青函連絡船7便
お召し船は1号御料車も一緒に積載しないといけなかった? みなさんのん気なものですね
能登半島近辺は大変なことになっているのに
宇宙連絡船 洞爺丸に皆で乗り込んで日本海に行き救援活動をしませんか? 船の科学館の展示施設が今日までだったみたいだね
鉄道の保存施設ではなかったけど、青函連絡船の羊蹄丸のスクリューとか展示されてたから国鉄→JRの所蔵品の関連施設ではあった
あのスクリューは今後どうなるんだろう? >>726
船の科学館の別館が閉館したが、羊蹄丸のスクリューも観れなくなるのかな?
大宮の鉄道博物館に移動させてほしい 昭和63年のNHK特集が10日の日曜深夜に再放送された。
インタビューされてたおばちゃんたちもおそらくもう鬼籍に入っておられると思うと36年の歳月に愕然となる。
考えてみりゃ、個人的な高校卒業旅行として連絡船に乗ってきた自分が54歳のじじいになってるんだし。
ちなみに乗ったのは上下ともオレンジ船体の十和田丸。 北海道新幹線、札幌開業「未定」だってよ
リニアは全線開業2037年目標変わらず(無理だけど)
作業員高齢化、後進育たず
どうするの?
新幹線、函館駅乗り入れ(絶対ない)
実現したら胸熱
連絡船には関係ない
ゴメン >>078
自分は高校2年生(1975年)の時に修学旅行で青函連絡船初乗船だった。
行きはゆうづる1号(5011M)から青函連絡船3便「青5:25⇒9:15函」接続で
帰りは青函連絡船4便「函17:00⇒20:50青」からゆうづる6号(5014M)。
3便が八甲田丸、4便が大雪丸だったけど49年前の思い出で今は65歳だよ。
船内の自販機で買って飲んだよつば牛乳の美味さ、メダルも買ったけど
往路の朝食と復路の夕食は弁当(鉄道弘済会製)が積み込まれたので
船内食堂を利用できなかったのが残念。 子供の頃は親と座敷
大人になってからは独りで座席だった
座敷にもグリーンがあった記憶
座り心地に違いがあったのだろうか グリーン座敷は空いていて快適
煩い集団や子供連れもいない あまりに空いていると座敷わらしが出そうで怖いけどね 実際はざしきじゃなくてさじきだから座敷わらしは出ようがないのであった >>734
桟敷ってこう書くけど
津軽地方じゃ座敷をさじきって読むのか? >>735
違うよ
畳じゃないから座敷じゃなく桟敷だってことだよ
正式には座席だけどな >>734
ごめん、自己解決
座敷席じゃなくて桟敷席が正解なんだね。 >>737
正解なんて無いし
ネタにまじレスされても困っちゃうw グリーン桟敷は、利用した事無いと謎の存在だった。
いずれにしろ独りだと桟敷は利用しづらい。
JR初期くらいに夜行列車でカーペットとかあった。
利用した事無いが直ぐに無くなった記憶。 国鉄の終わりには旧客であったでしょ、カーペット車。41レに繋いでた
それがJRになってミッドナイトのキハや海峡の50系、はまなすの14系のカーペットカーになったんだな
そういや青函連絡船のカーペットってなんて呼んでたっけ。普通席か
Wikiだと雑居席とかなってるけどそんな呼び方はしてなかったよな >>739
なので2016年まで「はまなす」に繋いでた、カーペットカー
形は違うけどサンライズのノビノビはあるし、フェリーはどんどん個室化してるけど
青函フェリーにはまだあるな >>740
青函連絡船の桟敷なら普通席か普通座席かと
椅子は椅子席とか普通椅子席
雑居席なんて聞いたことない カーペットの普通席が人気があって場所取りが大変だった。
おじさん達はビールで酒盛り。おばさん達は弁当。
魚だかイカの干物にマヨネーズと醤油付けたの美味かった。
アスパムの居酒屋の座敷席で津軽海峡見ながら飲んでると当時を思い出す。 青函連絡船は1977年から約10年間乗船したけど八甲田丸、大雪丸、羊蹄丸、
摩周丸、十和田丸では寝台、グリーン指定席とグリーン自由席「椅子席」「桟敷席」に
普通船室は「椅子席」「桟敷席」と呼ばれていたが桟敷席の事を升席と称する乗客はいた。 時刻表に載っている連絡船独特の寝台マーク(星もAも個もない)がなんか面白かった
ただ4時間前後の乗船で寝台利用者ってどのくらい居たんだろ? 初めての北海道が飛行機で、次が北斗星
連絡船にはついに乗らなんだ