平成生まれが知らなさそうなこと@鉄道懐かし板6
ジュリアナ東京も老若男女入り乱れて踊っていたのが思い出される 自分は越中おわら風の盆が好きだ
哀愁ある胡弓に合わせてゆったり踊る野が癒やされる 娘の大学入学試験に40代の父親が替え玉で臨んだ事件があった。
あっさりばれてしまったとか。 駄菓子屋の横のブロック崩しゲームの筐体。1回50円で遊べた。 >>595
おわら風の盆といえばキハ181をはじめとする多彩な臨時列車 >>604
昔は山手線内って表現ができなかったからなあ 京浜東北で検札が回って来て、慌てて次駅で下車する人が多かったこと。 モハ72ばかりの京浜東北に103系が投入された時、まさに掃き溜めに鶴の様相を呈していたこと 上野駅駅から普通にSL牽引の列車が
発着していたこと 福知山線は旧型客車の天国だったこと
宝塚以北の利用者も宝塚で阪急に乗り換えて大阪に行ってたこと 電車内でジャンプとか読んでるスーツ姿のリーマンのヲッサンが
欧米人から見たらかなり異様に扱われてた。
だから日本の成人男子は精神年齢が低すぎるとか言われてたが
いまはその欧米人も日本のアニメや漫画にドハマりしてしまってるという 外国旅行して感じたのは日本のアニメや漫画が多くの人の琴線に触れるほど優秀なこと。 カラーテレビの普及率が半数を越えたのは1972年
つまり白黒のほうが多かったのは19年
昭和でカラーのほうが多いのは16年
白黒がデフォとは言えんだろ まぁカラーが一般に普及したのはEXPO70がきっかけだったからな 今はテレビと言えばカラーがデフォだね
平成生まれでは白黒テレビなんて想像すら出来ぬ人も多いのではないか? 大阪
挨拶が「おはようございます」ではなく「昨日阪神(タイガースの試合)みた?」
「藤村のバッティングはよかった」と答えたら、阪神ファン >>615
昔の新聞のテレビ欄を見ると、昭和40年代に入って、それまでの白黒主体の番組がカラー番組に切り替わった感じかな
自分は昭和50年代前半に小学生だったけど、もうその頃には白黒番組は、再放送枠の鉄腕アトムぐらいしかなかった ウルトラマンは今でも人気なのはすごいね
登場してもう半世紀を軽く過ぎた あの毒蝮三太夫(石井伊吉)さんが子供たちのヒーローだったんだからw
あの人、ウルトラマンの後番組の、ウルトラセブンにも出てたな >>625
その当時の彼は「ジジイ」「ババア」とか言わなかったのかな? 「ウルトラマンのジジイは暇なら沢山の虎売ってこい」とか怒鳴っていたような記憶。 怪獣を退治すると報酬はどのくらい貰えたんだろうか?