【分散電源方式】国鉄12系・14系客車 2両目
>>308
AU13は本来440V 60Hz用
キハ58は非ワンマン車の795と1016に対して給電回路を440V 60Hz対応としてキサハ34からの給電とすることで対処
キハ28は2411と2412に対して同様にキサハ34との併結対応工事が行われたが、冷房は従来の4VKから自車に単独給電のままとされた
改造の発想はこれも同一
ttp://pbs.twimg.com/media/EXkv2AxVcAAvtba.jpg
ソース
ttp://twitter.com/Cla_blogger/status/833692269207171072
@Cla_blogger
J鉄局さんのキサハ34 2の3位側からの画像(出典:http://js3vxw.cocolog-nifty.com/photos/jrw_dc_takaoka/jrw_dtc_34_2.html)、
キサハ側にあるジャンパで冷房電源(高圧三相)のKE8は渡されてないのに、冷房制御のKE53は渡されているのがしっかり写っているのが、
私にとっては何よりもありがたいのだ。
ttp://pbs.twimg.com/media/C5Hce4YUMAAX6Nw.jpg
@Cla_blogger
あと畑下学氏撮影のキサハ34 502の同じく3位側からの画像(出典:http://jnrsite.net/DC/new/htm/kisaha34502.htm)、先程のとは違い
冷房電源のKE8も渡されているけれども、こちらではキハ側の放送のKE66が渡されていないのがしっかり写っているというのが、
これまたありがたいのだ。
ttp://www.jnrsite.net/DC/new/img/kisaha34502.jpg
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>306
それを実現出来るだけのキハ58冷房車が当時は捻出できなかったってのが実情
ttp://twitter.com/Cla_blogger/status/730437232633384961
@Cla_blogger
そういえば「冷房」と「トイレ」に絡む上に「広島」とも縁のある魔改造車が金沢支社管内にはいたんでした・・・。
ttp://pbs.twimg.com/media/CiGyoavU4AE0snJ.jpg
@F_U_Z_Z
キサハでしたっけね?広島の1000番台が絡んでるんでしたっけ?いつだったかそんなお話されてましたね。
@Cla_blogger
キサハ34、基本的には七尾線電化で余剰化した金沢配置の「冷房付き」「近郊化改造済」という「普通列車の冷房化率向上」で使うには
この上なく適していた12系1000番台の活用策として生まれたものですが、写真で上げた0番台は改造前は広島配置、芸備線で使われていた車です。
@Cla_blogger
金沢の12系1000番台には循環式汚物処理装置が装備されており、それを活かす目的で、同装置が未設置だった広島の12系1000番台が
コンバートされてキサハ34の種車になったのでは・・・と考えています。個人の類推を多分に含むものではありますが。
@Cla_blogger
ちなみに当時、12系1000番台は広島と米子の2箇所に配置されていたのですが、米子にはこの時点で循環式汚物処理装置対応の地上設備が
無かった模様(同所のキハ181は90年代末期まで垂れ流しだったとか何かで読んだような記憶が・・・)。対する広島なのですが、「下関あさかぜ」の
広島回転編成他用として24系の配置があったことから循環式汚物処理装置の地上処理設備を有しており、故に同装置の活用が可能でありら、
循環式汚物処理装置未設置だった広島の車がコンバートでキサハの種車になった・・・と考えれば合理的な気はします。
@Cla_blogger
そこまでしてキサハ34を作ろうとした理由というのが、やはり「冷房化率」なのでしょう・・・七尾線電化で捻出された冷房完備のキハ58系は約50両
いたのの、大半が播但線と山陰線下関口の客レ気動車化&冷房化率向上に回され、結局高岡には10両しか回せませんでした。
@Cla_blogger
89年度のデータですと、七尾線は金沢支社管内で唯一「定期普通列車の冷房装備車での運転率100%」を達成した路線となっております。
ちなみに北陸線ですら100%じゃない(電車だけなら100%も、気動車運転分が・・・)ですから、この当時。
@Cla_blogger
その当時の高岡、キハ58の投入まで、配置24両中、冷房車は0・・・可部線同様に冷房化率向上が急務であったことは疑いようもなく。
故に「平坦線区で出力低下もなんとかなる」と路線状況を勘案した上で、ああいう車両が生まれたのかと。個人の憶測も多分に含みますが。
@Cla_blogger
なので92年の投入からわずか4年後、高山線富山口へのキハ120投入で捻出されたキハ58に置き換えられ廃車されてしまうのですが、
「冷房化率向上のための中継ぎ」が主目的だったと捉えれば、わずか4年とは言え、その役目は十分に果たされたと個人的には思っています。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) キサハ34 1・2・501・502 高山線のキハ120投入により捻出された富山のキハ58で置き換えられえて1996年3月に廃車
キハ58 795 キサハ34が置き替えられた後も非ワンマン車のまま高岡で運用、2000年3月に廃車
キハ58 1016 キサハ34が置き替えられた後も非ワンマン車のまま高岡で運用、2002年1月に廃車
キハ28 2411・2412 キサハ34が置き替えられた後も非ワンマン車のまま高岡で運用、2003年5月に廃車 >>311の詳細な説明
ttp://twitter.com/Cla_blogger/status/945993662910963712
@Cla_blogger
キサハ34に関わる話なんかを見ると「何故に2エンジンの58×2ではなく1エンジンの28も入れた編成にしたのか?」との疑問論調が
ちょこちょこ見られるが「ラッシュ後に『貴重な冷房車』として日中の非ワンマン運用にはキハ28・58を使う」ためと分かってりゃ、
そもそもこういう疑問って出ないよね。
@Cla_blogger
キハ58×2で組んじゃうと「冷房車なのに冷房電源が無いので冷房が使えない全く冷房車の意味をなさない馬鹿編成」が誕生する訳で。
キサハ34とほぼ同時に投入されてる高岡のキハ28・58は「同区で初めての冷房車」、サービス向上のため優先的に運用に回すべき車両で
あったとの大前提を理解しておく必要が。
@Cla_blogger
なお高岡にはキサハ34とほぼ同時にキハ28・58が「28+58」を5編成組める分だけ投入されてるので「←28+58→」と「←58+28→」とキハ28・58の
向きがそれぞれ異なる編成を作って(矢印は運転台の向き)ラッシュ時には「←58+34×2+58→」と「←28+28→」で組ませりゃいいじゃん?と
考えることも可、だが、でもそれをしちゃうと
・たった5編成のうちにキハ28・58の向きが異なる編成が混じるので管理の手間が増える
・「28+34×2+58」ならキサハ34を編成内に組み込むために一旦ばらさなきゃいけない編成は2編成で済むが、「58+34×2+58」だとそれが倍の
4編成必要になる
1エンジン増やすためにここまでする?
@Cla_blogger
特にキハ28・58は、連結時に渡すべきジャンパが他の車種の3本(制御・補助でKE53×2、放送でKE66)に対し4本(制御・補助/冷房制御・放送で
KE53×3、三相でKE8×1)と多く、特に冬季は連結面間に吹き溜まった雪との格闘もあり、出来れば増解結の回数は最低限に抑えたいところ。
1エンジン増やだけでこの手間が倍に。
@Cla_blogger
なお、北陸における気動車のジャンパと雪との問題は結構根深いようで、金沢支社の独自改造たる「車体下部KE66脇のWKE101増設」も、
おそらくはそれに因るものが大では・・・と考えてるところはある。WKE101は連結器胴受下が定位置なんだけど、ここって冬はおもいっきり雪で
埋まる位置なのよね。
ttp://pbs.twimg.com/media/DSDh9qkUIAAWBPC.jpg
@Cla_blogger
キサハと一緒に昼間は車庫で寝てりゃいいのなら、その連結相手は2両ともキハ58でも一向に構わんのですよ。でも92年当時の冷房車投入事情を
考えたら「使える冷房車は1両でも多く使って冷房化率を上げる」ことが求められていた訳で。
その目的のための結果が、あのキサハ34の使い方だったのでしょう。
@Cla_blogger
車両が生まれた背景を説明するのは、そうした事情の説明もきっちりしとかないと、ホント後世に振り返る時に訳が分かんなくなるのよなぁ。
でもそのためには車両の動きやらも追っていかにゃならんし、すっげー手間かつ資料入手が容易ならざる面があるのは確かだが。
@Cla_blogger
キハ28の4VKは結構無理して3両給電実現させてるところもあるので、それよりも安定した電源を持つ-500の投入は必要不可欠だったのでは、
と思っているところもあります。今よりも輸送量の多かった時代ですし、確実に3両では不足する、との認識はあったでしょうし。
@Cla_blogger
-2と-502の2両は、投入後早いうちに立席スペース拡大の再改造が行われている、ほどの状況(ただし-1と-501は最後まで未改造)だったのは確か、
ですね。私自身も頓珍漢なこと言ってる場合も十二分にあり得ますので、その際はビシビシ指摘して頂けるとこちらとしても助かります。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 北海道の寝台車増結キハはパワーアップ済車両でしたね 結局>>306は当時の時代背景や実際の運用がどうだったのかも頭にないまま編成の内容だけを見て文句をつけている人でFA? いつもの頓珍漢老人だよ。文章みればわかるだろ
というか、ツイッターの転載もいらん。本人か 教養の土台がない頓珍漢なヤツは自分が理解できないものを不要と言い切り排除しようとする
俺は一連のツイートが凄く参考になった 間違った書き込みやツイートが凄く参考になったと言われてもなあw いったい普段何喰ってたら>>321の思考回路が出来上がるの? 322とか323は教養の土台がない頓珍漢なヤツの典型だわな >教養の土台がない頓珍漢なヤツの典型
効いてる効いてるw そんな事よりもちょっと教えていただきたいんだけど、
ダーリンハニー吉川が乗っているこの車両って秩父の12系?
https://mobile.twitter.com/DHyoshikawa/status/1526860241820086272?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Etweet
たしか秩父の12系って数年前に赤系統のモケットにリニューアルされた筈だけど、
最近になって再リニューアルされたん?
ググってもわからんくて、有識者の方々ご教示ねがいますm(_ _)m
クロスシートの掴み手が『日』の形したやつが好きだったのになぁ・・・
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 本人の前後のツイート見りゃわかるだろが
ttp://twitter.com/DHyoshikawa/status/1526856300977868800
ttp://pbs.twimg.com/media/FTB7tfxaQAA1GnS.jpg
秩父もとんだとばっちりだな
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 327ですが、自分のような若輩者のゆとりに
ご丁寧に教えていただきありがとうございますm(_ _)m
秩父の12系でファイナルアンサーのようですね
青モケット復活はめっちやうれしい!
ところで、いつ頃施工されたのかとか(たぶん2020年秋頃っぽい?)何両リニューアルされたかとか、車内全体の様子とかを知りたくて
『秩父 12系 リニューアル 車内』で検索したものの、全くヒットしなくて・・・
自身の検索スキルの低さには本当にまいったまいったまいっちんぐだわ(´・ω・`)
『秩父 12系 アコモ改善』など
いろいろ検索ワードチョイスして調べてみます・・・スレ汚し失恋しました U字工事と一緒の時点で栃木って分かるよなあ
で、329の言うとおりにしなかったのは何でなんだろ あ、元々はダーリンハニー吉川のインスタグラムで車内画像を見つけたんですが、
こちらではインスタの画像の貼り方わからなくて、
吉川のツイッターを確認したところ、インスタと同じ画像があったので
速攻でツイッターの該当URLを貼った次第だけど、
おっしゃる通り、Twitterをよく見れば答えがでてたみたいで・・・大変失礼しました >>335
大事なのは332のレスした理由な
何でこんな勘違いしたの? >>332
> 秩父の12系でファイナルアンサーのようですね
> 青モケット復活はめっちやうれしい!
はぁ? >>332
日本語わかりますか?
> 吉川正洋(ダーリンハニー) @DHyoshikawa
> 次回の鉄オタ選手権はお久しぶりの東武鉄道!放送日はこちらです!!
>
> 「鉄オタ選手権〜東武鉄道の陣 第二戦〜」
>
> 5月28日(土)15:30〜16:29
> NHK BSプレミアム
>
> #鉄オタ選手権
> #東武鉄道 >>337-339
大変申し訳無い・・・
332の書き込みはどうか無視してください・・・
329さんの教えてくれた画像にSLのサムネイルがあるなと思って、
レスを拝見したのが帰宅途中で少し疲れ果てていて判断力欠場しておりました。
SL&12系といえば秩父だよなという強い思い込みがあって
東武SLといえば14系しか頭になくて、東武が12系展望者を入れたことをすっかり忘れてしまった次第で、大変申し訳ありませんでした。 連投失礼します
自分はSL世代ではないため、SLの形式には疎く、
恥ずかしながらC11とC58の正面顔すら見分けられないほどの無知でした・・・
愚かな書き込みをした罰として、
12系乗降扉についてある折戸の虎ロープで鞭打たれてきます・・・ そんなことよりユーロライナーのインテリアに関わった方が書いた論文を見つけたので置いときますね
ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10746233 のpdfを参照
>考察
>個室車両は、旧客車を利用したのと違い、新造されたために、デザイン面は、美しく仕上がったと思う。色彩面は、一部、殘念な個所もあったが、
>どうにかまとまったと思う。しかし、運行後、見学すると、利用客のマナーの悪さもあって、床の汚れ防止のため、色彩に無頓着に、カーペットを
>二重敷きにするなど、思いがけないことが多く生じていることに驚いた。今後もデザイン、色彩面に多くの研究の余地を残してしまった。 >>340
> 332の書き込みはどうか無視してください・・・
書いてしまったものはないことには出来ないんだよ
> 秩父の12系でファイナルアンサーのようですね
なぜこう思ったのか説明してくれ さくらやみずほに14系を入れた際に荷物車(電源車)がなくなったが、当時は新聞社が大都市にしか輪転機を入れてなかったことで新聞輸送を頻繁にしていたことで積めなくなった場合の文句とか出ていたと思うが、どうなんだろうかね? 12系の中に14系
あすか
14系の中に12系
スーパーエクスプレスレインボー 12系に急行用寝台車を作ることはできなかったのですかね 12系座席車製造時に急行用の寝台車不足してなかったでしょ? 旧客と混用できない団体輸送用の客車で寝台車作ってどうするのさ >>350-351
その頃はまだ10系が大量にあったしな。 581系は元々急行用の571系として作られる予定だった
このため10系改造は1965年発注分で終了
しかし、車両基地の収容両数の関係と昼夜兼行のダイヤから特急列車として運転するのが妥当となり、特急車両となってしまった
だから、急行の特急格上げが行われ、その分10系寝台車を需要がある場所へ回して行った
12系はあくまで波動用であったが、解結時の作業が容易であったため新ブルトレのベースと使われ、これが14系寝台車となった
よって14系寝台車以前に12系寝台車なんて発想はあり得ない >>356
懐かしい!
S60.3からS61.11しか設定されなかった14系急行銀河
つくば万博見物のため上京した時に乗った記憶が(笑) 1975年頃で電源切替(交直?)のために車内の照明が消えるのは客車ではありえない?
関東から東北のあたり
電車だけ?
客車だった気がする
照明消すアナウンスがあった 寝るときに点灯する派か消灯する派かどっちだったかな思い出せない JR初期あたりまでは深夜に停車駅の少ない列車は消灯してくれてたね。
電車だが上越線「ムーンライト」でも、オレンジ予備灯だけの消灯だった トイレなんかで通路は歩く人いるし、防犯上、消灯はありえないだろ
一度もない。減光はしたりしなかったりだったけど 今どきの連中は実体験話を書いてる人にまで否定するのか。笑 実体験話=事実とは限らんのでね
記憶違いなんて普通にある
というか夜行列車の深夜帯の照明については単に表現の問題だろ 老人の昔話なんてホラと伝聞と誇張だからな
そもそも485や583で夜にデッドセクション通過を体験したことあるなら
夜行で消灯はありえないってわかるだろ 上越線の165系「ムーンライト」は記憶にないが
北海道の快速「ミッドナイト」は夜行バス並みの消灯をしてたよ。 >>364
オ レ ン ジ 予 備 灯 だ け
と書いたんだが、読めなかった?
真っ暗な完全消灯じゃねえぞ?
ありえないが、仮に真っ暗にしたところで
デッキの明るい蛍光灯の光が
両側の客室ドアの透明ガラスから入ってくるから。 >>367
消灯の度合いがわからんが
wikiにはデッドセクション通過中は非常灯のみって書いたる で、話を最初に戻そう
旧客って車軸発電機で発電した電気をバッテリーに貯めて使ってたんだろ?
そうすると長時間停車だと照明フルに使えない場合もあったと思うんだよね
その場合非常灯のみに切り替えってあり得ると思うんだけどどう? 引きずってすまんが、減光、そのまま両方経験はある
ただ消灯予備灯のみ点灯はなかったな
寝台車も減光だけはしていた気がする
変わった例では、347M(当時の番号、大垣夜行)で、最後尾のみ減光、あとはそのまま
(グリーン車は減光していたかもしれない)
車掌が前の車両の状況を最後尾から確認するためとのこと(車掌さんに聞いた) >>366-367
記憶違いはありえないね。
消灯(千鳥配置のオレンジ灯のみ)そのものが、
当時中学生だった俺個人的に初体験で、感動記憶だから。
ただの一記憶だったら思い違いもあるだろうが
そうではない。 一方で、同じころの急行アルプスは
夜通し「全灯が点いたまま」だったよ。
183系って減灯(光量だけ減らす)は可能だったんだっけ。
カーテンに頭をもぐらせて、寝た。 >>376
それ消灯じゃなく減灯と指摘してる人がいるだけだよ 少し調べたが、485系になってからでも消灯サービスが継続されてたんだってね。
それは知らなかった。ツイートで確認
自分が実乗した165系時代だけだと思ってたわ。 >>379
消灯を否定したい人は多勢装いの一匹なのかね?負けるのは自明なのに。そのうちスレチガー爺さんガー連呼しながら逃亡しそうw だからさあ
同じ事象を消灯だあ減灯だあと言ってるんだから気にすんなよ 旧客と併結できるんだな
Twitterで目撃情報がある
わざわざ幌を旧客と同じのに戻してる
20系で幌が互換性がなかったのでうばざくらの時は両者が通り抜け不可だった ・減灯
蛍光灯照明は全灯点いたままだが、その光量だけが落とされる状態
・消灯
電球の補助灯(非常時に点灯する部分と同じ)だけが点き、蛍光灯照明は消される
・完全消灯(※)
こんな表現は一般的ではないが、上述「消灯」という語が伝統的に示す状態を
理解できない者が一部にいるため、レトロニムとしての便宜的表現 >>376
千鳥ってそれ普通の減光だから
予 備 灯 ではないよ
予備灯っていうから非常灯だと思っただけだよ
夜行の減光とデッドセクション体験してれば減光を消灯なんて言わないから
>>381
同じ事象じゃないよ。消灯は文字通り照明が消えて真っ暗だよ
485なんかでデッドセクション通過したことないの?
その時ついてるのが非常灯
ちなみにMLえちご、K1とT18に乗ったけど普通の減光だった
ちょっとググったら金沢の489がそれみたいだな。能登 >>384
ちゃんとあなたの際しの書き込みから順に読んでいってみな
流れが分かるから >>382
急行音戸(広島発着のほう)は10系ハネ+12系の編成だったような 国鉄末期からの寝台車個室化はなかなか興味深かった
トップバッターの「カルテット」は雑誌で見ただけですが
一度乗ってみたかった・・・ A寝台はゴロ寝できるから「ロネ」
B寝台は跳ねるから「ハネ」 >>382
>>387
きたぐにとかでもあったぞ。 12系700番台
ユーロライナー
ゆうゆうサロン岡山
サロン佐渡
パノラマライナーサザンクロス
スーパーエクスプレスレインボー さくら・あかつきの分割駅だった肥前山口が江北に改称されちゃったね みずほに雲仙西海、ながさきもだな
あんな小さい駅で併合やってたんだよな 肥前山口といえば長崎・佐世保からの東京行上りさくらが2本並走しながらの同時到着が懐かしい 佐賀県杵島郡江北町大字山口にあるんだからまあ良いじゃん >>400
鳥栖だと熊本編成切り離せないだろうがよ。 >>404
分岐点の鳥栖で切り離せないってどういうことだよ? >>403
だったら変えなくてよくね?
新規に命名された町名ならまだしも >>406
ググれば鳥栖で分割併合してたのが分かるはずだが アホは放置で
177 名前:回想774列車[sage] 投稿日:2022/10/09(日) 08:47:44.74 ID:lqfdswrx
ググレ加須 >>410
市町村合併で山口市になったので
磐城西郷→新白河よりましかも
ゆうづるに14系が入った時は既に
尻内→八戸になっていたけれど
平→いわきに改称されたのは列車廃止後か
駅名改称の思い出スレ
ttps://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1451639105/ SLやまぐちの12系
レトロ改造される直前に一瞬だけ茶色+白帯になったことありましたね。
マイテ49に揃えられて好印象だったのにすぐ不揃いなレトロになってしまった。 スハフ12 68+オハ12 230+オハ12 229+オハ12+227+オハフ13 59
1987年6月 茶色化
1988年7月 レトロ客車(700番代)へ改造 スハフ12 100番台の妻面窓は若干小型化されましたがバランス悪いと思います >>415
最終増備車だけでしたか、ありがとうございます
貫通扉窓含めて3枚ほぼ同じ大きさでデザインされているのに
狭窓にしたのは何か理由があるのかな? 工作の簡略化のため埋込式の幌を一般形状の幌に変更したことによるもの 簡略化というより雪詰まりで収納出来なくなくなるのを避ける為でね? いや50系も一緒に作ってて50系と一緒にした。同時期のオハネフ25なんかもそう スハフ12最終増備車はオハネフ25-100/200、スハネフ15あたりと同期か >>420
それなら後退角も同じにするんでね?
バランサー取り付ける分、裏に補強材入れる為窓小さくなったんだと思うぞ。 >>422
>それなら後退角も同じにするんでね?
??? 顔が似ているグループ
○ハザ丸妻
・スハフ12(最終型除く)
・スハフ14
・オハフ15
○ハネ丸妻
・スハネフ14
・オハネフ24
○ハネ半切妻
・スハネフ15
・オハネフ25-200 >>426
引き合いに出されてる50系の車掌室やオハネフ25-100の車掌室見たことないの?
設計思想が同じなら12系も平面顔にならないとおかしいだろ? おかしいのはおまえだよ。誰も設計思想の話なんかしてないんだが
部品の共用化をしたって話だよ >>427
12系の最終増備車が50系や25型200番代と設計思想が同じってどこに書いてあるの? 部品の共通化と設計思想の共通化は全く別の次元の話だよね >>429
レス遡れ。そんな事も出来んのがうだうだ言うな。 自分で調べろ、勉強しろと言うやつほど実はわかってない件 このスレで「設計思想」という単語を初めて使ったのが>>427
その >>427にどこに書いてあるのと聞いた>>429にレス遡れと噛みついた>>431
さて、言ってることがおかしいのは誰でしょう? >>420まで遡れないただの揚げ足取り乙。一字一句同じにしないと理解出来ないの? まあ他人の発言を指摘する場合に改変しちゃいかんでしょ いや、おまえが>>414まで辿れよ
スハフ12の妻面の窓が小窓になったのはなぜ?
幌が変更になったから。それは50系と一緒にした
それがなぜ設計思想とやらで妻面まで一緒にしないといけないのか?
一から説明しないとダメな人なのかな?そもそも拡幅と標準車体なんだけど >>434
第三者が検証可能なソースを聞いてるんじゃないの?
誰かもわからないヤツが言ってるのがソースなの? >>434
設計思想が同じなんて>>420のどこに書いてあるの?
同じ部材を使ったら設計思想は同じなの? >>436
えー、オハネフ25-100はスルーですか?
自分に都合のいい部分だけ切り取って語るから意味不明になっていくんだよ。
こっちは、同時期のオハネフ25が平面顔になってんのになんで12系は窓だけ細くなって従来の顔を維持してるの?って意味で、>>420に聞いてんだけどね。
わざわざこんな長文書いて説明しないと分らない? コストダウン目的で幌を標準的なものにすると、後方監視窓の大きさが従来のままだと追加となる幌を吊る金具と
干渉するのを避けるために窓の幅を狭めるにあたって、ちょうどよい大きさだった50系のガラスを流用しただけでしょ
妻面形状は従来のままなのになんで設計思想まで一緒だと言い切っちゃうのか 以下レスしませんのでお好きなように罵倒してくださいませw なんで多客団体用で組み換えが日常茶飯な運用が前提のスハフ12を、組み換え作業が圧倒的にしにくい平面顔にわざわざしなくちゃならんの?
言ってることが支離滅裂でさっぱりわからないんだけど ソースも示さずにあっさりトンズラかよ
まんま>>432の痛い鉄ヲタそのものだったな > 自分に都合のいい部分だけ切り取って語るから意味不明になっていくんだよ。
まさにお前自身のことじゃねーかw そもそもオハネフ25 100番代が平妻になったのは、オハネフ25 0番代が2段化に伴う定員確保のためにレイアウトを大きく見直した結果、
特に通路側の乗務員室がスハネフ14/オハネフ24に比べて圧倒的に狭くなり乗務員の作業性が悪化したのを改善するためだろ
で、平妻にしたらしたで今度は連結解放の作業がやりにくくなったので、200番代からは折妻にしたって話でしょうに
で、もともと乗務員室がスハネフ14と同等の広さがあるスハフ12をわざわざ設計変更して平妻にする必要なんていったいどこにあったのさ?>>441 オハネフ25 0番代になぜ前期型と後期型があったのかもわかってなさそうだな>>439 ID:1sp8cQSx
知ったか乙w
>自分に都合のいい部分だけ切り取って語るから意味不明になっていくんだよ。
見事なブーメラン乙w 比較用のサイドビュー、置いときますねw
スハフ12 3002
ttp://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/020/826/17/N000/000/000/127721247237016119167_daisen8_psc12-3002.jpg
スハネフ14 101
ttp://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/020/826/17/N000/000/003/130441958214216203137_sakuhaya_01_suhanefu14_101.jpg
オハネフ25 29
https://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/020/826/17/N000/000/003/130458290671316419269_fuji4_09_ohanefu25_29.jpg
オハネフ25 155
ttp://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/020/826/17/N000/000/003/130442067452716132151_sakuhaya_07_ohanefu25_155.jpg
オハネフ25 210
ttp://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/020/826/17/N000/000/003/130442078337716202979_sakuhaya_11_ohanefu25_210.jpg
スハネフ15 21
ttp://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/020/826/17/N000/000/002/129516681299716226613_fuji6_suhanefu15_21.jpg ID:1sp8cQSx を見てると実は全然わかってないヤツほど自信満々に語りだすのが良くわかる 中の人でもないのにどうして自分の思い込みを絶対に正しいと決めつけて相手に絡めるのかさっぱりわからない。 > 同時期のオハネフ25が平面顔になってんのになんで12系は窓だけ細くなって従来の顔を維持してるの?
車掌室が極端に狭くなって改善要望が出ていたオハネフ25とは違い、スハフ12の車掌室はもともと十分な広さがあったからですけど
お前の言う設計思想って何?
ホント意味不明なんだけど 昭和43年度第4次債務 スハフ12 1~8
昭和44年度民有 スハフ12 9~25 オハフ13 1~17
昭和44年度本予算 スハフ12 26・27・41~44・55・56 オハフ13 18・19・33~35・41・42
昭和44年度第2次債務 スハフ12 28~40・45~54・57~64 オハフ13 20~32・36~40・43~50
昭和45年度第1次債務 スハフ12 65~90 オハフ13 51~76
昭和45年度第3次債務 スハネフ14 1~3
昭和46年度本予算 スハネフ14 4~27
昭和46年度第3次債務 スハネフ14 28~45
昭和46年度民有 スハネフ14 46~54
昭和47年度第3次債務 オハネフ24 1~27 マヤ24 1~10
昭和47年度第1次民有 スハフ14 1~14 オハフ15 1~13
昭和47年度第2次民有 スハフ14 15~23 オハフ15 14~21
昭和48年度第3次民有 スハフ14 24~43 オハフ15 22~37 オハネフ25 1~27 カニ24 1~8
昭和49年度第3次債務 オハネフ25 28~46 カニ24 9~14
昭和49年度第2次民有 スハフ14 44~63 オハフ15 38~53
昭和50年度第1次債務 オハネフ25 101~129 カニ24 15~25
昭和50年度第3次債務 オハネフ25 47
昭和51年度本予算 スハフ12 101~124
昭和51年度第1次債務 オハネフ25 130~157 カニ24 101~108
昭和51年度第2次債務 オハネフ25 201~210 カニ24 109~112 オハフ50 1~2046
昭和52年度本予算 スハフ12 125~137
昭和52年度第1次債務 スハフ12 138~148 スハネフ15 1~21 オハフ50 2047~2061
昭和52年度第2次債務 スハフ12 149~163 オハフ50 62~101 オハフ51 1~10
昭和53年度第1次債務 オハフ50 102~2166
昭和53年度第2次債務 オハフ50 167~2203
昭和53年度第3次債務 オハフ50 204~2239
昭和54年度本予算 オハフ50 240~253
昭和54年度第2次債務 オハネフ25 211~221 カニ24 113~116 オハフ50 254~2330 オハフ51 11~26
昭和54年度第3次債務 オハフ50 2331~2359 オハフ51 27~31
昭和55年度第1次債務 オハフ50 2360~2389 オハフ51 32~36
昭和55年度第3次債務 オハフ50 2390~429 オハフ51 37~59
昭和56年度第1次債務 オハフ50 430~437 オハフ51 60~68
昭和56年度第2次債務 オハフ50 2438~2488 オハネフ25の妻面形状迷走の真相
昭和48年度第3次民有 オハネフ25 1~ 定員確保でレイアウト見直したぞ → 車掌室が狭くなって作業がしづらいじゃねーかどうにかしろゴルァ
昭和49年度第3次債務 オハネフ25 28~ デッキ周りのレイアウトを見直して広くしたぞ → 大して変わらねえじゃねーかどうにかしろゴルァ
昭和50年度第1次債務 オハネフ25 101~ 切妻にして広くしたぞ → 連結解放作業がやりにくくなったじゃねーかどうにかしろゴルァ
後部標識灯つけて方転出来なくしたぞ → 車掌業務がしづらいじゃねーかどうにかしろゴルァ
昭和51年度第2次債務 オハネフ25 201~ 折妻にしたぞ、再度方転できるようにしたぞ
こうやって改めて製造年次ごとに並べてみると、ID:1sp8cQSx が唱える「設計思想w」とやらとはずいぶん矛盾がありますなあ
・カニ24 15~25 切妻でなく折妻のままで製造されてますけど?
・スハフ12 101~163 切妻でなく折妻のままで製造されてますけど?
・カニ24 109~116 折妻でなく切妻のままで製造されてますけど? ・スハフ12 101~163 切妻でなく折妻のままで製造されてますけど?
↓
・スハフ12 101~124 切妻でなく折妻のままで製造されてますけど?
・スハフ12 125~163 新たな形状の折妻でなく従来の形状の折妻のままで製造されてますけど? 毎日あった東海道ブルトレの途中駅での増結作業だが、オハネフ24では前方の視界が開ける車掌室側同士で連結だったものが
オハネフ25 100では便所側での連結となり、貫通扉を開けながらじゃないと駅の誘導掛の前方の見通しが効かなくなった
駅の誘導掛にしたら危なくなったし、やりにくくもなったわけで、そりゃあ文句も言いたくなるだろう 車掌室側での連結なら万が一の時は誘導掛が車掌室内にある車掌弁を引いて入換車両を停められるが、便所側だとそれも出来ない
運用サイドからも使いにくいと苦情が出ていたようだし、方転不可は車両設計サイドの独りよがりでしかなかったのではないかと思ってる スハネフ15はオハネフ25-200に電源装置追加という解釈でよいですか? >>439
>同時期のオハネフ25が平面顔になってんのになんで12系は窓だけ細くなって従来の顔を維持してるの?
平面顔にする必要がないから 12系3000番台
ちくま/だいせん用大型電照テールマークが特徴的だった 自己レス
>>463
大型電照テールマークは12系0番台時代のようですね
スハフ12-3000番台はスハフ14と同様の扉内蔵型テールマークになった模様 ちくま/だいせんは連結相手が20系→14系14型→14系15型と進化していったのが
興味深かった 緩急車の車端部ドアは本来白帯があって後年塗装を省略された?
折戸にも本来白帯があって後年塗装を省略された? >>466
帯のステッカー化による省略。
扉部は擦れて剥がれやすくなるので省略された。 >>467
ステッカーなんですか!?
身延線115系2000番台や飯田線119系のはがされまくった白帯を思い出す 2022年12月5日発売
鉄道車輌ガイド vol.37 12系客車 (下) ~JR化後から私鉄譲渡車まで~
ttp://pbs.twimg.com/media/FjAvwWeaYAIdnuA.jpg この前発売されたトミックス14系を購入したところ一点分からない点があり、よろしければどなたかお教えいただきたくお願いします。
スハネフの3位(車掌室部)床下は標準では円筒物(消火器箱?)が付いてますが、四角い機器箱に交換できるようになっています。
ネットや書籍の写真を見たところでは大体75年頃までは円筒物ですが、それ以降は四角い機器箱に変わっているように思われました。
ただ、模型はテールマークは絵入り(79年以降)の設定なのでその頃までは円筒物であったのか…
四角い機器箱は何なのか、いつ頃から変わったのか、どなたかご存知ないでしょうか?
個人的には北陸トンネル事故後の対策として四角い機器箱に改修されたのでは?と考えていますが、一方で模型では発電機関にカバーが付いており(これも火災事故対策だったような?)よく分からなくなりました… >>471
円筒物は消火器箱
四角い機器箱は薬剤タンク納入箱
薬剤タンク納入箱は推測の通り、北陸トンネル列車火災事故発生に伴う防火対策の一環として1974~1977年に3位(乗務員室下)に新設されたもの
この薬剤タンク納入箱の設置に伴い、乗務員室下にもともとあった消火器箱は1-3位側の車体中央部の燃料タンク脇に移設されている ちなみにスハネフ14 500番代の消火器箱は耐寒耐雪改造の際に台車と第1消音器の間に再移設された >>471
ttp://www.1999.co.jp/itbig91/10915186a5.jpg
この写真から燃料タンク脇に移設後の消火器箱が写っているので四角い機器箱を選ぶのが正当かと >>472
ご返答ありがとうございます。
やはり防火対策が関連していたのですね。丁寧な解説に感謝しています! 12系も14系も、東南アジアに行った車両が意外なほど短命だった件。
普通鋼製が災いしたか、運用上の都合か。
見るからに古くさい外見の「営団6000系」がジャカルタで元気に走っているのを見るにつけ、なんだかな、って気分になる。 ジャカルタに行った103系も6年くらいで廃車になったと聞いた。
普通鋼製だったからかな。 日本みたいにしっかり手入れしないんだろうな
海外は半ば使い捨てみたいな所があるな 派手な色に塗り替えてるのにw
見た目と違って耐候性低いのかな? お古な上に日本より大事にする国へは行かない結果・・ 14系座席車にロザ車(ジョイフルトレインは除く)が出なかったのは何で? 臨時だけどつばさとか踊り子とか昼行特急にも使われていたのに >>492
自由席特急券の値引き分くらいと考えとけばおk こだまの代車を153系にした通称かえだまはいくら値引きだっけか。
北海道でキハ82系の代車をキハ56にしたのは確か100円引きだったかと。
そう考えると12系特急50円引きはケチだなw 腐っても鯛というか
シートがボックスだけで、冷房付で近代的な装備だしな
急行とか冷房なしの時代だし と言うか12系客車の特急の特急料金って100円引きじゃね? 12系の臨時急行は速度が遅いので「冷房があるだけマシ」な状態になってそうだな
暖房も電気暖房なので強力
東北本線とかだと110キロで走行できるので気動車急行より速かったりする
板谷峠も気動車より速い 車やバイクに比べて鉄道車両のデザインって50年周期くらいで変革するくらいの長期保持なスタイル。
12系がデビューした69年(昭和44)と言えばまだ街はホコリっぽい戦後の風情がまだそこかしこと残ってたが
そんな中で鮮やかな青20号に白帯、冷房完備のスタイルっていきなり80年代90年代の装いがタイムマシン的にやってきたような
感覚があるんだが、これは今からさかのぼっての感覚であって当時としてはさほど衝撃デビューと言うほどでもなかったのかな? 定期の夜行急行は近代化改装してるとはいえ旧客だった時代だから
12系はかなり新しく見えたかと
とはいえ電車急行なんかは既に走ってたから、未来ってほどではなさそう。 ふむ、151系153系や20系客車とかは昭和33年(58年)にデビューして、60年代ですでに今と変わらないカルダン駆動にデコラ内装の
車両がどんどん走り始めてたし、鉄道車両と言うのはどこか時代を超えた普遍的な造形があるのを実感するね。。 12系は内装や車内構造的にキハ65と同じで急行ならばグレード高そう
14系の臨時昼行特急はどう考えても罰ゲームすぎ 14系座席車も特急車両の中で内装や車内構造的に上位だろ? 重心こそ下げたが
かと言って特段に速い訳でもない
主要な功績は道内の輸送近代化かも知れぬ キハ82よりかは速かっただろうが485系と比較して圧倒的に不利
EF66で120キロ運転する実験して欲しかったが軌道破壊が凄い事になるので特甲線規格の東海道線東京~神戸間じゃないと不可能だろうな そう考えると機関車列車が時速140とか180キロで走ってるヨーロッパって凄いよな 客車の静粛性は素晴らしいから新型客車で優等きぼんぬ
東京~大阪にムーンライト銀河
名古屋~博多にムーンライト味噌豚骨
これらは利用者に受け入れられると思うわ 今だと貨物列車の要領で走る事になるぞ
瀬戸内を走る伊豆急の車とか >>501
大昔RJで「つばさ51号」の列車追跡やったことがあったが
「14系は昼間乗る分には最高」という評価だった
電車特急も気動車特急も今みたくリクライニングしないシートだったし それだよね。1970年代初頭でリクライニングつけてんだからグリーンいらんだろっていう
波動用でグリーン作ると入換が面倒だし
>>506
14系と同時期で外観が似てるイギリスのマーク3なんか200km/hなんだよな
扉が手動だけど いや、14系の簡易リクなら同時期に出た183系(もちろん電車のほう)も装備していた あのストッパーなし簡リクがグリーンの代わりになる訳ないよ 485系なんかリクライニングしないシートだったしな
90年代後半の九州で遭遇したときにはさすがにビビったが >>511
ドアが違うだけで基本設計は似ている
オハ12とキハ65も >>515
車体は赤かったし、まさか残ってると思わなかった。緑編成が出始めた頃のきりしまのモハだったかな。乗れたのは結局あれ一度きり。 >>499
明るい車内(蛍光灯)と冷房完備で全然近代的
復刻された昭和47年3月の時刻表には多数の夜行客レ夜行急行が載ってるが
すべて旧客(非冷房+白熱灯)だし
昭和48年からは数本の急行が12系に置き換わったが ストッパーなしの「バッタンコシート」は東武に残ってる?
夜行列車だと寝てる最中にリクライニングが解除されてビビって目が覚めたとか多発したはず 10系客車がたくさんいたんだから蛍光灯は12系だけじゃないだろ 旧客も急行運用はほとんど蛍光灯になってたはず
14系の簡易リクライニングシートはあとでストッパー追加してなかったっけ? >>487
ジョイフル以外の14系グリーン座席車
もし実在した場合の外観、見た目が一番近い感じのなはのレガートシート車が
14系座席車オンリーの編成に組み込まれて走るのを見てみたかった
まあ普通車で引き戸だが サロンエクスプレス東京登場直前の頃
「リバイバルつばめ」で14系ハザにオシ14を組み込んだ
特別編成が走ったような あったな。はとも平和もやってた。61が牽いて。あれ長かったよね。オシ2両のときもあったような >>524
オシ2両は平和号。JR化前は65PFが牽いたのも有った。 旧客は末期はサークラインになってたの多かった
高崎のやつはLED電球にしてる 国鉄時代に全14系ハザ編成で定期運用というと関西九州夜行急行と北海道地区だけだったか >>527
津軽と八甲田は国鉄時代に14系オール座席編成化されてるよ 八甲田の14系はJR化後かと思ってた。60.3か
十和田もあったよね、14系 スハフ12
オハフ13
スハフ14
オハフ15
同じ形式に同じ番号を付与しないというルールは旧客時代から? 12系の北海道バージョンがあったらどうなるか
キハ56みたいな二重窓と引き戸にしないと冬寒いとクレームになりそう
夏季の貸し出しは構造的に可能だったが行われず >>528-529
津軽が昭和58(83年)7月、八甲田が昭和60年3月ですか。十和田は臨時になって14系だったのかな。
80年代入って東北・上越新幹線が開業すると旧客の急行はとか廃止で趣味的な面白さも減ったのに加え
自分も鉄道から徐々に離れて行って、あまりこの時期は詳しくないです。。
もっと前の子供の頃なら「何とか大百科」のような児童書片っ端から読んでて知識いれてたんだけどw サロ124・125→サロ212・213の発生品である弾き通しを利用して
サロ211→ナハフ17
サロ210→ナハ16
としてたら
EL牽引列車で12系問題を回避できたかな?
どっちみちSLは来春怪しいみたいだが >>531
キハ56系の200番台車を客車にしたような感じの車両になってたかなと思う。
窓は1段上昇式の2重窓、暖房は蒸気暖房、ドアは引き戸、前面は本州用と同じで、
冷房や電気暖房、行先表示器、電源用エンジンは準備工事のみとなってただろう。 >>519
実際そうだったよ
浅い眠りなんかだと他人のガタン音が気になる
でも全員の座席がそれで平等なので
仕方なくガマンするしかなかった オハフ15-200
あすかに似た展望室が青春18きっぷで乗車できたのはよかったけど
末期のムーンライトでは雰囲気悪かったようで・・・ 僕なんかヲタ同士で静かに寝てたけどな
クロ455-1格下げ快速「ばんだい」も
最期は藤田折り返しに使われてたな >>535
初めてそのシートに座ったときは壊れてるのかと思った。 オハ14-300
あかつき用レガートシート
全身でヘッドマークを表現しているような車体色だった 12系と14系の併結
・スーパーエクスプレスレインボー
・あすか
・「ちくま」
・「だいせん」 臨時で良ければユーロライナーを使った多客臨各種。
組み合わせが有り過ぎて書ききれんが代表格がシュプールユーロ赤倉・滋賀。ユーロ6連に14系ユーロピア4連の10連。
発電エンジン2基なので14系から12系にも給電してるが容量オーバーでブレーカー落ちる事頻発、後に発電ユニットの交換で出力増強をしてる。 >>543
カヌ座
ttp://livedoor.blogimg.jp/mar901/imgs/f/a/fa07068e.jpg
団臨
ttp://pbs.twimg.com/media/EBu7wr1U0AAxcla.jpg
ttp://pbs.twimg.com/media/EBu7xCpU8AAJ5cI.jpg
ttp://pbs.twimg.com/media/C-QJnlaXgAACCAn.jpg
ttp://pbs.twimg.com/media/DzIOtU0V4AE0KcZ.jpg
ttp://ef58176.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2016/01/23/scn0027_hr200_23.jpg >>546
サロンエクスプレス東京からゆとりに改造された時、
1両減車されたオロ14は12系カヌ座に組み込まれたのか・・・ 持ってる人は過去の調査研究活動の成果だからな
羨ましがっても仕方ない だから書籍にはお金を惜しまないことさね
絶版になってからプレ値で買うくらいなら出たときに買え
過去のものは図書館へ
取り寄せできるのもあるしコピーサービスもあるし RMライブラリーはぼちぼち復刻版が出てるけどもっと前の世代だしなあ
とおもってうちにある12系本見たらRMアーカイブの方だった、こっちは再販動きなさげ sl冬の湿原号でのオハ14-526の洗面台って
原型タイプ?それともリニューアルタイプ?どっちなんだ? >>554
動き無いからこっちでも聞いてみたんだけど
何かダメだったか? >>556
さすがにあんたが過剰
マルチ呼ばわりで嫌われるのは5ch内での話
別媒体(この場合X)で募ることをマルチとは言わん >>557
別サイトか同一サイトかとか関係ない
お前がおかしい DMF15って初出はキハ181だからもう60年近く経つんだけど
いまだにキハ40で使ってるからな。部品はあるでしょ サロンカーなにわは異様に長寿だな
デビューから40年以上・種車の製造から50年以上経過してるが未だ現役
発電エンジン換装してる?
SA6D125系にすればJR西日本の標準走行用機関と部品が同じになる >>562
サロンカーなにわはJR西日本にとって使い勝手いいのかも SETもユーロもゆうサロもアイランドエクスプレスもJT化されてからの方が長いよ
12系は経年15年程度でJT化されてユーロは20年、ゆうサロも26年使ったから
SETも車歴の中で一番長いのは欧風時代で14年、次点が種車時代で13年程度、ゆとりは11年
アイランドエクスプレスの種車は10年未満で改造後10年以上JTとして使ってる
サザンクロスだけは改造後8年で廃車と短命だったけどな オハ12
・座敷(オロ12-800)
・欧風(オロ12-700)
・近郊(オハ12-1000)
・電源車(スハ25)
・展望車(オハテ12)←NEW JR東日本は客車ジョイトレ全廃政策に翻弄された
速度が遅くて機関車手配の手間がかかって扱いにくかった JR四国は12系14系を貰ってきて、また別組織に譲っている印象 >>572
高松所のDE10も居ないんでしたっけ? >>574
とっくにいない
車籍があるのはDF50のみ 民営化時に資料館に押し込まれたまま一度も本線に出て来ておらず、検査も一度も打っていないDF50が残っているから
全廃ではないというのならそうなんでしょうね
お前の中ではな そのへんは解体されてなければ廃車じゃないなんて人もいるくらいですし