>>465
松田昌士が国鉄末期に北海道へ飛ばされ、道内の路線を乗り歩いた際に
「北海道内は、既に分割民営化されてるのも同然だ」とコメントした動画があったが
見つからない。
その当時も既に飛行機で渡道して道内完結の利用が多く、青函連絡船を利用しての
長距離利用は稀になっていた。

また国鉄の長い弊害で首都・関西圏に新車を投入し、北海道・九州・四国は都市圏の
中古車両を回されるケースが多かった。
それにより地域の実情に合わない車両も多く生じたので、そんな歪みがないように
分割した意味合いがあった。

経営基盤について、確かに分割民営化前から三島会社は疑問視されていたが、
その補填のために経営安定基金が充当されてた。
分割民営化当時はバブル景気で金利も高く、経営も安定してたのが錯誤を招き、
結果的に災いした。、