もし自衛隊鉄道部隊が現在まで存続していたら
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自衛隊仕様のDE11とか横田の燃料輸送に活躍してたんだろうな 境線大篠津町駅から美保基地までの引き込み線が設けられ、
境線には自衛隊機燃料輸送列車も設定されていた 賭けマージャンぐらいそこら辺のおっさんでも普通にやってるだろ。
そんな大げさに騒ぐようなことか?勘弁してやれよ。 DD54(自衛隊仕様)
国鉄から陸上自衛隊に譲渡されたディーゼル機関車
国鉄時代は不具合頻発で不評だったが防衛技術研究所が改良を行い不具合は解消されて輸送任務で活躍
なお改良には旧軍出身の技術者の尽力があったまた彼らは戦前のドイツ人脈を使って >>4
DD54(自衛隊仕様)
国鉄から陸上自衛隊に譲渡されたディーゼル機関車
国鉄時代は不具合頻発で不評だったが防衛技術研究所が改良を行い不具合は解消されて輸送任務で活躍
なお改良には旧軍出身の技術者の尽力があったまた彼らは戦前のドイツ人脈を使ってエンジンや変速機の改良交渉を行うことに成功した 保線工具は全て隊員の自腹
コピー代ぐらい出してくれよ 第101建設隊が存続していたら大規模災害時鉄道復旧に活躍していただろう
特に東日本大震災時の鉄道復旧や原発事故時の鉄道物資輸送などに活躍したのかな 補正予算で病客車増備あるいは新設に予算付いたかもね。 自衛隊鉄道連隊が正式名なのでしょうか。
それはともかく、組織発足理由が国鉄のストライキ時対応のためと
ウィキペディアに書いてあるけど、本当なのですか。
当時、東西冷戦でソ連の北海道侵攻対応などの理由が
説得力あると思うのですが。 鉄道部隊あっても労組傘下の組合員が職場放棄したら機能しない。かえって過激派の攻撃、妨害対象になる。
それがわかってたから自衛隊は鉄道輸送をなるべく縮小する方針を取った。 >>9 外敵侵攻のときに反米、反体制勢力が国鉄の組合とつるんで職場放棄などの妨害に出る現実的可能性があると考えられたからだろ。
昭和30年代前半、まだ道路整備か不十分で高速道路もなかった頃は、リスク承知で鉄道輸送に頼るしかなかった。
非武装中立論が幅をきかせていた時代だよ 防衛庁、自衛隊内でも鉄道部隊の存在意義は当初から論議あったようで。
かえって反米反戦勢力による妨害の的になる、全面的職場放棄、ストライキされては鉄道部隊あっても役に立たない。そういう問題点。 諸外国(西側)の鉄道部隊事情はどうだったのだろうか少なくとも第二次世界大戦後は列車砲等の兵器は全廃していった
鉄道部隊そのものはどうなったか軍事詳しくないからわからない
東側だと1980年代まで装甲列車が存在していたのは画像で見たことある >>13 列車砲は第二次大戦前から衰退してるよ。
装甲列車の存在理由は鉄道線路の破壊や輸送列車への襲撃を防止し、輸送線を確保するため。 >>13
ソ連/ロシアの装甲列車は予備的な兵器だけど現存はしてる(武装勢力相手で再稼働したことも)
あとは軍縮で一応は消えたけど弾道ミサイルを収容した車両とかあったしこれの後継的なやつにコンテナに偽装したミサイル発射機の考えも東側に出たんだろうな 第一、線路壊されてそれの救援に列車を仕立てるとか、意味あんのかと思ったりする。 >>8
存続していれば10系客車をベースとした隊員輸送用客車や医療設備を備えた車両があったかも
外観は通常の10系と変わらないが塗色は自衛隊標準の単色迷彩の深緑色で方向幕は無しサボも行き先は通常機密なので
後に50系ベースの車両も導入されて10系は置き換え数両がJR各社や大井川鐵道に払い下げられて蒸気機関車の牽引客車に使われていった >>11
101建設隊の自衛官達は
「自衛隊に対する感情から何も教えてくれないのでは?」と戦々恐々しながら研修先の田端機関区に赴いたが、動労組合員は戦前「鉄道連隊」出身者が多く仲間意識からか親切に指導してくれたそうで。 我が父親は、トワイライトエクスプレスの客車を「あれは自衛隊専用列車だ」と言い張って譲らなかった。
いくら説明しても納得しなかった。どこでどう勘違いしたのか未だにわからない。
単に車体の色で勝手に解釈してただけなのだろうけどな >>19
あんな豪華な軍用列車は無いわwあと海上自衛隊の呉基地で弾薬輸送用の軌道があったみたいだねそちらは2010年まで使用されていた
車両は呉基地の油槽所跡地に展示されている
https://togetter.com/li/1234723 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています