>>406-408
諸兄の皆さん、失礼しました。
私が洞爺丸に乗船したのは、
丁度小学校入学前の春で、
その洞爺丸が2〜3年後に
台風15号に遭遇して大変な海難事故になるなんて、
知る由もありませんでした。

台風15号に関連した印象が記憶に残っている理由は、
その日に父が札幌支店で会議をした後に、
午後の急行で函館に向かい、
接続する洞爺丸に乗船する予定で、
津軽海峡で大変な海難事故が起こった事が
徐々に伝えられて、
社宅中が東京本社に出張予定だった社員の
消息が分からずに緊張と言うか不安感が蔓延していた。

小学校低学年だった私も、
父の不在で母の不安な表情が気懸りだった。
札幌にいた誰かが電報でも打って、
全員の無事を知らせて呉れれば良かったと、
一同は後で思ったと聞いた。

その頃は、道内の任地から札幌に電話するのも、
交換手がつなぐ待時通話で、
普段でも順番待ちで2〜3時間かかる時があった。
(一番安い普通通話で)

その頃は札幌でようやくテレビ放送が始まって、
任地に電波は届いたが、
まだ誰もテレビ受像機を持っていなかった。

海難事故の日の道新夕刊から、
七重浜で船底を見せて転覆している姿や、
以降続報で筵を掛けられたご遺体の列や、
様々な記事が続いた。
(全国紙は東京で印刷して翌日配達で、
暫く届かなかったそうな)