>>73
1976年頃に日本食堂・上野営業所が担当してた特急の食堂車は「はつかり」(上野−青森)、
「やまばと」(上野−山形)、「ひたち」(上野−原ノ町)、「とき」(上野−新潟)183除く、
「白山」(上野−金沢)の一部ではつかりの一部は青森営業所が、「とき」は聚楽が、「白山」
の一部は金沢営業所も担当していたので全部の列車ではありませんが上野営業所の担当は
早く消え、上野発着東北特急の食堂車末期は青森営業所と仙台営業所のみに消滅。

車内販売としての業務は残っていたけど北斗星は全て仙台営業所の担当で決まっていたらしく
JR化で門司営業所のブルトレ食堂車撤退ではやぶさ、富士、さくら、みずほ等が上野営業所に
決まったとの事です。しかし東海道ブルトレを担当した上野営業所に食堂車乗務したスタッフは
すでになく、ホテル研修もなかったので仙台営業所に比べると不調法で簡略化したやり方に
問題があったのは言うまでもありません。