失敗作だった鉄道技術やサービスなど★6
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>>94
8900系は3編成とも8000系の発生品のIGBTに換装済みだったはずだが。 東急2000は10両のまま更新して田園都市線で継続使用すれば廃車は出なかったが、東武に入れないからそうはいかなかったのかな? ホームドアに対応出来ないとかあり得るんじゃね?。東武や半蔵門線はないが、田園都市線は
ホームドアを入れてる駅あるし。 25年以上使った老朽車両を廃車にするのが何でそんなに問題? >>72
3000系入れずに新宿線に2000系増備してその分101系等を池袋線に転属させていれば良かったと思うが… >>99
池袋線と新宿線、両方に公平に新車を入れる方針だったのかも。 新宿線を4ドアにしようにも2000系だけでも置き換え切れなかった。さらに池袋線に有楽町線の
乗り入れが具体化されて6000系が池袋線に優先的に入れ始めると玉突きで新宿線に出されたのが
3000系と101系 301系らだった。101系は旧と新両方入れてる。
3000系と301系は8両単独だったが、101系は6両と4両とがあって8両にしたり301系を10両にしたりした際に
残存していた401系や701系の連結が必要になって、ブレーキ系が違うためにわざわざ対応改造してる。
さらに6000系も池袋線に地下鉄非対応車 新宿線に対応車がいる構図になってしまい、新宿線と
池袋線の同じ形式同士を編成ごとトレードまでしている。 >>101
あー、懐かしいな。101系と301系の701系連結対応車。
701系と連結できるようにしたら、他の101系/301系と連結できなくなったんで、連結器カバーを黄色にして区別してたんだよな。
ちなみに対応車が最初に出たのは1981年。いったん池袋線に集結したはずの101系がなぜか一部だけ新宿線に戻ってきたもんだから、
現物を最初に見た時はびっくりした。 痴漢にすら効果がないのはもうばれてるよ
他の車輛に痴漢がうつるだけ >>99 その時代では新宿線にまとまった数の101はいなかった模様だが… >>107
あの当時で赤電と3000系以外の3ドア通勤者の配置はこんな感じ。
・池袋線:101系ほとんど+301系全車(ここまで701系と併結不可)+701系ごく少数
・新宿線:101系(701系併結対応改造車)5編成ほど+401系全車+501系全車+701系ほとんど+801系全車
分割併合が結構あった新宿線で、8両固定かつどの系列とも併結不可の3000を走らせるメリットは当時はなかった。
実際、3000系は新製時点では全車池袋線配置だったし。 3000系と2000系を連結できるように
改造したら良かった 路車板のメトロスレより
>スレチだが、JRの253系は異様に早い廃車だよな
>最終期の物は長電とギンギラ塗装になって東武日光行になってるけどさ
>初期車だって特急運用だけで走行も少ない筈
>それなのにライナー運用に転用もせずに即廃車だもんな
>短編成なんだから使いかってはいい筈なのにな
>いまだに、特急と共用とはいえ185系が走ってのに意味不明だよ
更に、E351まで即廃車になっちゃったしな >>110
それでも、国鉄時代の181系や485系初期車よりは十分長生きだな。
当時の特急車なんて15年前後で廃車は当たり前にあったし。 房総地区の急行列車の特急化で投入された183系特急電車
末端区間での普通列車としての使用も考慮されたため、客用扉は片側2扉、座席は
簡易リクライニングシートなど車内設備は485系や181系よりも低い水準となり、
「増収目当ての特急車両だ」などと批判の声も多かった。 >>110
多分253は空港輸送特化仕様が仇となり転用困難と判断されたろうね。 総武線地下トンネルの湧き水(海が近いので塩分含んでる)によるダメージがあったって説があるな。 >>112
181系はリクライニングしなかったし485系も簡易リクライニングになったのは183系より後の増備車だが 阪急嵐山線嵐山駅の6面ホーム
需要がさほど見込めなかったことから、3面に縮小されて、
使われなくなったホームは現在は花壇などに使用されている >>113
富士急も253系買ったほうが良かったではなかろうか?
205系と部品が共通しているだろうし。 >>117
長電は特急料金100円だからいいけど、まともな特急料金取ったら文句出る車両だからね 結果論だが
西武9000はVVVFの完全新造車(6000の鋼製車版)で登場すべきだった
同時に界磁チョッパの2代目2197-2198を製造し初代2197-2198を9000に編入すべきだった
そうすれば4ドアの廃車は、古い順になったろうよ >>120
4ドア車の割合上げたかったからやむを得なかったんでは? サンダーバードの富山地鉄乗り入れ
乗り入れ編成の故障が多かった
283系
故障が多く、18両しか作らなかった。 >>123
283系は故障云々関係なく、所定通りでは? >>123
681は平坦仕様で立山手前の急勾配に太刀打ち出来なかっただけ >>125
もともと国鉄時代から優等列車向け車両は25‰程度までの勾配までを考慮したつくりで、急勾配を考慮していない。
地鉄乗り入れについて言えば、475系はたまたまMM'ユニットで作ったという都合で、3連組成時のMT比が高くなったから
偶然急勾配に対応できただけ。
そういえば東北では奥羽線や仙山線で峠越える運用に充てる455系にMT比2:1以上の組成縛りがあったな。
MT54で平坦線区から勾配線区までカバーしようとする当時の国鉄の台所事情から仕方なかったのかもしれないが、
これが近鉄みたいに、勾配線区向けにMT比1:1で登坂できるような強力モーター積んだ車両が国鉄でもできていたら、
また歴史が変わったのかもしれないな。 近鉄は標準軌だからな
狭軌の南大阪線はギヤ比を大きくして高速走行を放棄することで急勾配に対応した >>126
1M(中間車)2Tであってる
>>127
681って国鉄型で抵抗制御だっけ?
優等列車向けの車両は25‰程度の設計とは言うものの、MT54の485つばさややまばとは38‰の板谷峠を補機無しで越えてんだよな >>129
そういえばMT54って、25‰連続勾配(御殿場線クラス)をMT比1:1で登坂することを前提に作っていたんだっけ。
確かにそれなら、現実に御殿場線では113系や115系の2M2Tが難なく務まっていたんだから、所期の目標は達成していたんだな。
で、急勾配線区向けの大出力モーターを作る代わりに、MT54のままMT比を上げて38‰の板谷峠に対処したのが455系や485系だったと。
それで、455系の奥羽線向け編成でビュフェが連結できなかったり、485系にクロ481ができたりと、副産物ができたのか。
681系の場合は、地鉄乗り入れは最初から考慮されてたんだっけ?それとも後付けでの対応?
試作車で編成分割考慮がなく、量産車になってから6+3連になったことから、どうも後者っぽいが。
だったら、急勾配対応ができていなくても納得だが。 >>130
>>127が681の地鉄乗り入れの話をしているのに、国鉄時代の話持ち出して来たからわざとボケてやった
>>131
681の地鉄乗り入れは、485スーパー雷鳥の置換えによるものだから後者だな
681ははくたかで160キロ走行する様に速く走る事を主眼にした車だから、ヤマに挑む時点でスタミナ持たなくて当然 堤康次郎は後継の製造には失敗したな
DD54並みの欠陥ばかり >>129
「やまびこ」「ひばり」ら東北線も485らを苦しめた山越えも案外あったけどね。
栃木福島県境のや那須はまだしも、福島宮城県境の越河は苦しめてるし。
「はつかり」だとSLさえ苦しめた十三本木が盛岡過ぎた好摩から襲いかかる。
「あいづ」は磐越西線の中山峠位でそれほどでもない。
「あずさ」も小仏や笹子はまだいい方で長野県境までずっと続く富士見峠は
韮崎からもう始まって富士見まで延々登り。
それを言ったら気動車使った東北合体分割急行には
仙岩やキハ58/28だけで地獄の仙人峠登ったし。
急行陸中にキハ65入れる可能性はあり得た。 >>99
池袋線は80年代の時点で既に有楽町線との直通は決まっていたからこの時点で3ドア増備とはせずに、
87年まで2000系を池袋線・新宿線兼用として導入。
その後88年からステンレスVVVF車(前面以外は史実の6000系的)を標準通勤型として導入の方が良かったんでは?
ただ>>72にもあるように、史実の池袋線は80年代ではまだ3ドアで対応できていた模様だが。 >>135
その時代のVVVFだと東急9000系や南海2000系タイプだったろうな。 EH10
巨体の割には、山陽本線のセノハチの急勾配に対応できず、運用区間が山陽本線岡山以東と宇野線に限られ、
また車体が巨体すぎて、他線への転用が困難だった。
DD50
蒸気発生装置が無く、客車牽引時、冬期は暖房車を連結しなければならなかったり、
本線では常に重連で使用しなければならないなど、DF50に比べ制約が多かった >>133
お妾さん作りまくって子供生ませまくってあれだもんな 国鉄篠山線
篠山の市街地や中心部から遠く離れた篠山の町外れに線路が敷設されたため、
不便や利用者の少なさを招いて、篠山線は廃止される結果となった キハ180とキロ180の失敗はキハ91で見抜けなかったのか
特に髄道内での勾配起動 阪急宝塚線特急
宝塚線の線形の悪さや、のち特急の停車駅増加などで急行と大差無くなり、快速急行に格下げられた 伊豆急行サシ191型スコールカー
スコールカーの営業は伊豆急行線内のみに限られ、乗り入れ先の国鉄伊東線内では
営業が許可されていなかったため運用効率が悪く、3年ほどで営業中止となり、一般車に改造された >>140
最初に試運転したときに千葉地区に投入されたのが失敗だったとか
勾配区間自体が少ない上に長大トンネルは皆無
当時は夏季に海水浴輸送で気動車を大量に必要とする地区だったから、気動車を新製したらまず千葉に投入されることが多かった
使い物にならないほど失敗してしまったキハ60は千葉から出ることなく終わった >>145
DMH17に換装された晩年のキハ60に乗ったことがあったなぁ >>145
急勾配は土気の坂位で、トンネルぶっ壊して改良したりと
なりふり構わずいじっていた。
1000m以上の長いトンネルが鋸山トンネル以外皆無だった。
外房線は777mの小湊トンネルと大風沢トンネル位で
総武本線は蛇園トンネルしかなかった。
内房線は鋸山以外に峯岡山トンネルと岩富トンネルが800m近かった。
総武本線の寺崎トンネルや外房線の新土気トンネルと新新官トンネルは電化後。 他にもステンレス車のキハ35-900とか気動車の実験台とされやすかったのが千葉動労があんなになっちゃった一因かもしれない
乗務員としては安心して乗務したいだろうし
その後電化が進んで気動車の投入余地はほぼなくなったのにDMF13系エンジンの試作車とも言えるキハ37が投入された
やっばり実験台の地位は国鉄最後まで保ってた 東京トンネルが房総電化より先に出来てたら
ディーゼル急行も乗り入れたりしたんだろうか
(ATCだのAA基準だの言われない時代にってことね) 東京都電PCCカー
機器の構造が煩雑なため故障も多く、操作方法も足踏み式ペダルを踏んで走行しなければならないなど、
複雑なことも多く、乗務員からは不評だった >>143
あれは、サントリーの1社提供というのが仇に…(何せ車両一式提供だからね)
早すぎた感があるね
国鉄直通前提の私鉄では、大手私鉄特急同様のサービスは無理
五島らが国鉄側にちゃんと根回しして、153系乗入列車にも同様のことさせれば
こんな問題にはならなかった 京阪神緩行線と阪和線への103系投入
両線とも新車名目で103系が投入されたが、両線は駅間距離が長く、短距離ランナー向きの
103系を使うには不向きだったが、並行する南海、阪急、阪神の一般通勤車への対抗、
国鉄の赤字やコスト削減、大阪万博関連などが絡んで103系が投入された。
とくに、ヨンサントオで阪和線に投入された103系を使う快速はロングシートが嫌われて、評判は
すこぶる悪かった。 >>153
幻の105が構想されてたんだよな
101の車体にMT54を載せたもの
実現していたら両方ともそれになってただろう >>154 そもそも、101、103に空気バネの台車付けなかったのか失敗なんでは。 大阪メトロ千日前線の駅の8両編成対応ホーム
末端区間の利用者の少ない同線は4両編成で運転されているため、
ホーム有効長は6両編成対応でもよかった 南海2000系
当初21000置き換え用として登場するが結局22000まで置き換えた上に最近は約半数が南海線に転属する始末
あの時に橋本で分断されてたら登場しなかった?
南海1050系
コストダウンを図ったのに結局1本しか製造されず
その後の8000系も中途半端な両数に終わったし >>156
単車運行だった開業当初に、10連の準備工事をしておいた御堂筋線って例もあるからな。
そこまでの長さにはしていないんだから、客を増やして無駄と言われないように
する方がいい気がする。 大井川鐵道に譲渡された小田急SE車
ロマンス急行「おおいがわ」として活躍したが、同鉄道のSL急行の方が人気であまり集客できず、5両編成の連接車体も同鉄道では輸送力が過剰でのちに廃車された 京阪7000/7200/9000/10000系
いずれも少数しか製造されなかった上に9000系はロングシート化された挙句7両化
おまけに7200/9000の余剰中間車を組み込んだ10000まで出る事態に >>61
阪急8200が登場しなかった場合はその分8040が多く製造されていたのか、それとも8030が2本多く製造されていたのか?
まぁ8200/8040は登場せず8030増備で良かったかもね
8315も8304と同一仕様にすべきだった 和歌山県新宮市 和歌山観光ケーブル
新宮城跡にあったが営業キロは100メートルで、新宮城跡の上の二の丸までは、
城跡の下から歩いても楽に上れる距離だったため、営業休止となりのち廃止 >>164
何「親」と決めつけてんだ? 子、孫、兄弟、友達、愛人、ペットだってそうだろ
なのにそれらではなくいつまでも親だけに限定する表現にはうんざり
亡くなったら困るのは親とは限らないのに
あと「殺す」くらい漢字で書け
小学校で習う漢字なのに書けないとか消防以下だ
小学校時代何やってたんだ?
今は先頃発生した新潟の大規模地震や西日本の豪雨の被災者をいたわらなければならない時だというのに、このような表現は不謹慎だ
ただでさえそういう人達が日本にもいるというのに、病気や事故によって身寄りを亡くした人達に対しても同じことが言えるのか
身寄りを亡くすのは殺人よりも病気や事故が殆どだし、これこそあしなが育英会からクレームが来てもおかしくない
それと類似の表現で「〜にでもいじめられてたのか?」というのも見る
しかし、こういう表現をする奴は、店長が失敗した店員を客の目の前で小突いたり説教したり、クレーマーが店員に物を投げつけたり唾を吐いたり土下座させたりする場面を見たら楽しめるものか?
普通なら「そのくらい勘弁しろ」とか「ちょっとは自重しろ」と思う筈だろ
それとも全然外に出ない人とかか
こういう奴は殆ど「いじめはいじめられる方に理由があるから仕方ない」とか言う
しかし、その言葉は「殺された奴は殺される原因があった」「理由があったら殺されるのも仕方ない」って言ってるのと同じだ
これこそ無意識に感覚麻痺してて危険人物
どんな理由があっても、殺人やリンチは殺人でしかないように、理由があったら人傷つけても殴っても殺しても良い訳ではない
こういう奴は自分がやってることが暴力って自覚がないだけであり、万引きやってる奴が窃盗の自覚が薄くて、大した罪じゃないと思い込んでいる感覚麻痺と同じで殺人じゃないなら人殴ってもOKだと思ってやがる、迷惑な酔っ払いと同じだ
せめて「おバカに振られたか?」くらいにしとけ
リア充に失礼な表現だが、俺はリア充嫌いだからどうでもいい
さらに「〜でも」という表現も滅茶苦茶だ
大辞林で調べてみたら
「でも」(助詞)
@軽く例示的に提出する意を表す (例「コーヒーでもいかがでしょうか?」)
A「たとえ…であっても」の意を表す (例「雨天でも決行します」)
B「なんでも」「どれでも」など,不定称の指示語に付いて,全面的な肯定の意を表す (例「お申し込みはいつでも承っております」)
C「せめて…だけなりとも」の意を表す (例「せめて子供だけでも救出できなかったものか」)
D(「(まんざら)…でもない」などの形をとって)不確かな判断を表す (例「古くてもこの車は捨てたものでもない」)
E極端な例を示し,他の場合にはもちろんであるということを類推させること (例「親のスネでもかじってろ!」)
今回の場合は否定的な文章のニュアンスから、親を「殺されるもの」、身寄りを失う様を「呪怨を抱くきっかけ」とする例えにしている時点で、6番目の意味で「〜でも」と用いているのが明らかであり、まさに身寄りを亡くした人達に失礼だ
それに親を殺されたんじゃなくて「親に殺されそう」なんじゃないの?
いつまでも家に引きこもってたら例の事務次官の息子みたいに親に殺されて当然だ
お前こそ親に殺されそうなのか? >>117
むしろ長電は東急8500買わずにもう少し待って束205を買った方が良かったんでは
東急8500は湯田中入れないし アンヒ・ビアン・バス
国鉄バスの路線バスを鉄道用台車に乗せて、レールバスとして運行する実験が行われたが、
バスをジャッキアップして台車に載せるだけで最低15分を要したり、バスのブレーキを鉄道用に
合わさなければならないなどバスの構造も複雑にしなければならないことなどから、実用化に至らなかった。 つーか長電は3連いらねーんじゃね?
昔ほど列車に乗る人いないし。
それよりも長電が失敗したのはダイヤ。ランダムダイヤ化してから余計に利用しにくくしている。
あれで乗客逸走に拍車がかかったんじゃね?
昔の(地方私鉄にしては極めてきれいな)パターンダイヤの方がよっぽど利用しやすかったのに。
さすがに長野〜朝陽の区間運転分は輸送力過剰としても、それ以外は今でも十分通用するダイヤだと思う。 神戸電鉄有馬線新有馬駅
将来、同駅周辺が宅地開発などされて発展することを見込んで設置されたが、
駅は山中にあるままで駅近辺では宅地開発などは行われず、乗降客もほとんどいなかったことから、
営業休止ののち廃止された 小田急2000
地下鉄直通対応の次世代車として作られたが大量増備に至らず、地下鉄直通も中止
というより2000登場時点では従来車の編成単位の廃車が無かった(それゆえに3000だらけになってしまった)
むしろ2000作らずその分1000の8両固定を増備でよかったんじゃないか?
従来車代替目的ではなかったのなら >>172
2000形自体1000形のIGBT版みたいなもんだろ。 >>151
大阪や名古屋みたいにハンドル操作にすればと思ったが6500とか7020みたいなハンドル操作でも不評だったから東京都交通局になんか問題があるのかな?京急2100京成AE100の乗り入れも反対するくらいだし。 >>173
ブレーキ方式が違う
1000はHSCだが、2000はECB >>175
併結を考慮する必要ないから変わったんだねそこは。 2000は1000とはドア幅も違う
2000は運転台寄りのドアを除き1600mm幅
1000ワイドドア車も幅縮小改造したものの運転台寄りのドアは1500mm幅のまま
ただ2000の運転台寄りのドアは1300mm幅なので1000ワイドドア車とドア幅は統一されていない 東海道本線から山陽本線特急「しおじ」などに転用されたクロ151パーラーカー→クロ181パーラーカー
パーラーカーは山陽本線では利用者は非常に少なく、のちパーラー部分は座席を取り替えて、
普通車化され、個室はグリーン室としてそのまま残されたが、このグリーン個室も傷みが目立ち、
利用者も少なかった。
クロ151パーラーカーは東海道本線以外では通用しない車両だった。 >>150
総武トンネルだな
トンネルの出口の勾配とかキハ58じゃ無理じゃね? >>62
相鉄はJR直通が2015年だったら11000が乗り入れ車として使われていて、12000は出なかったかもしれない
史実の12000の分も11000だったと思う
東武30000は10両固定なら良かった
ただ浅草が10両対応してないので半蔵門線直通前は限定運用だったろうが >>177
ドア幅に関しては1000形の中でも統一されていないし。
1500形の1700形編入こそ要らなかったろ、
新宿口各停に使えなくなったのが理由とされているが、
そんな理由であんな改造に走るとか短絡的思考すぎる。
2004年〜2008年の間はラッシュ時多摩線閉じ込めで日中のみ区準限定で新宿乗り入れ、
2008年以降は湯本発着各停で運用で良かったと思う。 >>180
浅草が10連対応のほうが良かったろ東武も、
ミクリ/館林以北からの直通も相当削減されたし。 >>150,179
元々は優等列車は入れない計画で東京地下駅も3番線までの予定だった
ある程度工事が進んでた段階で急遽特急を乗り入れることに変更して4番線も作ることにしたらしい 両国を改良して使う気だったのかも知れないな。
工事用の機械が入ってる所を増設して2面4線で
9両編成分作れたし。 オハ62改造のキハ08
旧型客車にエンジンを取り付けたことから車両重量が嵩み、キハ22より重すぎて非力で、
加速、登坂、性能も他の気動車よりも劣り、完全な失敗作だった。 >>180
東上線にでも避難させとけばよかったかも >>188
T形ワンハンドルを乗務員に慣れさせなきゃいけなかったから
本線配置にする必要があった。
10連で1日中走れる環境じゃないから、6+4分割編成にしたことまでは理解できる。
東武の本社の連中に、中間運転台が混雑の原因になるって発想自体がなかったから
最後まで6+4で作ってしまい、直通開始後トンネルの向こうからクレームが来た。
半直開始の年の増備車は10連化用の中間車だけにするとか言う発想もなし。
そんな30000、それからしばらく本線で使い続けて内装がほどよくくたびれてきた頃に東上に島流し。
こんな経緯があるから、いくら出来がいい車両だと言っても、30000は好きになれない。 >>181
旧4000や9000の代替扱い車両の捻出も兼ねていたから仕方ない
もっとも、2004年頃は5000系列まで廃車は想定できていなかった可能性もあるが…
(4連のまま10両の新宿側4両に転用もできた筈なので) 阪急京都線は先に特急ばかり置き換えてしまったせいで今も堺筋線直通に抵抗制御車が残るという事態になってしまってるが
だったら9300は8300後継のロングシート車(9000の京都線版)でよかったような気がする
6300の走行距離が長すぎたから仕方ないにしても >>148
キハ35-900は車体をステンレスにしただけで保守でも運用でも問題になること無かったのでは、キハ60は失敗したけど。
千葉動労は成田空港の反対運動との絡みからだったような。まあ気動車化のモデルにされてたのに、電化であっさり潰された千葉気動車区の怨念みたいなのもありそうだが。 >>176
そもそも小田急は当時分割併合が多かったのに他形式との併合を考慮しない設計の新車を入れたのが失敗
1000増備の方が勝手が良かったろうに 8両固定と10両固定は電磁直通ブレーキである必要性がないので最初から電気指令式ブレーキでも良かった(但し運転台は電磁直通編成と同様でブレーキハンドルにノッチ数が入ったようなもの)
それだったなら2000も1000の8両固定の続番になっていただろう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています