ここだけ宮脇俊三先生を勝手に生き返らせるスレ
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編集者のとき担当していた瀬戸内寂聴が年上なのに存命と知って思い出話をしに行く 「やはり私は早死にであったのか」と肩を落とす。
その上、奥方に「だから、煙草止めなさいって口酸っぱくして言ったでしょ」と責められる。 東北本線に再び気動車が走るようになった事に驚愕する。 酒もやめられない。紹興酒を昼から口にする。
「ママには内緒だぞ」と灯子に告げる。 「それで、いつ寸又峡温泉にご一緒させて頂けるのですか?」
と、某雑誌社の元編集担当から矢の催促だったり。 旅行の喜びを知ったまちさんから旅行の計画を立てて、と懇願される。
はて、どこに行こうか、と時刻表と格闘する鉄道員周遊俊妙居士、もとい
宮脇俊三先生。 差し当たって、「ななつ星」あたりにしようかと思うが、
東京―九州間の移動手段に困る。
新幹線しかない上にこれはすっかり味気なくなってるし、
かと言って、飛行機に魂売るなんぞプライドが許さんし。 「いそかぜ」があれば
サンライズ出雲から乗り継いで九州に行けるのだが 結局、「サンライズ瀬戸」で、自らの本籍地を訪ねる事に。 たまにはノビノビ座席でノビノビすることも考えたが
結局いつもの個室に。 最長片道切符の旅の途中で
「大平総裁誕生」
の新聞記事を目にした時の事を思い出す。 「『ルクセンブルクではあっと言う間、フランスやドイツでも1日乗れば国外へ出るのに対して、
日本では2日がかりで乗っても領土の中』と言われるが、比較の仕方がおかしいではないか。
我が国でだって、最大限急いだとしたら、1日もすれば国境に辿り着く」
と読者からクレームの手紙が来てたりする。 渋谷駅の様変わりぶりに、未だ戸惑いを隠せずにいる。 「昭和50年12月の時点で、山野線435Dが吉松に着く5分前に肥薩線836レが発車するダイヤになっていたのは、
タクシー会社と共謀しての事であったのか!?」
と、当時の鹿児島鉄道管理局関係者に絡んだりする。 >>661
日本から鉄道で超えられる国境など皆無ではないか 豊島園や、各地のデパート閉鎖に心を痛める。
「これはマイカーの蔓延に依拠するのであろうし、
駅前や近くの商業施設撤退は、ますます車社会を助長するのだ。
正に悪循環である」と。
釜石で朝飯を食いそびれかけたがコンビニで暖かい幕の内を仕入れて事なきを得た 駅弁よりもコンビニ弁当のほうが美味いと思うことが何故かある。 「板谷峠のスイッチバックが消えて30年。早いものである」と回想する。
で、それを抹殺した恨みから、山形へ行く時は、仙台へ出て仙山線経由にしてる。 >>667
飛行機ありにしたら1日で世界一周できるだろバカ >>670
一遍ぐらい「旅の終わりは個室寝台車」読んでから書き込め、バカ >>672
1番最初に読んだのが個室寝台車
バカは>>661 「昨今の情勢は、言わば飯田線を4社に分断するようなものではないか」と慨嘆する。 一方で北陸本線だった鉄路を鈍行列車しか走らなくなった事により車窓をゆっくり楽しむ機会を得た
特急街道だった頃にはなかなか出来なかったので、半日がかりでまわってみようと思う
この忌々しい流行り病が収まってからではあるが… 「しかし、在りし日の”鈍行列車”の風情は最早味わえない。
大阪近郊も同然の車両に乗り続けるとは、甚だ興醒めである。
尤も昨今では、国電型のロングシートでないだけ有難いと思うべき情勢になっている」
などと溜息ついたり。 国電型のロングシートで悠然と駅弁を食べていた昔を懐かしむ先生 「最長片道切符の旅」で御殿場線に乗った時、ロングシート車だった事を思い出すと、
改めて無念さが沸き起こってくる。 久し振りに、土合駅の階段を下りて、トンネル内のホームから電車に乗ろうとする。
さすがに、この駅の階段を昇る気力は、とうになく…。 >>675
私の愛する国鉄こそファシズムの権化ではないか?
と複雑な気分 「それにしても、今は北海道に国電型のロングシート車など、
地域の特性を全く顧みぬ所業が罷り通っているではないか。
1回乗れば何十万円などという列車を、どこかが始めれば他も挙って真似したり、だ。
寧ろ、国鉄の頃の方が、各地の実情に見合った施策が見られた」
てな事を思うかどうか。
多分に、”思って欲しい”という個人的願望が強いが。 >>683
北海道のロングシートは札幌函館近郊だけで
ローカル区間はボックスか転換クロスシート
地域の特性を鑑みてると思うが
それより中央本線や紀勢本線のロング化が嘆かわしい そう言えば、今年乗った釧網本線も花咲線もボックス席だったな、と記憶の糸を
辿る先生。 >>683
夢空間や諸外国の豪華寝台に乗ってはしゃいでいた宮脇先生がそんなことを思うかね?
宮脇先生を自分のスピーカー代わりに使うのは敬意を欠くぞ。 >>686
凡百の貧乏鉄ヲタと宮脇先生とは格が違う
ということをわかっていない輩が多いな 当たる確率の高低差はあっても、所詮このスレは全て、
書き込みした奴の推測の域を出るものじゃない。
要するに、どれもこれも、大なり小なり「宮脇先生を自分のスピーカー代わりに使」ってるって事だ。
それが悪いってんだったら、こんなスレ自体閉鎖すべきだ。 『父・宮脇俊三への旅 宮脇灯子』という文庫本があり、思わず手に取る先生。
幼い娘の手を引いているのは、まぎれもなく、若い日の(と言っても40代だが)
私ではないか。
・・・・・・文句を言わない父など、父ではない。・・・・・うん、灯子にしか
書けない文章だな、と満足そうに微笑む先生。 >>688
「原作の主旨に沿ってるか」という点が重要
沿っていないならば、中原中也や太宰治を都合のいいイケメンに脳内変換してる腐女子と同じ >>688
宮脇先生がいかにも言いそうなことを想定してセリフを作るのと
単に自分が言いたいだけのことを宮脇先生に言わせるのは天と地ほどの差がある。
このスレは作品を通じて得た「自分の中にいる宮脇先生との対話」なんだよ。言わば法事で故人を偲ぶがごときもの。
だから「敬意を欠く」という言葉も出る。 宮脇氏は「変わりゆくものは受容する」という姿勢が一貫していたからね
乗ること自体を目的とした豪華列車の類も
滅びゆく鉄道の生き残り策として好意的だった 廃線跡巡りは好きなのだが
私は葬式鉄ならぬ法事鉄であろうか? >>694
そういえば宮脇先生は開通当日にはよく乗ってるけど
廃止当日の最終列車に乗った記述は見たことがない 廃止された路線のダイヤを再考する、
「線路があった時刻表」
なる書を著わしたりする。 >>697
それ面白いな。
草軽電気鉄道は生き残っていたら吾妻線延伸なんかもあって興味深いダイヤになったと思う。 しかし、それが宮脇氏の著作の中で最も膨大なものになった、
などという皮肉な結末に至ったり。 「北海道&東日本パス70日間の旅」を計画
「本当にやるんですか」「やりますよ」 吉備路をゆっくり辿ってみようと思い立つが、
そこまでの道程が余りに味気なくて、気力が萎えがちに。 9月と言えば、「東京―大阪間・国鉄のない旅」に出た事を思い出し、
「名古屋からの近鉄の行程を、急行の乗り継ぎにしてみるのも一興だったか」と呟く。
するとその時同行した元編集者から、
「難波に23:58着という事は、電車が3分遅れてたら、その日のうちには着けなかったんですよ」
と突っ込まれる。 >>701
先生はそんな貧乏臭い旅はせんよ
横見じゃあるまいし 18きっぷの旅はしばしばしてたじゃないか
ホテルや温泉、食べ物をいいものにすれば貧乏くささも減るさ 「旅の終わりは個室寝台車」の飯田線の中で藍君に中島みゆきを聴かされたように、若い編集者にあいみょんを聴かされる
『女は「あなたの心臓をえぐり取ってネックレスにする」と唄い、飯田線は伊那谷を走る。』 「それにしても、今は全区間直通列車が全て下地・船町を通過するではないか。
これでは編集者いびりの醍醐味に欠ける」
と悔しがる。 部下をいびった後に寿司屋で一献
そういう上司も少なくなりましたな >>706
「今夜だけでもきれいになりたい」ではなく
「今夜死んでもいいからきれいになりたい」
の方を引用すべきだったと後悔 「そう言えば、あの音楽は今でも”ニューミュージック”と称されるのか。
鉄道の方は、我々が飯田線に乗った翌年登場した『新型』車両も、とうに引退している」
などと思ったりする。 >>710
ニュータウンが50年経ってもニュータウンと呼ばれているようなもんだろうw
でもjpopという言葉ができる前の米米クラブとかも
ニューミュージックと呼ばれていたような 「結局、『東京―大阪間・国鉄のない旅』への”仕返し”も不完全燃焼に終わった感じだ」
と、今更のように悔しがる。 今や「最長片道切符の旅」は「最長」の名を冠するのも躊躇われる程にルートが限定されてしまったと嘆く。 「何と言っても、現在は四国を除け者にしているのがよくない」
と、些か憤慨する。
で、
「それは御自身の本籍地がある場所だからですか?」
などと茶々入れられたり。 「そのうち、『時刻表1万キロ』にせざるを得なくなるのか」などと思う。 旅先で新聞の白抜きの見出しを目にして
「地震で東京が潰れたか」と思ったら、
「菅新総裁誕生」であった。 「今度の総理大臣は、『湯沢に新幹線の恩恵を』などと言い出すのか」
なんて思ったり。 沼宮内や木古内にフル規格の新幹線が停まるご時世に
湯沢や横手がロングシートの普通のみとはけしからぬ 42年前の今頃、結局自力で最長片道ルートを割り出すのを断念した事を思い出し、
「豊橋から会津若松に向かう経路を思い付くとは、どのような頭脳の持ち主なのか」
と、件の眼科医に畏敬の念を抱く。 四国を全て割愛し北陸本線や信越本線の大部分を割愛したJR最長片道切符になんの意味があるのかと嘆く 「『新幹線も活用すれば、在来線のみ利用の場合より長くなる』どころではなくなった。
少なからざる地域で『新幹線を利用せざるを得ない』というが如き有様である」
と、”新・最長片道切符の旅”なる本に書いたりする。 「あの頃は「並行在来線問題」などなかった。JRから経営分離すれば経営が成り立つとはどんなカラクリによるものか」
と首をひねる。 「矢張り初心に帰って、最長片道ルートに捕らわれない遠回りの旅を考えるべきか」
と思ったりする。 >>712
JR無しで東京から大阪に行くのも今や高速バスで乗り換えせずに行けてしまう。
ルールを更に工夫せねば単なるバス旅行である。 「今度、高山に泊まる機会があったら、
ビジネスホテルの経営者の奥方に手料理を振舞って貰おうか」
なんぞと邪な思いを抱いてる。 「最長片道切符の旅」の、
「…まず西佐川を通過し、次に佐川に停車する。西へ向かって走っているのに『西』が先に現れるのである」
との叙述に関して、
「それより前に、”東へ向かって走っているのに『東』が先に現れるのである”、を体験された筈ではありませんか
(厚岸―厚床―東根室―根室)」
なんて、読者から混ぜっ返しの手紙が届いてたり。
それに対して、
「そこ(厚床―根室)は、本来のルートから外れていますので」
とやり返そうとしたら、差出人の住所も名前も書かれていなかった、とか。 「昨今は観光客目当ての奇抜な終着駅も増えた。旅の風情とは程遠いものだが、路線が生き残るためにはきっと必要な事なのだろう」
と肩を落とす。 「矢張り終着駅というものは、山守や北進のような感じがよい」
などと、何かの本に綴ったりする。 もし智頭線とか北越北線がJRだったら、線路のない時刻表にあったダイヤに近いものになってただろうな。
北越北線は東日本だろうから、線路のない時刻表そのまんまのダイヤになってた可能性大。
智頭線の場合は西日本なので、現実の智頭急行のダイヤに近いようなダイヤ(但し最高速度は110km/h)になってたと思う。 「”GoToキャンペーン”とやらの時流に乗って何処かに出掛けようか」
と口にした途端、家族から止められる。 「近くにも旅はある」って「男にも穴はある」みたいに、新しい世界に気づかせてくれる素敵な言葉ですね。と感想を伝えたい 「解かってくれたか(ニヤリ」と返されたらどうすんの 幌延駅の待合室で寝ると言っていた青年
まさか若き日の横見浩彦氏ではあるまいか
1961年生まれなら当時22歳 40年前、品鶴線経由に変わった横須賀線に乗った後上野に行き、「ゆうづる」で青森に向かった事を思い出す。
で、「あのような事は、”若かった”からできたのだ」と回想する。 「10月2日は、”国鉄の特急の格が一層下がった日”と言えよう」と思う。 北海道へ行って「本物の太陽」を見ようと思うが、
そのきっかけになった広尾線は最早存在せず、意気消沈する。 「今、大いに活用してるのはノビノビ座席だね。ちょっと、コロナは怖いけどね。」 「最長片道切符」を購入した後、経路の記載に欠落がないかに目を光らせようとする。 「『白鳥』に乗り通すのは、もっと空いた時期にするべきであった」
と後悔する。 「そのうち、金沢から大阪や名古屋さえ直通できなくなるというのか」
と憤慨する。 日高本線・鵡川〜様似間116km廃止合意の知らせに肩を落とす先生 昭和57年6月23日に成立した、「最長・最長片道切符の旅」をやってみたかった。
と、今更ながら思う。 >>744
「そのうち、北海道の鉄道の電化率は100%になるかも知れぬ。
つまり、現在の非電化区間は全て消滅という予感がするのである」
なんて事を何かの本に書いたりする。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています