青函連絡船7便
連絡船って5300トンが正解?
8100トンが正解? 流れを読まない昔話だけど、
青函連絡船への車両の積み込み・引き出しは、
「ヒ」を挟んで機関車は連絡橋には乗らない様にしていましたね。
英仏海峡の昔の鉄道連絡船での車両航送の映像を見たら、
4軸?の重いDCが直接車両を牽引して連絡船の中まで。
連絡橋も複線で並走して積曳の作業をしていて、
その違いが興味深い。 英仏列車フェリーは可動橋爪レール方法でなく、浮桟橋みたいなところへ船尾を突っ込み浮桟橋側のレールを伸ばしてトン付けする方法
だから、接合部に負担がかからないし水平を維持できるため、入換機関車がそのまま乗船できる
ただ、浮桟橋と地上の間の連絡橋がすさまじい勾配になることがあり、登りきれないため2回に分けて引き出しすることもある
クラス33はB-Bの4軸 かつての隅田川には実際に控え室のように使っているのも確かにあった。 1975.3 青函 偶数=函館→青森
甲B12 2)0015-0405(1
乙B2 1)0040-0430(2
季6054 4)0130-0610(2
丙B158 2)0240-0635(1
渡B260 3)0300-0700(3
檜C72 4)0400-0830(3
甲A30 2)0505-0855(1
乙A156 1)0530-0920(2
臨8052 3)0610-1150(2 (なぜか函館沖で約2時間停泊)
丙A26 2)0710-1100(1
渡A272 3)0735-1125(3
檜A52 4)0825-1315(3
甲B154 2)0945-1340(1
乙B24 1)1005-1405(2
檜B62 4)1110-1540(2
丙B22 2)1215-1605(1
渡B262 4)1240-1630(3
季6056 3)1415-1805(3
甲A8 2)1440-1830(1
乙A18 1)1505-1855(2
檜C74 3)1550-2025(2
丙A4 2)1700-2050(1
渡A274 4)1720-2115(3
臨8054 3)1900-2250(3
甲B16 2)1925-2315(1
乙B6 1)1950-2340(2
檜A54 3)2040-0110(2
丙B152 2)2145-0135(1
渡B264 4)2205-0200(3
檜B64 3)2310-0340(3 1975.3 青函 青森→函館
甲A11 1)0010-0400(2
乙A1 2)0035-0425(1
丙A151 1)0230-0620(2
渡A271 3)0255-0640(3
檜A51 2)0305-0730(4
甲B33 1)0500-0850(2
乙B3 2)0525-0915(1
檜B61 3)0535-1005(4
季6035 2)0705-1055(3 時刻表では「35便」と表記
丙B5 1)0730-1120(2
渡B261 3)0755-1145(4
甲A7 1)0950-1340(2
乙A17 2)1015-1405(1
檜C73 3)1025-1455(3
丙A21 1)1205-1555(2
渡A273 3)1220-1620(4
臨8053 2)1240-1645(3
甲B23 1)1435-1825(2
乙B153 2)1455-1850(1
檜A53 3)1505-1935(3
丙B25 1)1700-2050(2
渡B263 3)1720-2110(4
檜B63 2)1730-2200(3
季6057 3)1900-2250(4
甲A27 1)1925-2315(2
乙A157 2)1950-2340(1
丙A159 1)2145-0135(2
渡A275 3)2205-0205(3
檜C75 2)2215-0245(4
臨8051 3)2345-0335(3 3月になると八甲田丸終航式での工藤船長挨拶『年が明けてからは毎日の過ぎるのがとても速く…』を必ず思い出す。
去年4月に職場が変わって過ごしてきたのもあって、35年の流れをひときわ感じる。 みんな、3月7日18時10分からNHKのBSプレミアム見ろよ。
1988年放送の「NHK特集 さよなら青函連絡船」を再放送するぞ! 書き込み少ないが閲覧者はまだいると思われ
有益な情報はありがたい >>653
情報感謝であります!
3/13摩周丸乗船の吾輩も録画予約いたしました! >>655
3/13の摩周丸というと、6B-5Bですか? 1988年のNHK特集見たが、船員の再就職先が海保や水産高校教員とか、やけに恵まれていたな。
そのままJR北に残ったら、その後悲惨なことになってたんだもんな。
ゴキブリ公務員にとらばーゆできて、退職金2千万コースだよw
バブル絶頂期の頃制作だが、年寄りが多いのもあるが、出てくる客が皆1970年代の日本人に見えるわ。 当時は地方と東京で一般の人の服装が全く違っていた
インターネットやコンビニで全国的に均質化したのは最近の話 NHK特集はほぼお客のインタビュー・人生模様
鉄道要素は冒頭の583系と最後の方のインタビュー中ーの貨車入換え時の機関車の警笛のみ
だが当時の雰囲気を感じることができるNHKらしい貴重な番組構成 海峡ラーメンや海峡丼にいかさし定食(いかづくし定食)のシーン見てみたかった >>656
5Bであります!
前日に函館入り→はつかり10号の発車をTVで眺めて(ヘタレ)午前中の海峡で青森へ
そのあと5B魔周丸に乗船しました!
このスレのお蔭で録画できたNHK特集を観て愕然としたのは
「初乗船は20歳のときだから昭和10年」や「昭和13年以来50年ぶり」などの受け答え
あとお年寄り中心のインタビューだからか皆さまの日本語が美しくて心に沁みました >>662
私も乗っていました。
たしか西北西10m波3、3月の津軽海峡らしい天気でしたね。
最終便22便羊蹄丸と5ケーブルで夕暮れの行合、今でも記憶鮮明。
乗船客は800人くらいだったか? 連絡船の食堂は町の定食屋と変わらない
高価なのは民間の長距離フェリー いかさし定食はイカの刺身にご飯・味噌汁・香の物
いかづくし定食はイカの刺身・イカのリングフライ・イカ塩辛・ご飯・味噌汁・香の物
いかさし定食は航路廃止までと1988年夏の青函博による臨時運行でも食べられた
いかづくし定食は1981年くらいまでだと思った
いずれもグリル○○のメニュー(○○は大雪や羊蹄など船名が入る) 船ごとに違う料理長メニューも各船ひとつずつあった。 こんなん出てきた
グリーン自由席に座ったかな
同じ便に乗った人も居るんちゃうか
https://i.imgur.com/67dhoXx.jpeg
当時の彼女と乗ったんだけど、殺伐さに鉄嫌いになってしもたw >>669
まだ青函連絡船があった頃に新日本海フェリーに乗った事があるけど、食堂の値段の高さにビビった 私が乗船したのはまだ1〜3等区分の時代、
グリーンの呼び名の時代は乗り損なった。
ちなみに当時の1等は寝台室。
別段、スイートの様に洗面やトイレがある訳でなく、
複数の2段の寝台があって横になれる程度の設備、
部屋の中央にはソファと机はあったような微かな記憶が。 さすがに最近の新日本海フェリーはカフェテリア方式に変わった
それでも割高感はある 青函連絡船の船を宇高連絡船に持ち込んだら喫水が大きすぎて座礁する危険性がある?
接岸できる港が限られそう >>683
レールが合わせられなくて車両の積み下ろしが出来ないんじゃね
今の話だと、高松港も宇野港もクルーズ客船が入れるから青函連絡船みたいな小さな船は余裕だろう はじめで宇高連絡船を見た時
「デカっ」
はじめて青函連絡船を見た時
「デカすぎ」
はじめて新日本海フェリーを見た時
「うわわわわ」
はじめてアメリカ海軍空母を見た時
…気絶 大きさだけならコンテナ船で400mくらいのがある
アメリカの空母はアレを維持できる経済力が凄い
日本や中国では無理して建造しても運用する費用がない >>682
それでも供食施設が3ヶ所(カフェ・レストラン・グリル)あるのが嬉しい 船の科学館に泊まってる羊蹄丸を見ると小さく感じた
就航していた時は大きく見えたのに 青森駅で列車を下りて改札へ向かうとき初めてフネを見たんだけど、乗船口や可動橋とくっついた建物にしか見えなかったな。
その後住み始めて友人達と安方辺りまでチャリで行ったら、夕暮れに出航していくフネはビルが動いてるようだった。
今じゃ横浜でもっとドでかいマンションみたいなクルーズ船を見てるんだよなあ。 煙突のJNRロゴがカッコよく見えたんだよなぁ
なんというか、ウルトラ警備隊のマークに重なったというか…
とてつもなく偉大で幼心くすぐる憧憬がより一層、姿を大きく感じたんだと思ってる ファンネルマークはJR化後にちゃんとJRロゴに変えてたが1年ほどだった
JRバスは民営化後しばらくJNRロゴが残ってるのあった 寝台があったが所要時間4時間弱だと睡眠が十分取れない懸念がありそう
明け方4時くらいに乗り換える事になる
深夜便の代替が急行はまなす 深夜便に限らずグリーン自由席の人気があったのはコスパが良かったからと聞いたぞい 昭和48年8月5日に3万4560人/日を記録
うち多かったのは上りで1万9080人/日
甲・乙・丙各系統は全て津軽丸 6隻×2.5往復/日=15往復/日
2往復/日の季節便には松前丸が入っており、2往復/日=2往復/日だけど
函館側はすべて有川発着なので、バスで有川まで送り込まない限り無理
6054便の函館4岸(有川)出航は707人乗船
季節便以外の平均は(19080-707)/15≒1225人/隻≒乗船率92.1%)と恐ろしい乗船率
おそらく普通船室(夏季定員970人。通年定員となるのはこの年の12月28日から)は季節便以外全て満席だったはず 「津軽海峡冬景色」の歌詞に「ご覧あれが龍飛崎…」とありますが、冬の青函連絡船の航路から龍飛崎を見るのは天候の関係で難しい。とか、冬の青函連絡船のデッキに出るには寒すぎるので、夏に青函連絡船に乗った経験を冬にあてはめた。
というのは本当ですか? >>699,700
ググって、歌詞を確認しました。
ありがとうございました。 この歌は天候・雪の設定だから、西側の下り便の航路からでも竜飛埼は見えないよね。
その手前の高野埼も見えるかどうか?
作詞者の阿久悠が取材で乗ったのは夏らしい。 宇高みたく高速船があっても良かったのに
2時間弱位で結べそう
ホーバーは波が荒いので不可能だがジェットフォイルなら可能
しかし燃費が異常に悪いのが欠点でナッチャンReraは短命だった 青函ジェットフォイル「ゆにこん」も短命だったね。
津軽海峡は高速船が就航するには距離が長すぎる。
速達効果というメリットが大きいと同時に、燃費や引き波問題といった
デメリットも大きくなってしまうからね。 青函トンネルに快速列車通ってた時が一番便利そうだった
車で渡る場合はフェリーだった 海峡が廃止されて特急だけになったので津軽海峡線区間乗るに限り普通乗車券で特急に乗れたんだっけ?
新幹線はそれが適用されないんだっけ? 鉄道省は今の津軽浜名に操車場、500m西側に連絡船桟橋岸壁と新港を計画していた
当時は要塞地帯法があり、三厩の営林所くらいから西側で新たに建築物や岸壁を作ろうものなら陸海軍との協議・認可が必要だった
函館以外ほとんど遠浅のため、北海道側は函館のまま 「息で曇る窓のガラス拭いてみたけど」
ってどこの窓なんだろう 0101レ八甲田
1年程度全座席で運転された0015Mゆうづる下3号
のどちらか
青森から乗船したのは5便。これだけは確定している 末期のダイヤでいう21便だね。
だから「夜行列車」は早朝に青森に着く「ゆうづる」だと思う。
まぁ、末期のダイヤの話だけど。
座席夜行にこだわる必要はないと思う、主人公の女が寝台に乗っていても良いじゃないか。 リニアは、直線経路に拘ってるんだろうが
南アルプスは難工事
奈良は、どこ掘っても遺跡が出てくる
東京大阪間が開通するとしても予定より大幅に遅れる 座席でなくて寝台でもいいよね。まあ普通に東北本線又は常磐線経由で、奥羽線とか上越線回りはないだろうけど… 僕はゆうづるかはくつるに乗ってたよ
寝台じゃないとつらいからね
青森駅に着くと老いも若きも連絡船の座敷席目指して必死に走った 青森駅建て替えるのか
02年夏に初めて訪れたときはまだホームに連絡船→の表示とベニヤ板で塞がれた桟橋への通路跨線橋が残っていたわ お召し船は1号御料車も一緒に積載しないといけなかった? みなさんのん気なものですね
能登半島近辺は大変なことになっているのに
宇宙連絡船 洞爺丸に皆で乗り込んで日本海に行き救援活動をしませんか? 船の科学館の展示施設が今日までだったみたいだね
鉄道の保存施設ではなかったけど、青函連絡船の羊蹄丸のスクリューとか展示されてたから国鉄→JRの所蔵品の関連施設ではあった
あのスクリューは今後どうなるんだろう? >>726
船の科学館の別館が閉館したが、羊蹄丸のスクリューも観れなくなるのかな?
大宮の鉄道博物館に移動させてほしい 昭和63年のNHK特集が10日の日曜深夜に再放送された。
インタビューされてたおばちゃんたちもおそらくもう鬼籍に入っておられると思うと36年の歳月に愕然となる。
考えてみりゃ、個人的な高校卒業旅行として連絡船に乗ってきた自分が54歳のじじいになってるんだし。
ちなみに乗ったのは上下ともオレンジ船体の十和田丸。 北海道新幹線、札幌開業「未定」だってよ
リニアは全線開業2037年目標変わらず(無理だけど)
作業員高齢化、後進育たず
どうするの?
新幹線、函館駅乗り入れ(絶対ない)
実現したら胸熱
連絡船には関係ない
ゴメン >>078
自分は高校2年生(1975年)の時に修学旅行で青函連絡船初乗船だった。
行きはゆうづる1号(5011M)から青函連絡船3便「青5:25⇒9:15函」接続で
帰りは青函連絡船4便「函17:00⇒20:50青」からゆうづる6号(5014M)。
3便が八甲田丸、4便が大雪丸だったけど49年前の思い出で今は65歳だよ。
船内の自販機で買って飲んだよつば牛乳の美味さ、メダルも買ったけど
往路の朝食と復路の夕食は弁当(鉄道弘済会製)が積み込まれたので
船内食堂を利用できなかったのが残念。 子供の頃は親と座敷
大人になってからは独りで座席だった
座敷にもグリーンがあった記憶
座り心地に違いがあったのだろうか グリーン座敷は空いていて快適
煩い集団や子供連れもいない あまりに空いていると座敷わらしが出そうで怖いけどね 実際はざしきじゃなくてさじきだから座敷わらしは出ようがないのであった >>734
桟敷ってこう書くけど
津軽地方じゃ座敷をさじきって読むのか? >>735
違うよ
畳じゃないから座敷じゃなく桟敷だってことだよ
正式には座席だけどな >>734
ごめん、自己解決
座敷席じゃなくて桟敷席が正解なんだね。 >>737
正解なんて無いし
ネタにまじレスされても困っちゃうw グリーン桟敷は、利用した事無いと謎の存在だった。
いずれにしろ独りだと桟敷は利用しづらい。
JR初期くらいに夜行列車でカーペットとかあった。
利用した事無いが直ぐに無くなった記憶。 国鉄の終わりには旧客であったでしょ、カーペット車。41レに繋いでた
それがJRになってミッドナイトのキハや海峡の50系、はまなすの14系のカーペットカーになったんだな
そういや青函連絡船のカーペットってなんて呼んでたっけ。普通席か
Wikiだと雑居席とかなってるけどそんな呼び方はしてなかったよな >>739
なので2016年まで「はまなす」に繋いでた、カーペットカー
形は違うけどサンライズのノビノビはあるし、フェリーはどんどん個室化してるけど
青函フェリーにはまだあるな >>740
青函連絡船の桟敷なら普通席か普通座席かと
椅子は椅子席とか普通椅子席
雑居席なんて聞いたことない カーペットの普通席が人気があって場所取りが大変だった。
おじさん達はビールで酒盛り。おばさん達は弁当。
魚だかイカの干物にマヨネーズと醤油付けたの美味かった。
アスパムの居酒屋の座敷席で津軽海峡見ながら飲んでると当時を思い出す。