夜行列車総合スレ★17
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
日本の夜行列車も2019年7月現在で定期運転しているのはサンライズ「出雲」・「瀬戸」だけになり、臨時列車で
何とか走っている「ムーンライトながら」も一時期より運転数を減らして残すのみとなり、
これらもいつまで運行が継続されるか不透明な状況で今後が気になります。
その一方で「ななつ星」「四季島」「瑞風」「カシオペアクルーズ」「カシオペア紀行」など、豪華な客室を売りにする
寝台列車は従来の夜行列車とは全く趣向が異なる、ツアー方式クルーズトレインへの業態転換が特徴です。
当スレでは、もはや輸送列車としては絶滅寸前となった夜行列車全般について、
過去の列車の思い出話を中心に語ることで雑談などをします。
辛うじて現役である列車やクルーズトレインは、鉄道路線・車両板の個別スレでお願い致します。
※個別スレへのリンクは>>2以降で
前スレ(夜行列車総合スレ★16@鉄道懐かし板)
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1549693515/
鉄道総合板の夜行列車総合スレ(★14)はこちら
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/train/1517052329/ >>131
下り急行鳥海は渋川駅(23:02-03)に停車してるね
上り鳥海は通過になってるが上り夜行列車だと
上り急行佐渡4号(708M)が渋川駅停車(3:02-03)だが
この時間帯に利用客があったのかは不明 >>133
この編成表で見ると「つばさ」「やまばと」が6号車がグリーン車の同一編成。「あけぼの」が20系だった模様。
「あけぼの」は55.10に24系に置き換わっているので、この編成表は53.10〜55.9のものだろう。
上野〜青森「あけぼの」は24系化後に、秋田切り離し車両は無くなってるはず。
https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E6%80%A5%E8%A1%8C%E6%B4%A5%E8%BB%BD+%E6%99%82%E5%88%BB%E8%A1%A8#mode%3Ddetail%26index%3D0%26st%3D0 ただ↓によると、53.10直後はまだ「津軽」にグリーン車は残ってるな。
しかし55.10まで持たなかったような。
「八甲田」の12系化か、「十和田」の12系化と同時に「津軽」グリーン車も消えたか。
https://news.mynavi.jp/article/trivia-288/ 3連投スマソ。「津軽」グリーン車不連結は、54.10から。
つまり「十和田5・2号」12系化と同時だな。
http://betsunoka.ec-net.jp/t/tsugaru6.html >>121
1982年9月に金曜に名古屋から金沢まで利用したが乗車率は1名/ボックスなので25%程度。
名古屋を出た時は11両で途中富山で7両切り離して金沢まではハ+ロ+ハ+ハの4両。
富山切り離しの中にキユニ26?28?が連結されて名古屋での積み込みが慌ただしかった。
名古屋を発射すると岐阜で「あさかぜ」を先に通過させてから高山本線に入って行ったっけ。
途中の分水嶺でエンジンの轟音で目を覚ました記憶がある。
乗客は富山までの登山者、ハイカーが大半で富山〜金沢間は空気輸送みたいなもの。
当時、福井に朝早く着きたかったのでこの列車利用したのだが今からすればいい思い出。 1982.11.15の「前日発」まで
越前 スロ62(スロフ62の時あり)
金フイ 番号 廃車日
2060 83.11.01
2108 83.11.01
フ2032 82.10.25
能登 スロ62(どちらともその前日(13日発)まで)
金サワ
2056 83.11.01
2057 83.08.02
2058 82.10.25
鳥海 スロ62(秋田発はその前日(13日発)まで)
秋アキ
2021 83.08.05
2026 83.08.05
2052 83.11.01 >>138
1980年10月に名古屋駅から乗車した夜行急行のりくら9号は金沢から七尾線経由で穴水まで延長され、
更に穴水から能登線の珠洲まで延長運転されるロングな運転を行っていたのを覚えてる。
急行「のりくら9号」は早めに入線していたが、荷物車のキユニ26新聞輸送(名古屋発行の翌日の朝刊輸送)が
使命だと何かの本で読んだ事があるけど自分が乗車した日は所定の急行「のりくら9号(707D)」の
名古屋→富山間に富山地鉄乗入で立山行臨時急行「むろどう号」(富山4:45→立山5:40)を併結して、
編成がめちゃくちゃ長くて深夜の高山線を行くローカル気動車の夜行列車には見えなかった。
急行のりくら7号(707D→6707D→423D)時刻
名古屋23:49、尾張一宮0:04、岐阜0:15-22、美濃太田0:50-53、飛騨金山1:33、下呂1:56-57、
飛騨萩原2:02、飛騨小坂2:22、高山2:54-3:01、飛騨古川3:19、猪谷3:58-4:00、越中八尾4:19、
富山4:36-41、高岡4:55-56、金沢5:27着(ここから季節臨のりくら7号「6707D」)5:34発、津幡5:44-44、
羽咋6:14、七尾6:36-38、和倉6:44、穴水7:14(ここから普通423D)7:20、中居7:27、比良7:31、
鹿波7:35、甲7:41、前波7:47、古君7:51、鵜川7:55、矢波8:00、波並8:04、藤波8:08、宇出津8:12 83年4月1日客車配置のうちスロ62・スロフ62
注記なき場合は2休
秋アキ 2021、2026、2052(秋アキはすべて1休)
静ヌマ 2061
名ナコ 2076、2086、フ2010、フ2027
長ナノ フ2026(現役) >>131
旧客だとドアが手動(というか事実上開けっ放し)なので本来運転停車でも営業停車にしてる
ケースがある(乗降可能なので)ね
瀬野とか都農とか
渋川がどうかしらんが(佐渡は違うだろうが) 飛行機のファーストクラス並みのシート・シートピッチなのに、
内装が12系ノーマルそのままという、実に素晴らしい仕様だった >>146
オロ12は四国どころか、本州や九州など全部で 70両以上がお座敷列車や欧風列車で在籍していた時代もあった。
臨時夜行列車ではゆうゆうサロン岡山を使ったゆうゆうサロン瀬戸内やユーロライナーを使ったカートレイン・
ユーロ名古屋や名古屋圏のシュプールで夜行列車としても運転実績がある。
JR東日本
お座敷列車・なごやか (1981年 - 1997年) - 東京北鉄道管理局 オロ12 805〜808 計4両
お座敷列車(カヌ座) (1981年 - 2002年) - 新潟鉄道管理局 オロ12 706・オロ12 809〜812 計5両
お座敷列車・白樺 (1983年 - 1996年) - 長野鉄道管理局 オロ12 837〜 840 計4両
お座敷列車・くつろぎ (1983年 - 1999年) - 高崎鉄道管理局 オロ12 841〜844 計4両
お座敷列車・やすらぎ (1986 - 2001年) - 高崎鉄道管理局 オロ12 853〜856 計4両
お座敷列車・ふれあいみちのく (1986年 - 2002年) - 盛岡鉄道管理局 オロ12 845〜848 計4両
お座敷列車・江戸 (1986年 - 2000年) - 東京南鉄道管理局 オロ12 849〜852 計4両
お座敷列車・オリエントサルーン (1987年 - 2000年) - 仙台鉄道管理局 オロ12 857〜860 計4両
欧風客車・スーパーエクスプレスレインボー (1987年 - 2000年) オロ12 715 計1両
JR東海
お座敷列車・いこい (1982年 - 1997年) - 静岡鉄道管理局 オロ12 821〜824 計4両
お座敷列車・(ナコ座)(1983年 - 1999年) - 名古屋鉄道管理局 オロ12 829〜832 計4両
欧風列車・ユーロライナー (1985年 - 2005年)- 名古屋鉄道管理局 オロ12 829〜832 計4両
JR西日本
お座敷列車・いきいきサロンきのくに(1981年 - 2007年) - 天王寺鉄道管理局 オロ12 813〜816 計4両
お座敷列車・旅路(1981年 - 2007年) - 広島鉄道管理局 オロ12 817〜820 計4両
お座敷列車・サワ座(1982年 - 2006年。1993年再改造) - 金沢鉄道管理局 オロ12 825〜828・825・827・828 計7両
お座敷列車・あすか (1987年 - 2016年) - 大阪鉄道管理局 オロ12 851〜854 計4両
欧風列車・ゆうゆうサロン岡山 (1985年 - 2011年)岡山支社-オロ12 707〜710 計4両
JR四国
(波動輸送用) (1988年 - 2010年)四国鉄道事業本部 - オロ12 5・6・9・10 計4両
オロ12 5・10の2両を座席2+1列配置、読書灯・足置き付きのリクライニングシートに、
オロ 6・9の2両は車内がカーペット敷きになっている
JR九州
欧風客車・パノラマライナーサザンクロス (1987 - 1994年)門司鉄道管理局 -オロ12 711〜714 計4両
お座敷列車・(海編成) (1980年 - 1994年) - 門司鉄道管理局 オロ12 801 - 804 計4両
お座敷列車・(山編成) (1983年 - 1994年) - 門司鉄道管理局 オロ12 833 - 836 計4両 強風の余部橋梁で落ちて終了した「みやび」はオロ12じゃなかった? (ジョイトレ除く)っていうのが読めない連中の「すくつ」なんですねわかります >>152
ホントにね。知識を自慢したいんだろうな、>>148クンは。 >>127
61.11以後のかいもん・日南の12系を知らんのか?
末期は50系の垂れ流しトイレ使用閉鎖に伴うトイレ設置のため、久大本線の普通列車に必ず1両以上つながれていたけど >>155
知らないのはお前だろ
転用した座席が元グリーン車用というだけで
グリーン車の扱いは客扱い上も形式上も一度も受けたことはない あのオハは周遊券旅には最高だった。
当然窓割りは合ってないけど。
盆の帰省シーズンの満席な日南で、小倉で座席転回してしまってゴメンね、正面(小倉まで後部)のオネエチャン。転回してくれたらお互いに足伸ばしてゆっくりできたのに。 >>156
でも「リクライニングできる方が長距離なら需要ありそうだけど」は満たしているだろうがバカ
12系3000番台を書かなかったことくらい察しろ愚か者 >>152
>>148って自分の知識を自慢したくてしたくて書きこんでニンマリだったんだろう
最初にジョイトレ除くって書いてあるのも気づかずに 普通車でリクライニングシートが使われ始めたのは、1972年製の183系0番台が最初
もちろんあの悪名高いR51ノーマル
ストップ機能が付いたR51BNは1978年製から そういえば普通車でリクライニングシートが使われ始めたと言えば
14系座席車も1972年登場で定期夜行急行では1975年3月10日から
急行阿蘇、くにさき、雲仙、西海に使われ始めた。
当時九州内のワイド周遊券やミニ周遊券でも乗れて関西エリアから
費用をかけずに夜行列車で移動できたので学生時代はよく世話になった。
183系電車を夜行列車で乗ったのは急行アルプスの末期くらいだと思う。 >>158
あのね、そんな末期の特殊な改造例でドヤ顔してもらうために書いたんじゃないの。全国津々浦々で運用されていた現役バリバリの時代の話をしたまで、
まぁ空気読めないのが治らない奴に言っても仕方ないがな
スレの流れを淀ませてしまいその他の人(´-ω-`)スイマセン
変な奴と同一ボックスになってしまった気分だ、、デッキに移動して床に新聞紙敷いて凌ぐかw どうでもいいな
ヲタが妄想に条件つけてレスして、それを無視した老害ヲタが、シランのか〜って知識自慢
いつものヲタの日常 >>149
最後までよんだのでつね
まあ最後まで読まないから152のようなレスになるわけですが >>162
夜行快速のボックス席なら同一ボックスの3名分は子供で買えば
空気の読めない変な奴とかキモヲタと同一ボックスになる事は
なくなるから子供で買い占めて(750円の出費)しまえばええわw >>166
そんなことをやっていたから夜行が無くなった。 >>166のネットダフ・買い占め屋によって夜行がほぼ全滅した 本当はそういう席は車掌の権限で他の人に売り渡していいことになってるんだけどね クソ馬鹿が買い占めやがったらたいていの奴は出かけねえんだよアホ 五輪チケットは転売禁止されてるんだっけ?
1000万円でも売れそう ムーンライトえちごは2席厨が多い列車だったが、俺が乗ったときにも通路隔てた隣の席が乗り鉄風情の2席厨だった
その日は早々に指定券が完売してて、赤羽駅手前で車掌が切符拝見で来た時もレチが隣の席は空いてますかと確認したら
乗り鉄ヲタ風情が友達が高崎から乗りますと深刻してその後に長岡から乗るかもと惚けていたが車掌はもうアカンと
思ったのか離れていった。俺は磐越西線の224Dに乗り換えて223列車を撮影するために新津駅で下車したけど
結局その友達らしき人は乗らないで隣の席は空いたままだったよ。
何で車掌はその友達が乗ってくる駅まで指定席を他の立ってるお客に売らなかったのか理解に苦しむ
1994年12月だったのでムーンライトえちごではなく、ムーンライトでした >>169
全席指定の列車で、マルスで残席がないなら始めから乗らないから、他の人に売ることはない。
自由席付きなら有り得るが、国鉄時代ならともかく、民間になった現代では万一の際のクレームが怖くて車掌もわざわざそんなことはしない。
制度の欠陥。 「指定席券」故の欠陥だな。
急行でやらかした輩は居たのかな? >>172 実際にもう一人が乗らないとしても、全区間二席分の収入が入るわけだから、JRにとって損はないのでは。モラルの問題は別として。
その実質空席のところの指定席を第三者に売るとなったら、席確保している奴にお願いしてキャンセル手続き取らなくてはならないが、面倒なんでは? 「有効の乗車券と一緒に販売する」前提があったための盲点
一応、指定された駅から乗車していない場合は無効になる
西の車掌にしかりつけて2席厨の席をはく奪させ、無理やり発券させたことがある
2席厨はダダをこねたけど、乗車券を持っていないことが発覚して詰んだ >>176 確かに、乗車券持ってなかったらキセルだわな。でも、指定席車両乗ったときに車掌が指定席券に乗車券確認するものではないのか?
車両巡回する暇がなかったのか? 大垣行きは、酔っ払いサラリーマンが眠ってしまい、乗り越して大慌てしたたな 急行能登もな
一時期高崎線の終電だったからやらかす人がいた
おやつに越後の笹団子が回ってきたのは車内販売で調達してたのかな >>179
高崎で降り損ねると直江津だったもんなw >>177
空いてる座席で誰がどこから指定とってるのかもわからんのにか?
176のはバカがわざわざ「隣の席も俺が買ってるから自由に使うぜぇ♪」とか調子こいて二席分の指定席券を車掌に提示でもしたんだろ。
まあ176は自由席があったムーンライトかなんかかね。 >>172
今も2席厨は多い
>>175
乗車券分は丸損だろが >>181 >空いてる座席で誰がどこから指定とってるのかもわからんのに
最近では車掌が端末で各指定席の予約、空席状況確認できるようになってるわな。
誰かはわからずとも、端末でこの区間は空席と表示されているのに誰か座ってたら、おかしいとわかるだろ。
端末の無かった頃は、事前に予約状況確認してメモを作って、それと照合していたのだろうけど。
仮に車内検札で見逃したとしても、到着駅の改札で駅員が見張ってるから、こいつ全車指定席の特急に乗ってきたはずなのに、指定券持ってないのはおかしいと気づかれるだろう。
最近は自動改札が普及しているから、より厳密にチェックできる。 >>182 >乗車券分は丸損だろが
そのために車内検札で乗車券に指定席券などチェックし、必要なキップ持たないで乗っている奴がいないかどうか、寝ている客を叩き起こしてでも確認するわけだろ。 昔の「ジャーナル」だかに、車掌が「今日は空いてるさかい、ひとりで4席でも8席でも買うてや」と買い占めを促してるかのような発言をしたとの記載があった。在りし日の「ムーンライト九州」だった気がする。 列車が走っている限り、急遽途中駅から指定をとるものもいるということすらわからない車掌がいるんだな。 >>184
話が噛み合ってないっつうか、理解できないみたいだが、2席とって一人で乗ってるヤツは、座ってる席の指定席券を見せて終わりだわな。
そもそも空席に客が座ってる話はしてねえし。
指定席に客が座っていない話をしてるんだが。 >>179
>>180
1995年12月上旬金曜日夜に忘年会2次会で遅くなった帰りに乗った急行能登の
自由席に座って大宮までは起きていたのだが気が付くと下車駅の上尾は通り過ぎて
鴻巣を発車したばかりでこれ以上寝過ごす訳にはいかず寒いデッキで待機して
確か1:03着の熊谷で下車。
上り能登を待つのも面倒で熊谷駅からタクシーで上尾の自宅まで帰ったがもう
懲りて飲んだ帰りに能登を使う際は着席しない事を心に決めたよ。
当時の能登は信越線経由だったので高崎から先は横川、軽井沢、小諸、上田に
停車したので流石直江津まで行く事はないけど飲んだ帰りは要注意。 >>187
>>184って何かの障害を持っていると思われる 昔、種の列車追跡で、「能登」で酔っ払いが戻したというのがあった。
今では、昔に比べてゲーゲーやっているオッさんはすくなくなったような気がする。 20年以上前に上尾とかに住んで都心まで通勤する時点でアウト
昔、上司で五井だか姉ヶ崎に一戸建て買って移り住んでたのがいたが、20時過ぎると東京駅から電車がないといってた >>166
>>187
旅客営業規則147条5項
同一旅客は、同一区間に対して有効な2枚以上の同種の乗車券類を所持する場合は、
当該乗車については、その1枚のみを使用することができる。同一旅客が、
同一区間に対し有効な2枚以上の指定券を所持する場合についてまた同じ。 但し特例として さくら、みずほ、あさかぜ1・4号 に連結した4人用B個室の
カルテットは3人分の乗車券があれば3名で貸し切る事が出来た時代はある 上尾ならまだいいんじゃないのか。
昔、ベッドタウンとして栄えたが都心から遠いために人気が下がっている街に、動物の名前がついているのがあると何かの雑誌で読んだ。
曰く、熊谷、牛久、龍ヶ崎… 持ち家とは書いてないのに勝手に飛躍してアウト判定か
親元かもしれない、借家かもしれない RJの489系能登ルポで、定期で乗れる様になり、金沢レチの話として車内で急行券発券に追われてるとあったな >>193
>>187などはそれを十分に理解したうえで書いているのにそれを出してどうする >>192
>昔、上司で五井だか姉ヶ崎に一戸建て買って移り住んでたのがいたが、20時過ぎると東京駅から電車がないといってた
ネタも大概にしたほうが良いぞ 呑むたび横須賀〜木更津の往復ビンタを食らったもんです。 大垣行き乗車の基本
サハに乗る
進行左側の座席に座る >>201
複線で左側は基本だろ?
慣れればモハは問題ないけどな >>201
複線で左側は基本だろ?
慣れればモハは問題ないけどな >複線で左側は基本だろ?
昼間なら景色を見たい側に座るだろ サハしか乗れないなんて言ってる人は165系化された時代にはもう乗れませんね 贅沢だな
10系寝台車とか全車エンジン付だったぞ
しかも10系のは排気量が比較的小さいせいかエンジン音が甲高い はまなすのハ座に乗ったときは
足の裏が熱くなったわ >>210
言わなくてもわかることをわざわざ念押ししてる連投バカご本人さまか? 言われなくても分かることが分かってない奴がよういうわ
それとも日本には白夜とか有るとでも言うんですかねw 大垣夜行の話なのに これぞザ・鉄オタの会話という臭気が充満してる感じで目が痛くなるw >>201
大昔の大垣夜行は8号車と9号車がいずれもサハ153だった。
自分は大垣での米原方面接続列車に乗るときは1号車のクハ165が多く、
大垣からの米原方面接続列車に乗らない時は一番空いてた12号車の
クハ155に乗る事が多かったけど非冷房なので当然夏場は避けた。 >>212
字が読めない輩に白夜なんていうムズカシイ言葉使っても読めないんでないの? 座席指定とかいらないんだよなあ。
乗って移動さえできればそれでいいんだわ。 >>208
> しかも10系のは排気量が比較的小さいせいかエンジン音が甲高い
乗った事ないの丸分かりだね、床下排気で漂う排気の臭いと低いエンジン音が特徴だったんだよ。 >>217
をう、昼行のハナシは一ミリもしていないから読めてるぞ。 201レ「はまなす」は函館を出ると繁忙期でも結構な空席
やっとこさ取った指定キハフから自由オハへ移動
夏場は東室蘭の手前から朝日がまぶしかったな >>221
函館と室蘭・苫小牧経由の札幌は、1980年10月に夜行急行すずらんが廃止になったくらいだからな。 夜行急行すずらん、懐かしいねぇ
下り急行すずらん4号(1217列車)函館 23:40 → 6:08 札幌
上り急行すずらん4号(1218列車)札幌 23:15 → 6:10 函館
@スハネフ12,Aスハネ16,Bオロネ10,Cスロ54,Dスハ45,Eスハ45,Fスハ45,Gスハ45,Hスハ45,Iスハフ44
下り急行すずらん4号の札幌着が朝早いので札幌着が7:34と遅く、そのまま
乗っていれば滝川駅(9:56着)まで行けた山線廻りの鈍行夜行43列車に
乗ったら小樽から通勤客が大量に乗って来て岩見沢まで窮屈な旅だったよ。
>>223
廃止後は多客期に臨時すずらん51号で復活したけど14系座席車が
不人気なのか、いつ乗っても空いていた。急行ニセコの予備車で
運行されたけど1986年くらいで臨時も消えてJR化後に室蘭と旭川を
結ぶ特急の名称になってしまった(特急ライラックの補完的役割)。 >>224
札幌~旭川の特急名で、「すずらん」は入らなかったが・・ スハネフ12で妄想が捗るな
10系なのか、12系のハネ化なのか >>227
10系オハネフ12を、サロ165みたいにユニットサッシ化して延命?を想像。
趣味的にはOKだが、俺的…いらん。 14系14形使用の寝台特急で最初に廃止になったのは北星
24系25形使用の寝台特急で最初に廃止になったのは安芸
では24系24形使用の寝台特急で最初に廃止になったのは何? あったら嫌な夜行列車
・特急ブラックホール
・急行はくしょくわいせい
・特急冥王星 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています