ここだけ宮脇俊三先生を勝手に生き返らせるスレ
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我ながら日本が最も日本らしい姿を見せる絶妙な季節に「最長片道切符の旅」を実行したものだと思う 「しかし結局は、『特急や急行も利用し、夜遅くまで乗』る事が多かった。
その最も甚だしい例は、青森―好摩間を、一旦東京に戻るために寝台特急に乗った事で
済ませざるを得なくなった経緯だが、他にも吉松―人吉間が日没後の特急になったりした。
会社を辞めた事で決別できたと考えていた、時間に追われる旅行になったのである」
と、ちょっと後悔もしてたり。 昭和53年10月から42年が過ぎた今は、旅に出ようとすると、子供から訓戒垂れられる。
「お金無くさないで」とか、「札幌駅で1分で乗り換えようなんて無理しちゃ駄目よ」とか。 「あの頃は今にして思うと若かったな。娘も二人とも小学生だったし」 「丁度42年前の昭和53年10月12日、最長片道切符の旅に出掛けた
(羽田空港から千歳空港に向かい、札幌に出て「からまつ」に乗った)」
と回想する。
「あれから今日でちょうど42年。清々しい秋空である。最も今日は金曜日でなく火曜日
であるが」 「帯広駅前の本屋に行ったら、『エゾマツとトドマツの違いを知るのに都合の良い本があるか?』と聞いてみよう」
と考える。 十勝バスで豊頃町のうまいラーメンを食べに行こうかと思ったが
店はおろかバス路線すらも無いのであった 新型コロナウイルス(C-COVID19)終息の見通しが立たない。
下手に取材に出ると感染して行き倒れしかねんからなぁ・・・ 今度は厚床に泊まろうと思って道東に出掛けるが、やっぱり根室まで行っちまう。 最長片道切符の旅で行った梅ヶ枝町の炉端焼きの店がまだ健在なのが嬉しい 具体的な店名を言うと「俺ん家」
・・・・・・・・・でも本には店名は書かないことにしよう。 根室市の緑町にいる時は、うっかり「梅ヶ枝町」を口にする事のないよう、慎重の上にも慎重を期す。 紋別の日本旅館に泊まった時、下着の洗濯を頼んでみたが、断られた。 今は大抵のビジネスホテルに
コインランドリーという便利なものがある 「42年前、私が北海道で見た日本シリーズの試合では、何れもスワローズが敗れた。
特に10月17日の第3戦では、3塁も踏めなかった」
と回想して、旅先ではヤクルトの試合は見ない事にしてる。 旧・喜茂別駅付近に出掛けて、改めてエゾマツとトドマツを判別してみようとする。 「まさか、”最長片道切符の旅”の青森―好摩間の行程を、
北海道からの帰りに寝台特急に乗った事を以て替えねばならなくなったとは」
と、今更のように悔しがる。 「これから一層寒くなるので、風邪など引かぬよう体を鍛えねばなるまい」
と思って、近所のジムに通うと家族に宣言するが、一笑に付される。 「旅先では、カメラは肌身離さず持ち歩かねばならぬ」と気を引き締めてる。 「私が全区間乗り通した時に限って、あの特急は、『白鳥”2号”』などという余計な数字をくっつけていた」
と些か不服に思っている。 今度気仙沼に行ったら、漁師からマグロ買おうかと思う。 私が早めにこちらに来たのは
高山本線に置き忘れたハマチの祟りかもしれぬ 「近頃、時刻表から擦れ違いや追越を推理する楽しみがめっきり減った」と嘆いてる。 「矢張り、旅に出る時には、一定の額の現金を携行する必要がある」
などと思って、自らの不行状(=深酒)は反省せず。 42年前に、花輪線の車中に置き忘れたカメラの事を思い出す。
しかし、さすがに遺失物係に申し出る勇気は出ず。 「42年前の今日こそ、
『僕に水割り頂戴!』
なる声を上げた女の客に遭遇した日である。
尤も、私が一番”変なの”だという向きもあるようだが」
なんて事を思ったりする。 「首里城が焼け落ちて1年になるのか。
慰問がてら、モノレールに乗りに行きたいものだ」
と思いつつ、結局酒飲んでたり。 東北本線上り列車に乗った時は、小山には定刻に着くよう車掌に注文付ける。 「『そとやま』の車内で、『あなたもう生理休暇使っちゃったの?』などと話してたOL達も、
今は既に60代か」
と感慨にふけってる(自らを棚に上げて)。 「考えてみると、私は”最長片道切符の旅25周年”を目前にして昇天したのだった」
と歯軋りする。 「今風邪を引いたら、簡単に医者にかかれない。くれぐれも用心せねばならぬ」
と気を引き締める。 日高本線に乗りに行きたいが、「葬式鉄」の一味になるのも憚られると思って逡巡する。 「考えてみると、『最長片道切符の旅』といい、飯田線や特急『白鳥』の乗り通しといい、
何れも日が短い時期にぶつかった。全く巡り合わせの悪かった事だ」
と改めて悔やんでる。 「将来、北陸本線は米原―敦賀間だけになるというのか」
と思い、言葉を無くす。 「明日、つまり11月6日は、北陸トンネルの火災事故が起きた日だが、
他にも何かあったような気がする。何であっただろうか。私の”同好の士”と関係あった気がする。
…どうも思い出せない。年のせいか」
と苛立つ。 「そうだ。ようやく思い出した。足立区竹の塚在住だったあの男の件だ」
と、今日は朝から、T村N樹なる人物の七回忌に出掛ける準備に余念がない。 孤高の旅を好む私と大勢の取り巻きを連れて旅に出るTくん。
どちらがいいとか言うつもりはないが私は自らのスタイルを今後も変える
つもりはない。 「そのうち、最長片道切符も自動改札対応になるのか」
と、暗澹たる思いに駆られる。 「今は、私1人だとしても、安房鴨川から内房線経由で千葉まで鈍行で乗り通す気にはなれない。
最長片道切符の旅の折は、連れてきた次女の退屈ぶりが察せられ、止むなく断念したのだが」
と、昨今のロングシート車の蔓延を恨めしく思う。 >>792
JR全線が自動改札対応になったらなったで
据え膳食わぬは男の恥とばかり
「130円本州一周一筆書きの旅」へと出かける で、浜川崎に着いても改札係の姿がないのを見て、拍子抜けした思いに駆られる。 「今日は鶴見の”あの場所”へ行ってくるか」と呟く。
しかしその途端、次女から
「パパ、42年前の今日の事、忘れてないでしょうね
(木下駅のホームで用足しする破目に)」
と、恨めし気な視線が向けられる。 上州の空っ風に吹かれても風邪を引かないように、毎朝乾布摩擦に精出す。 「今年はクマに襲われる被害が多発しているというが,昔秋田で食した熊鍋の味は忘れ難い」
などと思ったりする. 今度「最長片道切符の旅」に出る時は、
何が何でも中央西線は各駅停車に乗ろうとする。 せっかく景色の良い中央本線なのに
運悪く新宿から名古屋までロングシートで乗り通す羽目に 「今や、”鈍行”が一番味気ないという事ではないか。
42年前に、我が娘が、『汽車に乗るんじゃなかったの?』口にした、
その不満が全国に蔓延しているに相違ない」と憤る。
で、その娘(次女)が、
「一番はトイレがない事でしょ!」と鋭い突っ込みを入れる。 八高線クラスの路線でも、「乗り損なったら大変という運転間隔」なのだと思う。 突然、「わんこそば」に再挑戦しようと思い立つが、家族から止められる。
「うっかりのどに詰まらせでもしたら、”また(!?)”あの世行きよ!」と。 「昔は北陸本線であった金沢ー直江津間の現状を見ていると、
飯田線が再び4社(豊川・鳳来寺・三信・伊那電気、の各鉄道)に分かれそうではないか」
と慨嘆する。 「時刻表 奥の細道」に絡んで、
新潟交通(県庁前ー燕)→東三条→新津→五泉→蒲原鉄道(村松で途中下車)→加茂→高崎、
なんていう面倒な行程のスケジューリングをやらせた雑誌編集者の労をねぎらって飲みに誘ったところ、
トイレに立った隙に、酒に毒を入れられたり。 「38年前、ついに東京から札幌まで、列車と連絡船の乗り継ぎで日着が可能になった」
と、改めて当時の間隙を思い出す。
今は鹿児島から札幌はおろか旭川まで日着が可能であるが
枕崎から根室や稚内まで日着可能になるまでに
果たして両端の路線は存続できるのであろうかと
残念ながらそう思う 「根室から枕崎へ行くとなれば、最短距離を辿るとしても、日本の広さを実感できるではないか」
と改めて思う。
しかし次の瞬間、
「と言っても、新函館北斗から鹿児島中央まで新幹線、というのは少々興覚めだが」
などと言を翻したり。 東海道新幹線はほぼ全区間景色が見えるからまだしも
北陸や九州などは長大な地下鉄の如くである
中央リニアが完成しても「鉄道」とは呼びたくない気がする 全ての新幹線について、暗くても何処を走っているか分かるようになった。
しかし、
「それだけ、いつ何処へ行くにも新幹線に乗らざるを得なくなったという事だ」
と思って、嬉しくもなかったりする。 風邪を引いて、「最長片道切符の旅」に出られない日が続いた思い出から、
「病気など、やむを得ざる事由による旅行の中断に際しては、
乗車券の有効期限を日延べとする事ができる」
のごとき規則変更を要求したりする。 「私が下界に舞い降りたことが地球に災いを齎したのではあるまいか。
だとしたら、実に申し訳のない事である」
などと、珍しく(失敬)、殊勝な思いを抱いたりする。 「明日は”いい夫婦の日”とやらか。女房を誘って何処かへ出掛けようか。
しかし、昨今の新型コロナウィルス騒ぎも気になる。どうしたものか」
と思案にくれている。 「矢張り、『南武線は夜でもよい』のような差別的扱いはよくなかった」
と反省する。 「私が贔屓にしている国鉄スワローズを”裏切った”金田正一の移籍先である読売ジャイアンツは、
日本シリーズで『南海ホークス』に、言わば5連敗ではないか」
と留飲を下げてたり。 ホークスなのに、「つばめ」を走らせるJR九州と提携するとは何事かと、今更腹を立てている 「いつかスワローズ贔屓のタクシー運転手に出会いたいものだ」
と思ったりする。 42年前を思い出して、尻手で浜川崎行に乗り換えようとしたら、
やたら長時間待たされる。 「飯田駅では、途中下車印が多数押された切符を取り上げられぬよう、用心せねばなるまい」
と、気を引き締める。 「やはり、北千住ー日暮里(ー上野)ー尾久ー赤羽ー田端、という、
乗り換え不能の駅で乗り換えたようなルートは拙かったのか」
などと不安に陥ったりする。 コロナ禍なのに平気で遠出をする若者に腹を立てるが、
自分も戦時下に関門トンネルまで出掛けたことを思い出し、
仕方がないと自分に言い聞かせる 「その旅行の代償として、私は虫垂炎を悪化させた。
やはり、天罰というものはあるという気がしたのである」
などと神妙な面持ちに。 「今頃、博多の街は大騒ぎなのであろう。
行ってみたいものだが、現在では寝台特急はない」
と悔しがる。 「もうすぐ、あの神岡線の末裔の命日か」
と思い、改めて”富山―神岡”なるサボを逆恨みする。 「これからは、”雑誌の編集者と近所の寿司屋で一献”も難しくなるのか」
と不服になる。 久々にソフトバンクの昔の親会社の南海電鉄に乗ることにする。
贔屓球団の国鉄と日本シリーズでは一度も対戦したことがなかったが。 「南海電鉄と言えば、客車時代の『つばめ』の色と湘南電車の緑とを合わせたような塗装が特徴だった。
それが見られなくなったのは、少々寂しくもある」
などと、結局国鉄を基準とする物の見方から抜け出せずにいる。 42年前、和歌山線の急行の車内で遭遇した車掌には、それ以前にも出会った事があると未だ思ってる。
「あの車掌は、”自分はずっと和歌山勤務”などと嘘をついたに違いない」と失敬千万な思い込み。 「今頃の時期に高山へ行っても、観光客向けの飲食店は営業していない。
ガイドブックにはそうした情報も載せるべきではないか」
と出版社に文句言いに行く。 飛騨に行って、当地おススメというカジカ酒を飲もうと考える先生。
「フグ酒よりも行けますぞ」と知人から聞いたからである。
「カジカとは、いかなるものか」
ぶつぶつ独り言を言う先生であった。 >>833
「最新情報は各店ホームページをご覧ください」と言い返される 「斯様な企業の出版物は今後一切購入せぬ!」
と憤慨した直後に自らの経歴が蘇り、
「考えてみれば、私はあの連中のような業界に身を置いていたという事ではないか」
と自己嫌悪にも陥ったり。 「出版業と文筆業 所詮虚業の人生」
とこの歳になって虚無感に襲われる
「これはまずい」と自棄酒 「可部―三段峡間の最後の1日から17年。以て瞑すべし」
と改めて思う。 「東北本線が日本最長路線でなくなってから18年、
あのような中途半端な新幹線(八戸終点の如き)のために、因果な事だ」
と溜息つく。 新幹線と完全並行している東海道本線と山陽本線が全く無傷なだけでも幸い
と思い直す 「『智頭線』が産声を上げてから26年経ったか。
形は変わったが、”線路のない時刻表”から脱却したのは何よりであった」
と感慨にふけってる。 「東北新幹線が新青森開業となって10年、山形新幹線が新庄開業となって21年。
ミニ新幹線などと言って栄華を焦った山形・秋田は、言わば”慌てる乞食は貰いが少ない”を地で行ったようなものではないか」
と揶揄するような気持になるが、次の瞬間、
「しかし、この両県で新型コロナウィルスとやらの災いが小規模に留まっている事をどう考えればよいのか」
などと神妙な面持ちに。 ググってただ年数数えてくる奴
他のスレにもいたな
毎年1足して同じこと書くキチガイ >>844 みてーな、テメーは何一つ語らねーで
他人に発言にイチャモンつけるだけの野郎が
スレにとって最大の害悪なんだがな。 >>844 みてーな、テメーは何一つ語らねーで
他人に発言にイチャモンつけるだけの野郎が
スレにとって最大の害悪なんだがな。 >>844 みてーな、テメーは何一つ語らねーで
他人に発言にイチャモンつけるだけの野郎が
スレにとって最大の害悪なんだがな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています