青函連絡船7便
クソ道民がどうなったところでそれは北海道民が決めたこと
すでに鈴木北海道知事以下行政と議会は札幌・苫小牧圏以外のシナへの身売りを実質決定済み
道交法の特例を作って、北海道内だけ1人の運転手が40ft3個を運ぶようになるさ >>591
ところがどっこい
それが思い込みではなく実際にできてしまうのが今の経済構造
例えばAmazonなんかも、いっとき乱れてもシレッと平常運転になってる
ぼくら底辺層にとっては悲劇なんだけどね バスもそうだけど無理を通し続けたら最後どうなるんだろうなぁ 貨物輸送はトラックと船舶でも問題あり農協と揉めてる
貨物輸送は鉄道に優位性
農産物は季節で増減が激しくトラックは雪道に弱い
苫小牧八戸間船舶なら八戸青森間の鉄道も廃線の危機
政府の流通軽視の表れ
このスレ的には万が一鉄道連絡船貨物復活したら胸熱 八戸港の大改造が必要、苫小牧港側も弁天埠頭以外空いておらず、八戸−苫小牧間は現実ではない
また北海道発着鉄道貨物の半分は札幌貨タであり、苫小牧港より石狩湾新港へ運び込む方が有利
残り半分が今北旭川経由の北見貨物分を含めた釧路・帯広貨物だから、釧路港から運び出した方が有利
道内鉄道貨物輸送が必要な区間は、北見分が高規格道路延伸で帯広貨物経由になることを含めて、
北旭川−滝川−札幌貨タ
札幌貨タ−帯広貨物−新富士(釧路の一つ西)
の2区間5貨物駅だけ
また函館貨物は実質本州扱いとなるため、含まれない(函館貨物から札幌貨タへコンテナを送る場合、本州経由となる)
本州側の海鉄結節点は奥羽本線・羽越本線の輸送力がなさすぎるため、全て青森駅・青森港経由となり、
これに伴い旧鉄道桟橋区画の青森港旅客船ターミナルビルや埠頭公園は撤去 時間かかるが第二青函トンネルが最適解なんじゃないか
それまでは今まで通りで耐える 鉄道貨物輸送のヒヤリングがあったらしいが自衛隊輸送も内航転換もありうる? 結局、上下線を新幹線と貨物に分けて走行するのに落ち着きそう
つまり海峡線は新幹線も貨物列車も単線
それなら北斗星とか海峡復活も期待したいが無さそうか
豪華列車夜間に上下一本なら採算的にも保線的にも可能な様な 北海道財界が新幹線優先で考えてるのオリンピック利権と同じ匂い
新幹線の経済効果に期待し過ぎだろう >>607-608
関越トンネルよりちょっと長いなーって感覚で運転していればOK 航海速力は一緒とする
青森港−函館港 113km 230分
青森港−室蘭港 210km 430分
青森港−石狩湾新港 450km 915分
青函トンネル輸送力(25.5往復-函館分1往復)×コキ20両(12ftコンテナ(C)100個)=コキ490両(12ftC2450個)
車両渡船(渡島丸改)
乗組員30名、コキ22両(12ftC110個)と40ftC10個(20ftCMAX20個)
積卸55分
青森港−室蘭港 積卸付往復970分(16時間10分) 1日あたり12ftC163個と40ftC14.8個(合計12ftC換算212個) 11.56隻・347名
青森港−石狩湾新港 積卸付往復1940分(32時間20分) 1日あたり12ftC82個と40ftC7.4個(合計12ftC換算107個) 22.90隻・687名
Ro-Ro船
乗組員13名、コンテナシャーシ170台(12ftC510個)
積卸240分
青森港−室蘭港 積卸付往復1340分(22時間20分) 1日あたり12ftC548個 4.47隻・59名
青森港−石狩湾新港 積卸付往復2310分(38時間30分) 1日あたり12ftC318個 7.70隻・102名 航路
車両航送する場合、青森と函館しか設備が再設置できない
それ以外は岸壁工事から必要
岸壁まで線路があるのは室蘭港だけ
岸壁から近い場所に線路があるのは、
仙台港(仙台埠頭駅)・石巻港・秋田港
苫小牧港(弁天側)・小樽港・釧路港(新富士駅)
札幌・釧路・苫小牧はシャーシでもらい受ければいいけど、内陸でまとまった貨物量がある旭川・帯広は再積み替えが必要 >>606
青函トンネルの横幅じゃ、片側1車線の道路にしかならないよ。
つまり54kmに渡って追い越し不可の道路ってこと。
トロいクルマがいても、ずっと追い越せないクソ道路になるだけ。
その上、非常駐車帯も設置できないから、故障車1台出ただけで通行止め。
ちなみに換気は問題ない。 連続12‰勾配ってかなりきついな
高速道路の最急勾配って何処だろ? 一応、かさ上げすることで上下1車線ずつは設置可能
しかし、53.85kmと関越トンネル上り11.1km(長さは首都高中央環状線山手トンネル18.2kmの方が長い)の5倍弱あり、
パーキングエリアは(北海道基準で)最低2箇所設置しなければならないが、どう考えても横取基地へPAは設置不可能
新中小国信号場北側付近と知内信号場に(スイスの)カートレイン乗降場を設置して、トラックごと載せて津軽海峡の地底を通過させた方がマシ >>614
高速道路は首都高などを除いて100km/hの本線は上限60‰(6%)と決められている
中国道の山口ないし美祢の魔のカーブは半径360m・下り50‰で80km/h制限区間だけど、あそこだけは60km/hにするか付け替えないと危なすぎる 12‰なんて自動車にとってはいかに緩いんだな
鉄車輪に鉄軌道じゃキツイ 青函トンネルのカートレイン構想はトンネルができるまえからあるのに、未だに実施できるめどがたたない。
その点、ユーロトンネルはいいね。 カートレインならワキ10000で実現していたけど? >>617
フランスあたりでゴムタイヤ式LRTなんてのも開発されてたな
中国にも採用例があるみたい 今年は曜日割りが1988年と同じだな。
青函搏と羊蹄丸…十和田丸のアンコール運航最終日である日曜日…。 >>619
確かにそうだけど、試験的な要素が多かったし、1台ずつフォークリフトで積み込むのは効率悪いね。 ガソリン抜きはマニ50で運ぶバイクだけ
ワキ1000最大の弱点は当時主流となりつつあった大型5ナンバーすら運べなかった事
ただし、青函トンネルは新幹線規格だから、台車間を落とした低床式大物車やコキ72にそのまま3.8m高トラックを搭載できる 2つに分散する
・青森港(JR)−石狩湾新港(公共)
上限なし(一応7便/日(12ft3570個/日)まで) (5*2)-苫小牧3=7
12ft940個/日
札幌貨物ターミナル 12ft940個/日 17列車(12ft1700個)/日
(+小樽築港ORS) 不明
シャーシ授受のみ。苫小牧港分が超過寸前になれば、札幌貨物ターミナルにて北旭川分のコキ−シャーシ載替を一部実施
・青森港(JR)−苫小牧港浜厚真地区(新日本海フェリー)
3便/日まで(12ft1530個/日)
苫小牧港浜厚真地区に隣接して浜厚真貨物駅新設
平均12ft776個/日
苫小牧貨物 平均12ft70個/日 8列車(12ft800個)/日ただし札幌貨物ターミナル分を含む
東室蘭(ORS化) 平均12ft49個/日 7列車(12ft700個)/日ただし札幌貨物ターミナル分を含む
滝川 平均12ft17個/日 1列車(12ft100個)/日ただし北旭川分を含む
富良野(ORS化) 平均12ft45個/日 1列車(12ft100個)/日
北旭川 平均12ft144個/日 3列車(12ft300個)/日
(+名寄ORS) 不明
帯広貨物 平均12ft196個/日 5列車(12ft500個)/日ただし新富士分を含む
(+北見ORS) 最大12ft255個/日(輸送上限)
苫小牧貨物と東室蘭以外はコキ−シャーシ載替
・新富士(+中斜里ORS)分は、ほくれんに委託して「ほくれん丸」で航送
新富士 平均12ft53個/日 2列車(12ft160個)/日
・函館貨物分は鉄道貨物のまま維持
函館貨物 平均12ft89個/日 航送転換をすれば、実はJR北海道が非常に困る
新幹線全通後の長万部−苫小牧間は実質JR貨物からの線路使用料(アボイダブルコスト)で維持することになっていた
また、青函トンネルでも最終間際以外貨物列車が通らなくなることにより、青森県がわめいている260km/h化を履行するしかなくなる
当然大口の札幌貨物ターミナル到着分は全て航送・直接引き渡しとなるため、貨物列車の運転本数も半減
その上、20〜25年に1回は有珠山噴火により4か月程度運休そして復旧費用も必要
車両航送は高額な専用岸壁などが必要で、航海中もターンバックル締めなど多数の乗組員が必要だからコスパ最悪
※青森港の既設連絡船岸壁では第三岸壁は渡島丸サイズが限界
第二岸壁は渡島丸の1.7倍へ引き延ばした車両渡船が接岸できるものの、幅はほとんど変更できない
(※岸壁深さは6.5mだから浚渫が必要)
可動橋も翔鳳丸規格が変更されずに航路廃止まで使われ続けたため、第一青函丸からの4線船は船載分岐器が搭載された
これらより、汎用Ro-Ro船によるシャーシ載せ輸送が積み替え手間は必要だが最適
ただし青森港既設連絡船岸壁の岸壁深さは6.5mだから浚渫が必要
岸壁に専用可動伸縮軌道設置により、1層分のみコキ車12両を搭載することも可能 青森は中央ふ頭造成しちゃったし、操車も昔の規模ないから無理だろ
そもそも、駅前市街地までひっぱってくること自体ナンセンスでは?
コスト的に車両航送最悪はその通りだと思う。 第二青函トンネルを頑なに拒む理由て何だろう
雇用も生まれて貨物も新幹線もwin-win
鉄道連絡船は復活したら嬉しいけど利点は少ない そんなカネどこにある?
北海道庁も札幌以外シナ譲渡政策をとっているからこそ、新幹線延伸をやったわけ
新函館北斗開業時でも、北海道庁は現いさりびを作らず道内・渡島の鉄道貨物を廃止する気満々だった
しかし、表明直後から全周囲よりブッ叩かれ、たった1か月後には現いさりびを作ると凶変した
その時のうらみがあるから、鈴木(道知事)はのらりくらり態度を示さず、時間切れとして道内・渡島鉄道貨物どころか道内農業を消滅させる
嘘と思うなら道内のシナ資本買収地がどれだけあるか調べればよい
技術的にも青函道路トンネルは不可能で、全自動にするなら現青函トンネルの走行速度を抑えてカートレインを走らせた方が安上がり
道路トンネルでもカートレインでも青函航路(フェリー)会社への補填が必要だからやるやる詐欺をし続け、
それが青函航路(フェリー)会社への補填額を雪だるま式に増やしている 統合失調症は早めに病院にかかった方が寛解も望めるよ 青函道路トンネルを作りたいのは北海道側ではなく、Kの法則が発動して不祥事連発の青森県側
青函トンネルで新幹線の運転速度を210km/h以上にしろと言いだしたのも北海道側ではなく青森県側
あれだけ無駄な大規模公共事業をしていても、Kの法則が発動しているから金が足りない
不都合な事実を書かれてしまったから、比較的短時間にID:8dgUAhBkが出てきて詭弁の特徴のガイドラインそのままのレスをしているわけ
嘘は100回ついても真実にならない こんな過疎スレにまで工作員が?
世論への影響皆無だろう 関係ないけど、江戸時代って北前船とか内航海運が発達していたけど専ら貨物船で人を運ぶ船は渡し船くらい。
何故旅客輸送は中世のままだったのか? >>635
四国や九州の大名は参勤交代で瀬戸内海を船で渡る例があったし
東海道には航路区間があっただろ 青春18客輸送のため、といっても、ウェットリースして八戸−苫小牧の間を結べば済む話 江戸から直接伊勢行きの船とかあったらお伊勢参り楽だな。よく考えりゃ当時って一般人の渡航は制限されていたっけ? >>639 帆船だから風まかせだし、難破、漂流のリスクも少なくない。江戸時代の造船技術って、西欧の帆船に比べれば相当遅れており、遣唐使の時代と大差なかった。
九州の大名など、参勤交代に江戸まで直行するような船を使わなかったのはそのため。 陸の輸送手段も鉄道が開通するまでは徒歩、籠、馬と未発達のままだった。西洋じゃ馬車道に馬車が普通に使われていたのに対し日本はお粗末だった。
鉄道がいかにに画期的で日本を近代化に導いたのがよく分かる。 諸外国とは違い、日本の江戸時代はとにかく江戸への陸路侵攻が難しいように規制を加えられ、
大井川・安倍川・酒匂川は渡し舟すら禁止されていた
だから、江戸と他との物流はごく近距離や大名行列付きを除いてすべて船か舟で行われたけど、台風と風の関係で東北(というより房総半島)廻りは特に運航期間が限られた 連絡船って5300トンが正解?
8100トンが正解? 流れを読まない昔話だけど、
青函連絡船への車両の積み込み・引き出しは、
「ヒ」を挟んで機関車は連絡橋には乗らない様にしていましたね。
英仏海峡の昔の鉄道連絡船での車両航送の映像を見たら、
4軸?の重いDCが直接車両を牽引して連絡船の中まで。
連絡橋も複線で並走して積曳の作業をしていて、
その違いが興味深い。 英仏列車フェリーは可動橋爪レール方法でなく、浮桟橋みたいなところへ船尾を突っ込み浮桟橋側のレールを伸ばしてトン付けする方法
だから、接合部に負担がかからないし水平を維持できるため、入換機関車がそのまま乗船できる
ただ、浮桟橋と地上の間の連絡橋がすさまじい勾配になることがあり、登りきれないため2回に分けて引き出しすることもある
クラス33はB-Bの4軸 かつての隅田川には実際に控え室のように使っているのも確かにあった。 1975.3 青函 偶数=函館→青森
甲B12 2)0015-0405(1
乙B2 1)0040-0430(2
季6054 4)0130-0610(2
丙B158 2)0240-0635(1
渡B260 3)0300-0700(3
檜C72 4)0400-0830(3
甲A30 2)0505-0855(1
乙A156 1)0530-0920(2
臨8052 3)0610-1150(2 (なぜか函館沖で約2時間停泊)
丙A26 2)0710-1100(1
渡A272 3)0735-1125(3
檜A52 4)0825-1315(3
甲B154 2)0945-1340(1
乙B24 1)1005-1405(2
檜B62 4)1110-1540(2
丙B22 2)1215-1605(1
渡B262 4)1240-1630(3
季6056 3)1415-1805(3
甲A8 2)1440-1830(1
乙A18 1)1505-1855(2
檜C74 3)1550-2025(2
丙A4 2)1700-2050(1
渡A274 4)1720-2115(3
臨8054 3)1900-2250(3
甲B16 2)1925-2315(1
乙B6 1)1950-2340(2
檜A54 3)2040-0110(2
丙B152 2)2145-0135(1
渡B264 4)2205-0200(3
檜B64 3)2310-0340(3 1975.3 青函 青森→函館
甲A11 1)0010-0400(2
乙A1 2)0035-0425(1
丙A151 1)0230-0620(2
渡A271 3)0255-0640(3
檜A51 2)0305-0730(4
甲B33 1)0500-0850(2
乙B3 2)0525-0915(1
檜B61 3)0535-1005(4
季6035 2)0705-1055(3 時刻表では「35便」と表記
丙B5 1)0730-1120(2
渡B261 3)0755-1145(4
甲A7 1)0950-1340(2
乙A17 2)1015-1405(1
檜C73 3)1025-1455(3
丙A21 1)1205-1555(2
渡A273 3)1220-1620(4
臨8053 2)1240-1645(3
甲B23 1)1435-1825(2
乙B153 2)1455-1850(1
檜A53 3)1505-1935(3
丙B25 1)1700-2050(2
渡B263 3)1720-2110(4
檜B63 2)1730-2200(3
季6057 3)1900-2250(4
甲A27 1)1925-2315(2
乙A157 2)1950-2340(1
丙A159 1)2145-0135(2
渡A275 3)2205-0205(3
檜C75 2)2215-0245(4
臨8051 3)2345-0335(3 3月になると八甲田丸終航式での工藤船長挨拶『年が明けてからは毎日の過ぎるのがとても速く…』を必ず思い出す。
去年4月に職場が変わって過ごしてきたのもあって、35年の流れをひときわ感じる。 みんな、3月7日18時10分からNHKのBSプレミアム見ろよ。
1988年放送の「NHK特集 さよなら青函連絡船」を再放送するぞ! 書き込み少ないが閲覧者はまだいると思われ
有益な情報はありがたい >>653
情報感謝であります!
3/13摩周丸乗船の吾輩も録画予約いたしました! >>655
3/13の摩周丸というと、6B-5Bですか? 1988年のNHK特集見たが、船員の再就職先が海保や水産高校教員とか、やけに恵まれていたな。
そのままJR北に残ったら、その後悲惨なことになってたんだもんな。
ゴキブリ公務員にとらばーゆできて、退職金2千万コースだよw
バブル絶頂期の頃制作だが、年寄りが多いのもあるが、出てくる客が皆1970年代の日本人に見えるわ。 当時は地方と東京で一般の人の服装が全く違っていた
インターネットやコンビニで全国的に均質化したのは最近の話 NHK特集はほぼお客のインタビュー・人生模様
鉄道要素は冒頭の583系と最後の方のインタビュー中ーの貨車入換え時の機関車の警笛のみ
だが当時の雰囲気を感じることができるNHKらしい貴重な番組構成 海峡ラーメンや海峡丼にいかさし定食(いかづくし定食)のシーン見てみたかった >>656
5Bであります!
前日に函館入り→はつかり10号の発車をTVで眺めて(ヘタレ)午前中の海峡で青森へ
そのあと5B魔周丸に乗船しました!
このスレのお蔭で録画できたNHK特集を観て愕然としたのは
「初乗船は20歳のときだから昭和10年」や「昭和13年以来50年ぶり」などの受け答え
あとお年寄り中心のインタビューだからか皆さまの日本語が美しくて心に沁みました >>662
私も乗っていました。
たしか西北西10m波3、3月の津軽海峡らしい天気でしたね。
最終便22便羊蹄丸と5ケーブルで夕暮れの行合、今でも記憶鮮明。
乗船客は800人くらいだったか? 連絡船の食堂は町の定食屋と変わらない
高価なのは民間の長距離フェリー いかさし定食はイカの刺身にご飯・味噌汁・香の物
いかづくし定食はイカの刺身・イカのリングフライ・イカ塩辛・ご飯・味噌汁・香の物
いかさし定食は航路廃止までと1988年夏の青函博による臨時運行でも食べられた
いかづくし定食は1981年くらいまでだと思った
いずれもグリル○○のメニュー(○○は大雪や羊蹄など船名が入る) 船ごとに違う料理長メニューも各船ひとつずつあった。 こんなん出てきた
グリーン自由席に座ったかな
同じ便に乗った人も居るんちゃうか
https://i.imgur.com/67dhoXx.jpeg
当時の彼女と乗ったんだけど、殺伐さに鉄嫌いになってしもたw >>669
まだ青函連絡船があった頃に新日本海フェリーに乗った事があるけど、食堂の値段の高さにビビった 私が乗船したのはまだ1〜3等区分の時代、
グリーンの呼び名の時代は乗り損なった。
ちなみに当時の1等は寝台室。
別段、スイートの様に洗面やトイレがある訳でなく、
複数の2段の寝台があって横になれる程度の設備、
部屋の中央にはソファと机はあったような微かな記憶が。 さすがに最近の新日本海フェリーはカフェテリア方式に変わった
それでも割高感はある 青函連絡船の船を宇高連絡船に持ち込んだら喫水が大きすぎて座礁する危険性がある?
接岸できる港が限られそう >>683
レールが合わせられなくて車両の積み下ろしが出来ないんじゃね
今の話だと、高松港も宇野港もクルーズ客船が入れるから青函連絡船みたいな小さな船は余裕だろう はじめで宇高連絡船を見た時
「デカっ」
はじめて青函連絡船を見た時
「デカすぎ」
はじめて新日本海フェリーを見た時
「うわわわわ」
はじめてアメリカ海軍空母を見た時
…気絶 大きさだけならコンテナ船で400mくらいのがある
アメリカの空母はアレを維持できる経済力が凄い
日本や中国では無理して建造しても運用する費用がない >>682
それでも供食施設が3ヶ所(カフェ・レストラン・グリル)あるのが嬉しい 船の科学館に泊まってる羊蹄丸を見ると小さく感じた
就航していた時は大きく見えたのに 青森駅で列車を下りて改札へ向かうとき初めてフネを見たんだけど、乗船口や可動橋とくっついた建物にしか見えなかったな。
その後住み始めて友人達と安方辺りまでチャリで行ったら、夕暮れに出航していくフネはビルが動いてるようだった。
今じゃ横浜でもっとドでかいマンションみたいなクルーズ船を見てるんだよなあ。 煙突のJNRロゴがカッコよく見えたんだよなぁ
なんというか、ウルトラ警備隊のマークに重なったというか…
とてつもなく偉大で幼心くすぐる憧憬がより一層、姿を大きく感じたんだと思ってる ファンネルマークはJR化後にちゃんとJRロゴに変えてたが1年ほどだった
JRバスは民営化後しばらくJNRロゴが残ってるのあった