【分散電源方式】国鉄12系・14系客車 2両目
>>382
>>387
きたぐにとかでもあったぞ。 12系700番台
ユーロライナー
ゆうゆうサロン岡山
サロン佐渡
パノラマライナーサザンクロス
スーパーエクスプレスレインボー さくら・あかつきの分割駅だった肥前山口が江北に改称されちゃったね みずほに雲仙西海、ながさきもだな
あんな小さい駅で併合やってたんだよな 肥前山口といえば長崎・佐世保からの東京行上りさくらが2本並走しながらの同時到着が懐かしい 佐賀県杵島郡江北町大字山口にあるんだからまあ良いじゃん >>400
鳥栖だと熊本編成切り離せないだろうがよ。 >>404
分岐点の鳥栖で切り離せないってどういうことだよ? >>403
だったら変えなくてよくね?
新規に命名された町名ならまだしも >>406
ググれば鳥栖で分割併合してたのが分かるはずだが アホは放置で
177 名前:回想774列車[sage] 投稿日:2022/10/09(日) 08:47:44.74 ID:lqfdswrx
ググレ加須 >>410
市町村合併で山口市になったので
磐城西郷→新白河よりましかも
ゆうづるに14系が入った時は既に
尻内→八戸になっていたけれど
平→いわきに改称されたのは列車廃止後か
駅名改称の思い出スレ
ttps://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1451639105/ SLやまぐちの12系
レトロ改造される直前に一瞬だけ茶色+白帯になったことありましたね。
マイテ49に揃えられて好印象だったのにすぐ不揃いなレトロになってしまった。 スハフ12 68+オハ12 230+オハ12 229+オハ12+227+オハフ13 59
1987年6月 茶色化
1988年7月 レトロ客車(700番代)へ改造 スハフ12 100番台の妻面窓は若干小型化されましたがバランス悪いと思います >>415
最終増備車だけでしたか、ありがとうございます
貫通扉窓含めて3枚ほぼ同じ大きさでデザインされているのに
狭窓にしたのは何か理由があるのかな? 工作の簡略化のため埋込式の幌を一般形状の幌に変更したことによるもの 簡略化というより雪詰まりで収納出来なくなくなるのを避ける為でね? いや50系も一緒に作ってて50系と一緒にした。同時期のオハネフ25なんかもそう スハフ12最終増備車はオハネフ25-100/200、スハネフ15あたりと同期か >>420
それなら後退角も同じにするんでね?
バランサー取り付ける分、裏に補強材入れる為窓小さくなったんだと思うぞ。 >>422
>それなら後退角も同じにするんでね?
??? 顔が似ているグループ
○ハザ丸妻
・スハフ12(最終型除く)
・スハフ14
・オハフ15
○ハネ丸妻
・スハネフ14
・オハネフ24
○ハネ半切妻
・スハネフ15
・オハネフ25-200 >>426
引き合いに出されてる50系の車掌室やオハネフ25-100の車掌室見たことないの?
設計思想が同じなら12系も平面顔にならないとおかしいだろ? おかしいのはおまえだよ。誰も設計思想の話なんかしてないんだが
部品の共用化をしたって話だよ >>427
12系の最終増備車が50系や25型200番代と設計思想が同じってどこに書いてあるの? 部品の共通化と設計思想の共通化は全く別の次元の話だよね >>429
レス遡れ。そんな事も出来んのがうだうだ言うな。 自分で調べろ、勉強しろと言うやつほど実はわかってない件 このスレで「設計思想」という単語を初めて使ったのが>>427
その >>427にどこに書いてあるのと聞いた>>429にレス遡れと噛みついた>>431
さて、言ってることがおかしいのは誰でしょう? >>420まで遡れないただの揚げ足取り乙。一字一句同じにしないと理解出来ないの? まあ他人の発言を指摘する場合に改変しちゃいかんでしょ いや、おまえが>>414まで辿れよ
スハフ12の妻面の窓が小窓になったのはなぜ?
幌が変更になったから。それは50系と一緒にした
それがなぜ設計思想とやらで妻面まで一緒にしないといけないのか?
一から説明しないとダメな人なのかな?そもそも拡幅と標準車体なんだけど >>434
第三者が検証可能なソースを聞いてるんじゃないの?
誰かもわからないヤツが言ってるのがソースなの? >>434
設計思想が同じなんて>>420のどこに書いてあるの?
同じ部材を使ったら設計思想は同じなの? >>436
えー、オハネフ25-100はスルーですか?
自分に都合のいい部分だけ切り取って語るから意味不明になっていくんだよ。
こっちは、同時期のオハネフ25が平面顔になってんのになんで12系は窓だけ細くなって従来の顔を維持してるの?って意味で、>>420に聞いてんだけどね。
わざわざこんな長文書いて説明しないと分らない? コストダウン目的で幌を標準的なものにすると、後方監視窓の大きさが従来のままだと追加となる幌を吊る金具と
干渉するのを避けるために窓の幅を狭めるにあたって、ちょうどよい大きさだった50系のガラスを流用しただけでしょ
妻面形状は従来のままなのになんで設計思想まで一緒だと言い切っちゃうのか 以下レスしませんのでお好きなように罵倒してくださいませw なんで多客団体用で組み換えが日常茶飯な運用が前提のスハフ12を、組み換え作業が圧倒的にしにくい平面顔にわざわざしなくちゃならんの?
言ってることが支離滅裂でさっぱりわからないんだけど ソースも示さずにあっさりトンズラかよ
まんま>>432の痛い鉄ヲタそのものだったな > 自分に都合のいい部分だけ切り取って語るから意味不明になっていくんだよ。
まさにお前自身のことじゃねーかw そもそもオハネフ25 100番代が平妻になったのは、オハネフ25 0番代が2段化に伴う定員確保のためにレイアウトを大きく見直した結果、
特に通路側の乗務員室がスハネフ14/オハネフ24に比べて圧倒的に狭くなり乗務員の作業性が悪化したのを改善するためだろ
で、平妻にしたらしたで今度は連結解放の作業がやりにくくなったので、200番代からは折妻にしたって話でしょうに
で、もともと乗務員室がスハネフ14と同等の広さがあるスハフ12をわざわざ設計変更して平妻にする必要なんていったいどこにあったのさ?>>441 オハネフ25 0番代になぜ前期型と後期型があったのかもわかってなさそうだな>>439 ID:1sp8cQSx
知ったか乙w
>自分に都合のいい部分だけ切り取って語るから意味不明になっていくんだよ。
見事なブーメラン乙w 比較用のサイドビュー、置いときますねw
スハフ12 3002
ttp://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/020/826/17/N000/000/000/127721247237016119167_daisen8_psc12-3002.jpg
スハネフ14 101
ttp://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/020/826/17/N000/000/003/130441958214216203137_sakuhaya_01_suhanefu14_101.jpg
オハネフ25 29
https://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/020/826/17/N000/000/003/130458290671316419269_fuji4_09_ohanefu25_29.jpg
オハネフ25 155
ttp://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/020/826/17/N000/000/003/130442067452716132151_sakuhaya_07_ohanefu25_155.jpg
オハネフ25 210
ttp://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/020/826/17/N000/000/003/130442078337716202979_sakuhaya_11_ohanefu25_210.jpg
スハネフ15 21
ttp://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/020/826/17/N000/000/002/129516681299716226613_fuji6_suhanefu15_21.jpg ID:1sp8cQSx を見てると実は全然わかってないヤツほど自信満々に語りだすのが良くわかる 中の人でもないのにどうして自分の思い込みを絶対に正しいと決めつけて相手に絡めるのかさっぱりわからない。 > 同時期のオハネフ25が平面顔になってんのになんで12系は窓だけ細くなって従来の顔を維持してるの?
車掌室が極端に狭くなって改善要望が出ていたオハネフ25とは違い、スハフ12の車掌室はもともと十分な広さがあったからですけど
お前の言う設計思想って何?
ホント意味不明なんだけど 昭和43年度第4次債務 スハフ12 1~8
昭和44年度民有 スハフ12 9~25 オハフ13 1~17
昭和44年度本予算 スハフ12 26・27・41~44・55・56 オハフ13 18・19・33~35・41・42
昭和44年度第2次債務 スハフ12 28~40・45~54・57~64 オハフ13 20~32・36~40・43~50
昭和45年度第1次債務 スハフ12 65~90 オハフ13 51~76
昭和45年度第3次債務 スハネフ14 1~3
昭和46年度本予算 スハネフ14 4~27
昭和46年度第3次債務 スハネフ14 28~45
昭和46年度民有 スハネフ14 46~54
昭和47年度第3次債務 オハネフ24 1~27 マヤ24 1~10
昭和47年度第1次民有 スハフ14 1~14 オハフ15 1~13
昭和47年度第2次民有 スハフ14 15~23 オハフ15 14~21
昭和48年度第3次民有 スハフ14 24~43 オハフ15 22~37 オハネフ25 1~27 カニ24 1~8
昭和49年度第3次債務 オハネフ25 28~46 カニ24 9~14
昭和49年度第2次民有 スハフ14 44~63 オハフ15 38~53
昭和50年度第1次債務 オハネフ25 101~129 カニ24 15~25
昭和50年度第3次債務 オハネフ25 47
昭和51年度本予算 スハフ12 101~124
昭和51年度第1次債務 オハネフ25 130~157 カニ24 101~108
昭和51年度第2次債務 オハネフ25 201~210 カニ24 109~112 オハフ50 1~2046
昭和52年度本予算 スハフ12 125~137
昭和52年度第1次債務 スハフ12 138~148 スハネフ15 1~21 オハフ50 2047~2061
昭和52年度第2次債務 スハフ12 149~163 オハフ50 62~101 オハフ51 1~10
昭和53年度第1次債務 オハフ50 102~2166
昭和53年度第2次債務 オハフ50 167~2203
昭和53年度第3次債務 オハフ50 204~2239
昭和54年度本予算 オハフ50 240~253
昭和54年度第2次債務 オハネフ25 211~221 カニ24 113~116 オハフ50 254~2330 オハフ51 11~26
昭和54年度第3次債務 オハフ50 2331~2359 オハフ51 27~31
昭和55年度第1次債務 オハフ50 2360~2389 オハフ51 32~36
昭和55年度第3次債務 オハフ50 2390~429 オハフ51 37~59
昭和56年度第1次債務 オハフ50 430~437 オハフ51 60~68
昭和56年度第2次債務 オハフ50 2438~2488 オハネフ25の妻面形状迷走の真相
昭和48年度第3次民有 オハネフ25 1~ 定員確保でレイアウト見直したぞ → 車掌室が狭くなって作業がしづらいじゃねーかどうにかしろゴルァ
昭和49年度第3次債務 オハネフ25 28~ デッキ周りのレイアウトを見直して広くしたぞ → 大して変わらねえじゃねーかどうにかしろゴルァ
昭和50年度第1次債務 オハネフ25 101~ 切妻にして広くしたぞ → 連結解放作業がやりにくくなったじゃねーかどうにかしろゴルァ
後部標識灯つけて方転出来なくしたぞ → 車掌業務がしづらいじゃねーかどうにかしろゴルァ
昭和51年度第2次債務 オハネフ25 201~ 折妻にしたぞ、再度方転できるようにしたぞ
こうやって改めて製造年次ごとに並べてみると、ID:1sp8cQSx が唱える「設計思想w」とやらとはずいぶん矛盾がありますなあ
・カニ24 15~25 切妻でなく折妻のままで製造されてますけど?
・スハフ12 101~163 切妻でなく折妻のままで製造されてますけど?
・カニ24 109~116 折妻でなく切妻のままで製造されてますけど? ・スハフ12 101~163 切妻でなく折妻のままで製造されてますけど?
↓
・スハフ12 101~124 切妻でなく折妻のままで製造されてますけど?
・スハフ12 125~163 新たな形状の折妻でなく従来の形状の折妻のままで製造されてますけど? 毎日あった東海道ブルトレの途中駅での増結作業だが、オハネフ24では前方の視界が開ける車掌室側同士で連結だったものが
オハネフ25 100では便所側での連結となり、貫通扉を開けながらじゃないと駅の誘導掛の前方の見通しが効かなくなった
駅の誘導掛にしたら危なくなったし、やりにくくもなったわけで、そりゃあ文句も言いたくなるだろう 車掌室側での連結なら万が一の時は誘導掛が車掌室内にある車掌弁を引いて入換車両を停められるが、便所側だとそれも出来ない
運用サイドからも使いにくいと苦情が出ていたようだし、方転不可は車両設計サイドの独りよがりでしかなかったのではないかと思ってる スハネフ15はオハネフ25-200に電源装置追加という解釈でよいですか? >>439
>同時期のオハネフ25が平面顔になってんのになんで12系は窓だけ細くなって従来の顔を維持してるの?
平面顔にする必要がないから 12系3000番台
ちくま/だいせん用大型電照テールマークが特徴的だった 自己レス
>>463
大型電照テールマークは12系0番台時代のようですね
スハフ12-3000番台はスハフ14と同様の扉内蔵型テールマークになった模様 ちくま/だいせんは連結相手が20系→14系14型→14系15型と進化していったのが
興味深かった 緩急車の車端部ドアは本来白帯があって後年塗装を省略された?
折戸にも本来白帯があって後年塗装を省略された? >>466
帯のステッカー化による省略。
扉部は擦れて剥がれやすくなるので省略された。 >>467
ステッカーなんですか!?
身延線115系2000番台や飯田線119系のはがされまくった白帯を思い出す 2022年12月5日発売
鉄道車輌ガイド vol.37 12系客車 (下) ~JR化後から私鉄譲渡車まで~
ttp://pbs.twimg.com/media/FjAvwWeaYAIdnuA.jpg この前発売されたトミックス14系を購入したところ一点分からない点があり、よろしければどなたかお教えいただきたくお願いします。
スハネフの3位(車掌室部)床下は標準では円筒物(消火器箱?)が付いてますが、四角い機器箱に交換できるようになっています。
ネットや書籍の写真を見たところでは大体75年頃までは円筒物ですが、それ以降は四角い機器箱に変わっているように思われました。
ただ、模型はテールマークは絵入り(79年以降)の設定なのでその頃までは円筒物であったのか…
四角い機器箱は何なのか、いつ頃から変わったのか、どなたかご存知ないでしょうか?
個人的には北陸トンネル事故後の対策として四角い機器箱に改修されたのでは?と考えていますが、一方で模型では発電機関にカバーが付いており(これも火災事故対策だったような?)よく分からなくなりました… >>471
円筒物は消火器箱
四角い機器箱は薬剤タンク納入箱
薬剤タンク納入箱は推測の通り、北陸トンネル列車火災事故発生に伴う防火対策の一環として1974~1977年に3位(乗務員室下)に新設されたもの
この薬剤タンク納入箱の設置に伴い、乗務員室下にもともとあった消火器箱は1-3位側の車体中央部の燃料タンク脇に移設されている ちなみにスハネフ14 500番代の消火器箱は耐寒耐雪改造の際に台車と第1消音器の間に再移設された >>471
ttp://www.1999.co.jp/itbig91/10915186a5.jpg
この写真から燃料タンク脇に移設後の消火器箱が写っているので四角い機器箱を選ぶのが正当かと >>472
ご返答ありがとうございます。
やはり防火対策が関連していたのですね。丁寧な解説に感謝しています! 12系も14系も、東南アジアに行った車両が意外なほど短命だった件。
普通鋼製が災いしたか、運用上の都合か。
見るからに古くさい外見の「営団6000系」がジャカルタで元気に走っているのを見るにつけ、なんだかな、って気分になる。 ジャカルタに行った103系も6年くらいで廃車になったと聞いた。
普通鋼製だったからかな。 日本みたいにしっかり手入れしないんだろうな
海外は半ば使い捨てみたいな所があるな 派手な色に塗り替えてるのにw
見た目と違って耐候性低いのかな? お古な上に日本より大事にする国へは行かない結果・・ 14系座席車にロザ車(ジョイフルトレインは除く)が出なかったのは何で? 臨時だけどつばさとか踊り子とか昼行特急にも使われていたのに >>492
自由席特急券の値引き分くらいと考えとけばおk こだまの代車を153系にした通称かえだまはいくら値引きだっけか。
北海道でキハ82系の代車をキハ56にしたのは確か100円引きだったかと。
そう考えると12系特急50円引きはケチだなw 腐っても鯛というか
シートがボックスだけで、冷房付で近代的な装備だしな
急行とか冷房なしの時代だし と言うか12系客車の特急の特急料金って100円引きじゃね? 12系の臨時急行は速度が遅いので「冷房があるだけマシ」な状態になってそうだな
暖房も電気暖房なので強力
東北本線とかだと110キロで走行できるので気動車急行より速かったりする
板谷峠も気動車より速い 車やバイクに比べて鉄道車両のデザインって50年周期くらいで変革するくらいの長期保持なスタイル。
12系がデビューした69年(昭和44)と言えばまだ街はホコリっぽい戦後の風情がまだそこかしこと残ってたが
そんな中で鮮やかな青20号に白帯、冷房完備のスタイルっていきなり80年代90年代の装いがタイムマシン的にやってきたような
感覚があるんだが、これは今からさかのぼっての感覚であって当時としてはさほど衝撃デビューと言うほどでもなかったのかな? 定期の夜行急行は近代化改装してるとはいえ旧客だった時代だから
12系はかなり新しく見えたかと
とはいえ電車急行なんかは既に走ってたから、未来ってほどではなさそう。 ふむ、151系153系や20系客車とかは昭和33年(58年)にデビューして、60年代ですでに今と変わらないカルダン駆動にデコラ内装の
車両がどんどん走り始めてたし、鉄道車両と言うのはどこか時代を超えた普遍的な造形があるのを実感するね。。 12系は内装や車内構造的にキハ65と同じで急行ならばグレード高そう
14系の臨時昼行特急はどう考えても罰ゲームすぎ 14系座席車も特急車両の中で内装や車内構造的に上位だろ? 重心こそ下げたが
かと言って特段に速い訳でもない
主要な功績は道内の輸送近代化かも知れぬ キハ82よりかは速かっただろうが485系と比較して圧倒的に不利
EF66で120キロ運転する実験して欲しかったが軌道破壊が凄い事になるので特甲線規格の東海道線東京~神戸間じゃないと不可能だろうな そう考えると機関車列車が時速140とか180キロで走ってるヨーロッパって凄いよな 客車の静粛性は素晴らしいから新型客車で優等きぼんぬ
東京~大阪にムーンライト銀河
名古屋~博多にムーンライト味噌豚骨
これらは利用者に受け入れられると思うわ 今だと貨物列車の要領で走る事になるぞ
瀬戸内を走る伊豆急の車とか >>501
大昔RJで「つばさ51号」の列車追跡やったことがあったが
「14系は昼間乗る分には最高」という評価だった
電車特急も気動車特急も今みたくリクライニングしないシートだったし それだよね。1970年代初頭でリクライニングつけてんだからグリーンいらんだろっていう
波動用でグリーン作ると入換が面倒だし
>>506
14系と同時期で外観が似てるイギリスのマーク3なんか200km/hなんだよな
扉が手動だけど いや、14系の簡易リクなら同時期に出た183系(もちろん電車のほう)も装備していた あのストッパーなし簡リクがグリーンの代わりになる訳ないよ 485系なんかリクライニングしないシートだったしな
90年代後半の九州で遭遇したときにはさすがにビビったが >>511
ドアが違うだけで基本設計は似ている
オハ12とキハ65も >>515
車体は赤かったし、まさか残ってると思わなかった。緑編成が出始めた頃のきりしまのモハだったかな。乗れたのは結局あれ一度きり。 >>499
明るい車内(蛍光灯)と冷房完備で全然近代的
復刻された昭和47年3月の時刻表には多数の夜行客レ夜行急行が載ってるが
すべて旧客(非冷房+白熱灯)だし
昭和48年からは数本の急行が12系に置き換わったが ストッパーなしの「バッタンコシート」は東武に残ってる?
夜行列車だと寝てる最中にリクライニングが解除されてビビって目が覚めたとか多発したはず 10系客車がたくさんいたんだから蛍光灯は12系だけじゃないだろ 旧客も急行運用はほとんど蛍光灯になってたはず
14系の簡易リクライニングシートはあとでストッパー追加してなかったっけ? >>487
ジョイフル以外の14系グリーン座席車
もし実在した場合の外観、見た目が一番近い感じのなはのレガートシート車が
14系座席車オンリーの編成に組み込まれて走るのを見てみたかった
まあ普通車で引き戸だが サロンエクスプレス東京登場直前の頃
「リバイバルつばめ」で14系ハザにオシ14を組み込んだ
特別編成が走ったような あったな。はとも平和もやってた。61が牽いて。あれ長かったよね。オシ2両のときもあったような >>524
オシ2両は平和号。JR化前は65PFが牽いたのも有った。 旧客は末期はサークラインになってたの多かった
高崎のやつはLED電球にしてる 国鉄時代に全14系ハザ編成で定期運用というと関西九州夜行急行と北海道地区だけだったか >>527
津軽と八甲田は国鉄時代に14系オール座席編成化されてるよ 八甲田の14系はJR化後かと思ってた。60.3か
十和田もあったよね、14系 スハフ12
オハフ13
スハフ14
オハフ15
同じ形式に同じ番号を付与しないというルールは旧客時代から? 12系の北海道バージョンがあったらどうなるか
キハ56みたいな二重窓と引き戸にしないと冬寒いとクレームになりそう
夏季の貸し出しは構造的に可能だったが行われず >>528-529
津軽が昭和58(83年)7月、八甲田が昭和60年3月ですか。十和田は臨時になって14系だったのかな。
80年代入って東北・上越新幹線が開業すると旧客の急行はとか廃止で趣味的な面白さも減ったのに加え
自分も鉄道から徐々に離れて行って、あまりこの時期は詳しくないです。。
もっと前の子供の頃なら「何とか大百科」のような児童書片っ端から読んでて知識いれてたんだけどw サロ124・125→サロ212・213の発生品である弾き通しを利用して
サロ211→ナハフ17
サロ210→ナハ16
としてたら
EL牽引列車で12系問題を回避できたかな?
どっちみちSLは来春怪しいみたいだが >>531
キハ56系の200番台車を客車にしたような感じの車両になってたかなと思う。
窓は1段上昇式の2重窓、暖房は蒸気暖房、ドアは引き戸、前面は本州用と同じで、
冷房や電気暖房、行先表示器、電源用エンジンは準備工事のみとなってただろう。 >>519
実際そうだったよ
浅い眠りなんかだと他人のガタン音が気になる
でも全員の座席がそれで平等なので
仕方なくガマンするしかなかった オハフ15-200
あすかに似た展望室が青春18きっぷで乗車できたのはよかったけど
末期のムーンライトでは雰囲気悪かったようで・・・ 僕なんかヲタ同士で静かに寝てたけどな
クロ455-1格下げ快速「ばんだい」も
最期は藤田折り返しに使われてたな >>535
初めてそのシートに座ったときは壊れてるのかと思った。 オハ14-300
あかつき用レガートシート
全身でヘッドマークを表現しているような車体色だった 12系と14系の併結
・スーパーエクスプレスレインボー
・あすか
・「ちくま」
・「だいせん」 臨時で良ければユーロライナーを使った多客臨各種。
組み合わせが有り過ぎて書ききれんが代表格がシュプールユーロ赤倉・滋賀。ユーロ6連に14系ユーロピア4連の10連。
発電エンジン2基なので14系から12系にも給電してるが容量オーバーでブレーカー落ちる事頻発、後に発電ユニットの交換で出力増強をしてる。 >>543
カヌ座
ttp://livedoor.blogimg.jp/mar901/imgs/f/a/fa07068e.jpg
団臨
ttp://pbs.twimg.com/media/EBu7wr1U0AAxcla.jpg
ttp://pbs.twimg.com/media/EBu7xCpU8AAJ5cI.jpg
ttp://pbs.twimg.com/media/C-QJnlaXgAACCAn.jpg
ttp://pbs.twimg.com/media/DzIOtU0V4AE0KcZ.jpg
ttp://ef58176.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2016/01/23/scn0027_hr200_23.jpg >>546
サロンエクスプレス東京からゆとりに改造された時、
1両減車されたオロ14は12系カヌ座に組み込まれたのか・・・ 持ってる人は過去の調査研究活動の成果だからな
羨ましがっても仕方ない だから書籍にはお金を惜しまないことさね
絶版になってからプレ値で買うくらいなら出たときに買え
過去のものは図書館へ
取り寄せできるのもあるしコピーサービスもあるし RMライブラリーはぼちぼち復刻版が出てるけどもっと前の世代だしなあ
とおもってうちにある12系本見たらRMアーカイブの方だった、こっちは再販動きなさげ sl冬の湿原号でのオハ14-526の洗面台って
原型タイプ?それともリニューアルタイプ?どっちなんだ? >>554
動き無いからこっちでも聞いてみたんだけど
何かダメだったか? >>556
さすがにあんたが過剰
マルチ呼ばわりで嫌われるのは5ch内での話
別媒体(この場合X)で募ることをマルチとは言わん >>557
別サイトか同一サイトかとか関係ない
お前がおかしい DMF15って初出はキハ181だからもう60年近く経つんだけど
いまだにキハ40で使ってるからな。部品はあるでしょ サロンカーなにわは異様に長寿だな
デビューから40年以上・種車の製造から50年以上経過してるが未だ現役
発電エンジン換装してる?
SA6D125系にすればJR西日本の標準走行用機関と部品が同じになる >>562
サロンカーなにわはJR西日本にとって使い勝手いいのかも SETもユーロもゆうサロもアイランドエクスプレスもJT化されてからの方が長いよ
12系は経年15年程度でJT化されてユーロは20年、ゆうサロも26年使ったから
SETも車歴の中で一番長いのは欧風時代で14年、次点が種車時代で13年程度、ゆとりは11年
アイランドエクスプレスの種車は10年未満で改造後10年以上JTとして使ってる
サザンクロスだけは改造後8年で廃車と短命だったけどな オハ12
・座敷(オロ12-800)
・欧風(オロ12-700)
・近郊(オハ12-1000)
・電源車(スハ25)
・展望車(オハテ12)←NEW JR東日本は客車ジョイトレ全廃政策に翻弄された
速度が遅くて機関車手配の手間がかかって扱いにくかった JR四国は12系14系を貰ってきて、また別組織に譲っている印象 >>572
高松所のDE10も居ないんでしたっけ? >>574
とっくにいない
車籍があるのはDF50のみ 民営化時に資料館に押し込まれたまま一度も本線に出て来ておらず、検査も一度も打っていないDF50が残っているから
全廃ではないというのならそうなんでしょうね
お前の中ではな そのへんは解体されてなければ廃車じゃないなんて人もいるくらいですし