限られた工期で最大限の変化を求められたらあらかじめ製作した展望室ブロックを接続するサロンエクスプレス東京&サロンカーなにわ方式が最適解だったんじゃないかな。
ナコ座の場合、内装系担当者ばかり忙しくて車体担当者がヒマになってしまったのではないかなと予想。
あと当時は電車の先頭車化改造も大ブームでしたね。
短期間であれだけ大量に登場出来たのも国鉄工場に大量の技術系社員が居たからだと思います。