東京・九州ブルートレイン★136レ
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大阪人のくせに阪神タイガースファンっておかしくね?
オリックスファンになるべきだよな? スレ立てオツ。
食堂車営業廃止になって、一度も乗ってない。
最後に乗ってからもう30年以上経つなあ。 車両の経歴では、案外20系は長くなかったな!
最長で元祖あさかぜの20年足らずなので。
その後の24系25型の方が息が長かった。1976年〜2005年まで30年近くか!
トータルで一番長かったのは14系だなw
1972年のさくら・みずほから、2009年九州プルトレ全廃まで活躍したから、37年とは! 1968年10月の復刻時刻表を見て
すでには特急はやぶさと特急みずほが岐阜駅に停車していたのを知った
さくら号はまだ通過。 >>1
スレ建て乙
夜行列車総合スレがピリ付いてて居心地が悪いので
ここが復活して助かる >>7
さくらはみずほ廃止まで、岐阜はずっと通過してただろう。 >>10
しらさぎは最初から全列車停車してたけど、それはあるだろうね。京都や横浜より岐阜は都市規模が小さいし。
大宮でも、新幹線開業前の在来線特急の通過は程々あったし。 若干格落ちする特急であるしらさぎの停車意図は、高山線連絡だろうね。
大宮がそうだったように、速達特急や最上位の特急は通過だろう。 >>12
しらさぎの岐阜停車理由が、高山線連絡の理由はあまり関係なく、県庁所在地としての面子だろう。
新幹線開業前の151系特急も一部停車してたので、九州ブルトレの一部停車も必然。 自治体のメンツ保障のために速達性が損なわれるのは非常に嘆かわしい >>14
それを言ったら、新幹線駅にもっと酷い駅があるだろう >>14
某寺本氏なら特急列車の格が云々と言うだろう >>4
因みに上野口の東北ブルトレは、24系なら1976年のゆうづる投入から2014年のあけぼの廃止まで38年間だな。
北斗星を加えたら39年。 昔B寝台の通路に下車しようとした客が一斉に入ってきて車体が傾いた事象なかったか? しらさぎ号は名古屋⇔米原⇔富山なので
高山本線の駅ならはじめから急行のりくらや特級ひだ
名古屋⇔富山(⇔一部金沢方面)に乗るのでは。 あと循環運転の
名古屋⇔米原⇔富山⇔高山⇔岐阜⇔名古屋
急行こがね,しろがねが有った >>24
客車の音っていいな。DF50で涙が出てきた。 >>14
新幹線より遅いのは確定なんだから岐阜、大垣に停めて集客した方が良いわな >>27
それを言うと富士や沼津にもっと停めろとか、草津や近江八幡などにも停めろということになる。 >>28
そんなこと言われてもそれはものには限度ってものがあってな >>29
岐阜、大垣でどの程度利用あるか?がある。
大垣はしらさぎ程度しか特急は停まらないし。
岐阜は、はやぶさとみずほの利用者がどのくらいあったか? 9001レもしくは9002レに乗った人います?
列車終盤に、たしか500円で車掌が売ってた
しおり付きの円形ピンバッジ、
タダで配ったって書いてるツイートがあるけど
そうだったっけ?
支払った記憶があるんだけどな。。 JR化後の「はやぶさ」東京→西鹿児島。
食堂車の画像がないのが残念だけど、作成者は食堂車に行かなかったか?
https://youtu.be/Fgxdsli2x48 東京-熊本間で『はやぶさ』をフォローする『みずほ』の様に
東京-大分間で『富士』をフォローする『富士2号』が無かったのが悔やまれる。 そういえば『富士』だけ東京-九州ブルトレの中で仲間外れなんだよな。
・列車名が漢字
・博多を通らない
・日豊本線を走行
名前だけでも平仮名にして大分と宮崎に因んで『おおみや』とでもすればベストなんだもんッ!
なお男性乗客は全員、延岡名物・去勢の刑の処す。 >>43
他に富士が他の東京九州ブルトレと違う要素はC62はじめ蒸気機関車とEF58牽引時代がなかったこと
1964年10月改正で山陽本線全線電化したのと同時に設定されたからね 所謂「下関あさかぜ」を大分まで延長すれば『富士』のアシストになったのにな 寝台特急としての富士の名前は、151系昼行特急から持ってきたものだし、
漢字という他に、後年はヘッドマークの形状まで特異だった
他の寝台特急とはいろいろ事情が異なるんだよな
個人的には丸いヘッドマークのほうが好きだけど でも「みずほ」も仲間はずれにならないか?
・運転区間が「さくら」「はやぶさ」とダブっていた。
・食堂車廃止が他の九州ブルトレより早い。
・食堂車が一時ビュッフェ扱いだった。
・20系化が他より遅かった。 >>45
下関「あさかぜ」が、急行「安芸」の格上げ・延長だから、それはないだろう。 >>47
ただホラ。
最後まで残った所謂「ふじぶさ」が元祖『みずほ』のルートだったから。
そういう意味でも仲間だろ? >>49
その前の「さくぶさ」でも同じルートと言えるけど、そうすると「みずほ」は
所詮あってもなくてもいい存在とも言える。
「富士」は日豊本線を行く、唯一の存在価値はあったけど。 戦後の九州特急設定時、急行「さつま」スジ格上げが「はやぶさ」と命名され
新設の長崎行特急は「さちかぜ(→平和→さくら)」となった
1.後者を最初から「富士」と命名しておけばよかった
2.二度目の改名時に「富士」と命名されていれば以下略
1と2どちらもまだその段階では、戦前由来の「列車名の格」で忌避温存された
それが本来の本筋ではない日豊経由に命名されてしまうという腸捻転を招いた。 富士と櫻(さくら)が温存されていたわけだが、
登場時の担当者&部署は
当然ながら戦前期から既に勤めており
列車名の格的な部分はよく解っている
両者なら先ずさくらを採ったのは順当だったろう。 >>50
すげえ個人的だけど、それ納得できる
九州特急で「みずほ」だけは乗らなかった。
だって、さくらの補完列車でモノクラスだったでしょ
趣味で乗るのだからロネに揺られたかったので。
(厨房時代からすでに阿房列車のセンスw)
あと九州特急ではないが東京発着ブルトレは
出雲だけ乗らなかった。 >>53
> だって、さくらの補完列車でモノクラスだったでしょ
熊本編成のロネ+長崎編成のヒルネ
でも乗れたけどな >>52
さくらは1951年から東京-大阪の臨時特急に使われてたから温存なんてされてないぞ (鉄ピク1973-10(284)寺本光照氏)
『みずほ』から分離した東京〜大分の特急の愛称は
当初『しおかぜ』が予定されていたという。 あさかぜとしおかぜは平仮名で書くと特になんでも無いが
漢字で書くとよく似ている 西村京太郎氏死去
寝台列車のトラベルミステリーはもう「昔の話」なんだな。 大宮工場の職員が改造中のスシ24に爆弾を仕込むというストーリーだったのを契機に買うのも読むのも止めたわ 『さくら』『みずほ』『はやぶさ』は新幹線に名前使われてるが
『富士』はJR東海がリニアに使うつもりらしい、という噂があるが
どうなるんだろう? 昔から言われている。
きのう書き込みたかったが間に合わなかったw 貨物のスーパーライナーの東京〜梅田の表定速度79.3km/hってみずほの77km/h凌駕してすげぇ!と思ったが、九州ブルトレも東京〜大阪はそれくらいか。 『はやぶさ』の長崎行を『みずほ』に変更したのは何故なんだろ?
それぞれ20系から形式を変える際に『はやぶさ』を14系、『みずほ』を24系で変えれば余計な変更もせずに済んだのに。 はやぶさを西鹿児島まで運用するためには最低3本必要、が何かしらの理由かな?…知らんけど。 そりゃ終点までに2回すれ違うから
トワイライトエクスプレスもフル運用だと2回すれ違った 24系25型時代、
富士とはやぶさが付属編成こみ全3編成で共通運用
そこにあさかぜが入り込んでなかったっけ? あ、数が足りんかな?w
でも、富士はやぶさにあさかぜの運用突っ込んでたよね? >>66
ロビーカー連結前、オシ24が白帯の頃は、博多あさかぜ、はやぶさ、富士、米子・出雲が同一編成だった筈。
ま出雲だけは付属編成7両の内、東京寄りの2両を外しての運用だったが。 >>63
東京と熊本・長崎・佐世保なら距離が同じくらいだから車両のやりくりも有る程度、共通のローテーションが組めるが、
そこに距離が長い西鹿児島折り返しが入るとそのローテが複雑になるからかな?
全部20系だった頃はそれでもそういうの気にしなくても良かったんだろうけど形式が違うとね。 サンライズが老朽化して廃車にする時に、あさかぜを寝台新幹線として復活させたらどうか?
停車駅は
東京−品川−新横浜−静岡−名古屋−米原−京都−新大阪
−新神戸−西明石−姫路−岡山−福山−広島−新山口−小倉−博多
東京21:50発(サンライズと同じ)
米原24:00着
騒音対策のため150キロ程度で走行
新大阪で長時間停車
騒音対策のため150キロ程度で走行
姫路6:00発(サンライズより30分遅くまで寝れる)
博多8:10着
座席車も併結し、座席車は新大阪前後で分けて指定席を発売、初電、終電を兼ねる。
東京−博多はあさかぜより6時間スピードアップで、使い易い時間に!
サンライズよりやや早いぐらいの時間に岡山到着
保守時間の確保が問題なら、運休日を設ければ良かろう。 ↑こんな下らないことを書いてる暇があるならとっとと寝たらいいのに >>70
航空+ビジネスホテルよりも高ければ経営上無意味。 >>63
「はやぶさ」の20系末期時代は、新大阪〜西鹿児島・長崎の「あかつき」にも運用してた。
その当時までは20系の弾力的運用もあり、14系はある程度試行錯誤だった。
もっとも当時関西発着の14系でも、「あかつき」の長崎・佐世保行とか「あかつき・彗星」
の14系本領の運用はあったけど。 >>76
もし現在走っていても、B寝台利用で片道2万円超えではな。
JALやANAの羽田〜福岡も、数日前購入で1万円台が見当たるし。
いずれにせよ、東京〜九州ブルトレは食堂車廃止と、スカイマーク就航時の航空が価格破壊して命運が絶たれた。 ところで、全盛期でも寝台特急って採算取れてたんかねえ?
3段寝台でも1両に乗れるのは50人程度だよね
それに加え寝台設備のために掛かるコストもある
深夜に走ることで保守業務の効率も落ちるだろう >>78
採算性は捉えてなかっただろう。人員合理化には当時の国労・動労がうるさかった。
寝台セット・解体する車掌補もかなりいたし、20系ならドアの開閉にも人員を要した。
九州ブルトレなら、国鉄末期〜JR化頃と比べて2倍から3倍の乗務員がいたような。 78
現在の価値観、もしくは貴方個人あるいは貴方の世代での価値観のままで
当時を捉えるのはよくないねえ。 まぁ、50年前は出張族が大挙して乗ってたからな
一番の転機は、例の5割増
前後も含めると、数年で倍以上
大衆の味方から、贅沢品に
そりゃあ、航空+ビジホに移行するわけだ >>78
1970年代後半に国鉄が寝台列車の採算を試算したところ、どうやっても大赤字になるのが判明して夜行列車全廃論まで国会に出された 寝台利用人員のピークは山陽新幹線博多開業直前の1974年
当時はマル生運動の失敗で職場が最も荒廃していた頃で、翌1975年11月26日〜12月3日にかけては国労と動労がスト権ストを打っている
そして寝台料金は1975年11月と1976年11月に2回価格が改定され、それまでのほぼ倍に値上げとなった
ttp://twitter.com/featherprovince/status/1201508321926139913
@team185
運輸政務次官が誰かが「国鉄赤字改善のため夜行列車全廃」って言いだしたのはいつだったかと思い出したら昭和54年だった。
当人はハッパをかけた程度の発言だったのだろうけど。
ttp://pbs.twimg.com/media/EKybixoU0AArwdf.jpg
@featherprovince
54年ならもう寝台利用人員がピーク時から半減してますね。
夜行とイコールではないにせよ、東北・上越の新幹線開業も控えてそういう話が出てくるのは自然なことでしょうか。
@featherprovince
国鉄末期に夜行列車の将来は予見できたか?というと難しい問題ではあるけど、
さしあたり当時がどんな状況だったかということで寝台列車の利用人員推移を。
データは成山堂書店『日本国有鉄道 民営化に至る15年』より。
ttp://pbs.twimg.com/media/DaMaNdmVwAAW3nh.jpg
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>62
EF66牽引で国鉄末期の、最もスジが立ってた頃の寝台特急『みずほ』は、
東京17:05発→大阪00:46着の6時間41分運転だったので、平均速度は約82.3Km/hだった。
これは『さくら』、『みずほ』や、下関『あさかぜ』のような定数51未満の軽い列車なら、
高速域の加速が全然トロいEF65でも、全力運転すれば代走出来たので、
牽引機をEF66限定にして、EF65の代走を想定しない速度種別に設定すれば、
151系の特急『こだま』同様、6時間30程度に短縮できたはず。 意味あるよ。
観光客向けのクルーズトレインではない、定期列車だし。 >>84
訂正。
正しくは、東京発⒙:05。 >>86
ここのスレに該当する列車だと意味がないであってると思う
例えば東京-下関で30分所要時間が短くなったとしても結局乗客は増えなかっただろう 寝台列車で所要時間が7時間を切るやつには乗りたくないなぁ
寝る前と起きた後の細々したこと考えると、寝不足になる EF66を使って120キロ運転に挑戦して欲しかった
軌道を傷めるので特甲線規格の東海道線東京~神戸間に限られそうだが EF510のように、EF210かEF200牽引の列車も観たかった >>84
国鉄末期の時刻表を持ってるが、牽引定数51の「みずほ」は東京ー大阪間6駅停車で、
所要時間6時間41分、表定速度は約83.2Km/hだな。
同じく同区間で牽引定数55の「はやぶさ」は、6駅停車で6時間44分、表定が約82.6Km/h。
同じく同区間で牽引定数51の「さくら」は、7駅停車で6時間44分、表定が約82.6Km/h。
なので、6駅停車の「みずほ」が最速だが、7駅停車で3分差で走破する「さくら」が、
最もぶっ飛ばす列車だな。 >>90
国鉄時代のEF65牽引の「みずほ」は、東京17:00→下関08:13で、所要時間15時間13分。
国鉄末期のEF66牽引の「みずほ」は、東京18:05→下関08:06で、所要時間14時間01分。
東京-下関間で、EF66はEF65時代と比べて、1時間13分も所要時間を短縮しているぞ。
でも結局乗客が増えなかったのは、羽田ー福岡の航空運賃が各種割引等もあって割安になったのが理由。 >>93
EF66-100番台のブルトレがあってもよかったのに
ヘッドマークステーを取り付ける穴を有する車両があったが実現しなかった >>91
だから自分は「つるぎ」は乗らなかった。
大阪市内の人間なのでいつでも乗れたが、やっぱりそうだよねえ。
いまでも「乗れなかった。。」とは思わない
そのかわり「きたぐに」は元号が昭和の頃から乗ってる まあでも「北陸」はよく乗ったなあ。シンデラがあったからね。
個人的には「モノクラス」「短距離×モノクラス」が食指がなかった。
「瀬戸」も岡山からちょびっと南下して終点、ってので乗らなかった 俺は横浜民なので、大阪−横浜の夜行移動は銀河がよく眠れて一番よかった。
今のサンライズも時々利用するが、横浜までだと所要時間が短すぎて、
大阪でしこたま飲んで爆睡すると、いつも目覚めるのは六郷鉄橋を渡る時の轟音だ。 ああ、「銀河」を出してくるなら、俺も銀河は別格ですわ。
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