【おおぞら】キハ80系を語るスレ 3D【かもめ】
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京都→長崎を走った80系「かもめ」は、3D時代が長かった。 ほれ
https://dotup.org/uploda/dotup.org2399590.jpg
特急「くろしお」 名古屋―八田(近鉄烏森―八田)
1970年か1971年
珍車と再確認したのはスキャンしてから S45(1970).9.22に902(元キロ80 5)が鹿児島から和歌山へ転属されている 博多「まつかぜ」1・4号が米子発着に変更されてキハ181系に置き換え後、
向日町運転所で用途廃止となった「まつかぜ」用のキハ80系の一部が
名古屋第一機関区と函館運転所へ転属したが、これらの転属車の中にはキシ80も含まれていて、
函館運転所で状態の悪かったキシ80が向日町から転属してきたキシ80と
置き換えられて昭和61年11月の国鉄ダイヤ改正直前まで使用されていたな >>240
ひたちにサロ481の普通車格下げもなかった?
あと、九州にはボンクロの格下げ車。 キハ82 901-キハ80 901-キロ80-キハ82 902
狭窓編成w キハ82のヘッドライトの周りがグレーなのとクリームなのがあるんだが、どういった違いからなんだろう? >>247
それ前スレでも指摘してた人がいたけど
特に話が広がらないで終わってる ヘッドライトと標識灯の各レンズカバー枠のことか
あれ、国鉄時代はほぼ末期まで北海道とそれ以外は違う
北海道:鋼製で塗装あり。レンズ部径が本州のに比べて若干狭い
本州:たしかアルミで塗装なし
だから、本州と北海道を行き来したのは転入してから数か月間はカバーが転出前地区のものが付いていたりする
ほぼ使われなくなった標識灯側はもっとひどく、北海道→本州転配車は要検まで交換されないこともあった >>249
詳細にありがとうございます
北海道と本州で違いがあったのですね 気動車特急は非電化区間を主に走るから、思いがけない駅で蒸機と出逢ったり…
キハ80系の時代には、まだそんな楽しみがあった。 また単線区間を多く走ったから、思いがけない列車交換もあったな。 タブレット授受のシーンは電車特急にはない魅力ですね >>253
しかしそれもあって表定速度が伸びず、特急なのに50〜60キロ台が大半だった。 天下の東北本線も電化前は腕木信号機にタブレットだったからね。 山陰本線や宮津線などでも、信号機が自動信号化される前は、キハ80系特急「まつかぜ」や
「あさしお」などは駅での列車交換の時はタブレットを授受していたな キハ80やキハ181全盛期は交換駅でのタイムロスを改善する考え無かったよな
直線部やカーブでの高速化で手一杯だった
1線スルー化はJRになってから >>257 一線スルー化するには、CTCとスルー線に入っている列車がどちらの方向に向かうのか識別できる信号装置が必要なんでは?
もしくは数十キロに渡り特定方向に進む優等列車完全優先、というダイヤにするか。その優等列車が遅れても、反対方向に進む列車は各駅で待機。高密度運転だと列車識別装置なければ難しいんではないかなあ >>258
高山本線は100キロ走行可能な大型の両開き分岐器に変えたが緩和曲線が無くて大きく横揺れする
行き違いする普通列車がホームがコロコロ変わって旅客案内が混乱するのを回避したか? >>257
その1線スルーを急行時代にやってのけたのが四国の予讃線(松山より高松側だけだったと思う)
昭和34年から数年間で 長距離運行の特急かもめや白鳥とかで、編成中何両かガス欠とかあったのかな?
当時は弛み国鉄だったしw >>261 キハ80でそんな話、聞いたことがない。 主要駅には給水ホースと燃料給油設備くらいはあったはず 無給油で見込み走行距離2000km位のはず
その気になれば東京〜西鹿児島を無給油走行できる 実際「白鳥」は方向転換する新潟で給油いていたのでは?
「かもめ」も広島か、小倉で給油してたとか? キハ80のひたち・いなほ運用で秋田から新津廻り上野折り返しで平まで無給油で走っていたんだし・・ >>266
40-10以降は新潟経由になった
但し客乗せたまま給油してたか否かは知らん 客乗せたまま給油しないし、主要駅に給油設備なんかないだろ
ローカルじゃないんだから 停車時間考えたら燃料タンク一個づつ給油とか無理だからなあ
走行用エンジン24台分の燃料タンクに一斉に給油しないといけない
それでも5分じゃ到底無理 手持ちのRJによると、80系が無給油で走れる距離は1000〜1100kmで、
かもめは長崎、なはは鹿児島、おおぞらは釧路、おおとりは釧路と網走で
給油していたようだ。白鳥も途中で給油せず青森で給油だろうな。 そもそもディーゼル特急の開発過程で大阪-青森の特急は想定済みだろ?
だったらそれに合わせて燃料タンクの容量決めるわな >>269 米沢駅構内には気動車用給油設備があるが、ここは奥羽本線が標準軌化されたという特殊事情があるからなあ。 トワイライトEXPみたく長時間足止め食らったらどうなる?
走らなければ燃料の消費はわずかか >>274 そのような場合には、タンクローリーに来てもらって給油することもあるが。
高山本線が豪雨で寸断され、部分運行再開で高山駅にいた車両を走らせたときはこの方法で給油した。
2005年、盛岡で給油するのを忘れて釜石線内でキハ110がガス欠したときも同様。 >>270
F1のピット作業みたいに人海戦術になるよな
自動車と違って燃料タンクが巨大なので満タンにするのに異様に時間が掛かる 白鳥のような片道8時間以上の長距離走行ならともかく、片道5時間位の名古屋、金沢間ひだのようなそれほどの長距離でない運用でも、燃料タンク満タンにしてたのだろうか?
ひだの場合、金沢発の往復で名古屋に三時間いるから、この間に機関区で整備して給油できるだろうし。
満タンにすると車両が重くなり燃費低下するし、条件が許せば満タン避けるのではないかと思うのだが。 この列車は、特別急行白鳥、青森行きです。
すいません、ガス欠しました。
てへぺろ(・ω<) >>276
鉄道に携わる仕事しているけど、水タンクでも満タンにするのに時間がかかる。 水は駅でいれてたな。あのホースなんだろうと思ってた
どこにでもあったのにな、あのホース >>277
一度仕業表を見て「水」、「油」などの表記がどこに書いてあるか知ったほうがいいよ >>281
配置区などでは、省略していると思われる場合がある 昭和49〜53年頃の北斗下り1号・上り3号は札サウ持ちだったとは驚いた
…てっきりおおぞら(併結の釧路編成)・おおとりとの共通運用で函ハコ持ちだと思ってた オイルショックの時が大変だったのでは?
燃料代押し上げて経費が嵩んで赤字になってた?
鉄道車両は免税軽油なので自動車とは違い軽油引取税は課されない >>285
そういえば、当時オホーツクと同じ編成だったな >そういえば、当時オホーツクと同じ編成だったな
同じ札転の7両編成なのに北斗1-3号は1〜7号車、オホーツクは4〜10号車だったな。 >>286
〜では?キチガイ
流れを読まないから嫌い >>290
当時の札転の受持ちは基本編成のみで北斗2・2号、3・1号の基本編成も4〜10号車だったが、
函運持ちの1〜3号車を増結する2・2号、3・1号はともかく、1・3号と同じ所定7両の
オホーツクが4〜10号車だったのが不思議でしょうがなかった >>291
当時の北海道総局の方針で、函館の80系が不測の事態が起こった際に、
札幌の編成で「北斗」を仕立てるようにしたのでは? >>292
当時(47-3改正 1972年)北斗の基本編成が札幌に移管されたのは函館の収容能力が
限界に達したからで、それ自体は別にどうということはない
わからないのは、同じ札幌持ちの北斗1・3号(48-10改正で増発)とオホーツクが
どちらも7両編成なのに号車番号が異なったこと
53-10改正で北斗3・4号と5・2号(改正前の2・2号、3・1号)の基本編成はキハ1両減の
6両(4〜9号車)となり7両編成の北斗1・6号(改正前の1・3号)やオホーツクとは運用が
別になったと思われるがオホーツクは4〜10号車のままだった
オホーツクの号車番号が逆順ながら1〜7号車になったのは北斗が函館に再移管された
55-10改正だった
長くなってしまった どうでもいいかwこんな話 オホーツクは48(1973).10から前(遠軽側)に3両増結して、北見で切り離す予定だったらしい
でも、雪まみれかつ極寒の北見で連結できるかと北見側に蹴られた
で、オホーツク増結用の3両はやりくりして捻出した3両を合わせて北斗増発(48.10の31D/32D)へ回された
定期で北見解結が行われるのは、55(1980).10のおおとりか1ら ようつべでおおとりのダイジェスト映像?を見かけたことがあったが、真冬は扉が凍りついて駅員だったか車掌が蹴ったりするシーンがあったりしていかに環境が厳しくて大変なのかが判ったわ。 >>295
当時通常期でも満席の日が珍しくなかったおおとりならともかく、盆暮れ正月を除けば
満席の日は稀だったオホーツクに増結なんて俄かには信じ難い話だが。ソースを教えてほしい。
(道内気動車特急の中で真っ先に自由席が設けられたのも乗車率の悪さ故と思っていたw)
北斗1・3号(31/32D)は なは 電車化で発生した捻出車による増発だったと思う。 「北海」の網走延長と間違えていないかい?(下りで末端は普通車全て自由席)
おおとりもオホーツクも自由席が通しで設定されたのは昭和53年10月ダイヤ改正からだったと思うけど >>298
オホーツクの自由席設定は、昭和51年10月から。 >>299
しかも初めは3両だったなorz(53-10改正から2両) JR東海車は117系と同じ転換クロスシートに交換するとか意味不明改造してたんだな
簡易リクライニングじゃダメか?
快速みえ用のキハ58とアコモデーションと最高速度が逆転してたとか異常 >>301
快速みえ用のキハはエンジンはカミンズに台車は82用のエアサス流用した化け物だからな
0系から発生した簡易クロスに置き換えてもあの爆走可能だったけど、82はエンジン乗せ換えはしていないからどうしても差が出ちゃうんだよな 歴史上、東京駅に定期で発着してたディーゼルカーは、キハ80、181しかないのではないか さっと思いつくのは、キハ81 ひたちとキハ181つばさかな。上野発着の一部特急が東京乗り入れしてたやつね。 準急「日光」キハ55系
1957.10.15−1959.9.21 >>305 いなほからひたち、それにその逆の運用の場合は東京駅乗り入れはなく上野で転換してたってことか? >>307
秋田0925→(2012D)→上野1741/1810→(1001D)→平2059
平0633→(1002D)→東京927→(この間の動きが分からん。尾久あたりに引き上げ?)→上野1350→(2011D)→秋田2200 >>308 尾久に引上げ、整備なんだろうな。キハ80系のはつかりもここで検修受けてたし。
東大宮かと思ったが時期的に早すぎるし遠い。 >>309
そもそも尾久配置でしたよね、80系も181系も。
(いなほ・ひたち時代の80系は秋田でしたが) キハ82やキハ181って中間に連結されている場合は運転室は通り抜けできたのかな?
機械室の関係とかで貫通路は飽くまで非常用というイメージだが。。。 機械室の扉が並んでたけど当然鍵付きで中も見えないから乗客が通り抜けても問題なし そうでないと、付属編成の客が食堂車に行けなくなり、問題になるだろう あの貫通通路は運転席も覗けないのでつまらない思い出 >>315
キハ82だけど、南紀引退後のナゴヤ球場臨で何度か乗ったが運転席を覗けたけどなぁ。 エンジン本体は床下にあるが全ての機器が収まりきらず機器室出来ちゃってる
キハ183N系は発電セットを丸ごと床下に収めて機器室を廃止できた 82も181も183も発電セットは床下だけどね。ラジエターやタンクが収まらないから機器室あるけど
N183はDMF13が小さいからラジエターも床下にできただけで キハ183_101〜104は、デッキ側に機械室だから、
座席にたどり着くまでに通路が長かった 同じキハ81系使用列車でも『いなほ』や『くろしお』は中間にキハ82が挟まっているのに
『はつかり』がそうじゃないのは何故?
『いなほ』や『くろしお』は途中の主要駅で編成の一部を切り離していた? 『はつかり』は駆動エンジンを持たないキサシ80を連結しており、同車は発電セットを持っているため、編成中にキハ82を組み込まなくても、9〜10両編成ができたと思われる。 >>321
発電セットが三台だから食堂車込みでも11両まで給電可能なんだよね >>321
???
『いなほ』や『くろしお』も食堂車は連結してたでしょ?
キハ82を編成中間に挟む理由とは関係なさそうだけど・・・? そのころには発電セットを積んだキサシ80をやめて、走行エンジンを積んだキシ80になってる
キシ80は別に電源が必要 キサシ80なきあと、食堂車込みで8連以上にするには電源車として中間にキハ82を連結する必要がありました。 43-10改正で増発された「北斗」が「はつかり」電車化で転属となったキサシ80を
組み込み、中間にキハ82を挟まない9両編成だった。
翌年の44-10改正で愛称が「エルム」に変わってもキサシがキシ80 903に改造される
までは同じ編成だったようだ。 >>322
名古屋直通は天王寺から10連で新宮で3両切り離してた >>326-329
なるほど
例えば9両編成だとするとキハ81が2両とキサシ80が1両有れば
両端のキハ81それぞれが自車も含め近隣2両の電源を賄い、
編成中間のキサシ80で残り2両の電源を補うと
それが食堂車をキシ80にするとキシ80自体には発電機能がないから
代わりの電源車として編成中間にキハ82を入れる必要が生じた
こういうことか
でもだったらキシ80なんて造らずキサシ80のままで良かったような気もするが・・・
同じ9両編成で中間にキハ82を入れたら編成全体の定員も減るだろうし・・・
これはまた別の事情がある? >>331
キハ81→キハ82に移行する際
・運用上、9両固定編成までは必要ないこと
・定員や分割併合を考えると、6〜7両が適当なこと
ちなみに6両の場合、キハキロキシキハキハキハ で総定員約300人
・6両の場合、走行性能からは最低でも4M2mにする必要がある
・両端がキハ82の駆動系1エンジン車になるから、中間は全て2エンジン車になる
・もし食堂車をキサシにした場合、先頭車は鼓動系1エンジン車と2エンジン車を作る必要がある
その場合は4M1m1T 、これでは3M3m相当で、勾配区間には対応できない
4M2m相当にするには、キサシにサービス電源を集中して、5M1Tにするしかない
・結局、食堂車をキシとして、ブースターにしたほうが何かと便利
・ブースターにすると食堂車の定員が減る(40→32)が、6両編成なら問題ない
結果的に実にフレキシブルに対応できる内容の系列になった
>>330
名古屋まで両端キハ81で来ていた記憶があるのだが、今手元に資料が無いからなあ
以上、長々すまぬ キハ82の前頭部をデザインした人は天才
本当に色褪せなくて格好いい >>331
同じ電源付きでもキサシ80は付随車、キハ82は1エンジン動力車だから走行上キハ82のほうが有利だよね >>331
36.10の改正のときの特急増発でキハ82を作って7両を基本にすることにしたときに
キサシだと走行エンジンが足りなくて遅くなるから
10両を基本にするならキサシでも良かったんだろうけど、7+7で方向別にして特急を
網羅したかったんだね
>>333
な。153の低運と高運の合の子でライト上にしただけの感じなんだけど、バランスが絶妙
横まで回り込んだパノラミックとか、運転席、視界よさそうだったもんな
でもパノラミック、歪んで嫌がる人もいて、0系やEF66、583なんかはそれで平面にしたらしいけど
キハ82や181はどうだったんだろう。一番曲率のあるパノラミックだと思うけど >>333
キハ181の先頭部が酷似したデザインだったのは、そういう事なんだろうな。
鉄道に興味ない人にとっては、恐らくキハ82と181は同じようなものだっただろうw >>335
>でもパノラミック、歪んで嫌がる人もいて
そういう面ではクハ481でも基本番台より後発の200番台が運転士には好まれたって話があったな
まー200番台は「運転室が狭い」「冬場は貫通路部分からの隙間風が寒くて叶わん」という問題点があったが・・・
けどキハ82は隙間風問題なかったのかな?
北海道各線や『白鳥』『はくたか』など寒さの厳しい路線では特に >パノラミックは歪む
20系極初期のように、昔の航空用ゴーグルのように4枚構成にすれば歪まずにパノラミックっぽくなるかと。 >>339
そのまま名鉄8000系、初代「たかやま」〜「北アルプス」号だな
名鉄の場合、コストダウンのため平面ガラスのみでパノラミックっぽく構成していた
パノラマカーやパノラマDXも
6500のモデルチェンジ者及びパノラマスーパーあたりから曲面ガラスを使うようになったんじゃないかな
(初代5000系と3400更新車を除く) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています