夜行列車総合スレ★17
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日本の夜行列車も2019年7月現在で定期運転しているのはサンライズ「出雲」・「瀬戸」だけになり、臨時列車で
何とか走っている「ムーンライトながら」も一時期より運転数を減らして残すのみとなり、
これらもいつまで運行が継続されるか不透明な状況で今後が気になります。
その一方で「ななつ星」「四季島」「瑞風」「カシオペアクルーズ」「カシオペア紀行」など、豪華な客室を売りにする
寝台列車は従来の夜行列車とは全く趣向が異なる、ツアー方式クルーズトレインへの業態転換が特徴です。
当スレでは、もはや輸送列車としては絶滅寸前となった夜行列車全般について、
過去の列車の思い出話を中心に語ることで雑談などをします。
辛うじて現役である列車やクルーズトレインは、鉄道路線・車両板の個別スレでお願い致します。
※個別スレへのリンクは>>2以降で
前スレ(夜行列車総合スレ★16@鉄道懐かし板)
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1549693515/
鉄道総合板の夜行列車総合スレ(★14)はこちら
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/train/1517052329/ 寝台特急あけぼの1往復の板谷峠経由ラストは1990年8月31日まで
なお翌日1990年9月1日から東北線〜陸羽東線〜奥羽線経由に変更
更にもう1往復の あけぼの は1往復を高崎線・上越線・信越本線・
羽越本線・奥羽本線経由に変更し、列車名を「鳥海」とした。
因みに仙山線経由に変更したのは夜行だと電車した急行津軽のみ そんなぐぐれば出てくるようなことをわざわざ書く必要あるか?
ねーよ >>294
東北新幹線→仙山線経由の「あけぼの」が80年代に走っていたらすごかった 1982年の設定になってる映画だが当然1982年でも東北新幹線開業前だな又は1982年でも11月の上越新幹線開業の前 >>296
ぐぐるまでもなく懐かし板相応の連中は当たり前に知っとることだ。 宮城家山形県あたりなら眠ってるから関係ない
目的地に定時に着くか、それだけしか関心がない 山形到着時刻が3:40か
あれ6月頃でまだ夜明けが早いからいいもの 夜行ざおうあったけど、455だしな
ピンクの電車でボックス席の夜行じゃ絵にならんのだろ 583の臨時津軽(仙山線経由・寝台も連結されていた時代)には辛うじて乗ったことがあるけど、
その時のかすかな記憶で想像を膨らませるしかなさそうか>自分の場合 「時刻表2万キロ」のように、「津軽1号」で4時台に山形に着いて左沢線の始発に乗るとかでなければ、昼間の特急で4時間台で着けるところに夜行で行く理由はなさそうだ。
氏が、同じく昼行4時間台の仙台へ「新星」で行ったときは丸森線の始発に乗るのが目的だった。(「汽車旅12ヶ月」) 失礼、「津軽2号」だった。
「津軽1号」で出掛けたときは4時台に十文字で起こされたのだった。 津軽1号の山形駅到着が1:38
津軽1号の十文字駅到着が4:09
津軽2号の山形駅到着が4:45
「時刻表2万キロ」と言えば第一章の神岡線のくだりが印象的
夜行急行のりくらを下車した氏は猪谷駅で女性に怪しまれる妄想を描いた場面 わいも読んだがいちいちここで細かく書くこっちゃねーよ馬鹿 おもひでの上野駅推進運転のシーン、
ラッパ屋がいなかった。 >>303
当時は電車急行の夜行も冷房があって軽快な走りで、それなりに快適だったから選択肢になった。
上野〜盛岡の夜行で「いわて」が選択肢はそれなりにあったし。 急行八甲田が1979年3月まで普通車は非冷房車だったので
夏場は夜行の急行いわて3号(105・106M)の涼しい車内は
本当にありがたかった 普段キハ二三両の陸羽東線をDE10に引かれて
24系ブルートレインが行くなどなかなか今考えれば面白いんだが、鳴子温泉に泊まった時に線路際に見に行く事もなく夜間通り過ぎる気配を感じるだけなどと鉄への情熱が如何に覚めて事かと。 今では相撲取りあけぼのになった嫁の気配を布団の中で感じている 。 陸羽東線のDE10、85km/hに達すると5秒で非常制動がかかるから、
83km/hキープしながら走っていたそうだ。
ATS-Pなんかないのにどういうシステムだったんだろう? >>314
グリーン車以外は全部非冷房だよ
>>316
陸羽東線のDE10重連あけぼのは現車12 換算44.5を定数48で
速度種別:特通客F2で走らすのがかなり難しいかったらしい。
せめてDD51牽引ならもっと楽だったけど新庄運輸区にDD51が
いなかったためにDE10×2牽引になったらしい。
その後にDD51が客車を牽引して陸羽東線を走行した実績は
あるのだが既にその時は高崎線〜上越線〜羽越線経由に経路が
変わっていた。 >>314
1976年、急行出羽の編成表 冷房車は5号車のみ
@キハ58(指) Aキハ28 Bキハ58 Cキハ58 Dキロ28(G)キハ58 Eキハ58
Fキハ58 Gキハ58 Hキハ28 Iキハ58 Jキハ58 Kキハ58
因みに下り「出羽」は1〜3号車は上野→新庄、4〜7号車は上野→酒田、8〜12号車は
上野→山形だが、11〜12号車は臨時「ざおう」の運転状況で決まる運用である。
5号車のキロ28(G車)以外にも屋根の上にエアコン室外機を載せたキハ58や
キハ28はあったけど冷房を使用可能にする電源を持つキハ28が少ないのと
福米間(板谷峠)の急勾配をEL補機なくして克服するため、エアコンに使う
電源発電パワーは自走のために使っているものだと思う。急行おが1号も同じ。 >>318
>福米間(板谷峠)の急勾配をEL補機なくして克服するため、エアコンに使う
>電源発電パワーは自走のために使っているものだと思う
冷房用電源ユニットは走行用とは完全に独立してるからこれはないよ グリーン車以外非冷房ならキロ28以外は2エンジン車で統一した方が良かったんじゃないかなと思うけどな。
板谷峠をEF71の補機なしで越えるんだし。 そういえば件の403Dに別件の401Dや季節列車6105Dや臨時の9415D、
更にいいで・ざおう・きたかみ・たざわ・もがみ・しらゆき・よねしろ
もグリーン車以外は非冷房で架線下を走った急行ディーゼルが懐かしい >>320
東北にもキハ65みたいな500PSの車両があれば冷房化もエンジンもパワーあって
よかったのだが残念ながら東日本や東北にはキハ65の配置が無かったのが惜しい >>322
まあ東北が冷房化の優先順位的に低いのは仕方がないわな 四国のDF91・DF50が牽引した夜行列車ってありますか? >>324
DF91牽引は分からないけどDF50牽引ならあるよ
高松ー窪川間 準急105列車と106列車で高松〜高知間がDF200、高知〜窪川がC58牽引
高松ー窪川間 準急7列車と8列車で高松〜高知間がDF200、高知〜窪川がC58牽引
高松ー宇和島 準急5列車と6列車は全区間C58牽引なので除外
他にも設定があったかも知れないが列車名は自分でぐぐって調べてみて!! 訂正:DF50をDF200と書いてしまった
自分のブログでDF200撮影記事と画像をアップしたばかりなので頭が混乱 準急とDF200 が同列で語られていてこの人ヤバい、と思ったわ
まぁそんなお年頃w >>322
東北は最後までキロは自車のみ給電、キハは指定席車以外非冷房が当たり前だったからな >>329
冷房故障の時は急行料金が半額だかの払い戻し対象だったからね。 東北でも455系の電車急行は割と早い時期に完全冷房化を達成してたけどな >>325
準急瀬戸・南風と準急土佐だけなんですか
この2つの準急列車の編成に寝台車入っていなかったから昼行だとおもってました
教えていただきありがとうございました >>333
105列車・106列車・・・準急「土佐」
7列車・8列車・・・準急「南風」(準急「せと」併結)
5列車・6列車・・・準急「いよ」
因みに瀬戸は本州内の列車で四国乗り入れは1988年の
瀬戸大橋線開業からです。 5年程度で終了した大阪−須崎/松山間の客車航送を忘れているよ
*ハニ・*ロハ・*ハ・*ハフの4車種だったので、寝台車はなかったけどね どういう夜行列車があれば「庶民の」需要が掘り起こせるだろうか >>337
それを117で一応やって見るんだろう。酉が
で、広報もせずにやっぱり需要ありませんでしたと文句言わせず終わらせるつもり >>337 東京発大船渡、釜石、久慈、寒河江、酒田、鳴子行き、キハ110改造リクライニング3列シート車による6両編成夜行列車、妄想だけど
究極の東北多層立て列車で、福島、小牛田、一ノ関、花巻で増結分離。料金は夜行バス並み。
深夜に自働で増結分離できる装備が必要かも。 キハ110改造リクライニング3列シート車による6両編成夜行列車w
なのに料金は夜行バス並みw
どんだけ貧乏人なんだよwww そもそも線路がつながってないこともわかっていないアホにかまうな >>337
駅から自宅や観光地等までの超早朝バスを走らせる。
夜行列車で朝3時4時に着いても、その先の接続が6時以降着の夜行バスが来る
まで無いとなるとみんなバスにする罠。
後は個室と簡易式個室とゴロンとシートとシャワー・ランドリー車両で編成する
とか。 シュプール号には連絡バスがあったからまんざら間違ってない年齢的懐かしだが ここはいつから脳内妄想夜行列車スレになったんだよ
自分に都合がいい条件ばかりで笑ってしまうな いまから43年前なら三陸を走る気仙沼線経由の臨時夜行急行ならあった
臨時急行「南三陸」9338列車、気仙沼を18:40に出発して折壁18:57、千厩19:10、
摺沢19:30、陸中松川19:42、陸中門崎19:51、真滝20:15、一ノ関20:25と停車
して一ノ関から臨時急行「もりおか51号」8208列車に併結して一ノ関20:43発の
仙台からは常磐線経由で上野到着が5:05だった
気仙沼から一ノ関まではDE10、一ノ関から仙台がED75、仙台〜上野がFE80で
客車は盛モリの旧客が12系だったと思う 南陸中だよね。気仙沼線はまだ全通してないから大船渡線。まぁ駅名はそれなんだけど
EF80も仙台までいってないでしょ。平か水戸で交換 >>348
引っ込んだヘッドライト
EF65F型みたいな顔
裾が低い車体
1台車1モーター
なんか風変わりな機関車だった >>357
EF65Fは全てでないけど窓上にツララ切りの庇があって
連結器も特殊だからEF80の顔に似てるのはEF65Pの方だよ >>349
ツッコミd
5ちゃんの論述文は話半分やね S51.1.4〜S51.1.7 9336レ〜8208レ
急行もりおか・南陸中
上野←一ノ関・気仙沼(上りもりおか52号・上り南陸中)9336レ〜8208レ
←上野
1 2 3 4 5 6 増1 増2 増3 増4 増5
スハフ
42 ナハ
11 ナハ
11 オハ
35 オハ
35 スハフ
42 オハフ
33 オハ
35 オハ
35 オハ
35 オハフ
33
※S51.1.6の編成。
※1〜6号車はもりおか(上野−一ノ関)、増1〜増5号車は南陸中(上野−気仙沼)、1〜6号車と増1〜5号車の順序は逆かも。
※上りもりおか52号・上り南陸中はS51.1.4〜7に運転。
※上り南陸中の一ノ関−気仙沼間は普通列車。(9336レ) >>356
ARC資料館の丸コピじゃねえか
コピペするならせめて引用符使え
コピペ元のURL貼れ 一番多種多様なカマ交換した列車ってあけぼの?
EF65
ED75
EF71 ED78
ED75
DD51
だっけ? >>360
少なくともその当時はそうだったらしい
それ以前以降に、それ以上の記録があるのかは知らんけど 20系さくら初期
EF58
C62
EF10
C59
C57
20系あかつき初期
EF65-500
EF30
ED72
DD51
C60
>>360
順序が違うけどな >>316
ttps://www.mlit.go.jp/jtsb/railway/rep-acci/RA2014-8-1.pdf
DE10は変速機が本線(85q/h)と入換(45km/h)の切替式のため、
入換モードで本線運転すると火災に繋がるためメーターリレーがついている。
構造は単純で、要は自転車のダイナモが車軸についていて、
一定以上の電流が流れると異常と判断して非常ブレーキがかかる。 急行日向 1960.6〜
京都-EF58-姫路-C59-広島-C62-下関-EF10-門司-DF50-大分-C55-宮崎-C51-都城
急行日本海 1960.6〜
大阪-EF58-米原-E10-田村-ED70-敦賀-DF50-富山-C57-秋田-C61-青森
急行日本海 1965.10〜
大阪-EF58-米原-D51-田村-ED70-糸魚川-DD51-新潟-DF50-酒田-DD51-秋田-DF50-青森 急行津軽
1956.11〜
上野-C61-白河-C57-郡山-C57+D51-福島-EF16+EF16-米沢-C51-秋田-C57-大館-C57+D51-弘前-C57-青森
1959.9〜
上野-EF57-黒磯-C61-郡山-C51+D51-福島-EF16+EF16-米沢-DF50-秋田-C57-大館-C57+D51-弘前-C57-青森
1960.6〜
上野-EF58-黒磯-ED71-福島-EF16-米沢-DF50-秋田-C57-青森
1965.10〜
(下り第1) 上野-EF57-黒磯-ED75-福島-EF64-米沢-DD51-秋田-DF50-青森
(上り第1) 上野-EF57-黒磯-ED71-福島-EF64+EF64-米沢-DF50-秋田-DD51-青森
1968.10〜
(下り2号) 上野-EF57-黒磯-ED71-福島-EF71/ED78-米沢-DD51-秋田-DF50-青森
1972.3〜
(下り2号) 上野-EF58-宇都宮-EF57-黒磯-ED71-福島-ED78+ED78-米沢-EF71-山形-DD51-秋田-ED75-青森
1975.3〜
(下り2号) 上野-EF58-黒磯-ED71-福島-ED78+ED78-米沢-EF71-山形-DD51-秋田-ED75-青森 1980年10月1日時刻改正であけぼのが20系から24系に変わった時は
上野〜黒磯 宇都宮運転所のEF65PF牽引
黒磯〜福島 福島機関区のED75牽引
福島〜山形 福島機関区のEF71+EF71かEF71+ED78の共通運用牽引
山形〜秋田 秋田運転区のED75-700牽引
秋田〜青森 秋田運転区のED75-700牽引
だけど
1975年3月までの山形〜秋田間は秋田運転区のDD51牽引で
秋田〜青森間は1980年と同じED75-700が牽引した
因みに1975年の福島〜山形の牽引定数は特通客E8(41)、1980年の
同区間牽引定数が特通客D0(44)なので1975年3月までの福島〜山形は
EF71が1両のみで牽引していたらしい?現車14Bの20系をEF71が1両
のみで33/1000を克服とか一瞬信じられないけど乗客満席だった
14系10Bのつばさ51号をEF71が1両で越えたのだから可能なのかも? >>366
昭和48年あたりから空転が発生しはじめ、同年冬季には大幅遅延が発生し、
その対策として冬季は手すきのED78ないしEF71が補機として山形まで連結することが常態化 >>366
山形から青森までED75スルー運転しなかったの? >>368
秋田で機関車交換してた。国鉄時代は「日本海」も秋田〜青森はED75だった。
国鉄時代は労組や管理局の縄張り意識が強かったせいか、そのような機関車交換はよくあった。
それが国鉄最後の1986年11月改正でかなり合理化されたが、
「あけぼの」は引き続き秋田で機関車交換してたような。 そういえば、はやぶさや富士も熊本や大分で門司機関区から
鹿児島機関区の76に交換していた。 管理局そうだし機関区の運用の都合もあるし、蒸機時代の名残みたいな所もあったな
下り津軽なんか宇都宮で58から58に換えたりしてたし
合理化でヤード廃止して機関車余って日本海の81スルーとか始めたんだよな。ブルトレの66も同時期
JRになったら北斗星や鳥海が81になったり
機関車も機関区もどんどん無くなっていったな >>370
はやぶさや富士の場合は上り列車の付属編成増結の都合かと
付属編成の東京方に機関車を連結して待機して基本編成が到着したら推進運転で連結して即発車
下りはその運用の影響を受けてる
みたいな
九州内では上り列車の方が下りに比べて慌ただしかったような >>371
蒸機時代の名残というかその当時のままの組織で行くしか無かったんだろうね >>369
>国鉄時代は「日本海」も秋田〜青森はED75だった。
それは青森までEF81でカバーするには所要数が足りなかったからですが
>国鉄時代は労組や管理局の縄張り意識が強かったせいか、そのような機関車交換はよくあった。
当時の米沢〜(青森)は秋田鉄道管理局管内でしたけど 機関車付け替えは車両検査上の都合があるらしい。
鉄道車両の検査は使用時間と走行距離で行うため、走行距離が長いJR貨物の機関車の検査周期は短い。
検査するにしても、機関車の部品を吊り上げるクレーンなどの設備上の問題から簡単ではない。
線路は建築基準法・消防法は適用されないが、鉄道工場や機関庫、事務所は適用されるからすぐには改善できない。
EH500を導入した当初も、仙台総合鉄道部では手が回らずにED75がしばらく使っていたのもそれも一因らしい。
民営化後に清算事業団からわざわざED75買っていたのも、検査上の都合があったらしい。 >>367
そういう事情があったのですね、ご教示ありがとうございました。
>>368
寝台特急あけぼの山形〜秋田〜青森をロングランすると秋田区のED75運用が
秋田ー青森ー秋田ー山形ー秋田ー青森ー秋田とロングランにより、交番検査の
2交Bの施行回数が増えるのと当時の労組(動労・国労)が強いのも原因とか?
しかしED75が山形〜青森をロングランした時もありました。特に降雪期の
矢立峠他などではED75の空転防止にED75重連にするため、秋田で運用を終える
機関車の前に秋田〜青森のED75を連結した変臨運用で対応した事は一時期あった。
2往復走っていた頃の急行津軽も秋田でED75同士を交換していたし、北海道内の
夜行急行でも列車名は失念したけど岩見沢第二機関区のDD51から小樽築港機関区の
DD51に変えていた事もあった(旧客時代の話です)。
>>371
昔の東北線上野口のEF81は途中に直流と交流のデットセクションがある水戸線に
入る貨物列車の専用機関車だった。昔は黒磯経由する旅客・貨物ともどもEF58と
ED75を使っていたけどあけぼのだけはEF65PF持ちでした。 入出区の関係は?
トワイライトや日本海のEF81は敦賀配置だから、敦賀〜大阪〜青森〜敦賀の運用になってるよね。
下りは大阪〜青森通し、上りは敦賀でEF81同士で付け替えることになる。 早岐〜佐世保間で方向転換する客レはC11やDE10を後ろに繋いでそちらが本務機に切り替わってたがそれまで牽引して来た機関車はそのまま補機扱い
これも機関車付け替えと言えない事も無いかな
あかつきではED76機回しして付け替え無しにする事も有ったけど佐世保でもすぐ機回しして早岐の留置線へ帰ってたんだよな
ヘッドマークも前後付け替えてたのは素直にすごいと思った >>378
トワイライトは下りで付け替えてた時期もあったよ 24系は改善されたけど、車輪の上の寝台はうるさくて揺れが大きかったな 370 371あたりの話前にも書いた気がするけど、平成元年頃だったか下関からEF81 400が通しで九州内入っていくのにああつまらなくなったなと思ったよ。それまでは関門だけでEF30か81 300かという楽しみがあったのになって。
その時大学のある女が頭に浮かんで、ああいうのがJRに入社したら合理化一本でこういうつまんねー機関車運用するんだろうなーと思った。 ヲタとしてはつまんねえと思うのは多少理解できるが、面白いから機関車変えてたわけではないからな。 JRになり合理化マストアイテムだしな
女がどうだろうがそんなのどうでもいい >その時大学のある女が頭に浮かんで、ああいうのがJRに入社したら合理化一本でこういうつまんねー機関車運用するんだろうなーと思った。
30年以上も前のネタを延々と引きずるクズじゃ、その女にとっては速攻で合理化の対象だったろうよ 30年前の大学生てことは50から53だなwそんな昔のことを根に持っているなんてバブル絶頂期なのに就職全滅とかじゃねそもそもそんなアレなのすぐわかるしw 合理化による縮小は国鉄分割民営化の要だったし、JR化でも優先課題だった
長崎県佐世保市の早岐客車区の14系寝台車が青森まで定期運用にて走って
いたのは素人目に見ても無駄なのではと思ったくらい >>383
台車の上だから線路と車輪の摩擦で五月蠅いのは勿論、横揺れも激しいのが
特に4号車ロイヤルに乗る際は台車上の1番個室は控えて更にロイヤルが増備されて
2号車と3号車(後の10号車と9号車)がロイヤルになると2号車(後の10号車)に
入るオロハネ24-550番台に乗りたくて複数のみどりの窓口で10時打ちを複数
行って最善の号車のベストな個室を入手したりもしたものだ
今となっては想い出話になってしまったが・・・ ちょっと日本語がおかしい
上から2行目訂正
特に開業後の北斗星5号・6号の4号車ロイヤル(後の3号車→9号車ロイヤル)に乗る際は台車上の1番個室は控えて ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています