失敗作だった鉄道技術やサービスなど★6
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>>307
大井町線で6000にもQシート組み込みが決定した際も当初は既存車をQシートに改造する予定だったが、結局新造になったし
まぁあの会社無計画だから…
(5080の8両化が決定したということもありそうだけど) >>324
ついに、その反応が途絶えるようになったな。
名作だったんだが。 おいおい、ガスタービンの研究はまだ継続してるぞ。
特にマイクロガスタービン大手であるGMは鉄道車両への搭載を諦めていない。
大容量のバッテリーとマイクロガスタービンを組み合わせ、北米大陸の次世代機関車にするつもりだ。 ガスタービンで発電した電気で走るバス、って走ってなかったっけ? 丸の内シャトルで使ってたデザインライン社なら倒産したので現在走っていない。 阿佐海岸鉄道のDMV…はここに名を連ねるんだろうか >>335
定員29人になるってのを承知で導入に踏み切れるくらい
客がいないんだから、むしろ大成功になる予感。
通学ラッシュで今の車両でも満員になる列車があるなら
DMVを導入するなんて言えないはずだ。 >>313
ATO改造とか考えたら置き換えたほうが得策だったろうから仕方ない。
2000系も東武に入れないのが災いし田都追い出されてしまったし。 札幌で走っていた定山渓鉄道のルート。
都心部を迂回していたので東札幌から国鉄に直通して札幌駅に乗り入れしたり豊平駅から市電に乗り換えしていたけど都心直行の路線バスには敵わず廃線。 >>337
9000系はまだ耐用年数的には十分な年数だった
それより2000系は209系と同じ作りだったら失敗しなかった
そうすれば法定耐用年数を過ぎてから最初の全般検査時に廃車できたのに 811系及び813系の発電ブレーキ(前者は製造当初の全編成、後者は0・100・200・300番台が対象)
その前に製造された783系が閑散線区において交流回生ブレーキを使用したところ、沿線にある変電所のブレーカーを落としてしまい九電からペナルティを受けることとなったため発電ブレーキとなった
だが811系の運用範囲は過密線区だから交流回生ブレーキを採用しても問題ない筈
閑散線区で問題となる事を過密線区向けの車両にまで応用するのは一面的すぎる
そのせいで813系の初期の車両も同様のとばっちりを受けてVVVFでありながら発電ブレーキを採用させられた
783系を発電ブレーキに改造してその余剰品を811系に流用すれば良かった
そうすれば813系の初期車も交流回生ブレーキを採用していたのに >>339
2000系作らず8500系継続増備(8643F〜8645F)で良かったんでは? >>341
乗り入れ車両は2形式まで
って東武が付けた制限を撤回させて3形式を認めさせるほうが手っ取り早かったかもな。
東横線には9000・9050・50070の3形式入ってきてるだろうが、って文句を言えたのにね。 >>342
今は2020系含めて3系列乗り入れが成り立っているんだが… 田都のスカツリ乗り入れは暫定的なもの
8500全廃後は元に戻る >>272
>>284
ふと思った
メトロの05初期車(ワイドドア増備により余剰)や06が(北綾瀬転用の05を除き)転用せず廃車になったのは、
本格的な転用自体が07で懲りたからなのではないだろうか
都営も更新に消極的になったのは更新自体が10-300Rでやってみたけど懲りたという説がある 東急田園都市線だが90年代にラッシュ対策車の導入は考えなかったのかね?
仮に90年代にラッシュ対策車を導入していたらその後の情勢が変わって廃車せざるを得なくなった時に減価償却はとっくに終わっていたので史実の6ドアのようにはならなかったということ
史実の6ドアはタイミングが悪かったとしか
(つきみ野で試験した昇降式だったら違ったかもしれないが)
ただ、史実の田園都市線6ドアは失敗した場合はすぐに廃車できるようあえてサハにしていたとも 6ドア車はホームシャッターを導入してもメトロや東武からのクレームで短命で殺処分なのは変わらないと思うぞ >>347
1990年代だったら、まだそこまで追い詰められていなかった。
8連が残ってたでしょ。
8連を全部10連にして、完全に打つ手がなくなった。 >>347
JRも6ドアは皆サハだったが…
6ドアよりも朝ラッシュ時の急行を準急格下げしたことのほうが効果大きかったみたいだし、
先に準急を思い付いていれば最初から6ドアなど不要だったのでは? >>20
>>21
京王の5ドアが6000だったのは、当時異なる形式の混結を嫌っていたこと、当時7000が各停専用だったことのほかに、
元々一時的なもので不要となった場合は4ドアに改造する前提であえて鋼製にしていたというのもありそうな
むしろ8000が史実より1年早く登場し、その1年早い分だけ(VVVF試験も兼ねて)5ドアでも良かったと思ったことがあるが、
上記の理由からすると6000以外の選択肢は元からなさそう
ATC化が無ければ(もう半数も4ドア化されて)もっと長く残ってたかもしれないが、
4ドア化で側板切り継ぎをしたので車体の劣化が酷く早期廃車になることに変わりはなかったと思う
(でも、8000だった場合は東武みたいに一部ドア埋め込みで2ドア化しライナー専用に改造されていた可能性もあったと思ってしまうが) 最初から京王6000系はセミステンレス車として誕生していたらどうだったろうか?
それなら1983年頃からの増備車はオールステンレスとなり、
オールステンの編成はVVVF化で長生き出来たろう。
ただこの場合現実の7000系の分もすべて6000系として製造されたこととなるので、
車番が足りなくなりそうだが…
又現実の8000系が7000系を、9000系が8000系を名乗っていたろう。
70年代は東急(総車)以外でのオールステンレス車製造は不可能だったが、
セミステンレスなら不可能ではなかったろう。
京王6000系と同い年生まれの京成3500形はセミステンレスだったしな。
5ドア→4ドア改造も不可能だったので動物園線用と事業用車改造だけ残ってそれ以外廃車というオチだったとは思うが… 京成3500は初期のセミステンが更新されて残り
後期のオールステンが廃車される始末 >>353
セミステンの編成も全部は更新されず終わったが。
まああそこまで大規模なリニュする必要も感じなかったが… 国鉄113系、115系という「失敗作」。
近郊用として設計されたはいいが、
短編成を組めない、ワンマン使用に難あり、と、
都落ちして地方で使うには使いにくく、
まだ使える車齢にもかかわらず結果的に大量に廃車された。 >>155
113系は分かるけど、それ115系はあてはまらなくね? >>355 103の105改造のように、113、115ペースに1M化改造するほどの需要、必要性はなかったのでは? >>153
要は最初から転用状態にある車両ってことか
東海道山陽緩行が早々に201/205-0、207-1000に置き換えられたのも103が不向きだったからだろうね 東急9000ではコストの問題で断念した改造をメトロ7000/東武9000/西武6000には行ったが、そのうちメトロ7000が置き換え予定だから、
仮に東急9000を高い金掛けて改造してもメトロ7000と似た運命だったかもしれない
(東武9000/西武6000の処遇は不明だが)
そう考えると東急9000は結果的に大井町線で良かったと思う 自動窓なんて要らない技術革新と思いませんか
今は固定窓が主流 国鉄キワ90形はほとんど稼働しなかったようですね。
駿豆や神中にも有蓋気動貨車はあったようですが、同じく不評だったみたいです。 自動扉なんて要らない技術革新と思いませんか
今は固定扉が主流
ん?
とかw >>269
>>284
横浜市営2000形はメトロ東西線タイプのホームドアの開発が15年早ければ早期廃車はなかったかもしれない
(VVVF化して継続使用) >>365
もう3000形初期車も廃車始まっているしそれは考えにくいような。 >>367
キテツで乗ったけど揺れ方がワイルドだった。 地方交通線や地方私鉄の保線や線路規格が低いのが線路の凹凸を
ダイレクトに拾うからしゃーない。2軸レールバスは板バネだったし。 LEカーの失敗エピソードだと、車輌が軽すぎて信号トラブル起こした@近江鉄道も。
彦根駅併設の博物館という留置場所で見たが、あまりにもバスだった。 近江の関係者は今でもその話したがらないね
いわゆる黒歴史ってやつ? 営団6000系初期のぶち抜き貫通路。
車輌間吹き抜ける風が許せないのがマジョリティなのか、貫通扉付が普通に。
その後韓国の地下鉄放火事件が原因で貫通扉完備が規則に。
貫通扉を閉めるときのバターン!!の方が鬱陶しいから、素通しの方がありがたい… >>374 マイノリティの価値観で失敗と決めつけられてもなあ 7000にもあったな。キノコ型の貫通路のない連結面 仙台市交通局1000系にもあった。
更新工事でドアついたところをみると、営団6000と同じ判断が働いたか。 阪急は旧性能車の頃から2000系まで扉なしの広幅貫通路だったな。
3000系から一般的な扉付きの狭幅貫通路になった。
2000系で3000系などに編入されたものは、アダプタを使って接続していた。 湘南電車こと80系が他車と併結しなかったのは貫通路の幅が違うから
って聞いたけど本当? サロ85やその格下げ車は他と連結してたけど、貫通路の幅変えたって話聞いたことないぞ。 貫通路の幅がもともと違うから
特殊なサイズの幌でつなげていたみたい そういやキハ110はデビュー当初は内蔵幌だったのに増備車から外付け幌に変わったな。
両方の連結は当然不可能。 >>272
西武9000だが9000の池袋線撤退とほぼ同時期に10000の池袋線撤退と4000池袋乗り入れ廃止もあったので
101からの機器流用車は池袋出禁という方針になったのもあると予想 >>272
西武9000だが9000の池袋線撤退とほぼ同時期に10000の池袋線撤退と4000池袋乗り入れ廃止もあったので
101からの機器流用車は池袋出禁という方針になったのもあると予想 >>385
4000は2ドアクロスがネックなのでは? >>374
ドアなし貫通路は非冷房時代は有難かった。前から後まで風が通り抜け、涼しくて快適だった。(冬は寒かったが)
当時は車両ではなくトンネル冷房を推進していたから、当時としては失敗どころか画期的だった。
ただし、その後はご指摘通り。 >>272
京王7000だがこれが8000更新計画と京王ライナー計画が同時に出ていたら7000の廃車は無かったかもしれないが、
逆に8000が機器の更新時期で、ならば置き換えてしまおうということになって結果的には8000が一部廃車になっていたかもしれない
どのみち京王ライナーの導入で既存車両が一部犠牲になるのは変わらなかった
ただ、京王7000に関してはコルゲート車が室内照明のLED化と行先表示のフルカラーLED化を見送った時点で既に先が見えていたんだろう
参考までに他の京王車両については室内照明のLED化を行い、行先表示もフルカラーLEDに統一された >>382
80系のサハ87は後に豊橋に出された001と長岡に出された4両は、豊橋が43系に準じた52系流電で、長岡は70系との併結になるために
電気連結器と幌を交換し、長岡は半自動ドア化もしている。
サロ85も横須賀線に転用された車もいて、こちらも32 42 70 72系らの併結になるために同様の改造で幌も交換してる。 >>391
大開口型や昇降式の開発がもっと早ければ、ホームドアの犠牲になる車両は少なかったのにね >>392 ホームの混雑度が高い駅で昇降式だったら、ホームドアの効果が上がらないのでは?東京都区内ではほとんど採用されてない。転落防止には不十分。
鉄オタの勝手な要望書き込まれてもなあ ホームドア、転落防止としてはアレでいいんだろうけど、乗り越えまで考えたら高さが足りないと。
もう30cm高くしておけば、乗り越えて侵入・飛び込みということもなかったろうと。
少し詰めの甘い寸法に感じる。 >>394
後から付けるには重量に余裕がないんじゃね。ホーム下は転落したときに逃げられるよう
空間作っているのが普通だ、そこにホームドアの基礎も入れるが、ホーム下の構造の基礎
にも関わってくる。ドアが重くなれば駆動部も重く大きくなるしな。ホームドア設置の
前提で作った駅やホームじゃないし。 俺様的には
失敗作の大関は500系新幹線
あの失敗のお陰で、n700系列に発展した PCマクラギのせいじゃなくてレールが軽軌条のせいだと思う。 野岩鉄道から会津鉄道の境界線で急に乗り心地が悪くなるのはすぐ分かる。
アクティブサスをものともせずリバティが跳ねまくる。 会津鉄道はPCマクラギ化進んでるが(2年前に二回も脱線やらかして怒られた)
電化区間でも軽量レールのまま軌道強化も行ってないから乗り心地は相変わらず。 >>341
9000の量産が始まる前に8000系列の編成増備は終了していたからそれは難しかったんでは? >>407
中間車は増備続いていたんだから不可能でも無かったろ。
その時代はまだ東武や京王なんか界磁チョッパのまま増備続いていた車両もあったし。 もしもし券売機Kaeruくん
名を改めてまさかの復活
五木ひろしみたい >>409
復活ではない
指定券券売機にkaeruくん機能が追加
kaeruくんはどんなきっぷでもオペレータが発券してたが
話せる券売機は指定券券売機で買えるきっぷはオペレータ不要 >>410
年寄りは予約の意思疎通ができず、時間が掛かり長蛇の列
結果が見えているね >>20
僕は以前に何度も指摘したと思うが、10コテのおかげでワイドドアが不要になったわけではない! 連査閉塞式
連査閉塞器と絶対信号機が連動していなかったため、直前変更すると絶対信号機の切り替えが間に合わずに出発し、さらに誤出発検知機能がなかったため、正面衝突を起こす可能性があり、
実際に羽越本線列車衝突事故を引き起こした
連査閉塞器と絶対信号機と安全側線用分岐器の連動化
出発信号機を反位にした後は、2分間全て施錠そして即出発させる
つまり、連動テコのLRの外側にLLないしRRを追加し、これで出発信号機を反位にする
副本線付はこれとは別の進路テコも扱うため、出発直前には次の交換駅番線まで進路が確保された状態となる >>20
小田急だが調べたら元々ワイドドア決定の方が先だったと推測
ワイドドア登場からしばらくして上層部が交代してるので、それで10両固定の導入が決定したと想像する >>415
その時代は10コテは千代田線乗り入れ以外ほとんど使い道なかったのでは? ワイドドア車導入時はまだ相模大野分割併合頻繁にやってたし ワイドドアは開閉に時間がかかって失敗かと思いきやホームドアとの親和性が上なので東京メトロ15000で復活したな
多ドアの方が開閉時間を短くできるがホームドアと合わない 小田急はその後2000形と3000形1次車も1.6mのセミワイドドアだったが。
3000形2次車から通常サイズのドアに戻った。 小田急1500の2mドアだと、閉まるまでに時間がかかるから
ええい乗っちゃえ、って客が来てドア再開閉をやる羽目にあって
ドア幅拡大によって短縮した乗降時間を再開閉でかなり無駄にしていた。
よってドアの幅を狭める改造工事を 1500形の1700形編入こそ要らなかったろ、
加速度引き上げで新宿口各停に使えなくなったのが理由とされているが、
そんな理由であんな改造に走るとか短絡的思考すぎる。
2004年〜2008年の間はラッシュ時多摩線閉じ込めで日中のみ区準限定で新宿乗り入れ、
2008年以降は湯本発着各停で運用で良かったと思う。
その場合各停と区準を共通運用にできなくなるというデメリットが発生していたことになるが… 結局ワイドドア組み換え編成と赤塗装編成(登山線用)はセットで置き換えられることになりそうだが
3000のブレーキ読み替え装置の製造費を抑制したかったというのもあると思っている(6連4本→8連3本に変更)
3000はブレーキ読み替え装置が高価だったから結局1000と製造費があまり変わらなかったものと推測してるので 結果論だし当時の事情も知らないが
101にMT54を載せた史実とは違う103では駄目だったのかね?
(同時期の近郊型が111にMT54を載せた113だった模様)
201は当時添加励磁が開発されていなかったから仕方ないにしても ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています