【おおぞら】キハ80系を語るスレ 3D【かもめ】
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京都→長崎を走った80系「かもめ」は、3D時代が長かった。 >>452
151系や153系は東海道本線くらいしか長距離電化区間がない時代の産物
キハ82は全国に特急網を構築するための車両
そりゃあ勾配に強いのはキハ82だわな >>452
181系になって補機解消だが、全車181系になるまで付けていた筈
なお、特急電車は勾配+カーブに案外弱い
中央西線の「しなの」が、シミュレートでは、181系では気動車と電車ではほとんど所要時間が変わらなかったとか。
電車の場合、勾配曲線区間ではノッチのオンオフを繰り返す「のこぎり運転」になりがちになる
そのために速度が下がってからノッチオンするので、スピードは上がりきらない
気動車の場合、5ノッチの連続に注意すれば、それなりに上がりきる
なお、気動車の勾配への実力は、キハ55>キハ58>キハ82 (勾配の程度にもよるが)
以上、石井幸孝氏の「入門鉄道車両」(ちっとも入門ではない)にこのようなことが書いてある
長々すまん 今朝、「新日本紀行」の「尾道」(1968)で、
空撮から尾道駅に接近する下り列車がキハ82先頭のキハ80系だったけど、
どの列車だったんだろう
熊本以南、大分以南、長崎本線はまだ非電化の頃だから
かもめ、いそかぜ、あたりかな
ヨン・サン・トオの前みたいだったから、なは、日向、はまだだったみたい キハ44000でやったスーパーチャージャー試験をキハ80系でもやってたらどうなっていたか キハ17←キハ45000だろ
でも、DMF17の改良は基礎技術力が低い時代に行われたため、排気周りの廃熱量を計算していないため改良せず、後年の5分5ノッチにつながった
だから、ターボチャージャーを付けても同一気圧における排気量すなわち排熱量が増大しているから、5ノッチ可能時間は5分を下回った
むしろ、端的な表現でDD13から運転制御装置を撤去して、読替装置を付けた100km/h運転化可能なブースター車両を連結した方がよいと思う
車両端は両側ラジエターの中央通路、車両中央はエンジンをやや片側にずらして反対側を通路
食堂車と普通車の間に繋いでおけば、そこそこ行き来があるから死角にはならない >>457
尾道駅に停車なら「かもめ」が濃厚だけど、通過なら「いそかぜ」かもしれない。 DMH17にターボを付けたら5ノッチ2分になってしまいそうだな
輸出用でターボ付きのDMH17HSがあったが平坦路線でしか使えなかったはず 小5のとき特急ひだがキハ80系との出会い
ようやく設定された禁煙車に乗れてもなぜか鼻先を漂うヤニ臭が消えなかった思い出
父親はタバコ吸わず、ヤニ臭に対する免疫がない家庭に育ったので、喘息持ちには辛い空間だった 座席がリクライニングしない上に背面化粧板とかチャチだな
485系は同一形状だが背面もモケット張り
日よけもロールカーテンだし気動車は予算が抑えられてたのが伺える
JR東海は転換クロスシートに交換したとか意味不明改造してた >>464
特急南紀
転換クロス・最高速度100km/h・要特急料金
快速みえの一部
新幹線余剰の簡易リクライニング・最高速度110km/h・料金不要(一部要指定席料金)
完全に逆転現象だが、既にキハ80系の命運は見えていたのでそのまま・・・ >>466
その台車は廃車したキハ82系からの流用というのは内緒か? >>466
その台車は廃車したキハ82系からの流用というのは内緒か? >>468
まあ内緒でもなんでもないけどな
更に付け加えれば
南紀・・・所定で2M2m(2エンジン車と1エンジン車の比率が1:1)という鈍足編成
みえの速いやつ・・・オールM、どころか、キハ58は350Ps×2というバケモノ
JR東海は元々長く使うつもりは無かったろうから、あえて放置か 快速みえ
キハ28-キハ58
急行かすが
キハ65-キハ58 >>464
キハ80系は北海道でしか乗ったことがなかったので、名古屋駅で“ひだ”の車内を
見て唖然としました。何で転換クロスになったの?
シートバックテーブルがあると車内で飲み食いするのに都合がいいのに…。
>>470
> 快速みえ
> キハ28-キハ58
キハ28の入る編成もあったのですか? >>472
80系は国鉄分割民営化当時であと数年の寿命で、85系の新車投入計画が既にあったから、
シートは最小限の改良で、当時快速で主力だった117系に合わせたのでは?
あの転換クロスも、当時国鉄のマイナスイメージから脱却の意味合いがあった。
快速みえはキハ28も入っていた。 リゾートライナーがキハ58併結で運転してたのはエンジンの老朽化が原因というデマがあるが車重が重くてキハ82一般車と同一スジで走れなかったため
せめて1エンジン車はカミンズエンジンを250PSにデチューンして換装しても良かったはず 北海道のキハ80系。これはイラスト入りになる直前だな。
https://youtu.be/kKfRhN9VeRs >>476
パワー/ウェイトレシオではキハ80系よりもキハ58系のほうが勝ってるんだよね JRマークを付けたキハ81が見たかった
70年代に全廃されてる
キハ82は少数が北海道と東海に承継された >>477
更に勝っているのがキハ55系
中央西線の急行はキハ55からキハ58になって、所要時間が延びたという
>>478
Mm比(2エンジン車と1エンジン車の割合)が同一の場合、ってことでしょ
紀勢線「南紀」の最晩年、キハ80系でMm比が1:1になって所要時間がかなり延びた
急行並みかそれ以下じゃなかったかな 更に一部は機関換装と足回り強化による最高速度110km/h化で追い打ちをかけていたな…怪速みえ >>483
キハ80系
・・・・117系並の転換クロスシート
快速みえ機関換装車及び急行かすが
・・・・新幹線から転用の簡易リクライニング 転換クロスだと背面テーブルが無くなる
意味不明な改造してたとか異常
登場時の185系並みのアコモに低下してる 1M2mで走行した事例はないな
キハ181系は3両で走った事がある >>485
185系登場から5年しか経ってない時代の話だからな JR北海道はリクライニング化したとか正反対の改造してる
しかし一般車両はJR北海道が先に廃車になってる
東海のやつはナゴヤ球場正門前駅の輸送で95年まで生き延びた >>489
キハ80系については、美濃太田所属は少なくとも特急運用時代はなかった。 キハ58はキハ28を適当に混ぜないと冷房できないんだったかな。 東海のキハ82系のJRマークはオレンジのと白の二通りが居たね >>488
北海道のキハ80系のリクライニング化は、定期列車運用がすべてなくなって、
臨時運用に入れる際に改造したんもの。
定期運用の際のアコモ改良は、茶色の壁・茶色のモケットの回転シートというもの。 東海はキロ80が承継されてるが北海道は民営化時点で定期運用が無くなってて波動用で普通車とキシのみだった
キシを承継した理由が謎
1両がトマサホに改造されたが残り2両は放置プレイだった >>496
フラノエクスプレスか、他のリゾート気動車に連結する計画があったのでは?
北海道は他に583系も、何も手を加えず廃車したし。 仮にもし北海道でキロが承継されたとしてもジョイフルトレインしか使い道が無くて放置プレイだっただろうな
波動用と割り切ってモノクラスになってた >>497
北海道のサシ581は客車に改造する計画があったとか言われてるが冷房装置がパンタグラフ折り畳み高さまで突出してるので入線可能線区が限定される >>496
80系は回路をキシまたはキロで、クロスさせるので、キシも残しておいたのでは。
言い方も正確ではないとは思うが。 >>500
先頭車を両渡りにすることでモノクラス可能にしてる キハ82の機器室を通り抜けた人いる?音とかどうだったかな。 キハ82の写真見ると乗務員ドアの窓を開けっ放しで走行してること多いな ラジエーターが収まらなくて苦肉の策で床上に置いてたな
キハ181・183初期も同様
完全に床下に収めて客室化したのはキハ183Nから JR東海車は晩年2M2mで走行する事が多く出力でキハ58・65に劣ってたな
挙句の果てには快速みえに下剋上される有様
一般車では1M2mがシステム上可能な最小構成だがこれで走った事例を聞いた事が無く非常に遅くなる >>497
台車だけ、クリスタルエクスプレストマム&サホロのキサロハ182になった。 あすかの場合運転系統的に失敗だったが
へいわの場合は電化までの中継ぎだから黒歴史じゃないでしょ >>510
運転系統、時間帯もそうだしあすかが走る時間帯に関西線内でかすがが並行して走ってたからそりゃ人気もないよな
もう1往復名古屋を朝方発車する列車を設定して天王寺や湊町に行ってたら名阪間需要を取り込めてた気がする >>511
80系にちりんと共通運用で回していた。
にちりん全面電車化で廃止。
つばさが181系気動車時代に存在したあおばと同じようなもので、失敗とは言えない。 >>513
確かににちりんの間合いだけど、えびの1往復を格上げしたものの、変速機が高速向けだから肥薩線の勾配はキツく、高い金払わせてるのに所要時間はそれほど上がらなかったはずだから個人的には失敗と思ってる。
当時は全国各地で特急格上げが進む中、廃止後に同区間は急行のみとなるってことは、試験的に間合いで特急化したものの需要があまり望めなかったってことでもあるだろうし。
逆に需要があったとしたら国鉄お得意の全国転配をしてでも格上げによる増収を図ろうとするのでは? >>514
博多〜都城・宮崎では、にちりんより距離や所用時間の点があっただろう。
矢岳越えの遅さは、八代〜宮崎の特定特急券で利用促進したし。
そのせいか利用はそれなりにあった。
200キロ以上を特定特急区間にして、特急を安売りが失敗だったと言えばそれまでだが、紀州東海岸を行く特急南紀も、遅さは似たような感じだったし。 >>512
近鉄に勝てないでしょ
その近鉄も名阪甲特急が乗客減少で2両で走ってた時代 1975年2月 特急おおよど 博多−宮崎 下り6時間21分 上り6時間8分
1975年2月 特急にちりん 博多−宮崎 下り6時間27分、6時間32分 上り6時間21分、6時間30分
にちりんは、所要時間の短いほうが電車、長いほうが気動車 >>517
日豊本線の単線区間が長いのもあって、485系も80系気動車も大して所要時間が変わらなかったな。
その当時存在した、485系電車化して1年足らずで廃止になった特急「日向」も、
所要時間は80系気動車時代と差がなかったと言われている。
1ヶ月後に新幹線博多開業してエル特急になった「にちりん」も、大差ない所要時間だった? 1975年4月 特急にちりん 博多−宮崎
下り6時間35分、6時間48分、6時間42分、6時間37分、6時間37分
上り6時間31分、6時間38分、6時間35分、6時間31分、6時間36分 こういうの見ると、昭和30年代って、ものすごいスピードで技術が進歩してたんだなって 三岐鉄道にもかつてキハ81、キハ82という形式があって、しかも関西本線に乗り入れてたらしい
国鉄のキハ81やキハ82と交差することはあったのかな? >>522 戦後、アメリカから入ってきた溶接や生産管理等の先進技術が普及したことが原因。エンジン含め、基本的な技術は戦前から戦時中にかけて開発されていた。ただ、当時は物資不足と生産技術が貧弱だったため、量産できなかった。
ステンレス車にしても、米国で戦前に開発されている。 >>521
そちらは電車特急だがいしかりも「いしかりがっかり」と呼ばれてたな
やはり「かり」で終わる愛称は不幸ばっかりだな 81系の「はつかりがっかり」ばかりが取り沙汰されるが、82系の「瀕死の白鳥」の事も偶には思い出して下され >>527
北陸本線が柳ヶ瀬経由だったころの旧線でキハ80系「白鳥」が車両故障を起こして、
C57に牽引されたとか >>528
北陸トンネルが翌年6月に開通したから、杉津峠越えの白鳥は1年足らずだったな 80系のはつかりとか白鳥っていうと、経路が災害等でダメになった時に
はつかりは花輪線~奥羽本線~五能線経由、白鳥は高山本線経由で運転したこともあるんだよね
特急の重要性とか災害時対応のマニュアルの違いとか
今とは色々事情が異なるのは分かってるつもりだけど、それでも凄いことしてたんだなと思う >>530
その他、キハ80系の「白鳥」は五能線や小浜線・舞鶴線・山陰本線経由で迂回運転されたこともあった >>531
気動車ならではの、線路があればどこでも迂回できる機動力だけど、そんな迂回運転すると、実質夜行列車にならなかった? >>527
「瀕死の」ははつかりも「瀕死のはつかり」と取り上げたメディアもあったよ ヘッドマークが絵入りになった時でも、まだ少数走っていましたね
北海、北斗、オホーツク、おおぞら、おおとり
それぞれ1往復だけでしたが、撮ることは出来ました
美しい印象ばかりです キハ81の開発にあたって、たしか前頭部(ボンネット先端から運転台後部あたりまで)の、ひとのアタマ2個分くらいの大きさの塗装済みのモックアップのモノクロ写真をなにかで見た記憶があるんですが、当該モックアップの写真が掲載されている文献もしくはサイトを御存知のかたはいらっしゃいませんか
いま探しているんですが、なにで見たのかが思い出せなくて >>530 災害による緊急時とはいえ、行き当たりばったりで事前テストもなく五能線などのローカル線走らせたのだろうか。自重、全高等、キハ55とあまり変わらないから、入線可能と判断されてたのだろうか。 >>536 自己レス、Wikiでキハ80とキハ55の寸法比較してみたが、ほとんど変わらない。
全高でキハ80の方が2p高いだけ。高運転台、裾絞りの外観に捉われていた。 当時はそのへん結構雑だったのかもしれない
キハ10系の銚子電鉄乗り入れ運用にキハ20入れたら観音駅で車体がホームこすって
以降直通やめたなんて話もあったりするし…… >>535
自分も見た記憶がありいろいろ探してみたら鉄道ファンNo.180(1976年4月号)の
「ディーゼル特急"はつかり"の登場」という記事にモックアップのモノクロ写真が
載っていたが、これかな?
>>536
昔の国鉄は迂回ダイヤを常に用意していたそうで、はつかりや白鳥の話じゃないが
石北線過去スレにおおぞらの池北線ルート、おおとりの名寄線ルート等の迂回ダイヤを
駅で見せてもらった人の書き込みがあったな。(なんとも羨ましい・・・)
入線テストがあったかは知らないが、行き当たりばったりではなかったようだ。 祖父が学生の頃、まだ急行だった『日本海』で北海道に向かう際、
秋田の手前くらいでなんらかの災害が発生して奥羽線が不通となり五能線経由に臨時変更
但し五能線の規格、五能線に入れる機関車の牽引力、カーブの関係などで『日本海』の編成から半分くらいの客車が減じられたと言っていた
80系『白鳥』五能線経由の様に、気動車特急がローカル線経由に変更になった場合、同じ様に減車されたりする場合もあっただろうか?
10両編成くらいだったらキロ・キシの他とキハ80の4両くらいを抜き取るとか 8620やDF50だったら日本海の通常編成で問題ないと思うけどな >>540
客車と違ってキハ80系の中間車抜き差しでの減車は無さそうかなぁ。
減車するなら基本7両のみで行く感じだったんじゃない? ありがとうございます!
いくら探してもなかなか見つからなくて困っておりました
こだま形のような前頭形状からキハ81のあのデザインに至るきっかけについてちょっと考えてみたくなり、必死に探し回っておりました
御回答、感謝申し上げます!! >>539 さん
追記、ナンバーの書き忘れ、たいへん失礼いたしました
深謝 白鳥の五能線迂回は1963年と1966年の2回
1963年の時はそもそも青森白鳥は6両編成、1966年の時ははくたか分離後で新潟折返し編成のあった時代で10両
これだったらそのまま五能線に入れるでしょ 五能線の各駅交換長は一部駅で160mがあるけどだいたい240m以上
だから、10両編成までならほとんどそのまま入れる
交換長を越える編成を通過させる場合、
交換長を越える編成は機外停止させて、先に交換する有効長内の列車を駅へ進入させて停車させ、その後で交換長を越える編成が駅進入→出発 南紀で晩年のキハ82系を扱っていた名古屋工場の検修のインタビューやルポの載った当時の雑誌ないかな?今ならイカロス辺りが取材してそう。 故障が連続したからってしんぶんにまで叩かれるなんて不運だな >>550
当時としては20系客車、151系こだま型に続き、期待が大きかったのだろう。
それらを踏まえて改良したキハ82が、故障が少なかったのも結果的に収穫だった。 >>545-546
編成が逆になってしまうが、青森のデルタ線でも使って直したか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています