鉄道懐かし板 ファクトチェック
ファンの間でまことしやかに流されてる定説が真実であるかどうか今一度検証するスレ
鉄研で先輩から聞いた「とっておきの話」のほとんどがガセだった経験あり… 二人がかりでキン肉バスター食らわせたのに
武道自体はノーダメージで覆面だけ壊れる理由を誰か説明してくれ。 俺が小学生の頃、京都東山地区出身の祖父と親父が
「阪急は京都線の終点を河原町ではなく八坂神社まで伸ばしたかったが京阪が反対して頓挫した」と
まことにしやかに言っていた。
高校生くらいになり京都線の成り立ちを知った俺は、
「京都線は元々、京阪系列の新京阪だから延伸反対はおかしくね?」と首を傾げた。 >>4
官設鉄道の駅と街の中心とを結ぶ事業者(路面電車でなく馬車鉄道や人車軌道の場合もあり)の設立趣意書などが遺されてる場合、
市街地から遠く離れた場所に駅が造られた背景の説明のなかで
当時の地元住民の官設鉄道に対する意識が読み取れることがある 岐阜羽島が大物政治家の我田引鉄によって成立した説
線形を考慮した結果最良のルートを選択しただけなんだが 阪和電鉄が過剰投資・経営不振で社長が自殺したというが
実は開業10年目で単年度黒字に転じ
回復の見込みはあったこと 中央東線、「大八廻り」とか言うけれど、本当に伊藤大八の政治力で
上伊那郡最北端の辰野へ迂回させたのか?
当時の技術では塩嶺越えが難しかっただけの話じゃないのか? 35形だったか37形だったか忘れてしまったが、ビュッフェ側・貫通路の桟板(渡り板)だけは
自動ドア開閉のスイッチ(踏むと開くタイプ)になっていたよね? 新京阪の流線形200は将来の名古屋急行開業に備えての試作品であった 堤義明率いるコクドは秩父線の延伸と沿線開発用の土地を西武秩父から軽井沢まで連続して確保していた 三岐120を琴電が買ったのは姉妹車の名鉄3700を先に買って使い勝手が良かったから 日比谷線の規格に乗り入れ先の東急が18m車に拘ったのは
東横線が横浜駅から京急(かつての湘南電気鉄道)に乗り入れる五島慶太の構想を捨てきれていなかったから 東武が東上線と都営三田線の相互乗り入れを
ドタキャンしたのは、
都の工事技術に不安があり、
自社車両が都営線内で不足の事態に
巻き込まれることを怖れたため >>17
とはいえ両開きドアーのモハ130まで手を出した理由としては不十分 姫路、長岡、福山には、市営のトロリーバスが走る計画があった オロハネ
キサロハ
キハユニ
サロハネ
の類で最も長いのは・・ >>19 浅草線開業時に露呈した東京都交通局の工事技術力の問題もあるが、そもそも三田線乗り入れ構想が東京都のごり押しによるもの。
東武も巣鴨まわりでの悪心乗入れルートはやりたくなかった。 東海道新幹線が当時の最新技術の結集とする説。実際はほとんどが実用化されていた既存技術。 >>26 実用化のための技術向上が必要だったのはそれくらいだろ。
営業最高速度時速160kmなら、戦前、ドイツのフリーゲンデル・ハンブルガーが達成しているし。
蛇行動で線路破壊したフランスの電気機関車は時速330q出してたわけで >>21
姫路といえば、モノレールの環状線構想があったとか? >>29 ペーパープランだが東京都もモノレールの大規模ネットワークを造る構想があったし。
最も凄いのは武州鉄道、三鷹から秩父御花畑までのモノレール構想。これが西武秩父線免許取得の障害となったが、実は金集めのためのでっち上げだった。 北陸鉄道能美線は能登半島と美濃地方を結ぶ遠大な計画であったこと
金名線の由来に引きずられて信じ込んでいた
金名線はマジ(金沢〜名古屋) 能登(石川県)と美濃(岐阜県)を直結する意味あんの 不要不急路線に指定されて廃止されてしまった琴平急行のレールは、強制的に供出されて戦艦や軍用飛行機の材料になった
→レールの材質では戦艦や飛行機には転用できない
当時南方に展開していた植民地の鉄道敷設に転用されただけ 参宮線の単線化とか、他のレール供出した所も植民地の線路に回されたのか?転用先があれば、最もコストかからずに済むだろうけど。
寺の鐘も供出して屑鉄と共に溶かしてしまった時代だからな。 >>31
たしかに沿線一帯の地名の能美郡に因んだのだが、
その地名の由来はこの一帯は能登と美濃を結ぶ経路の途中に
位置することから付いたと言われてるので
あながち間違ってるということでもない そんなことより読み方が「のみ」か「のうみ」か
の方が気になった 東急世田谷線150はステンレス製が軌道線に適してるかどうかのテストケースの目的だった >>40
更新修繕前の緑一色時代を知らないのかな?
150形はステンレス製じゃないぞ。 通勤型車両にクロスシートを装備すれば顧客満足度が上がる
→ウソ 狭くなった通路に立たされる立場の想像はできなかったのかねあの人
座っていけるのなんてほぼ始発のある駅からの人だけなのに あの人の持論は完全着席乗車
(たとえ通勤車でも同じ)
マイカーと同等の居住性を求めてる 輸送量が変わらないとして完全着席乗車を実現しようとすると何両連結になるのやら…
100連や200連になるかも 例の本がヒットしてなかったらこんな説は顧みられることはなかった
やっばり当てるor当てないの違いは大きいなあ 乗客減に悩むローカル線にはジョイフルトレインを走らせると経営が好転する
大先生の御高説 近鉄が国鉄和歌山線を買収し和歌山進出を狙っていた
そしてその拠点として和歌山市に近鉄百貨店を開業した 国鉄のマンモス電機EH10はイタリア国鉄の永久連結電機にならって若草色になるはすだった 永久連結ELがイタリア国鉄にしかなかったからじゃないの?
でも色を真似る必要ないよね
こんなの信じたヤツいないだろ イタリア国鉄にニコイチ電機がいるのを知ってるヤツがそもそもいない 今も走る東海道新幹線のひかり号,のぞみ号は
急行ひかり,急行のぞみ(区間:釜山~京城~新義州~安東~奉天~新京)
から取った名前なのかどうか。 >>53
それで思い出した
DD50は当初の予定では紺色(旧気動車色のものと同じ)に塗られるはずだった
ソースは鉄ピクアーカイブスのディーゼル機関車特集に再録されたDD50試乗記事 あの頃多数存在した試作DL機たちはオリジナルのカラーリングで登場する事例が多かったというから最初から本格採用するつもりだったかはわからない
TMS968号P74には真っ白に金と赤の帯といういでたちででARC(アジア鉄道首脳懇談会)に出展された(のちの)DF41のカラー写真が出ている 国鉄の優等列車の愛称に「あさひ」が採用されなかったのは
戦前に愛知電鉄が最優等列車に採用済だったから 名鉄3780系のおでこに付いてるのは通風孔
もちろん、正解はMHスピーカー あんな高い位置に通風孔があったとして何の役にたつのやらw