新幹線200系電車
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マンモスマンVSレオパルドンってどう考えても37秒以上かかってたとは思えないんだよね・・・ 束の馬鹿は、よくこんなオンボロポンコツを2010年代までしつこく残したよな
馬鹿国鉄がやたら頑丈構造にした元凶だ 275キロ運転は話題作りのためとしか思えないな
TGVを最高速度で追い抜くために弱め界磁付けて大清水トンネルの下り坂で助走付けてとか無理矢理感半端なかったため下り列車かつ越後湯沢駅通過列車でないと無理だった
のぞみ号よりも先に270キロ以上出してた事になる
東北新幹線の明かり区間だと実験はした事があるが騒音が大きすぎて沿線から苦情が殺到しそう 結局、200系はJRになってからの建設区間に乗り入れなかったのでしょうか。
東北新幹線盛岡から北の区間、特に青函トンネルを走る200系を
見てみたかったですね。
北陸新幹線は、電気の周波数が違うからこちらは、
走らせることは無理だったということなんでしょうか。 長野オリンピックの頃、1〜2本だけ改造して長野まで乗り入れ可能にした200系があったような。 >>7
F80編成だな
発電ブレーキ抵抗器容量増大や周波数切り替え装置付けて対処してたが車体が重くなるので座席を軽量なのに取り換えた
E4系も周波数両対応があるがそもそも30‰を客を乗せた状態で登るとモーターが耐えられないのでMaxあさまは軽井沢発の坂を下る上り列車のみだった 最も短命だった車両
最も長命だった車両
編成変えの多かった車両 団臨で新青森乗り入れして欲しかった
八戸は団臨で走行したことがあるしE4系も試運転で新青森に入ったことがある 新幹線初のアルミカーだったが機器が重いのがネックだった
ボディーマウント構造は着雪防止が目的だったが空気抵抗減少という副次的効果が認められ東海道でも500系から採用された 御当地到着メロディ
一両おきにオレンジシート、グリーンシート
集団離反式3人がけ
レンチンビュフェ
電話の呼び出し 100系顔は100系と同一のシートピッチにすべく側窓もごっそり取り換えてた
しかし先頭車だけシートピッチを広げてて中間車とピッチが違ってた 色はゼロ系と同じで良かったのにね。
185系もそうだが白地に緑ってなんか冴えないんだよね。 あと少しで車齢30年到達だった車両があったな
新幹線では前人未到
30年到達直前で廃車になった
0系も寿命が長いのでも25年で廃車されてる 200系は、雪切室が非常に大きかった印象がありますね。
いくら雪が多い区間が長いとはいえ、
あんなに大きな雪切室が必要だったか疑問に思います。
当時の国鉄の技術者の意向か、労働組合の力なのか分からないけれど、
どなたか、詳しい事情ご存知の方いませんか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています