【おおぞら】キハ80系を語るスレ 3D【かもめ】
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京都→長崎を走った80系「かもめ」は、3D時代が長かった。 >>124
>>125
和歌山以外、名古屋、亀山、多気、新宮、紀伊田辺で現車による研修があっただろうから、
結構きついだろうな
他に運転業務担当しているところがあったかな 和歌山機関区では、紀勢本線和歌山〜新宮間の電化前にキハ81-2を秋田機関区から
借り入れて、キハ81を試運転させて同車の運転席の高さと阪和線、紀勢本線の信号機の高さを合わせたりするなども行われた いきなりキハ81で通過駅でのタブレット扱いとかつらそうw >>127
電化前ではなく、キハ81型が「くろしお」で運用が開始される前に トヨタCH-Rのフロントビュー、キハ81に似ている。 JR東日本に承継されてたらアルカディア火災事故後のDMH17H全廃政策でエンジン交換の対象だっただろな
副次的効果でエンジンの許容回転数向上で110キロ運転対応になってたはず
キハ185はキハ82と同一減速比だがエンジンの許容回転数が向上してて110キロ出せる 追記
発電エンジンも交換しないといけない(DMH17H-Gであるため) 1989年、修学旅行は団臨でキハ82だったな。
行きは千歳周り、帰りは山線経由で俺は嬉しかった。
あれが最後のキハ82 高砂工場でのキハ80系の全般検査では、エンジンを取り外して、同工場で検査、整備済みの
キハ80系用のエンジンを換装し、検査のために取り外されたエンジンが検修に回されるという
作業工程だったようだ >>135
そんなもん国鉄工場に限らず鉄道工場なら大体どこも同じような工程じゃない?
ワンオフ的な車両は別にして。 >>135
>>136が言うとおりそれが普通。じゃなきゃ全検出場に時間がかなりかかることになる。 EF66の振替台検という記事でその方法を知った。
職場で多用するものについてワンセット多く用意するという改善案のネタにした。 台車を余分に用意して検査済みの台車に交換もやってたな
国鉄末期にこのような検査は廃止され余ったパーツで103系3000番台を作った キハ81の台車は交換されて、それまでの台車はキハ58系に流用されている >>140
そのキハ58が履いてたDT22系台車はキハ55初期車の台車交換に転用された。 大阪・弁天町にあった交通科学博物館がリニューアル工事中の時、屋外展示されていた
キハ81は、同科学博物館から一時姿を消していたが、同車は大阪港の方でシートを
被せられて仮留置されていたらしい。 >>143
テニスコートやコインパーキングになっている くろしおにキハ81が使われていた頃、基本7Rの先頭はキハ81でも、付属の3Rの先頭はキハ82ということはあったのでしょうか?
また、キハ81が基本の7Rは、必ず名古屋行きに使われていたのでしょうか?
もし名古屋行き限定だったのなら、その理由が判れば教えてください。 >>146
>付属の3Rの先頭はキハ82ということはあったのでしょうか?
それはあった。
>また、キハ81が基本の7Rは、必ず名古屋行きに使われていたのでしょうか?
名古屋−天王寺のくろしおは、最低どちらかの先頭がキハ81だった。
詳しい理由は分からん。 >>147
分割併合のやりにくいキハ81を中間に入れない為だったかと。
だから分割併合の無い名古屋–天王寺運用の両端が本則。
末期は基本の天王寺方に入った事もあった様だけど。
俺が乗った白浜増結のキハ81は何号だったんだろう。 ご教示ありがとうございました。
天王寺〜名古屋の全区間を10Rで走行していたのですね。
串本辺りを走行中の新宮方がキハ81、天王寺方がキハ82の7Rの写真を見たことがある(確かRF)のですが、あれは名古屋くろしおではなく、新宮くろしおだったのてをしょうか。 >>149
末期の頃は
1号車キハ82+2号車キロ80+4号車キシ80+5号車キハ80+6号車キハ80+7号車キハ80+8号車キハ81+9号車キロ80+10号車キハ81
※9,10号車は多客期のみ連結。3号車は欠。
という編成だったらしいよ
ソースARC >>150
それピクトリアル78-12号にも載ってるよ。 >>150
>>151
早速ありがとうございます。
これなら、8号車と9号車の間は通り抜けできなかったんですよね。
9号車と10号車の人は、名古屋行きなのに食堂車に行けなかった(車販も来なかった可能性も)とはお気の毒な。。 >>150の編成ではキハ81が8号車と10号車に連結されることになっているが、
編成の中間にキハ81を連結することってあったのかな? >>135-139
国鉄はそれをやってたから、保存予定の蒸機を間違えたりしたのだろうか?
関東大震災の頃、義経のつもりで東京に保存のため回送されてきた7100形蒸機が
実は弁慶だった、という話とか。
スレ違いスマソ。 >>154
それはまた違う話かも?
工作精度の都合、蒸機は1両毎にバラしては同じモノで元に戻さないとアライメントがズレたりして不調をきたしてしまうので。だから各部品に形式・車番が打たれてたし。
ただ、末期を中心に他車から流用して、ってこともあったりするみたいだね。
取り違いと言えば他にも色々とあるな。
京都鉄道博物館にあるキハ81 3が、実は車番だけ変えられた5とか。 >>152-153
150は恐らく8号車をキハ82と間違えてないか?
8号車に入れるくらいなら1号車をキハ81にするだろうし、
昭和51年ごろにキハ81の一部を廃車したので、末期にキハ81を両端に入ることは滅多になかった。 >>156
8号車をキハ82にすると
キハ81は多客期しかお仕事無くなる ネット上で新宮だったかのくろしお同士の行き違いでキハ81が並んでいるのを見たことがあるなぁ。その当時は3と5が残るのみだったはずだから、そのときすでに両端キハ81編成はみられなかったみたい。 >>157
ならば1号車をキハ81にして、キハ82と入替えればいいだけ。
少しは考えろ!
現実には昭和51年10月改正から、名古屋〜天王寺のくろしおも、両端キハ81が滅多に見られなくなった。 >>159
俺が考えても意味ないだろ
当時の国鉄がやってたことなんだから ところでキハ81を中間に組み込んで制御回路引き通しはどうするんだ >>150
離れ小島?の付属編成の9号車にわざわざキロ80を組み込んでいる理由は、レチさんの居場所のためかも。
ちなみに、当時のDCくろしおのレチさんの乗務状況は、本編成に2名、付属編成に1名でしたか? >>162
欠車の3号車が本来グリーンだからその代わり >>156-161
>>161の言う通り制御回路の問題もあるし、やっぱり中間にキハ81って考えにくい。
RF 78-08に載っている最後の年(78年)5月の7連の2Dの写真には天王寺方先頭に
キハ81が連結されていて、8号車に連結されていたことが確認できる。
RP 78-12には同年8月の新宮での1D、2Dの交換を天王寺方から撮った写真が
載っているが、1D、2D共先頭がキハ81で1Dは10号車(次位はキロ)に連結されて
いたことが確認できる。
で、キハ81は1D、2Dに各1両、通常期は8号車に連結して9,10号車の連結はなく、
多客期に9,10号車を連結する場合は10号車がキハ81で8号車はキハ82だったのでは
ないかと思うがどうだろう? 制御のKE62を2つ仕込めるほどの穴が開いていないから無理じゃねー
ツナギ板接続も違うし
51.10に向日町からキロが増備されるまで、キロの予備車はない
52.12に81が4両廃車で、
53.1から残った81×2はキロと2両増結へ組成再編され、名古屋発着編成は基本でのキロ2両立て続け連結もなくなる
先頭車予備は81が1両と82の各2両しかなくなっており、超繁忙期に82が3両(あと転車台で反転させたら1両増加)ダウンしたら81しか投入できなくなる >>165
時刻表の編成表からは、1D・2Dくろしお5/2号はほぼ2・3号車グリーン車の
10両編成だった。新婚旅行需要が減退したので、150の編成に変更したのか?
もっともダイヤ改正間近だと、転属や廃車など絡むから編成変更もあり得るけど、
衆目の通り中間にキハ81が来るのは不自然。
なので9・10号車連結時は、おっしゃる通り8号車はキハ81ではなさそうに思う。
新宮電化完成後の特急南紀がキハ80系6両編成となったので、元々名古屋口で10両は
輸送力過剰だったかもしれない。
でもコロナ禍とはいえ、今の特急南紀が2両編成で運転とは、尾鷲・熊野地方もかなりの過疎化か? ピクの78-12を信じるなら8号車にキハ81は存在してるんだわ。
あと増結編成が1号車側に来たりで当時の撮り鉄を悩ませたらしい。 >>172
キハ85系200番台は当初、「南紀」用として製造されて、「ひだ」とは運用は別になっていて、シートのモケットが背ずりの裏側にも回り込むなど、座席が改良されたりして0番台よりグレードアップされているが、最近は200番台は「ひだ」で運用されて、
「南紀」は0番台車で運転、200番台は「南紀」運用に入らないなどして、
「南紀」は冷遇されているように見えるな >>164
ナゴヤ球場輸送ってそれじゃなかったのかな? ナゴヤ球場正門前って超スーパー乗り得列車だったな
有り合わせの気動車使ってたので車種を問わず運賃だけで乗れた
野球観戦しないのにキハ82に乗るためだけに乗車した鉄ヲタもいた? JR東海に在籍していたキハ80系改造の「リゾートライナー」は、ジャンパ回路を急行型に合わせたため、特急「南紀」「ひだ」用のキハ80系とは連結できなくなり、キハ58系などと連結されて運用されていたな。 >>176
1979年の臨時増刊名鉄特集では、1ぺーじの2/3(もう少し多かったかな)ほどの正誤表が
後の定期号に載ったな、
あの頃のピクはちょっと中途半端なやつが多い 和歌山機関区でキハ82とキハ81が向かい合って連結されて留置されている写真を
見たことがあるが、検査の関係か工場への回送列車なのか >>172-173
キハ85が80系を絶滅に導いたのに、それが老朽化とは相当年月が経ったものだなw
南紀がキハ85に置換えられたのが1992年だから、80系絶滅から30年近くか!
80系気動車の現役時代を知る者は40歳以上だろうな。 キハ80系南紀を名古屋から紀伊勝浦まで
乗ったことあるわ・・・(*ノωノ) >>183
40代以上より未来の鉄道が見られるように長生きすれば良い 特急「南紀」のキハ80系は、名古屋〜紀伊勝浦間を1往復半するごとに給油されていた
ようで、列車によっては紀伊勝浦に到着後、新宮運転区へ回送、そこでも給油されて、
再び紀伊勝浦へ回送、折り返し名古屋行上り「南紀」となる列車もあったようだ >>185
そりゃまあ一往復半なんだから
両方で給油するわけだよな 運転開始当初、キハ80系で運転されていた特急「おき」と、舞鶴線、宮津線経由で
運転されていた特急「あさしお」1往復は、表定速度53キロと日本一遅い鈍足特急として有名だった。「おき」がキハ181系化されるまでは両列車とも米子発着の
「あさしお」1往復と「はまかぜ」1往復と車両は共通運用されていた。 駅ホームに給油設備を設けて乗客を乗せたまま給油に挑戦はしてないな
白鳥でも無給油で走破できるくらい燃料タンクが馬鹿でかい
現行の気動車は1000キロ以上もの超長距離で走行する事が無く燃料タンクが小さいのか? >>188 駅ホームに給油設備?
編成のエンジン付きの各車両(ほとんど全車両だろうけど)の給油のために、何人もの駅員が張り付かなくてはならなくなるんでは?短い停車時間中にどれだけ給油できるのか?
小規模な私鉄線ならともかく、非現実的としか思えない。 元カラそういう意味のこと書いてるようにしか思えないんだが。 間違っていたらごめん・訂正よろしこ
キハ80系 走行用550リットル/エンジン・発電用800リットル/エンジン
キハ181系 キハ181が2200リットル/「両」、キサシ180以外の中間車が1500リットル/「両」
キハ183系 900リットル/「両」
キハ283系 1160リットル/「両」
キハ185系 600リットル/エンジン(キロハ186のみ800リットル/「両」)
キハ189系 650リットル/エンジン
キハ120 450リットル/エンジン・両 >>185
53.10特急「南紀」登場時
1日目 朝の1号で名古屋から紀伊勝浦、新宮まで回送 泊
2日目 昼に新宮から紀伊勝浦まで回送、4号で紀伊勝浦から名古屋 夕方名古屋から紀伊勝浦 新宮へ回送
3日目 新宮から紀伊勝浦、2号で名古屋すぐ折り返し3号で紀伊勝浦、折り返し6号で名古屋
3D→6Dの際、一旦新宮へ戻しているかもしれん、
間違いがあったらすまん >>188
そういや宇和島駅にはホームの間に給油設備が有るな。 >>195
【擬人化】885系かもめ
何でここに? >>188
江若鉄道では三井寺下で客を乗せたまま給油していた 実際は危険物の規制に関する政令第27条で給油中エンジン停止が義務付けられてるので車内が停電しちゃうな
真冬のDMH17系だとエンジンの真下に火鉢を置いてオイルパンを温めないと始動できない
ダイヤ乱れで長時間足止め食らってアイドリングで燃料浪費しちゃったらどうするんだろ ブルトレのカニとか満タンで何時間稼働できたんだろうな >>200
マニ20の燃料タンクは700リットル×2個だが「あさかぜ」での運用実績で
1個でも十分そうなので、カニ21では1個に減らした。 >>201
電源車的に増量が減っても荷物車的には増えてるだけだろ >>201
1700リットルでは?
700リットルでは流石に持たんやろ…
片道1700リットル、往復して給油を前提に2個装備でマニが作られたけど、結局片道ごとに給油してたから1個装備になったと何かで見た気が…違ってたらゴメン。 マニ20 1700リットル2個
カニ21の最初期3両だけ 1700リットル1個 1,51,52のみ(のちに量産化改造)
↑ あさかぜ運用実績とあさかぜ運用のため。あさかぜで押し出されたマニ20は鹿児島(はやぶさ)運用へ回す計画だったものの・・・
カニ22(架線集電MG付) 1700リットル1個(予備車となった51だけ架線集電MGは積まれず車内に800リットルタンク2個増設で完成)
↑のちに架線集電MG撤去・燃料タンク増設車は増え(52,53が1965年に改造、1,2,3は1968年に改造して全て架線集電MGなし)
カニ21量産車 1700リットル2個
マヤ20 900リットル2個
改造マヤ20を除く20系電源車新製配置年
1958 マニ20 1,51,52
1959 カニ21 1,51,52
1960 カニ22 1,2,51,52
1963 カニ22 3,53
1964 カニ21 2,3,4,5,6
1965年以後カニ21だけ
以上スレチ ○○
「鉄道伝説」Vol.2のキハ181系の回に出てくるキハ82の落成写真、よく見ると凄い編成。
キハキシキシキシキハ
3両だからジャンパ栓の亘りも正しい向きになる。
ttp://pbs.twimg.com/media/EtOQj_gVgAMp-IE.jpg
ttp://twitter.com/TechnoTreasure/status/1356587398033932289
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) キハ81の高砂工場出場回送車は、工場で再塗装も行われて新車同様に美しくなっていたが、
「はつかり」で運転開始した当初のような華やかさは感じられなかったな。 >>207
向日町運転区1961.9.1新製配置の日車製
キハ82 8,40
キシ80 7-9 タブレット無くても、こだま顔にDMH17H-Gは収まらなかったと思う。 >>207
>3両だからジャンパ栓の亘りも正しい向きになる。
ならないだろう。キシの制御回路は2位->3位へ[/]の形で通っているから、
3両繋げても[/][/][/]の形にしかならない(方転しようが)。両端のキハは
繋がっても真ん中のキシが繋がらない。
鉄道誌に載ってる回路の略図を見れば繋がらないことがわかるが、もし、
写真の編成の回路が繋がっているなら何らかのからくりがあるはず。
80系の回路は謎があり、回路が繋がらないはずの編成の写真が雑誌やネットで
見られる(もちろん営業列車)。次回どこかの雑誌で80系を特集するときには
そのからくりを解明してくれないかなw 画像ではキシは1両だけ逆向きで組成されてますね
試運転だし制御回路の構成は細工ありでしょうな 百何十馬力のカランコロンエンジンでよく特急列車を走らせた。 キハとキシは繋がるよう連結されている
しかし、キシ同士はどれともつながらない
また、運転士が居ない(1961年10月改正時前でキハ80系を用いていたのは「はつかり」だけ。東海道本線の豊橋−米原間で気動車急行列車なし)
よって、メーカ日車豊川でキハ+キシ(キシは繋ぎ直してもう1両も)にて試運転した後、それらを繋いで機関車へ牽引されて向日町着
そして、2両だけエンジンを回して気動車区画へ入れた
と想像 >また、運転士が居ない
定期の気動車列車がなくてもさすがにそれはない
こういうのは指導担当とか特に指定された運転士が担当する カランコロンカランコロンカランコロンカランコロン、ドッ、ブォ〜〜〜〜〜〜ッ 北海道の三笠鉄道記念館に屋外展示されているキハ80系6両編成は、キロ80の連結位置が
キハ82の次位ではないなど、本来の編成とは編成順序が異なっているな 途中で引き通し反転は一時期ブームになってたが廃れたな
晩年はキハ82の連結面よりを両渡り化改造してキハ181系みたいな中間車の向きが全部揃った組成になった JR北海道のキハ80系は、キロ80やキシ80がすべて廃車となったため、モノクラスで
編成が組めるように回路が改造されたりされていたな 151系→181系はどういう訳かクハを両渡り化改造せず
クハ180が登場した一因 モノクラス編成は民営化以前に登場している。1970年夏に運転されたエルム51号。
1982年に廃車となったキハ82 1は両渡り化済みだし、キハ82後位の両渡り化も
国鉄時代に行われていたようだ。 キハ80系時代の特急「あさしお」は、6両編成に付属の3両を連結した9両編成だったが、
閑散期には8両編成で運転される事もあり、その時は中間にキハ82が入らない編成と
なっていたな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています