夜行列車総合スレ★19
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日本の夜行列車も2020年5月現在で定期運転しているのはサンライズ「出雲」・「瀬戸」だけになり、
臨時列車で何とか走っている「ムーンライトながら」も一時期より運転数を減らして残すのみとなり、
これらもいつまで運行が継続されるか不透明な状況で今後が気になります。
その一方で「ななつ星」「四季島」「瑞風」「カシオペアクルーズ」「カシオペア紀行」
「WEST EXPRESS 銀河」など、豪華な客室を売りにする寝台列車は従来の夜行列車とは全く趣向が異なる、
ツアー方式クルーズトレインへの業態転換が特徴です。
当スレでは、もはや輸送列車としては絶滅寸前となった夜行列車全般について、
過去の列車の思い出話を中心に語ることで雑談などをします。
辛うじて現役である列車やクルーズトレインは、鉄道路線・車両板の個別スレでお願い致します。
※個別スレへのリンクは>>2以降で
前スレ(夜行列車総合スレ★18@鉄道懐かし板)
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1577960481/
鉄道総合板の夜行列車総合スレ(★14)はこちら
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/train/1517052329/ >>49
オロネ25は種村直樹氏の一番弟子で、三菱地所取締役の辻氏も酷評してた。
一番の要因は最高額の料金な割にその程度の設備?!の酷評だろう。
後に「富士」「はやぶさ」にソロが連結されて、料金面でオロネを選択の余地がなくなり、
ソロは満室でも他設備がガラガラの時が多かった。
二段式B寝台と差を付けるため個室としたが、車掌補廃止の省力化も伴ったから
中途半端になった。
Bコンパートメントは、単に二段式B寝台の一区画にドアを付けただけ。
オロネ25と比べて料金面の不満は薄い。6000円払う代物か?と言えばそれまでだが。 >>49
合理的な設計なのはよくわかるんだけどさ
その分 優雅さとかそういうトコまで一切そぎ落としてんだよね
壁も無機質だし なんか精神的な余裕を感じられない
あと特に窓際に配置されたステンレスの洗面台と小窓 あれが独房感を醸し出す
ルーメットは横配置なので窓が広く開放的だったし 昼間は寝台解体で奥行にゆとりのあるソファになったからな
比較されたら勝ち目無いよ あ〜たしかに20系のルーメットと比べたり、A個室料金に対してのオロネ25の設備が納得できるか否かを問われれば、そうなるかもしれませんね。 結局、座ったときに目の前に壁があるからでしょ
単純な面積だとか設備だとか以前に、
これは結構な圧迫感あると思うよ 1人用A個室シングルデラックスの部屋数
オロネ25-0(700含む):14室(はやぶさ、富士、あさかぜ1・4号、出雲1・4号・はくつる)
オロネ14-700:11室(北陸)
スロネ25-550:11室(あけぼの)
オロネ14-300:10室(出雲3・2号他)シャワー付き
オロネ25-300:10室(瀬戸、あさかぜ3・2号他)シャワー付き
上記を見てもオロネ25-0(700含む)は部屋数が多くて狭いのが分かる
はやぶさ 富士にB1ソロが登場してから狭い独房A個室を使うのをやめたくらい
特にオロネ25 1から10は窓際に寄れない、ベッドに寝るとスイッチに手が
届かないなどの欠陥もあって大枚はたくのがアホらしくなった ベッドに寝たときのスイッチの操作性を考慮したA個室なんて
オロハネ25-500になるまで出てこなかったんじゃないかと
ちなみに同時期改造のオロハネ25-551〜553すらその辺未考慮だった >>55
オロネ25 11と12はスイッチを1ヶ所に集約して改善されてる
JR東日本のオロハネ25 501〜503(ロイヤル)も同じく未考慮だった >>54
自分は鉄道作家や鉄道ライターなどに酷評されたオロネ25 0番台に
小学生時代の想い出があるから悪口は言いたくないけどその記述してある
後から誕生したシングルデラックスとは雲泥の差がある事は理解してる。
オーディオに映画放映のモニターTV、ヘッドマーク柄や列車画像を
モチーフにしたカードキーのセキュリティーやアラーム付き時計など。
歯ブラシ・髭剃り・石鹸などのグッズもついたけど0番台ははやぶさ・
・みずほ・富士・あさかぜ・出雲もマークが付いたタオルのみでした。
オロネ14-300とオロネ25-300はシャワーカードまで付いてベッドは
介護ベッドみたいな電動ギャザーベッドだったので格差は広がるばかり。
後発の方がデラックスになるのは仕方がない事だけど今はそれぞれの
想い出を胸に刻んで当時の乗車記をブログで紹介して楽しんでるよ。 オハネには何度も乗ったオレだがオロネはちょっと羨ましいだけだったなあ。
壁が窮屈そうでね。でもある日東京駅でロングおじさんがはやぶさオロネに
取材で乗っていて窓をコンしたら例のあの指広げたポーズと笑顔してくれたなw
忙しいだろうにガキンチョ一匹ちゃんと相手くれるいい人だった。
マンガはじめて物語も鉄道の回は微妙にテンション高かったしほんとに鉄道
好きな人だったんだろう。 >>57
ブルートレインブーム最盛期に
最上級列車の最上級個室を24時間堪能したのだから、
最高の思い出やと思うよ
今となっては各地の豪華列車に乗れる財力もあるけど、
君の思い出には適わんなw
食堂車とかは経験したん? 最初期型のシングルDXに外からかかる鍵が付いたのはいつだっけ? ソロは鍵がかかるがシングルDXは、寝台料金が倍以上するにもかかわらず鍵が出来ない時期があったように思うが勘違いか? >>59
東海道ブルトレ食堂車なら1977(昭和52)年から1988(昭和63)年くらいまで
可能な限り、利用したが流石に末期はお粗末なメニューだったため、利用は少ない。
>>62
自分は乗ってないけどはくつるのオロネ25 700番台になってシリンダー式の鍵が
キーホルダーについてて乗車すると車掌から鍵が配られたと聞いております。 >>63
何度も利用したんか
エエ思い出やな
羨ましいですわ 夜行の食堂車でアラカルトの経験は93年の「北斗星」、13年の「トワイライト」、14年の「北斗星」だな。93年のときはまだ中坊で、禾重木寸流に食事していたひとに話しかけてみたら、ある大学の教授であとでびっくりしたことがある。 がらがらの夜行列車
自由席に座っていたら
「指定席料金払ってくれたらグリーン席OKです」
と車掌さんの計らい
最初で最後のグリーン席かな? >>63
その頃だとちゃんぽん400円からシチュービーフ定食1400円まで幅広い価格帯だったような? 九州ブルトレの食堂車がレンチンメニューのビュッフェ扱いになった時代、台風で5時間半遅れて運転された事があった。
メニューは「たこ焼き」「焼きそば」と、あと1つは「チャーハン」か「ピラフ」だったかなぁ・・・。
車内で過ごす時間が長いから、それを順番に食べて行くの。
そしてその3種類を食べると、最初に食べたメニューをまた食べるの。
軽食で量が少ないのと、運行時間が長くなったせいもあり、5回目を食べようとしたら、それすらなくなってしまって、スタッフが駅弁の注文を取りに車内を巡回し、途中駅で駅弁を積み込んで部屋まで届けてくれた。
「列車が大幅に遅れた場合はどうする、こうする」なんて言う対応方法は、ある程度あるのだと思うけど「食堂車スタッフ魂」と言うか、「食堂車スタッフの使命感」を垣間見た夜行列車の食堂車の思い出です。 1978年4月 日食門司営業所の食堂車メニュー抜粋
ちゃんぽん400円、皿うどん400円、焼肉定食750円、関門定食800円、
一口カツ定食850円、幕の内850円、グリルチキン定食1000円、
ハンバーグ定食1000円、うなぎご飯1100円、シチュービーフ定食1200円、など
皿うどんは長崎営業所だけで門司営業所の扱いは無かったかも知れない
自分は食堂車に乗ったらエビフライ、皿うどん、ハムサラダなどでビールを
飲んでから〆のご飯物に行くパターンが多い
そういえばはやぶさの食堂車には辛子レンコンやさつま揚げのご当地メニューも
あって出雲にはあまさぎ(わかさぎ)南蛮漬などお酒のアテになるメニューも
多かったと昔を懐かしいんでいる。
あさかぜに星空食堂車がデニューした頃はちょうど門司営業所から新博多営業所へ
切り替り、車内でまだトンカツを揚げていたけど上野営業所が担当するメニューは
電子レンジか湯煎で暖めるレトルト食材か冷凍食材ばかりで終わっていたな。
その上野営業所が1993年3月から北斗星1・2号を担当して東海道ブルトレだけでなく
北斗星の食堂車までサービス低下で陳腐化させたのは否めない。 昭和51年(1976年)に頸文社から発行された南正時著の「世界の鉄道 特急・私鉄大百科」の
"決定版ブルー・トレインのすべて"によれば南氏のレポートで富士の食堂車での文章に
ビーフシチューが1000円だと紹介されていたよ。 自分は昭和56年夏から62年4月まで何回かオシ24で食べた。
値段がまずまず手頃だったんで朝2回、こっちは更新前の殺風景な
内装、夜は金帯更新間もないあさかぜでシチュー定食、当時としては
ゴージャスな内装だったと思う。そいからは日本バブル突入で
やたら豪華で高い北斗星の食堂みたいのが出来たね。
上野営業所が九州方面営業してたというのは東北方面特急食堂車
ほぼ全廃?後の雇用対策のためかね? >>71
落語の八っつぁんクマさんが食べるような気取りのない料理ってことでついた名前。 >>73
1976年頃に日本食堂・上野営業所が担当してた特急の食堂車は「はつかり」(上野−青森)、
「やまばと」(上野−山形)、「ひたち」(上野−原ノ町)、「とき」(上野−新潟)183除く、
「白山」(上野−金沢)の一部ではつかりの一部は青森営業所が、「とき」は聚楽が、「白山」
の一部は金沢営業所も担当していたので全部の列車ではありませんが上野営業所の担当は
早く消え、上野発着東北特急の食堂車末期は青森営業所と仙台営業所のみに消滅。
車内販売としての業務は残っていたけど北斗星は全て仙台営業所の担当で決まっていたらしく
JR化で門司営業所のブルトレ食堂車撤退ではやぶさ、富士、さくら、みずほ等が上野営業所に
決まったとの事です。しかし東海道ブルトレを担当した上野営業所に食堂車乗務したスタッフは
すでになく、ホテル研修もなかったので仙台営業所に比べると不調法で簡略化したやり方に
問題があったのは言うまでもありません。 >>74
ありがとうございます
関係ないですが、
私のバイト先ではジュウショクなんて呼んでいました 国鉄時代の食堂車では忙しい車掌のために簡単に作れて費用も安い、
それこそ江戸古典落語の『八っあん熊さん』に由来するように気軽な
乗務員のための食事だった。一般旅客の食事が終わってから食堂車
従業員の食事休憩時間帯に車掌も一緒に食べていた。
丼にご飯を盛ってその上に卵2個分のフライドエッグ(目玉焼き)を
乗せて横に福神漬けを添えた簡易的な食事である。
JRになると食堂車従業員と同じメニューになり、ハチクマライスは
消えた模様。 いま鉄道イメージや食堂車イメージのレストランで出されるハチクマライスなんて実態はロコモコ丼だよね 大館の方は公式に装着されているが渋谷は善意でも付けるなといわれているらしい
いやハチ公マスクとハチクマライスが何か似てるなとw >>75
特急白山3往復の内1往復、はつかりも一往復、朱鷺は二往復が
日食上野営業で他は青森営業所と朱鷺は聚楽持ちが殆どだった
大宮暫定開業の新幹線が走ると東北新幹線は日食仙台営業所担当で
上越新幹線は聚楽が担当していたと聞いた事がある
日食仙台営業所は北斗星が運行する1988年にまだ特急ひばり食堂車で
勤務していたスタッフが4名いたし、仙台のホテルで接客マナーや
ディナー時の注意点を学んでいるのが大きい
そこへいくと日食上野営業所は寂れた末期の東京発着ブルートレイン食堂車
で実務経験があるだけでディナーについての接客は自社の旧三笠会館で
行ったのみ 75 80 ありがとうございます。上野営業所は門司が抜けた分を埋め合わせる感じだったんですね。
考えてみると73で書いた昭和62年4月は3月で国鉄最末期でした。 田舎が福岡なものでその後も何回か帰りにあさかぜに乗ったけれど、田舎が食堂車で皆様のお越しをお待ちしておりますのアナウンスのあとも、独りだし、
殺風景な印象もあって、明日の朝に行こうと思いつつ翌朝も東京着近くまでグースカ寝てたりしたんで食堂車には結局行かずじまい。先客の体臭とか嫌でいつも始発のあさかぜ取ってたなあ。 ああでもそう言えば殺風景なチャンピョンは今に続くオーシャン東九フェリーですよw 苫小牧ゆきの商船三井フェリーのバイキング食堂はまだやってるんだろうか? 1987年 あさかぜ食堂車メニュー(夕食の主なメニュー)
椿御膳\1,500、※ハンバーグステーキ・フォレスト風\1,000、※ビーフシチュー・ア・ラ・モード\1,300、
*シーフードフライ盛り合わせ\1,200、*ポークヒレかつ\900、カツカレーライス(サラダ付)\900、
スパゲティー・ミートソース\700、上記※印は400円追加でパンまたはライス、ミニサラダ、コーヒーまたは
紅茶が付く 上記*印は200円追加でパンまたはライス、コーヒーまたは紅茶が付く
この頃は国鉄がJRになって日本食堂・新博多営業所が気合を入れてた時期なので手間のかかるフライなどの
揚げ物も車内で揚げていたし、同時に新体制で始めた日本食堂・上野営業所のメニューとは一線を画す、
勢いみたいなモノがあった 宇都宮氏も気合充分で取り組んでいたから・・・ 3月末に感染者ゼロ県のビジホにとまった時
すでに朝食バイキングをやめてたのに今頃かよ >>84
何となく、もう少し単価を上げてもよかったような…
2000年代に九州ブルートレインに東京から乗るときは、大丸の地下でビール1〜2缶に日本酒4合瓶1本、オードブルというかツマミ的なのひとつに、寿司か弁当買って乗ってた。それだけで3000円から4000円くらいしてたな。
それをソロにもちこみ、そのころは煙草プカプカ。
時代が違うとはいえ、食堂車ならもう少しとってもよかったかなと。
もっとも、それだけ買い揃えるのは九州まて行くときだけだった。一度、「あさかぜ」で広島まで行くときにそれやったら、二日酔いでひどいことになった。 何が嫌って寝台車の窓は開かないからな
だからタバコ臭い部屋に当たると最悪だった >>89
その時代にファブリーズがあればよかったのに 88 昭和62年3月19歳だった自分的には1000円超えるシチューは十分贅沢でしたよ。
この後バブルを挟んで日本人の金銭感覚が大きく変わったかと。
いや出張の日当の出るサラリーマンって事もあるか。。
昭和56年殺風景なオシ24での朝の和定食は650円だったかと思います。
今はホームでのミニコンビニで街中とほとんど変わらない値段で食料飲み物
買えるようになったからいい時代ですねえ >>91
>今はホームでのミニコンビニで街中とほとんど変わらない値段で食料飲み物
買えるようになったからいい時代ですねえ
それが食堂車衰退の原因の一つなんだよな 新幹線でも、長くて3時間程度での移動であれば、
早めに駅に来ていれば、あえて車内で飲食物を購入する必要も
ないようなものだからね
それどころか、ひと眠りしてれば目的地の駅…とかなら、
何も飲食しなくたっていいんだし 今車内販売がなくて本気で困るところは宗谷・石北線ぐらい >>91
昭和62年の九州方面寝台特急の朝の食堂車は和風朝定食が850円で
洋風朝定食が900円でした。その後食堂車の朝メニューはバイキング方式に
なって更に中華粥セット・洋風セット・イタリアンセットの3本建てに
変わって手が掛かる和朝食は排除、このあたりから客も離れて上り列車は
静岡駅で大垣夜行で有名な幕の内弁当を積み込んで車販に力を入れてたけど
この辺りから東海道線ブルートレインの食堂車は苦戦に時代に入った。
コックは1名、揚げ物・デザート系が消えてメニューの品数が大幅に減って
ウェイトレスも減り、ブルートレイン全列車のメニュー統一が図られる。
そして出雲とみずほの食堂車営業休止に追い込まれて1993年1月9日の
朝日新聞朝刊には「青息吐息ブルトレ」「利用者20名では」「赤字1億円」の囲い
文字で大きく取り上げられて同年3月18日改正から全面廃止にある文字が・・・ 北斗星の朝食は1988年は1000円だったけど
1989年か1990年には一気に1500円へ寝上げ
和朝食に限ってはそれだけの価値はあった そりゃ限られた空間の中で食事を提供するのだ
高くて当然 スナックとか水商売飲食店と違い、高い正当な理由があるからまだマシ。 グランシャリオやダイナープレヤデスにカシオペアダイニングカーの朝食は妥当な値段だと思う
あと上記のディナーメニュー価格も走るレストランというシチュエーションも加味すれば同じく 2020年5月現在、太平洋フェリーのモーニングバイキングが
サラダバー・ドリンクバー付で大人1100円と比べるとどうしても
高く感じてしまうが乗客キャパが違うからな
https://www.taiheiyo-ferry.co.jp/senpaku/restaurant.html#area02 車内調理なんかじゃレンチン主体でろくな食い物作れないんだし
酒類とつまみだけ充実すりゃいいのに
あとはセルフのソフトクリームは食いたい 今みたいな冷凍食品の技術や、進化した加熱機器があればねぇ・・・。
ガスは使えないと思うから「ウォーターオーブン」てやつ?
そうなると厨房の機器や配置を替えないとならないし、それをやったところで客足、列車の将来性などどうなのって話になれば「現状維持」以上の判断はなかなか出来なかったと思うよね。
ちなみに電気コンロ、電子レンジ、冷蔵庫や冷凍庫などの厨房設備は鉄道会社の所有・管理でしょ?
「この設備を使って運営してくんない?」って事なら、「はい、わかりました」しかないんだろうし、やれる事は限られてはくるわな。 もう食堂車ってモノが時代のニーズに合わないのだよ
高い家賃みたいな借用権を払っても儲けが薄くて赤字計上に近い食堂車だから
夜行列車自体も時代のニーズに合ってないから両方とも消えてしまった
飛行機で飛んで新幹線で移動して長距離なら現地のホテルに泊まれば事が
済んでしまう昨今だからこそ夜行列車も食堂車も一気に凋落の一途を辿った
しかし金を出せばクルーズトレインもあるし、道は残されている そりゃ、列車ではなく建物の中で食事・就寝できれば、
水回りや食材の問題も考えることはなくなるし、
静かにぐっすり休めるもんなぁ
高速移動が当然になって、それが容易にできるようになれば
そりゃ食堂車も夜行列車も運転する必要はなくなるよ まぁ、テレポーテーションが出来れば機内食は要らなくなるわな。ビーズかどこでもドアかはおいといて。 そのドラえもんでもどこでもドアが原因で鉄道廃止された話があったからねえ
あとビーズでなくても近づいて飛んでくるものなら何でもいいはずだぞ 天の川鉄道な
どこでもドアがライバルって事は切符を使うとどこへでも行ってくれたんだろうか? >>106
えぇ? ビーズでなくてもいいなんて、そうなのか?? あの裸を見て30年、何を考えて生きてきたのだろう… 新幹線が各地に延びて特急の速度アップに安いLCCが就航してる現代では儲からない夜行列車は生きずらい。
サンライスは指定席が取りづらい列車だけど伯備線や山陰線に宇野線・本四備讃線が赤字区間だから
毎晩満席でも赤字、個室では1両当りの定員も少ないから余計なんだろな。寝台料金も長い事改定してないし、
1.5倍から1.6倍値上げしてもいいくらいだ。 >>108他
成田と千葉の間、か
NHK(名古屋)では黒歴史の実写化しやがったけど
ええ、アニメとしてはもちろん大好きでした ネットダフ横行&無知な国会議員ばかりで、直前払い戻しにより特にA個室寝台の空気輸送率・人気列車の空席率が高くなった
安直に客単価を上げるため指定席券を用いてしまい、特急用車両の運用が必要となった
「絶対寝台」思想から抜け出すことができず、昼寝しかできない寝台列車用車両の更新を行うよりも新幹線へリソースをつぎ込んだほうが良いと判断(関西ブルトレはまさにこれ)
本州−北海道間は新幹線延伸による3セク走行区間増加
グリーン席は車内販売の
銀河は681系を用いた全席自由席急行
大垣夜行は大垣から浜松発着へ区間短縮をした上で、東海道東京口普通10連の普通
あかつき・なははカニ24から電力供給を受けられるよう改造した787系6連による全席自由席急行
※門司−新大阪間はカニ24を連結して、EF81(門司−下関間・貨物)とEF65(下関−旧向日町間・西日本)で牽引
こうすれば、今も「なは」が「あかつき」の肥前山口回転となった以外はそのまま残っている (ボクチャンノアタマナカデハ)は案を出せない無能が苦し紛れに書き逃げする際の用いる常套コピペレス 仮に今まで夜行列車が何とか頑張って来れたとしても今回のコロナ騒ぎで
生き残れる感じがしない。ダイヤモンドプリンセスみたいな客船も
そのイメージに大きな傷がついてしまい夢が壊れてしまった。誠に残念。 >>111
もう1回読んでみると文章が変である事がわかる >>120
そうなのか…
うろ覚えの生兵法はアテにならんな。 WEST EXPRESS 銀河の指定券前売りは6月中も行わないらしい 3年前に広島から仙台に行くのに
岡山まで新幹線、岡山からサンライズ瀬戸
東京から新幹線で行った。
飛行機最終便出た後だったので、便利だった。
寝台特急は富士(大阪ー大分)以来、25年ぶり 深夜や早朝、電源車のエンジンや機関車のブロアが響きわたるホームに停まる長大なブルートレインや夜行列車に乗降するのは自分1人と言うシチュエーションが心なしか神秘的で好き・・・。 ブロアー音といえばEF62やEF64の音は好きだった 124 わかる。東京駅では9番ホーム最先端まで行けたけど、PFのブロアと
カニのディーゼルの轟音は恐ろしかった。ボウズ、大人舐めんな、社会とはこういうもんだと見せつけられてるようだった。
それからそのPFが40年後、のんびりキハ回するのを鉄たちがホームで必死に
撮ってるのをYouTubeで見るなんて思わなかったなあ。 小学生の頃に東京駅でブルートレインを見た時は一部を除いてEF65Pだった
数年後に見た時は牽引気がEF65PFに変わっていたが非貫通で特急色のPが似合っていた
因みに牽引機の交代は1978年7月下旬から順次PFへ交代していたように記憶する アルバムにfujicolor 76って印字されてる東京駅で撮ったPのブルトレ写真があるんだけど全く褪色してないんだよね。
当時の鮮やかな青色のまま。勿論テールサインは文字だけ。もうすぐ50年プリント。宮原早期落成という24系25型ゼロ番台のあさかぜ52号(と思われる)がちょっと自慢。
ホームは12 13番線と思われる。臨時あさかぜからすると冬か夏休みかな?ガキんちょがいっぱい。 アルバムにfujicolor 76って印字されてる東京駅で撮ったPのブルトレ写真があるんだけど全く褪色してないんだよね。
当時の鮮やかな青色のまま。勿論テールサインは文字だけ。もうすぐ50年プリント。宮原早期落成という24系25型ゼロ番台のあさかぜ52号(と思われる)がちょっと自慢。
ホームは12 13番線と思われる。臨時あさかぜからすると冬か夏休みかな?ガキんちょがいっぱい。 >>126
EF64も山岳機関車だから好きだよ
0番台も1000番台も好きだけどそれぞれに味わいがある 何をもって晴れ舞台というかだけどね
急行列車というなら、他にも「きそ」「妙高」etc
特急も「北陸」を牽いてた実績があるし
むしろ お召し牽引実績まである0番台の方が1000番台より凄いとも言える 37と38が交互に牽いてた「あけぼの」はこの板で話題に出すにはまだ早い? >>135
EF64-0番台牽引の夜行列車は「ちくま」「きそ」「天の川」「北陸」「能登(上越廻り)」
「普通岡谷夜行」「臨時客車急行アルプス」くらいだと思ったがまだあるかも?
但し「天の川」「能登(上越廻り)」はEF58牽引が終わった後の短い期間でした
>>136
妙高は信越線経由なのでEF62だよ、尤も臨時末期は高崎までEF65PF牽引で
高崎から終着までEF62だった 碓氷峠補機のEF63も付いたけどね
EF64お召の栄光に就いたのは58号機と77号機でした >>137
あけぼのは個人的にEF65PFが牽引してた2往復や3往復の頃が
想い出深いけど早いって事はないと思うよ >>138
上越線は国鉄時代、EF64は1000番台だけだったろう。
むしろ「あけぼの」を一時的に牽引した37・38が珍しかった。 うろ覚えだが、EF64 1000が配備される前後の一時期だけ0番台が長岡に5両配備されて運行してたよ。当時上越線経由だった能登とか北陸でも牽引してた。 謝るほどのことかね。
訂正すればそれでいいんじゃね? EF64 0番台牽引の夜行列車牽引では急行津軽も実績があった
まだ交流になる前の直流区間だった板谷峠を含む福島〜山形間 福島運転所のED75Mがエルモや北斗星もイレギュラーだが引いていた。地味な運用の中の晴れ舞台だった。 エルムだけどな。昔はMとか呼んでたやついなかったな 夢空間や北斗星トマムスキーも初期は交流区間はED75だった
末期までED75だったのはカートレイン九州で直流区間はPF牽引 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています