ここだけ宮脇俊三先生を勝手に生き返らせるスレ
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一旦降りた列車に再び乗る術はないかと模索する。
しかし、以前それをやった筑肥線・唐津線は変り果て、添田線は消えた、と思って肩を落とす。 仕方がないからえちごトキめき鉄道に乗りに行く計画を立てる先生 東京都知事が、都民の道府県への移動につき「分かりました」という。
正式に自粛を取り消すのだろうか。取り消さないのだろうか。
とりあえず、大判時刻表を読んで、東北北海道新幹線の半額切符を
使った汽車旅の行程表を作成する。 「越後トキめき鉄道は、直江津を跨いで乗っても運賃は通算されるのか。意外だった。
接続は、国鉄・JRの頃から相変わらずで、全くなっていないが」
などと、些か失敬千万な事思ったり。 「巷では再び”戒厳令”が敷かれるかも知れぬ。
そうなったら、旅行どころではない」
と先行き不安な心境に陥る。 224人。テレビ・ニュースは、その数字をくりかえす。
あいにく、私は東京に住んでいる。「都外に出れそうもないな」と思う。
大東亜戦争の時も不要不急の旅行は禁止されたけれども
陸軍将校上がりの国会議員だった父の「荷物」となることで、全国を汽車旅した。
だが、今はそれもできない。どうしたものか。
有名な「ユー・チューバ―」のスーツ君に、自宅で汽車旅をする方式を
聞いてみることにする。 「東京でも旅先でも、夜の街で酒が飲めなくなるのはやり切れない」
と、再びの緊急事態宣言は勘弁して欲しいと思う。 スーツクンが、大きな黒縁メガネをかけて長めの頭髪になり
「宮脇先生のコスプレをしてみる」という動画を検討中か 「『サンライズ瀬戸・出雲』の誕生日であるが、用もないのに乗りに行くのも憚られる」
と、しきりに残念がる。 「肥薩線や飯田線の復旧はいつになるのか。
元々経営難の線区だけに、非常に気掛かりである」
と気を揉んでる。 「通称を設けるなら、私の発案通り”根室線”にすべきではないか」
などと意固地になったり…。
ところが、そう表明した途端に、
「御自身が、”『佐賀線』では、佐賀からどちらへ向かうのか分からない”、などと文句言っておいででしたが。
であれば、何故”根室線”は問題ないんですか?」
などと、読者からイチャモン付けられる。 >>461
行き止まりの根室と
三分岐の佐賀とは話が違うであろう 先月、釧網本線と花咲線、両方乗って来ましたよ先生。
エゾシカがやたら出没しましたよ。
などと先生をけしかける読者。 固辞→固持
文筆を生業とする御本人は、斯かる間違いは犯さんだろうが。 >>463
現在北海道東日本パスを使って根室を目指しているが
滝川〜釧路が今でも根室本線であることに驚く 「線名だけが、昔を偲ぶよすがか…」
と、古き良き時代に思いを馳せる。 「奥尻島の災害から27年という事も、ともすれば人々の記憶から消し去られたかの如くだ」
と慨嘆する。 「新型コロナウィルスとやらの問題で、国と都が”互いにやっつけ合う”ような事をやっているのか…。
国鉄末期の如き様相ではないか」
と呆れ顔に。 その駅近くのバーに入って後悔した時の事思い出す。
相手したホステスが、それこそ「バー(婆)」だったのか!? 「名寄本線が廃止された後も、遠軽でのスイッチバックは解消されていない。
不便極まりないが、今更駅を移転するようなわけにもいかないのであろう」
と、面倒に思いつつも、遠軽で座席を回転させる。 27年前の奥尻島の災害に思いを馳せるが、見舞いに行く事もできず、歯軋りする。 網走駅は以前よりも相当に廃れている町のようだ、と呟く先生。 取り敢えず、白樺と他の樹木の区別は出来るようになろうと必死になる。 因美線を淫靡線と言ってたなこの先生w
しかも老風俗嬢の事を古いトンネルとw 「つまり、私だって男だという事である」
などと、或る意味で居直ったりする。
「とは言え、昨今は列車内でのいかがわしい真似も現に取り締まられるようになったから、
少なくとも現実問題としては、心せねばなるまい」
なんて殊勝な心境にもなったり。 突然、
「やっぱり、42年前、あの高山のビジネスホテルで、
マスターの奥さんの手料理ご馳走になればよかったか…」
などと回想したり。 「近頃の東京の気候はどうなっているのだ。
あの奥尻島の災害が起きた、平成5年を思い出させるではないか。
しかも今度は、日本にコメを融通してくれる国があるかどうか分からぬ」
と、下界に降臨した時期が悪かったことを悔やんでる。 「今度志布志に泊まる時は、モーニングコールがあるホテルにしよう。
我ながら名案ではないか!」
と思ったが、既に大隅線も志布志線もない。 「お客さん、初乗り乗車券だけで鶴見線全線に乗ろうなどと企まれては困りますね。
これは紛れもない不正乗車ですよ」
と、鶴見駅の事務室に連行される夢見る。 北見のような観光客が泊まらない地味な都市で
月曜日でも木曜日でもなく水曜日に
ホテルというホテルが全て満室とは
(今週水曜日の実話)
私は風俗街の中にある古色蒼然たるビジネスホテルで難を逃れた 「根室を無視するのは後ろめたいが、いつか厚床に泊まろう」と思う。 「ワシは一度だけ厚床の旅館に宿泊した」と先生の愛読者 札幌に泊まる時には、必ず事前に部屋を予約する。
タクシーで散々走り回った挙句にラブホテルで一泊、なんて事のないように。 タクシーに乗った時は急いで目的地に向かって貰おうと思うが、
一方で「何をそんな急いで(慌てて)るんだ」と怪しまれるのも困るし、
痛し痒しの心境に。 「肺を病んだ辛さ・苦しさは、私は誰よりもよく知っている。」と妙な豪語する。
「じゃあ、何で煙草なんか吸ってるんですか?」と突っ込まれた途端、
「あ、汽車の時間だ」とか言ってそそくさ立ち去る。 種村クンも喫煙者だったし、と、どうでもいいことを思い出す先生 「鈍行の全面禁煙化は一番遅かったJR東日本が、
新幹線のそれには何処よりも早く着手したではないか」
と呆れ顔に。 「そう言えば、『コロナ』とは、『にちりん』に通じる意味合いとかいうではないか」
なんて事を突如思ったり。 昔は深名線とか喫煙していた人が多かったですな、とのたまう先生。 「不要不急の旅行を控えるよう呼びかける時代が戻ってくるとは、余りに衝撃的である。
背景は75年前とは異なるとしてもだ」
などと思いつつ、実は何処かで、1940年代前半を懐かしんでたり。 「不要不急の旅行を控えるよう呼びかける時代が戻ってくるとは、余りに衝撃的である。
背景は80年前とは異なるとしても」
などと思いつつ、実は何処かで、1940年代前半を懐かしんでたり。 「私に関わるスレッドとやらで、他人の文章を盗用する輩がいるとは嘆かわしい。
文筆に携わる者としては、決してあってはならぬ事態である」 「今日では、博多まで”汽車”で行こうとすれば、ただ新幹線の座席に腰掛けているだけである。
これでは私だって飛行機に魂を売りかねない」
などと愚痴をこぼす。 「新型コロナウィルスとやらへの感染状況は、”どこまで続く泥濘ぞ”そのものではないか…。
加えて各地の豪雨。鉄道は至る所で寸断されている。
これは、下手をすれば戦時中に匹敵する災難に至るかも知れぬ」
と、深い憂慮の念を覚える。 しかしそれでも私は旅行に行かねばならぬ。
いつものことなので、妻のまちさんは、夫の帰りを待ちはしない。 列車に乗ると、確実に席を譲られるようになっている…。 何がAKBだAKT秋田テレビなら解るが。
とは言え秋田と言えば寝過ごして列車の乗り継ぎに失敗したまさにそこだから、本当は思い出したくもない筈なのだが。 「尤も、あの時(昭和52年5月23日)『むつ1号』に乗れていたとしても、
寝過ごして大館で降りられず、秋田まで行っていたかも知れない。」
と改めて飲み過ぎを反省する。
あと、
「秋田と言えば、翌年カメラを無くした所でもある」
などと、要でもない事を思い出す。 75年ぶりに、8月15日に米坂線に乗ろうとする。
しかし、新型コロナウィルス禍を案ずる妻子から止められる。 仕方ないから8月15日はサンライズ瀬戸号で四国上陸を目論む。 「それにしても、直流区間しか走れぬ寝台電車とは、いかにも”元・国鉄”的ではないか。
東海・西日本揃って、自らの縄張りの事しか頭にないと証明しているようなものだ」
と改めて思ったり。 渋谷駅のみどりの窓口で最長片道切符を購入しようと列に並ぶ先生 実はそこには、
「指定券と同時発行の場合を除き、
こちらでは当駅(東京都区内・山手線内)発以外の乗車券は販売致しません」
なる貼り紙があったり…。 「それにしても、東京や大阪付近のような場所では距離が伸びて、
北海道や九州はスカスカになったではないか。
斯様な事では、最長片道切符の旅は味気ない限りだ」
と、改めて国鉄再建監理法案に恨みを抱く。 「田町と品川の間に新駅ができたが、あのような名称はどうも私の感覚にそぐわぬ。
付近の地名なり、これも好みではないが、”南田町”とでもするなり、方法はあった筈ではないか」
などと不満を抱いたりする。 久し振りに、「ひたち」で仙台へ行ってみようと思ったら、
運賃が東北本線経由より高い事に憤慨する。
「日暮里―岩沼間は”遠回りさせられた分の運賃を徴収”されるようになったのか!」と。
しかし、常磐線経由で仙台へ行くのは「JR側の都合」でないので、文句言えない…。 「”元・国鉄”は、私が愛してやまなかった路線を狙い撃ちするかの如く廃止しているではないか!」
と怒りを露わにする。 改めて、
「襟裳岬で一泊してから最長片道切符の旅を始めたかった」
と慨嘆する。
すると、
「最初から、私が提唱したルートに従わなかったからですよ」
と何処かの眼科医院から嘲笑の声が…。
加えて、
「早く僕を頼っとけば、そんな事にならなかったんですよ」
などとほざく、某足立区竹ノ塚の住民も夢に出てきたり。 処女のように広尾線は温存しておきたかった、と昭和の昔の出来事を
悔やんでみたり。 悔しがってるのは、
「処女のように温存しておきたかった」
なんていう書き方が自由にできた時代が失われた事だったり。
今の世でこんな記述やったら、立ちどころに
「こういうのはセ○ハラになりますので…」
なる注文が付くに違いないから。 「今はパソコンとやらがあるから、自力で最長片道ルートを探るのも楽になったのではないか」
などと甘い考えを抱いたり。 93歳にして5ちゃんねるデビューを果たしてしまう先生 「宮脇俊三先生と種村直樹。どこで差がついた☆慢心・環境の違い」というスレを立ててしまう
先生 「御自身を『先生』、こちらを呼び捨てとは、いかなる御所存ですか!」
と文句言われてたり。 著作物に自宅の住所を記載するよう要求されるが、一切拒否する。
「以前、鉄道ファンを名乗る人物が、『貴方と鉄道談義を交わしたいからお宅へ伺いたい』
などという手紙を寄越した事があるからです」
と言って、頑ななまでに。 「十和田南」「蔵王」「中軽井沢」「阿蘇」などは「毛馬内」「金井」「沓掛」「坊中」に戻すべきである、
と鉄道会社に手紙を出すが、一笑に付される。 JRの旅客営業キロの合計を正確に算出しようとするが、
「今度は、確認のためには6社に足を運ばねばならぬのか」
と溜息つく。 もう一度シベリア鉄道乗車を先生におススメしたい。
今度はモスクワから東へ東へと移動するルートで。 1日1往復の列車同士が何故12時間毎に擦れ違うか、講釈する相手を探してる。 今度は、最も寒い時期にシベリア鉄道に乗ろうとするが、家族に止められる。
「前乗った時からどれだけ年取ったと思ってるの!」って…。 あの時の相棒を誘おうと計画。
一人旅が似合うが外国旅行は一人でないほうがいいし。 「こういう場合に継続乗車できるかどうかの相談にやってまいりました」
なんて、中○兄弟が漫才やるのか…。
で、
「ゲストの宮脇相談員はどうお考えでしょうか?」
と振られた途端に差し歯が取れちゃったり。 今度棋聖のタイトルを取った藤井聡太くんは鉄道マニアなのか。
宗谷本線に乗りたがっている?お安いご用だ、などとブツブツ言っている先生。 「それにしても、その世代にとっては、国鉄はもとより、青函連絡船も歴史の範疇なのか。
札幌方面から稚内への鉄路が二股に分かれていた事も…」
と、改めてジェネレーションギャップに嘆息をつく。 「上野東京ラインとやらが開業したとなると、
”東北本線の起点が何処か”というクイズもやり難くなった」
と、不満に思ったり…。 「ことによると、私が降臨した事で日本に災いが齎されたのだろうか?」
などと、首のすくむ思いでいる。 今のうちに乗っておこうと宗谷本線に久々に乗りに行く先生。
時間の都合上やむなく新千歳空港まで飛行機。 「GoToキャンペーンとやらが、東京を除外したものになっているとは、実に忌々しい」
と憤慨する。 矢張り、昭和58年3月の、雑誌編集者との旅の折、
稚内から「利尻」に乗ればよかったかと後悔してる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています