つまらぬ話で、スレ汚しをしてしまい、失礼しました。 >>5
行先表示器が故障していて、上野駅で「しおじ 下関」を観た記憶がある。 名鉄は最大60コマを特注
それでも足りなくなり6000系でやむを得ず方向板を使ったこともある キハ80による「いなほ」と「ひたち」の共通運用。
羽越線走るため運転席前面の窓につらら切り付けてたが、このまま「くろしお」に転用される。 471系と473系は北陸だけでしたが
475系や457系は北陸と九州方面で共有していたのでしょうか。 >>19で思い出したが、阪急の宝塚行で本家の石橋経由と朝夕限定の西宮北口経由で表示を変えていたのでしょうか?
要は経由地併記の有無です。 >>19で思い出したが、阪急の宝塚行で本家の石橋経由と朝夕限定の西宮北口経由で表示を変えていたのでしょうか?
要は経由地併記の有無です。 キハ80系の特急「にちりん」
西鹿児島から日豊本線経由で博多到着後、竹下で滞泊、翌日の特急「おおよど」で博多~宮崎間を鹿児島本線・肥薩線・吉都線経由で
1往復してから博多に到着後、竹下で滞泊、翌日の西鹿児島行き特急「にちりん」で西鹿児島に戻っていた キハ181「つばさ」と「あおば」。「つばさ」の12両編成のうち、7両のユニットを「あおば」として間合い運用。キハ80「いなほ」「ひたち」や「にちりん」「おおよど」は同一編成の間合い運用だが、こちらは「つばさ」と「あおば」で乗客数にかなりの差があるので、7両のみを間合い運用に用いたんだろうな。 仙台発釜石線、山田線回りで盛岡、それから花輪線経由で秋田行きという急行「陸中」って、一本の列車ではあるけど実質的には盛岡を境に二本の列車を繋げたような、広域運用に
似たようなものだな。東北多層建てDC急行の代表例だが、あまりにも複雑なので75年頃に盛岡から秋田までは行かなくなってしまうが。 1 大須 21 豊橋 41 (金山)
2 新羽島 22 豊川稲荷 42 森上
3 羽島市役所前 23 43 弥富
4 笠松 24 犬山経由新岐阜 44 佐屋
5 25 三柿野 45 津島
6 新岐阜 26 新鵜沼 46
7 新一宮 27 犬山 47 碧南
8 須ケ口 28 柏森 48 豊田市
9 栄生 29 岩倉 49 猿投
10 新名古屋 30 新可児 50 蒲郡
11 神宮前 31 明智 51 吉良吉田
12 鳴海 32 御嵩 52 新安城経由吉良吉田
13 豊明 33 53 知立経由吉良吉田
14 知立 34 太田川 54 西尾
15 新安城 35 大野町 55
16 東岡崎 36 常滑 56 小牧
17 美合 37 知多半田 57 上飯田
18 本宿 38 富貴 58
19 国府 39 河和 59 玉ノ井
20 伊奈 40 内海 60 津島経由新一宮 名古屋線の一般車が上本町いったり
大阪線の一般車が名古屋に行ってたのも過去の話 キハ80系で運転されていたころの特急「おき」
車両は米子発着のキハ80系特急「はまかぜ」・「あさしお」と共通運用され、
「あさしお」と共通運用されていた編成は舞鶴線・宮津線経由の城崎発着の
「あさしお」の運用にも入るなどして、かなりの広範囲にわたって運用されていた。 >>21
中学の時、漢字を感字と書いた奴を思い出した。
更に交差点は交差店だった。 583系も南福岡のが雷鳥に充当されるとか凄すぎ
485系もJR東日本車の雷鳥があって3000番台が大阪駅に来てた 私鉄界で広域運用をしてると言えるのは近鉄と名鉄と東武 近鉄?
奈良・大阪・南大阪・名古屋の各ブロックできっちり使い分けてますがな 数年前まで
名古屋線の広告つけて上本町いったり
大阪線の広告つけて名古屋いってたけど >>36
南福岡の583系は50-3改正で向日町、青森に転属した。「雷鳥」に充当されるようになったのは53-10改正からなので、南福岡時代には充当されていない。 新潟のキハ58系は冷房車中心だが
定番の東北方面以外に
「いいで」で上野、「赤倉」で名古屋までの運用があった >>11
北陸から九州に左遷されたED74 /EF70も可哀そうでしたね
性能を発揮出来ずまっ先に廃車・・・ 広域運用ではなく転属ですが、
スハユニ62 10
北海道から、九州へ転属
見た時は、オハユニと共通運用で、スハユニはナハ10とセットで使用されていた JR管内でも無茶な広域運用しなくなったな
未だに広域運用引きずってたら新快速用の223系や225系が下関まで走行なんてこともあり得る 昔の休校十和田には釧クシの郵便車が連結されていた。 2000年頃に岩国から山陽本線ローカルに乗ったら網干区所属だったこともある まあ、岩国と網干なら確かに離れているが
特筆することでもなくね? JR東管内だったらE721系で新白河発盛岡行きとか出来そうだな
一昔前なら黒磯発蟹田行きも理論上可能だった >>54
保安装置の問題をクリアできれば、E721で黒磯から函館まで行けたわけだ JR東海エリアの端から端運用もあった
熱海発米原行きとか どう考えても新幹線の方が早いし青春18きっぷ利用者しか全区間乗り通さないよな
荷物列車があった頃は広域運用は重宝した
運用を細切れにした方が扱いやすい >>55
青函トンネルの区間は交流25000ボルトだから、複電圧に改造するか機関車牽引の必要はあるな 東京口のグリーン車が浜松まで来てた事があったが静岡県内でグリーン車は閑古鳥鳴いてただろうな
物好きなマニアしか乗らないはず
E231系やE233系は団臨で浜松まで走行した事がある >>62
逆に2本しか無いグリーン車連結なしのうちの一本が浜松行だったな >>61
55は過去形で書いてるから、それは想定してると思うけど チャンピョンは早岐14系寝台の西鹿児島青森
だろうが、東京発鹿児島の各駅停車とか
年末臨時で名古屋客車区の客車が青森経由で
上野発着東北臨に駆り出されてたとか面白い。
現役ならば規模は小さいがルフトハンザ747
が数日おきに成田やサンパウロに顔出すのが面白いぞ あ >>65
労使対策という見方もある
しかし雪で車両のやりくりがつかず九州ブルトレが運休になったなんて話もあって突発トラブルに弱かった 2001年に583系の月光・しおじリバイバル運転やった時は送り込みに天理臨を使ったとか凄まじい事してた
JR西日本の自社車両を使った方が明らか楽だがJR東日本の盛アオ車が下関まで来てた >>68
当時、酉の583系に原色車がいなかったからな。 私鉄での理論上可能な広域運用
・中央林間発会津田島行き(半蔵門線経由)
・元町・中華街初三峰口行き(副都心線経由、西武秩父線と東武東上線どっちを経由しても構わない)
・近鉄名古屋発山陽姫路行き(阪神なんば線経由) >>71
元町中華街発会津田島行きも可能だな
あとは無理矢理感あるけど箱根湯本発常磐線我孫子経由成田回り銚子行き >>72
> 元町中華街発会津田島行きも可能だな
どんな経路想定してんの? 近鉄名古屋←→山陽姫路
コレって団臨やイベント列車でもまだ一度も実現してないよね?
(近奈良←→山姫路は既存) >>68>>70
尼崎事故がなければ
(酉のテツ対応が)どんな世界線になっていただろうな。
いつも思う >>73
元町中華街から中目黒→日比谷線→北千住→東武線で行ける 面倒なだけで会社に利点がねえことを
名古屋-姫路 あ?
横浜-会津 ほ? >>77
イベントで走らせれば結構利用者もいると思う。
特に元町から田島だと6社経由だもんな。 でもそのまま全線走破できる車両はないからなあ
東武20400型に必要な保安装置載せるのが一番簡単かな? >>77
そんな視点では誰も語ってないわけだが。
論点を勝手に拡大して語ろうとするおまいさんがアフォ >>79
個人的には70090を短編成化してってのが良いなあ。 >>79 ATS、東武、東京メトロ、東急の3種類類載せなくてはならないんだっけ?東武と野岩、会津は共通化させてるんだろうが。
京成、北総、都営、京急それに新京成、芝山はATS共通化してるから、松戸発成田空港行きや東成田発三崎口行きも可能だろうけど(冗談)。 >>81
短編成化出来るのかという問題が
5両にするのは出来そうだが4両は魔改造必須じゃね?
>>82
各社バラバラだよ
実際メトロ13000は3種類(東京メトロ新CS-ATC、東武ATS、東急ATC-P)対応
ATC-Pがあれば新CS-ATCには対応できるので物理的には2台なのかな
東急の車両やメトロ副都心線の車両はこれに加えて西武ATS、東武T-DATCにも対応してるんだからすごいよな エーテーエズ パーだのグーだのチョキだの
まんどくさい。もうみんなLINEのクマちゃんスタンプ使ってお互いトークしながら自由に走りなyo‼ そうすれば両国乗り入れの東武亀戸線とか小湊鉄道乗り入れの国鉄内房線とか自由自在だyo‼ ATSのシステムがかつてはバリエーションなかったからこその広域運用ってことでもあるんだろうな >>76
日比谷線経由であれば原理上可能だが東急との相互乗り入れを打ち切ってしまってて非現実的になった 相鉄・東急直通線が開業したら海老名or湘南台発三峰口行きも可能となる >>86
たしか中目黒駅の乗り入れ設備を撤去とかはしてないよね?
であれば保安装置搭載よりはハードル低そうだと思うけど 相鉄からは保安装置を考慮しなければJRの直流電化区間へはどこまでも直通できることになるな
今の乗り入れを延長して、海老名→羽沢→武蔵小杉→新宿→川越→高麗川→八王子→橋本→海老名、の環状?運転も可能 >>86
メトロ13000は鷺沼に検査入庫するために東急線内も走行するから東急の保安装置にも対応してる
なので元町中華街から南栗橋までは問題なく走れる
でもホームドアの問題があるからなあ >>83 東急の車両やメトロ副都心線の車両はこれに加えて西武ATS、東武T-DATCにも対応
昔に比べてATS等保安装置が小型化されたから、5種類位のシステムにも対応できるようになったのだろうか。
先日引退した東京メトロ7000は運転室の後ろがほとんど機器で塞がれているのに、13000はそんなものないし。JR103のATC付きや小田急9000なども同様、前方見たい鉄オタ泣かせの車両だが。 >>57
海老名仕立小川町行も運用の都合でそうなったに過ぎない 普通電車だとやっぱり、「広セキ」の115系が三石まで来てたのとか、「金フイ」の419系が直江津まで来てたのが最長だろうか 民鉄で広域といえば名鉄だったが
首都圏でこれほどまでに大手各社間の相直がすすむと見劣りしてきた >>95
岐阜〜豊橋、は広域だな
しかし、県の数でいうと、
大阪、奈良、三重、愛知に跨って運用される近鉄に軍配が上がるかな
首都圏の私鉄相直も、4県以上に跨るのは無いような
東武の会津直通が例外か
JRだと上野東京/湘南新宿が、最大で5県跨ぎ運用してるな 上野東京ラインは最大6都県だろ
栃木、茨城、埼玉、東京、神奈川、静岡
ちなみに東武の会津直通は5都県な 近鉄だと旧大鉄車が養老線で余生を送ってると広域してるなあと感じる >>99に同意
近鉄の奥深さは距離感よりも様々な出自の車が一堂に会しているカオスぶりなところ
養老線では大鉄・伊勢電・吉野・養老・三交からの引継車が組成したり交換したりしていた時代があったようだ >>93 >>94
播州赤穂で瀬戸内色を見掛けた事があるし、
岡山→和気で2ドアのセキN編成に乗った
記憶があるわ。
わいも辛うじて国鉄を知ってる世代やけど、
あの頃はあまり運用に関心はなかった。
運用も凄かったと思うが転属も凄かったような。
地元、阪和線で短期間だけ走った
「485系くろしお」には盛アオの表記が残ってた。 大分の415系も、大分から小倉の日豊本線区間だけでなく、門司港、下関、博多、さらに先の熊本や、佐賀や佐世保まで広範囲の運用をしていたな 根室本線が来春で分断決定
かつての所要時間日本一はとうとう正式に再開不能になってしまった 全盛期の373系
今は飯田線と身延線と送り込みだけになってしまった >>105
災害後放置されていたから、多分そのまま廃止だろうとは思っていたけど、
日高本線同様になってしまったね。 >>103
本州側では小郡とか宇部新川までの運用もあったな 根室本線は当初は復旧させると明言してた
東鹿越まで復旧させてから急に態度が変わった 広島(しおじ)新大阪/大阪(雷鳥)富山(夜行臨時はくたか)上野(定期はくたか)金沢 東海道線の荷物列車に釧クシのマニが連結しているのを見たことがある。 新前橋(現:ぐんま)の211系
「湘南新宿ライン」発足当初は静岡寄りは小田原・逗子から、北関東寄りは
黒磯や現在も運用中の横川・桐生方面までかなりの広範囲で営業運用あった。
今思えば、これは現在のE231/E233系の沼津・伊東〜北関東スルー運転の
前身だよな。 九州が本拠の車両が何の因果か東北を走っていたんだねえ >>117
>>4の話だね。
当時の国鉄は労使紛争が酷かったから、平和だった早岐区に14系を配置した
ってのが真相だったはずだ >>113
上野駅で大ムコ野車両はレアだった。
一度行先表示器が故障してしまったようで「しおじ下関」の表示を見たのが懐かしく思い出される。 >>119
そりゃあなた、現場で車両を動かしてるのは組合員ですから 14系新造の頃だと、順法闘争やらスト権ストなど労使関係最悪の時代だしな
組合サマサマ く うき読めない
み んなのお荷物
あ んな組合
い ってよし 九州の組合、衰退の一途の運炭路線も抱えていたからか
特に激しかったみたいですね(松田さんの私の履歴書に載っていました)
そんな中でも門ハイは平和だったのですね 50.3頃気動車急行
新潟・・・新潟、秋田、盛岡、小牛田、水戸、長野
大阪・・・宮原 福知山 豊岡 米子 浜田 長野 美濃太田
京都・・・向日町 宮原 福知山 豊岡? 鳥取 米子 敦賀 長野 美濃太田 名古屋
(天鉄の車も入っていたかもしれん)
間違い、抜け落ちがあったらすまん >>128
大阪駅乗り入れDC急行に岡山、鳥取を追加
50.3当時、車体の汚さでは1,2位を競っていたのが岡オカと米トリの両区 新潟キハ58は急行越後で大阪に乗り入れていたな
1978年10月改正で特急格上げ
お役御免となった車両は普通列車に転用された >>130
それ長野車
急行越後、S46に昼行「ちくま」が「しなの」に格上げされる以前は「多分」新潟持ちだったが、
それ以降は長野+付属2両は宮原
長野(夜行ちくま)大阪(越後・ゆのくに)新潟・能登半島(越後・ゆのくに)大阪(夜行ちくま)長野
の順で運用
S53(1978).10、越後が特急格上げでちくまは客車化 広域運用の最大の欠点は災害等でダイヤが乱れたときに
運用調整が困難になること
新潟に乗り入れた急行あさひも2往復中のうちの1つは盛岡持ちということが
趣味誌にあった
車両キロ調整という理由もあるかもしれない
1980年代以降は取りやめることが多くなったようだ 災害はいつ起きるか分からないからね
止めて正解だね >>132
盛岡持ちのあさひは盛岡から三陸海岸沿いを回って仙台までいっていたからなあ
(当時の名古屋局で運用表を書き写させてもらったので覚えている)
仙台の滞在時間も大してなかったと思う
米坂線など、冬期遅延しやすそうな線区を通るのに、結構綱渡りしているなと感心した
名古屋局に新潟の運用表があったのは、赤倉が新潟から来ていたから参考資料?的にあったとのこと
当時書き写したものはどこかにあると思うが・・・