青函連絡船7便
寝台があったが所要時間4時間弱だと睡眠が十分取れない懸念がありそう
明け方4時くらいに乗り換える事になる
深夜便の代替が急行はまなす 深夜便に限らずグリーン自由席の人気があったのはコスパが良かったからと聞いたぞい 昭和48年8月5日に3万4560人/日を記録
うち多かったのは上りで1万9080人/日
甲・乙・丙各系統は全て津軽丸 6隻×2.5往復/日=15往復/日
2往復/日の季節便には松前丸が入っており、2往復/日=2往復/日だけど
函館側はすべて有川発着なので、バスで有川まで送り込まない限り無理
6054便の函館4岸(有川)出航は707人乗船
季節便以外の平均は(19080-707)/15≒1225人/隻≒乗船率92.1%)と恐ろしい乗船率
おそらく普通船室(夏季定員970人。通年定員となるのはこの年の12月28日から)は季節便以外全て満席だったはず 「津軽海峡冬景色」の歌詞に「ご覧あれが龍飛崎…」とありますが、冬の青函連絡船の航路から龍飛崎を見るのは天候の関係で難しい。とか、冬の青函連絡船のデッキに出るには寒すぎるので、夏に青函連絡船に乗った経験を冬にあてはめた。
というのは本当ですか? >>699,700
ググって、歌詞を確認しました。
ありがとうございました。 この歌は天候・雪の設定だから、西側の下り便の航路からでも竜飛埼は見えないよね。
その手前の高野埼も見えるかどうか?
作詞者の阿久悠が取材で乗ったのは夏らしい。 宇高みたく高速船があっても良かったのに
2時間弱位で結べそう
ホーバーは波が荒いので不可能だがジェットフォイルなら可能
しかし燃費が異常に悪いのが欠点でナッチャンReraは短命だった 青函ジェットフォイル「ゆにこん」も短命だったね。
津軽海峡は高速船が就航するには距離が長すぎる。
速達効果というメリットが大きいと同時に、燃費や引き波問題といった
デメリットも大きくなってしまうからね。 青函トンネルに快速列車通ってた時が一番便利そうだった
車で渡る場合はフェリーだった 海峡が廃止されて特急だけになったので津軽海峡線区間乗るに限り普通乗車券で特急に乗れたんだっけ?
新幹線はそれが適用されないんだっけ? 鉄道省は今の津軽浜名に操車場、500m西側に連絡船桟橋岸壁と新港を計画していた
当時は要塞地帯法があり、三厩の営林所くらいから西側で新たに建築物や岸壁を作ろうものなら陸海軍との協議・認可が必要だった
函館以外ほとんど遠浅のため、北海道側は函館のまま 「息で曇る窓のガラス拭いてみたけど」
ってどこの窓なんだろう 0101レ八甲田
1年程度全座席で運転された0015Mゆうづる下3号
のどちらか
青森から乗船したのは5便。これだけは確定している 末期のダイヤでいう21便だね。
だから「夜行列車」は早朝に青森に着く「ゆうづる」だと思う。
まぁ、末期のダイヤの話だけど。
座席夜行にこだわる必要はないと思う、主人公の女が寝台に乗っていても良いじゃないか。 リニアは、直線経路に拘ってるんだろうが
南アルプスは難工事
奈良は、どこ掘っても遺跡が出てくる
東京大阪間が開通するとしても予定より大幅に遅れる 座席でなくて寝台でもいいよね。まあ普通に東北本線又は常磐線経由で、奥羽線とか上越線回りはないだろうけど… 僕はゆうづるかはくつるに乗ってたよ
寝台じゃないとつらいからね
青森駅に着くと老いも若きも連絡船の座敷席目指して必死に走った 青森駅建て替えるのか
02年夏に初めて訪れたときはまだホームに連絡船→の表示とベニヤ板で塞がれた桟橋への通路跨線橋が残っていたわ お召し船は1号御料車も一緒に積載しないといけなかった? みなさんのん気なものですね
能登半島近辺は大変なことになっているのに
宇宙連絡船 洞爺丸に皆で乗り込んで日本海に行き救援活動をしませんか? 船の科学館の展示施設が今日までだったみたいだね
鉄道の保存施設ではなかったけど、青函連絡船の羊蹄丸のスクリューとか展示されてたから国鉄→JRの所蔵品の関連施設ではあった
あのスクリューは今後どうなるんだろう? >>726
船の科学館の別館が閉館したが、羊蹄丸のスクリューも観れなくなるのかな?
大宮の鉄道博物館に移動させてほしい 昭和63年のNHK特集が10日の日曜深夜に再放送された。
インタビューされてたおばちゃんたちもおそらくもう鬼籍に入っておられると思うと36年の歳月に愕然となる。
考えてみりゃ、個人的な高校卒業旅行として連絡船に乗ってきた自分が54歳のじじいになってるんだし。
ちなみに乗ったのは上下ともオレンジ船体の十和田丸。 北海道新幹線、札幌開業「未定」だってよ
リニアは全線開業2037年目標変わらず(無理だけど)
作業員高齢化、後進育たず
どうするの?
新幹線、函館駅乗り入れ(絶対ない)
実現したら胸熱
連絡船には関係ない
ゴメン >>078
自分は高校2年生(1975年)の時に修学旅行で青函連絡船初乗船だった。
行きはゆうづる1号(5011M)から青函連絡船3便「青5:25⇒9:15函」接続で
帰りは青函連絡船4便「函17:00⇒20:50青」からゆうづる6号(5014M)。
3便が八甲田丸、4便が大雪丸だったけど49年前の思い出で今は65歳だよ。
船内の自販機で買って飲んだよつば牛乳の美味さ、メダルも買ったけど
往路の朝食と復路の夕食は弁当(鉄道弘済会製)が積み込まれたので
船内食堂を利用できなかったのが残念。 子供の頃は親と座敷
大人になってからは独りで座席だった
座敷にもグリーンがあった記憶
座り心地に違いがあったのだろうか グリーン座敷は空いていて快適
煩い集団や子供連れもいない あまりに空いていると座敷わらしが出そうで怖いけどね 実際はざしきじゃなくてさじきだから座敷わらしは出ようがないのであった >>734
桟敷ってこう書くけど
津軽地方じゃ座敷をさじきって読むのか? >>735
違うよ
畳じゃないから座敷じゃなく桟敷だってことだよ
正式には座席だけどな >>734
ごめん、自己解決
座敷席じゃなくて桟敷席が正解なんだね。 >>737
正解なんて無いし
ネタにまじレスされても困っちゃうw グリーン桟敷は、利用した事無いと謎の存在だった。
いずれにしろ独りだと桟敷は利用しづらい。
JR初期くらいに夜行列車でカーペットとかあった。
利用した事無いが直ぐに無くなった記憶。 国鉄の終わりには旧客であったでしょ、カーペット車。41レに繋いでた
それがJRになってミッドナイトのキハや海峡の50系、はまなすの14系のカーペットカーになったんだな
そういや青函連絡船のカーペットってなんて呼んでたっけ。普通席か
Wikiだと雑居席とかなってるけどそんな呼び方はしてなかったよな >>739
なので2016年まで「はまなす」に繋いでた、カーペットカー
形は違うけどサンライズのノビノビはあるし、フェリーはどんどん個室化してるけど
青函フェリーにはまだあるな >>740
青函連絡船の桟敷なら普通席か普通座席かと
椅子は椅子席とか普通椅子席
雑居席なんて聞いたことない カーペットの普通席が人気があって場所取りが大変だった。
おじさん達はビールで酒盛り。おばさん達は弁当。
魚だかイカの干物にマヨネーズと醤油付けたの美味かった。
アスパムの居酒屋の座敷席で津軽海峡見ながら飲んでると当時を思い出す。 青函連絡船は1977年から約10年間乗船したけど八甲田丸、大雪丸、羊蹄丸、
摩周丸、十和田丸では寝台、グリーン指定席とグリーン自由席「椅子席」「桟敷席」に
普通船室は「椅子席」「桟敷席」と呼ばれていたが桟敷席の事を升席と称する乗客はいた。