懐かしの天北線
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廃止から早や30年の長い歳月が経ってしまいましたが、景色は素晴らしい路線
だったと思います。 音威子府TOKYO
東京都新宿区舟町3-6 今塚ビル 1F >>469
大丈夫でやんす。御嶽は先祖の墓がある場所でやんすから
しょっちゅう行っているだす。
単純にド素人だから誤変換でやんす。 88年3月の復刻時刻表を購入。
天北線健在確認。胸熱。 14系化前の天北にも乗ったが、薄暗くて混雑してて苦痛だった。北海道は都市間距離が長く特急化すると料金跳ね上がるから、急行のままにして夜行も残すとか言われてたな。可処分所得が低いという理由もある。 14系急行天北が走ってた頃って、猿払村のホタテ御殿はまだ無かったんじゃないか? 天北線・名寄本線・標津線は同時期廃止だったんですなぁ。
平成元年。 池北線含めてどれか1つ第三セクターで残すとなったとき、営業的には名寄本線を残したかった関係者も多かっただろう
でもムネヲの力で池北線が。
池北線の成績なら早かれ遅かれ第三セクターが持たなくなるのはわかっていたはず 天北線が名寄本線や羽幌線よりも長いのは直感に反する 今日の宗谷本線、急行天北が走っていたことを思い出させる風景が。
リバイバル始めたからには、キハ40もいよいよ終了のカウントダウンだな。
新車の試運転も繰り返されてるし。 そのうち日高本線の鵡川〜様似間116キロのスレが立つかも >>484
鵡川から先が廃止だと。鵡川は胆振支庁だし、
このままだと日高支庁へ行かない日高本線になるか...
石狩沼田と繋がっていない札沼線の例もあるけどね。
(JRバスで走っていた時期もあるが) もう何年も乗っていないけど日高本線の大部分がカットされてしまうのは淋しい。
牧草地帯を行き、太平洋が間近で見られる素晴らしい路線。
個人的には好きな路線の10位くらいに入る路線。 >>485
あれは路線としては札沼線ではなくて石狩本線じゃねえの?
まあスレチだけど。 >>485
名松線や小湊鐵道でしょみたいなもんでしょ
網走本線も網走まで行ってなかったからなあ 網走本線は網走に行っていたよ
池田〜北見〜網走〜札鶴だから >>492
網走までの開通が大正元年10月5日で
線名を網走本線に改称したのが同じ年の11月18日
短い期間だが網走線は網走まで行ってた そりゃあ建設途上なら線名になった駅まで達していないことは普通にあるだろ >>498
網走線の線名で網走まで開通したのは事実だよな
大正元年と言ってるのに明治43年、44年の資料貼って何がしたいんだよ 天北線スレだけに
北見に行かない北見線だろうな
北見駅は関係ないんだけどね 昭和の末でも音威子府を4時台に発つ始発は
夜行からの乗り換え客で意外と混んでいたよ。
あの一番列車の車両は名寄から回送していたのか?、
それとも、音威子府で泊まっていたのか? つうか咲来駅まで廃止の話があるんか。そっちがビックリ。 >>506
>>507
下頓別駅跡の整備を続けている元郵便局員の大山武さんは
地元の下頓別郵便局で使用中の風景印デザインも手がけているよ 問寒別から中頓別に抜ける道から見える敏音知岳、美しい・・・ 宗谷本線と天北線の上下列車が行き来した音威子府や南稚内なんて
昔は構内を蒸気機関車が暇なしに走り回っていたんだろうね >>513
両線あわせて30往復弱しか無かったから
暇なしってのはないなw >>515
音威子府っていう響きが好きです
赤い青春18きっぷも通販も毎回ここで買っていました >>513
南稚内は市街地で街の中心みたいなもん
稚内は連絡船のためにつくられたからね >>517
南稚内駅は旧稚内駅だけど場所が違うよ
今の南稚内駅周辺の市街地と呼べる地域は駅と機関区の移転で出来たもの
最近は郊外型の大型店舗も集積してるね >>514
貨物も頻繁に走っていたし、車庫もあったり、入換などで
蒸気機関車の時代はいつもガシガシ、モクモクだったよ。 >>517
>>518
地元利用者は南稚内の方が多いかも知れないな 天北線廃止前に南稚内と稚内の間を走る定期列車は
宗谷本線直通が9往復くらいで、天北線回りもほぼ同等、
天北線廃止で一気に半減して、その後の減便で
今は特急が3往復、普通が3〜4往復くらいか・・・
稚内市内は圧倒的にバスが便利だし、本数も多いが、寂しいね・・・・・ >>524
南稚内と稚内の間にある高架橋も
旅客以外に貨物や入換、回送がガンガン走っていて
踏切の混雑緩和を目的に建設されたとの事だけど、
今の本数では宝の持ち腐れだね。 宗谷本線も旭川運転所のある北旭川貨物駅までは複線だけど、
そこから先は単線で、名寄から先はますます単線だね...
天北線があった当時の音威子府〜南稚内間は実質
複線区間だった様な気がするよ。 >>524
稚内駅から先も1982年位までは北防波堤まで引き込み線が伸びていて、
途中には踏切もあったし、貨車がとまっている事も多かったよ。
その後、展示された蒸気機関車C5549も腐食が進み解体撤去され
今は動輪が展示されているだけだ... >>528
先週のテレビの旅サラダで福澤朗がちょうどそこを訪ねていたね シーズンに急行で稚内に着くと
駅前の「天北旅館」をはじめ
旅館やホテルの呼び込みがわんさかだったな。 まあ自分で一軒一軒訪ねたり電話したりで周るよりは泊まる方も楽だったのかも 終着駅で全員下車、しかも、シーズン中の、
特に夜行で降り立つのは観光客がほとんど。
客引きには都合の良い条件が揃っていた。
実際に稚内に着くと観光客でごった返していたし
朝早くから客引きが駅で待機して、蕎麦屋も店を開けていた。 >>536は俺はこんな搾取には騙されない!とかなんとか言って駅前で新聞紙巻いて不貞寝してそう 詳しくは忘れたけど、電車の動画広告に出てくる猿払村が「猿仏村」になってた 猿払村のホタテも昔は大きくて食べごたえがあったが
ここ数年ほどは小型化しているな。
昔はキロ3個が普通で最低でもキロ4個だったが
最近はキロ5個サイズが主流だと。 猿払産じゃないが(オホーツク沿岸は冬季休漁)
先ほど他の海域産ホタテをもらった
養殖だけど結構大きい。1個250〜300グラムくらい >>544
サロマ湖産との事。
湖内では耳吊り養殖、湖に面するオホーツク海では地蒔き養殖が行われている。
オホーツク海は流氷が押し寄せるのでホタテ漁は冬から春までは休みだけど
サロマ湖内での養殖貝は冬でも出荷できる。という事で、ホタテは通年あるよ。
どちらかと言うと地蒔きの方が筋肉質で大きく育つけど
養殖も手間ひまかけて育てると大きく育つし
砂が入っていないので食べやすいとも言えるね。 >>544
今の時期に時蒔き養殖のホタテを食べたいなら根室海峡産が良い。
流氷の影響も然程受けず、サケ漁の時期を除いてほぼ通年水揚げしている。 タコに追い回されながら海の中を泳いでいるし、筋肉質で大きく育つよ >>552
冬のキハ22は2台、夏は1台が多かったな >>553
1両の馬力が180しかないので、
冬場は2両・360馬力で降雪に対応していた。 ユーチューブに【廃線跡】天北線の廃線跡、駅跡巡り(音威子府〜南稚内)ってのが
上がっていた
https://www.youtube.com/watch?v=Nuv27cXxTJg >>554
それだけではなく、天北線は150キロもの長丁場。エンジン1つのキハ22が冬に小石と曲淵の間だとか、天北峠で故障したりすると暖房も止まるし、安全確保のために2台で運転していた模様。 小頓別も昔は随分栄えたけど
すっかり寂しい街になったね そりゃまぁ、昔は言わば歌登&枝幸の玄関口だったわけですから。 あ、道路だけでいえばまだ言わば玄関口か。小頓別で乗り換える必要が無くなっただけだな。 歌登、枝幸行のバスが小頓別駅前から出ていたし、木材会社が軒を連ねていたよ。
中頓別の人口が今は1700人ちょっと。
昔は小頓別だけでもこの位居たのでは? 天北線の計画当初は音威子府〜枝幸〜浜頓別だったが
音威子府と浜頓別とを短絡させたので小頓別から歌登、枝幸への軌道が作られた 小頓別小中学校も廃校になったね
今は郵便局や駐在所があるが
人口も70人くらいに減ったんじゃないの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています