153系・165系・キハ58など急行型車両を語ろう 14
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テレビ番組で伊予西条にある鉄道博物館が紹介されて
そこの保存車両にキハ65-34があった。
オレはキハ65の現物を見たことも乗ったことも無いニワカだから是非現物を見てみたい。 九州だがキハ65は自分の学生時代にはもう通勤用に58や47と組まれていてS席よく座ってた
あの発車時の噴き上がりが豪快な(うるさいともいう)エンジン音は印象的だった
65はユニット窓のせいで窓部分の赤帯が上下に広くて雨樋高さが普通なこともあって張り上げ屋根の5828長大編成に入ると編成美的に不統一感が出ていまいちだった(そこが好きな人もいるだろうが)
ただ5828の帯を65並みに塗り直すとJR東183/189系末期の国鉄色みたいな間抜け感(窓非改造クハ1両だけが帯が上に広く塗られて見える)出そう 四国で改造された、65のバケットシートは座り心地がよかったな。 >>689
でもきのこ形クーラーってスピード感あってカッコイイ。デゴイチのナメクジドームに通じる。 キハ65の保存理由は四国に冷房化を貢献した為だったかな? >>704
DML30系は65で落ち着いたけどトラブルが多かったエンジン。しかも試作車なので
特殊な装備がそれに輪を掛けていた。
幸い小世帯だったので10年であっさり見切った。 まあ65化するには
屋上の放熱器取っ払って床下に強制冷却器設置
冷改&4VK設置
水タンク置き場無くなったらトイレ廃止
3枚折り戸をどうするか…
制御系も変換器通すんじゃなくて取り替え&電気連結器廃止とジャンパ栓化
やること多すぎるな >>706
181もそうだったから屋上の放熱器は存置で良いのでは? キハ91は最期に衝突実験車になったのがいたと記憶があるのですが、ネット見てもどこにも無いですね。 111系の頭付けた旧客で衝突実験していたのはあった
後ろから蒸機で押して衝突させていたけど、機関士はどうやって身を守っていたんだろう? >>708
キハ91 1
RPのキハ181系特集に記事あり
>>709
D51で押して突放(とっぽう)
押して速度が出たところで機関車にブレーキをかける
(自動連結器は開放位置にする)
押された車輌はそのまま走っていく、押した機関車は減速する。 >>710
なるほど。ビリヤードみたいに押すのね。 突放は貨車を扱っていた時代は普通の技術だったからなあ 最近は大騒ぎしているけど、昔は1日中見れたもんなぁ 出来ない貨車が少なくてダメな奴には突放禁止なんてわざわざ書かれた時代だからなあ
調べたら今も書かれているみたいだがもうそっちの方が多数派じゃないのか 確か、突放時に必要なブレーキが掛けられない車両が突放禁止だよな。
2軸車には足ブレーキがあるし、ボギー車にも車端に手ブレーキがあるから走りながら止められるけど、
コキ104とかは側面にブレーキのハンドルがあるから、走りながら回せない=止められないから突放禁止となる感じ。
でも禁止じゃない車両と連結してたら突放可だよね。
ここで便乗質問。単体でBP管の圧が抜けてブレーキが掛かっているはずなのに、なぜ容易に突放出来るんだろう…
留置時や走行時は足ブレーキなどが掛かっているのがデフォで、BP管圧でブレーキ制御可能、
突放時には足ブレーキなどを緩めることで完全にフリーになって感じなのかな… >>719
自動ブレーキは車両に取り付けられてる空気だめタンクの圧力を使ってブレーキシリンダーを押す仕組み。ブレーキ管側の圧力が下がればブレーキがかかる。
で、ブレーキ管圧力と空気だめタンクの圧力が釣り合ってたらブレーキは緩むので、切り離す前にブレーキ管の圧力が下がらないようにコックを締めて切り離せば緩んだ状態で切り離せるという算段。 >>721
回答ありがとうございます。
なるほど、切り離す前にコックを閉めれば確かに緩んだままですね。 153系の正面の種別表示、最初は幕じゃなくて板を置いてライトで照らしていたと思うのですが、これが幕に改造されたのっていつ頃どこの所属の車両が対象だったのでしょうか?
田町の車両なんかは写真見ても種別が表示されてない上、窓の中の空間が丸見えなので幕化されてないように見えますが、改造されてたのでしょうか? キハ58系のワイパー腕の付け根に四角い出っ張りが外板側に付いているのがあるけど、
あれはなんだろう? >>725
あれはダブルアームの強化型ワイパーへ後天的に交換された奴 急行型電車やキハ58系の車端にある換気扇って、冷房準備車から強制式になったの? 関西線の165系って「名古屋」「桑名」「四日市」「亀山」みたいな単独幕だったのか
「名古屋←→亀山」みたいな幕だったのかどっちなんだろ? 急行型サロの簡易運転台はサロ152がサハシ153とペアで2組がサロ向かい合わせ逆向き組成が連結していたのが所内運用の都合で付いたのが始まりと理解しているが
岡山増解結のモハ164-500以外簡易運転台を常用した車両(=サロ)はいたのか?
本線上の定期運用で付属編成や増結車両がサロで切り離しになっていたものもなさそうだし
サロもビュフェ減車や冷改で向きを揃えられてしまったし 推測でしかないけど大垣区の東海用12連は
4両単位で分割して検査入場してたのではないかな
9〜12号車は中京快速との組み換えもあったりでさ
5号車サロの運転台が大変都合が良かったと思う >>731
いまさらと言われるかもしれんが、改めて。
東海運用が165系になったとき、中間のサハが無くなり、クハ2両になった。
TcMM’T’cTcMM’TsTsMM’T’c
1両減車して11両に
TcMM’Tc(またはT’c)MM’TsTsMM’T’c
Mcを転用して、運転台と非運転台の連結箇所を解消、確か静岡時代。
McM’T’cTcMM’TsTsMM’T’c
その後8両に。 東海は少しずつ165系に置き換えられていったけど
過渡期には3号車にクモハ入ってたりもしたね ク(モ)ハ165でシールドビーム改造車はそこそこあったけど、
クハ153とかクハ164、特に低運転台車ではどうだった? 鉄ピク2018-4だと記載が無かったので2001-10を引っ張り出してきた
低運80両中シールドビーム化は19両(うち2両はクハ164化後)
高運は57両中10両となってた
どちらも2両ずつ新快速色になってる >>736
T'cってあったの?
’ってパンタ付き車じゃない? >>741
Tcが片栓構造の場合、東海道線で下り向きのクハをT'cで区別することがある >>740
結構な数がシールドビーム化されてたんだな
そうなる前に廃車になっていたと思っていたので、意外だ
調べてみたら、クハ155にもシールドビーム化されたのがあったんだな
153系の塗色だけど、低屋根なので、余計におかしな感じがする >>742
165系のTcは下り向きがデフォだと思ってた。 >>744
中間がモハユニットでクモハ抜きなら奇数向きクハいるよね? >>745
確認
東海道本線の場合は偶数向きが上りで正解? あーごめん奇数偶数と上り下りごっちゃに
どれがどれだ? >>747
大垣(静岡)の急行車
偶数が下り向き、奇数が上り向きが基本
上り下りは東海道線基準
田町の153系も偶数下り、奇数上りだったはず、
ごめん、資料(国鉄電車編成表)片付けてしまって見えん。 クハ165って奇数向きも偶数向きも関係ないと思っていた >>750
冷房用電源の通しで固定されたんでない? 冷房用三相電源の引き通しで急行と近郊型は先頭車の向き固定されたね
あとMG有無とかで差異が
新製冷房車も同じ
特急型クハはどうだったか忘れた
(最初から冷房付いてるから両渡り形式はそのまま?) クハ481だと1000番台のみ片渡りだったと思う。 >>754
ドラマ編の中で、蛍が走って追いかけているのは急行「狩勝」。 富良野線経由ってそらちかと思いきや、狩勝も走っていたんだ。 161系って登坂力に重点置いて高速性能犠牲にしたから性能的には急行型だよね。 最初から特急の161はNG
157はスレ的扱い難しいけど準急急行運用実績あるし >>760
>157はスレ的扱い難しいけど
1に書いてあるのに何言ってんだ 昭和60年以降、上野口から交直流急行電車が廃止され普通運用になって以降は
仙台運転所の急行形は交直交換スイッチを交流側に固定し、直流区間は走行できなくなったという。 すぐにそうなったわけではなくて、60-3改正後しばらくの間は、
臨時列車で上京してくることも時々あったけどな。
セミクロス改造後の上京も、たしかあった。 ちょうど715系1000番台が投入された頃だから、
基本的に統一したのだろうね。 417系は下松で製造後、南福岡まで走った後、自走で仙台に向かってる。
営業運転で直流区間に入ったことはないんじゃないかな? 昔、鉄道雑誌で山手貨物線を走行する417系の写真を見た事があった気がする。 3両編成5本全部繋いで15両で仙台に回送したのか? 161系には反応したのに417系には反応しないんだね
どんな理屈なんだろか >>769
左翼マスコミみたいなもんよ。 格上権力は叩いて良し、下におもねる 交直切り替えスイッチの話から横道にそれてしまっただけだ許せ >>770
それ普通じゃん。権力者に媚び売るメディアなんて提燈文屋。あるいは何処ぞの社会主義国メディアかよ。 165系中央西線だと先頭に車掌乗ってたけど
国鉄の電車って基本最後部でしか客扱いできないんじゃなかった?
鍵式の車掌SWに改造されてたなら先頭でも客扱いできたのかもわからんけど >>751-752
誠文堂新光社の国鉄電車ガイドブック・直流編を見たら、冷房搭載時(新製時含む)に片栓構造になったと書かれています。 >>774
サロの車掌室でも扉扱い可能だったので
通勤型のような縛り(必ず最後部で操作)はなかったかと 模型富スレで宮原の12系のテールライトがガチャメだと話題になってますがこれって国鉄時代からなんですか?
原因わかりますか?
https://i.imgur.com/mqNf3VO.jpg >>779
オレも最初はその言葉、ナニ??って思ったけど、検索すればすぐ出るよ。
実車のコレ、カッコ悪いけど形態の変化としてはなんだかワクワクするわ。 ガチャ目って左右の視力差でも使ってたな、昭和の頃
0.1と0.8みたいな片方だけ要矯正の視力を 要旨と関係ないが
小学生がメガネ作る場合0.1と0.8だと0.8の方も矯正されるけどな 実車が間違っているか変形車?
事故復旧車なんて、貫通扉が埋められてツルペタになっていたりした。 何をどうやったらこういう形態になったのかこのスハフ
踏切事故とか考えにくいし
脱線だが事故復旧車か分からんが他形式の部品の使い回しで違和感バリバリのケースとか
個人的にはスレ外だが九州のキハ52の貫通扉
キハ40系からの流用と思しきものを装備して運転台との窓の横並びが崩れて凸な感じに 九州のキハ52は廃車になった58のドア
つけてるのが数両いたんじゃなかったっけ
2002年まで筑豊で残ったと思った。 >>788
貫通扉だね。
これをつけてる車は何かユニークな顔になってたね。 58・28の貫通ドアだね。なんで付いたんだかは不明だったけど
高千穂線移管、志布志・大隅線廃止以降枯渇する
52・20パーツより58・28パーツへの共用化という話が信憑性がある。 >>778
貫通扉のことだね。
都城駅で見たとき、目を疑うようなショックを覚えたよ。
窓の位置が変わるだけでイメージがまったく変わるものだね。 電車運転の急行能登路5号に475系を当てられなかったのはどうしてだったのでしょうか。 リニューアルしたって種車のシートは急行型より劣ってる 特急誘導で急行型車両の優等列車用としての更新の類はほとんどされなかったからなあ
特に交直流急行型は急行廃止後ほぼ地域ローカル運用専用になっちゃったからJR化後だと東のクロハ455位しか思いつかない 急行型がT17シートなら良かった。設備は普通列車並で速達性だけ特急。当時の詰め込み輸送主義だから仕方ないが。 快適に行きたい人は特別急行,新幹線
居住性は問わない人は急行
と本来は住み分けしていただきたい。 急行型車両で優等向きの更新というと、
まずは「赤倉」「ムーンライト」用の新潟の165系が浮かんだ。 あと「月山」「よねしろ」用の58系とかもあったな。
宗谷本線系統用のキハ400は急行型と見なして良いのかどうか迷った。
東の方の住人なので、西の方の事情には疎くて申し訳ない。 九州だとクリーム色の急行型気動車(58&65)があるなあ
水戸岡式ロゴだらけがはびこる前
ただ全車G車シート流用と思っていたら違ったのね
ピク増刊号見るまで知らなかった >>802
JR東海
急行「かすが」
キハ58 3001+キハ65 3001
快速「みえ」用になるが
キハ58 5001・5002・5101
キハ65 5001〜5003 宮原の「ちくま」「だいせん」用の12系も座席がリニューアルされてたね >>802
急行丹後用のキハ28・58もリクライニングシートに変わっていたのがちらほら。
あさしおのキハ181が転クロのままなのもあったりして装備が逆転状態。 九州はリクライニング車の宝庫だったわな
急行料金取る最末期のえびの・くまがわは
全車リクライニングで、58はキロの座席
65は485リニューアル車のフリーストップ席だったね。 シーサイドライナーはハウステンボス開業でリクライニングシートになったんだな
それがキハ66転用で転換クロスシートになり
YC置き換えでロングシート
どうしてこうなった >>801
長野の169系新急行(天竜)があったが
急行としては短命だった 小さい頃宇部線沿いに住んでたけど夜たまに定期列車にキハ58が来て一人キャッキャッしてたな
信号の関係か毎日うちの前で一旦停車、その先に踏切あるからタイフォンならして動き出すスジがあったんだけど105系とキハじゃタイフォン全く違うからあ!キハだってすぐわかったな
代走だろうけどあれどこのキハだったんだろう? >>814
1980年12月の時刻表だと宇部新川-長門市・仙崎の列車が3往復載ってる >>813
改装と、天竜→かもしかの改名は、同時(61.11改正)だね 814
そこに住み始めたのJRになる2年前ぐらいからだし琴芝近くだから宇部新川から小郡よりだからその列車ではないと思う
そもそも見たのは年に1回か2回かとかレベル
一度キハで宇部線乗車してみたかったなあ ムーンライトえちごで一本だけシールドビーム改造された編成があった。
上沼垂車は鉄仮面改造が無かったね。 >>819
そういう列車があるから下関の長門市駅常駐の車両じゃねって話だよ クモハ471-1が2011年まで生き残ってたのが意外
車齢49年とか凄すぎ
上にはもっと上があって105系で50年突破があった 471系改造の413系はまだ残っているのに、新しい475系の方が引退してしまった。 西は京都に急行型保存しなかったんだっけ?
キハのいる津山は遠いなあ
一度DE50見に行きたいけど
あと敦賀港のキハ28は唯一のモデルチェンジ車生き残りっぽいが屋根なしじゃいずれ朽ちるなあ
噂にあったいすみ行きだった方が救われた気がする >>826
>西は京都に急行型保存しなかったんだっけ?
このスレ的にはオハ46形 >>827
wiki見たらレアな少数派の原形ですかオハ46びっくり
あと43系は北海道のスハフ44がねえ
スハシにした1両以外を早々に解体しちゃって後から14系客車を茶色く塗ったのが色々センス無いったら >>828
対立してた鉄文協に対して、C62は復活させないとのメッセージだもんな >>820
M1編成のことかな?
あれは元松本車でしたな 成田線の悲劇前に、もう国鉄時代に顔面補強改造は施工していたんだね。
上沼垂車はデカ目のままで補強。 最後に湘南色で佐渡やったよな、上沼垂の165
新前橋と違ってデカ目でかっこよかった。新前橋、シールドビームとアンチクライマーはともかく
ライトの上の手すりも前にだしてて雰囲気違ってた。しかめっ面 >>828
解体じゃなくて売却されたはず
>>829
C62ニセコの客車はそのままDL牽引の
イベント列車としても使えるのにそれをしなかったのは鉄文協に対する当てつけだろうな 急行しらゆきは457系で運転すれば50Hzと60Hzをまたげたのでは。 >>836
白馬、きたかみ連結してたから無理だろ457系電車の絶対数が足りなくそれこそ急行立山快速電車だけで一杯一杯だった >>836
時々その話出るんだけど457系だけで編成組めるだけの両数が配置されてないんだよねえ、
各区所とも。
そもそも457系は在来車の補充と言う意味合いが強くて、既に国鉄は急行を特急に格上げする方針を
打ち出してたので少数しか作られなかった。 19ユニットで終了だっけ457
455と475のユニット数から考えると足りなさすぎ 冷房が標準装備になって以降、特急型と急行型に車両製造費の差は殆ど無くなった。
ならば特急型だけ増備して特急料金を稼ぐ方が経営上好ましいのは当然。 なるほど
そう言えば冷房化がまだ過渡期の頃の、北陸本線の快速電車は非冷房だったね。
雷鳥から見たけどはっきり覚えてるわ。 457系は九州に集中配置されていて後は仙台と金沢に少数配置されたに過ぎない。 分オイが457鹿カコが475という謎配置時代もありました
なお西鹿児島で編成逆向き 特急は高いので急行に乗って安くすませる人が多かったのでは。 特急は停車駅が少なすぎて、使いたくても使えなかったというのもあるかな。 >>845
宮崎県民だけど謎配置じゃないよw
福岡に近いほうが車齢若いの充てがわれるのは今も同じ。
今年の移動も415-1500がミフ→オイ
古い415-100をオイ→カコ 転属が先月あったばかり。 >>847
https://books.google.co.jp/books?id=L4YT42BjQ1QC&pg=PA148&hl=ja&source=#v=onepage&q&f=true
1978年昭和53年10月の時刻表であるがこの頃から急行がだんだん減りはじめて急行しか止まらなかったそういう駅まで特急止まるようになった特に鹿児島本線 紀勢東線・参宮線と高山線のキハ58って原色・シートモケット原形だっけ?
亀山に165系乗り入れてる写真見かけるけど
165系って日中関西線で運用されてたっけ? >>850
JRになる直前から213系が投入されるまでは165系が関西線のヌシ。
その後、朝と夜間に165系が入る運用が追加されて淘汰されるまで走ってた。 追加で定期引退後もさわやかウォーキング号として何度も亀山まで来てるよ。 JR東海になってからの急行型ってモケットは原型で
白のビニールで枕部分覆ってたやつの印象が強いな
165やキハだけじゃなく113まであったやつ 当時は急行宮島に乗って朝から一日中かけて
広島まで(逆方向は東京まで)移動したんですかね 特急、急行の利用っていうのも今じゃ考えられないような
時代変化があるんだよね。 平成からの20年は停滞期だけど
戦後の昭和25-45年で比べたら、蒸機ばかりから高度成長で
庶民が特別急行に乗れる時代になったしね。
自分が小学生の頃でも、東京の親戚宅から急行高千穂に乗って
宮崎県まで帰ると言ったら親に「アホか」と言われた昭和49年。
新幹線39年開業時はかなり高価な乗り物だったのも、
万博後の47年岡山開業時には岡山接続九州方面
特急・急行が普通だったと聞かされてる。 >>854
急行の利用法は約4タイプに分かれてて
急行料金は201キロ以上が一定で長距離乗るほど割安。
(1)安く旅したい人の乗り通し
(2)新幹線からの乗り継ぎ
(3)途中大都市からの区間利用(長距離急行なら複数の都市)
(4) 普通が少ないエリアの急行料金払ってでもの層
宮崎県じゃ延岡-宮崎間の普通は朝ラッシュのあと午後まで全然無く
日中買い物客も嫌々急行に乗ってて、平成元年の普通毎時化まで 料金変遷が面白い
https://jikokuhyo.train-times.net/data/exp_fare
高度成長始まりの昭和35年から昭和47年まで同額
所得は倍以上になって、長距離鈍行が43-10で減り
急行利用者が増えたっていうのも金額の数字でわかるね もっと昔には、そもそも一般庶民には急行でさえ贅沢だったんだよ。 1961年急行日本海できるまでそもそも日本海側は急行もなかったんじゃないの
日本海側が裏日本と言われてた時代だが ああ間違いだった。戦時中だけ一時的に日本海縦貫線急行は不要不急とみなされ廃止されたがもし今ならどうなんだろう 昔の大阪駅はいでゆ、丹波、但馬、みささ・みまさか、たかやま、
と急行が色々おったなぁ 高度成長期に急行に庶民が乗れるようになったわけだね。
昭和30年代前半じゃ「準急券」という安いのがあったくらいで
中流以下の人は鈍行三等しか乗れなかったんだよね。
二等で運賃が倍だし。 >>860
急行日本海は確かに名無し急行だったが地味に戦前から続いた急行だったんだな
北陸新幹線開業でズタズタになり廃止はある意味先達をバカにしてるようなものコロナウイルスは不謹慎だが祟りかもな 日本海 といえば特急としか思えない
長距離急行はきたぐにしか思い浮かばない
このスレでは俺はかなり若手ですね 「きたぐに」の青森行、繁忙期になると大阪駅のコンコースに自由席客が昼間から
並ばされていたのを思い出す。 昭和40年ごろの準急、白河・青森とか名古屋⇔米原⇔富山⇔岐阜⇔名古屋みたいな
結構長距離列車が有った。 上野−仙台とか上野−会津若松なんてあたりの系統は
夜行も含めて急行と準急の両方が設定されてたな。昭和30年代。 急行まつしま、準急あづまだったかてか客車が急行で電車気動車が準急だったか 戦前 運賃のみで乗車できる現在の快速のような立ち位置
戦後 急行より割安の準急料金設定
1966年3月 100kmをこえる距離を運行する準急列車を急行格上げ。急行料金と準急料金が同一になる
1968年10月 全ての準急列車を急行列車に格上げ 40年くらい前、急行「阿蘇」上りを熊本-博多間で乗った(夜行前)けど、
急行で14系客車(183系と同じ車内、簡易リクライニングシート)の旅は良かったなぁ。
九州内で乗ったどの特急より快適だった。
夜行急行だからということもあるのだろうけど、こういう設備の長距離急行は便利だったろうね。
西鹿児島から乗った583系特急「有明」のボックスシートはある意味残念だ。
まぁ、このときはめちゃ混みで、おまけに停電で1時間半遅延で、
座席を見るだけで、座ることすら出来なかったんだけど(笑) >>875
そういう分け方してたっけ?
上野−仙台の場合で、急行がみやぎの・松島・青葉で電車、準急がしのぶ(福島以北普通)で客車。
上野−会津若松は急行がばんだい、準急がひばら。こっちはどちらも客車列車。
という感じだったと思うけど。 >>877
急行型車両のスレで特急形車両使った急行の話はスレ違いだ
特急形車両を使った特急の話はもっとスレ違いだ 中央線から神領・関西線送り込みって松本発名古屋行き840M以外ではやってないんだろうか? キハ55なら分かるけど、157系が準急用だったのが馴染めない。165系よりもデラックス。 >>883
あれでも東武の方が常に車両設備は上だしな 151系と451系
157系と457系
車内設備の快適さで比較すると直流電車側が優勢かな。 特急の形式十の位に8が割り当てられる前と後の数字比較して何の意味があるの。
なんなら651系あたりでも混ぜてみたら、無意味なことがより引き立って良いかもしれない。 特別準急とか連絡急行とか例外的なのはある
連絡急行あさぎりは小田急車で
御殿場行くのに東海の後ろ4両の167系に乗るより
SSEの方が人気はあったよなぁ >>888
>特別準急とか連絡急行とか
こう併記されると両方小田急のに見えるw JRになったんだぞこれまでの形式は引きずらないぞ
みたいなPRを内外向けにしたかった、というのもあったんでしょう
何しろ民営化後初の新車なのだから 東海も371を特急だし北も261とかやってて特急8限定は西と九だけでしょ 幻の国鉄ステンレス急行型キハって予定形式決まってたっけ?
あとxx9系=横軽協調運転のイメージで特急シフトが遅くて急行型でいってたら459系なんて作られていたのかと勝手に数字合わせしたこともあったが489系の両数すらそこまで多くないし万一作られてもどれだけ小ロットで終わったことやら 急行形がないんだから、そのために50-70番台を開けておく理由もないしな
もともと、50-80番台は長距離用の区分だったわけだし 651系は151系をリスペクトして、あの型式番号になったという説を聞いたことがある。 >>896
西の特急車と形式番号が被るのを避ける意味合いも有る。
あの当時は各社形式番号が被らないよう区分形式を宣言してた。
そんな中、客車と気動車の一部で重複番号が発生したね。 そういう意味では、プレフィックスでとりあえず重複可能性を潰した
JR東日本のやり方も一理あるということか
JR東海は、従来のやり方を完全に放棄しているとしか思えない
HC85なんて、型式名(プレフィックス)だけでなく、集電不要の電気式気動車にモハだもんな
バッテリーがあるから電車というなら新系列(死後の世界)用の3桁にするだろうし
いろいろやらかしている印象 >>904
四国はかなり早期に放棄してるけどな。
東海はHC85系では外れたけど、あとは国鉄方式に準拠してない? 371系、373系はちと外れてるけど。側面の車番表記もJRで唯一スミ丸角ゴシック 確かにDCと新幹線(N700以降)以外は、国鉄方式にほぼ準拠してるといえるかもしれない。
それより、前の番号にこだわりすぎって印象があるな。
キハ85系→HC85系
新幹線700系→N700系→N700A系→N700S系
でも、なんでDCは二桁に戻したんだろう。謎だ。
スレチすまんね。 東海は旧名鉄局時代にキハ91系と181系に手を焼いて東北筋からの181転用も受け入れず全部新系列キハ追い出したから3桁キハなんて知らないということでしょうね 交直流電車は一般型(近郊型)と急行型は常に東日本仕様車が先に登場し
若い番号が付けられていたが、特急型は西日本仕様車に先を越されてしまったな。
電車特急の需要は関西ー北陸・北九州>東京ー東北だったということかな。 >>911
リタイアした後なら運用の記録として引き取ったのくらいの感じじゃないかと >>913
「高速鉄道技術の進歩の紹介」がテーマの一つだから、
非電化・勾配区間での時間短縮に貢献した車輌、
ということからじゃないかな。 >>912
でも、特急車の増備の実態を見ていると、扱われ方は東高西低なんだよなぁ。
583系クハネ583は耐寒仕様ということで東日本(青森)に集中して新製配置、
突き出される形でクハネ581が西日本(南福岡)がまわされた。
485系クハ481もボンネット型や貫通型が、非貫通(耐寒)型の東北配置の玉突きで、
西日本に流れていった。
結果、交流対応が無駄になる地域で183系(800番台)に改造されたり、なんか哀れな感じがするわぁ。
スレチでごめんよ。 >>912 >>915
電化進捗や新幹線建設の歴史ってだけだよね。
急行型スレだから先に急行の話するけど153系は東京-大阪から始まり
徐々に電化とともに西進したんだが
交流電化は富山開業の段階で481系完成時期でたまたま西っていう状況
東北本線は仙台じゃなく盛岡電化を待つ形になって483系になったんだよね。
581・583は東海道新幹線開業後の話で大阪・新大阪を中心に考える時期
東京から在来線長距離は20系ブルトレが基本で、昼行特急・急行は
東京から新幹線乗り継ぎで山陽・九州に向かうから当然大阪基準になる。 >>912
>交直流電車は一般型(近郊型)と急行型は常に東日本仕様車が先に登場
401、421と451、471はほぼ同時だけどな <準急伊吹>で食堂車の有る運用では、<準急比叡>とは違う車両を使っていたのですか。 伊吹はサロ152とサハシ153が2両ずつの急行編成12連
同時期(1961〜1964年)の比叡はサロ153が1両の10連
鉄ピク2018-4(No.944)に詳細あるから頑張って探そう >>850
伊勢駅で見かけた58系は原色、シートモケット色変更車だったな。
>>856
一般周遊券が急行自由席乗り放題だったのもある。
>>890
特急型の50hz専用車は百の桁が6以降と規定されたから。
711系はそれ以前の規定によるから例外というか事情により形式命名規定は結構
変遷していたし。 >>914
181系は「しなの」に使ってたからでは? >>920
「特急型の50hz専用車は百の桁が6以降と規定されたから」
ってのはJR東日本独自ルールってこと? >920
>922
> 特急型の50hz専用車は百の桁が6以降と規定されたから
E653系は50/60Hz対応車で、50Hz専用車ではない。 50/60Hz対応の457系485系以降は主変圧器?がそれがデフォになったと聞いたことが
あるけど何でまた元に戻したのだろう?
広域配転する可能性がなくなったのと50/60Hz対応は専用より高く付く?から少しでもコ
ストダウンしたかったからかな?
ところで787系は登場時に東京駅で展示したけどサービス電源はどうしてたのだろう?
>>925
それまでも称号規定は柔軟に変えてたのと北海道と九州との番号被りを避けたか
らでは?
もっとも、東の車両は頭にEが付いてるから番号は被らないのだけど。 >>920
>一般周遊券が急行自由席乗り放題だったのもある
周遊急行券同時購入が普通
有効期限の問題があるから
急行自由席乗り放題は均一(ワイド、ミニ)な 475系などPCB対策の変圧器交換で50/60hz共用になった車両もあるらしい。 夜行の佐渡って自由席あったの?
混雑率はどのくらいだったの? >>929
普通車指定席×3、グリーン指定席×1、グリーン自由席×1、普通車指定席×7.5、ビュフェ×0.5
とか >>931
ごめん
普通車指定席×3、グリーン指定席×1、グリーン自由席×1、普通車自由席×7.5、ビュフェ×0.5
とか
普通車指定席×3、グリーン指定席×2、普通車自由席×7
とかね
本当にゴメンな ビュッフェの半室は自由席だったのか。
自由席非冷房時代は涼を求め客が流れてきそう。 >>936
自由席非冷房時代はサハシの客室部は非冷房だよ 涼を求めて「食堂室の方に」流れてきそう、って言いたかったんじゃないのかなぁ。 正しく書くならそうだけど、さすがにそこ読み取れないというのもどうかと思うぞ。 >>940
読み取ったら逆におかしいわな
涼を求めて「食堂室の方に」流れてきそうってのは半室側以外も同じだろ >>940
それに
自由席非冷房時代でもサハシは全車冷房付きで客室部に自由席客が涼を求め客が流れてきそうとも解釈可能だよね 乗客にもいろんな人がいただろうから、どちらでもいいんだよw
自分はどちらも普通にあることだと思うし
非冷房車で窓を開ける夏場は極力先頭車両の左側に座った
理由は黄害を避けるためw 鉄ヲタは自分の興味がある部分には徹底して細かく小突いてくるけど
興味無い部分は恐ろしいほど無頓着だったりするからね
知識が偏りすぎてるというか 東海にサハ164が連結された写真は結構あるのに肝心のサハ164の車内撮影された写真がないのはおしいな ピクに掲載されたのがあるらしいが >>944
何でそうやって言うことがくるくる変わるんだよ >>944
Real timeだから言いたい事は解るがなw
山陰本線東浜駅の近くには旧型客車列車Real time時線路沿い民宿沢山あったがもし旧型客車列車トイレ反対向きならw 夏は窓開けて風を受けていたから糞尿の飛沫はよく顔に飛んできたよ( ̄ー ̄)/ 前の方の車両で水がタレ流れてしぶきをあげていたら顔をひっこめた、窓を閉めたり、しばらくしてまた窓を開ける。 まだ家庭では冷房普及してなかったから真夏なのに窓開けて
車掌に注意されてるのがおったわ 2灯で運転士の目線より低い位置から光軸を遠くまで届くようにしただけでも大きな進歩だったのかな
101系とかだと内容はSLの前照灯と同様なレベルだしね あれは進歩というか大型の白熱灯を2灯つけるためにあの位置にしたんだろ
上の方が光は遠くまで届く。通勤型は踏切ある田舎を高速で走らないから1灯でも
いいんだろうけど、田舎走るのは視認性あげるために上についてる
151の小型白熱灯でもよかったんだろうけど、あれも3灯だったしな
もう数年すればシールドビームになるからそのころだったらキハ80や58みたいに上に
つけてたと思うよ。 >>957
理解するのに2日かかったんだね
次は頑張ろう 鉄道の灯具って照らすより、あくまでも列車の存在を示す為だっけ?なので前照灯ではなく、前灯または標識と言って自動車とは別物だった気がする。 >>960
前照灯と尾灯ではなく前部標識灯、後部標識灯だからな。
保安上、他者から列車の前部か後部の判別が容易にできるようにするのが目的。 まあ専有地を走っているからねえ
踏切も列車が来る時には入っちゃ駄目なわけだし 確か昭和30年代までは前照灯が故障していても事前に通告しておけば無灯火で運転できたらしいが。 砂丘の国鉄色キハ58のアコモデーションって改良されていた? ピク増刊では砂丘色化時にキハもキロハもハ室リクライニング化だそうで リクライニングはしないけど、厚みのある高級感な赤ビロードの座席が動画に上がっている。 九州の65も485の座席じゃなくボックスのままでクッション厚いだけのがあったな
火の山で乗ったことがある。 えびの・くまがわのシーガイア色時代には
リクライニングしか当ったことがない。 外見は国鉄色で車内はアコモ改善済の車はかなり居たのね。 >>967
R51だったっか簡易リクライニングシート ピク増刊キハ55読んでたが冷房化から外れたせいもあってかJR継承ゼロで保存車も無しってのが哀れを誘う
片運転台で縦型エンジンで床に点検口ってのも嫌われたのかなとか思ったりしたわ
あとキハ55 2の廃車日に今更驚いていたり 島鉄で乗りたかったなあ…
南目線廃止と運命を共にして… >>976
南目線廃止と運命にしたのはキハ20じゃなかったか? 島鉄キハ26は発電エンジン4VKだったそうでうるさかっただろうな
当時もう新品4DQ-11Pは入手出来なかったのな?(キロ28モデルチェンジ車が最後の新規搭載車?)
南目線運用車の廃車前はメンテ出来なくて冷房止めてたと聞いたが 東京⇔大阪で急行に乗らないで、
名古屋で準急東海と準急比叡乗り継ぎにして料金を浮かせた人は多かっただろうか。 >>981
1960年に準急料金が一律100円になるんだけど
その時点で東京-大阪の急行料金は300円
一時間以上所要時間が違うので微妙なところですね >>982
大卒初任給が10000円だった時代なので東京ー大阪急行料金だけで今の6000円w
うーん、これは今ののぞみと変わらんし昔はなんでもかんでも高かったんだろう 3分の2になるなら浮かせる価値はあるとしても
乗り継ぎ時間はどうだっただろう。 >>985
確かに何か微妙な違いということだろな
のぞみ自由席と指定席の違いに若干+? >>986
1963年8月の時刻表だと下りで接続しているのは東海3号名古屋1444着→比叡6号名古屋1500発くらいだね 準急東海はどうして準急だったのでしょう?
東京〜大垣で400キロ超えて運転していた。(名古屋まででも360キロ)
『こがね』『しろがね』のような循環運転の列車や『しんじ』のような特殊経路で走るのを除くとありましたかね 例えば中央本線『しなの』,『アルプス』など,東北本線『まつしま』などは急行。 上野〜長岡は準急だったんだが理由は、80系電車を使っていたからじゃないか
長岡から先新潟まで足を伸ばす急行は、165系電車になる前旧型客車時代から、一貫して急行列車であったけどやはり、80系電車=急行には遜色急行なのでは 単純に停車駅や走行時間帯なんじゃね?
上野−仙台なら、急行みやぎの、松島、青葉と準急しのぶが全部走ってたろ。 ふくしまにおるときゃ♪
しのぶぅっと呼ばれたのぉ♪
せんだいじゃ♪
ふつうとなのったのぉ♪
上野のホームに♪
戻ったその日から♪
あなたが探してくれるの待つわ♪
昔の名前で出ています♪ エンヤードット エンヤードット
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