昭和31年11月改正の時刻表に長距離列車の混雑率なるものが載っていて、東京九州方面では下り鹿児島行き霧島と高千穂が浜松 京都 岡山 博多周辺でも3等座席が180とか190とかでえれぇ混んでた。
下りでも博多までとかは2桁で全員着席の様子だが、博多以遠、小倉以遠の事考えて東海道山陽道中ずっと混む列車にしがみついてないといけなかったんかな?
まだ空いてる 博多行き乗って九州島内で乗り換えるという発想はなかったんやろか?