懐かしの四国の普通列車
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1964年10月号に多度津3時54分発琴平4時10分着の411Dがあります。この列車の運行目的は何だったのかね。 >>43
多度津港着の船客をこんぴらさんに運ぶ列車? 香川地区へ気動車が入れられた頃だから、たぶん昭和27年1月下旬からある気動車列車
復刻セットに入っている昭和31年11月時刻表で確認
折り返し高松行の普通列車となる
当初は3時前着の関西汽船の多度津港客を受けていたものの、昭和30年代前半には船のダイヤが替わり、時刻の変更はもとより琴平送り込み運用とか折り返しは多度津までなどの変遷をたどるものの、
昭和42年10月改正で折り返し共々消滅(同昭和42年9月時刻表・同年10月時刻表で確認) >>47
謎が解けました。1964年では、関西汽船を受ける時刻ではありません。過去の経緯から、この年代では回送列車をあえて営業列車にしていたのですね。どの位乗客がいたのかな? 需要は少なそうだけど回送ついでに予讃線上り夜行から接続受ける想定かも
30年代後半なら高松4時前に着く準急の設定ありそう
あと福山ー多度津の航路に深夜便があればそっち受ける想定もありえる スハフ43ですが、自分が行ったときは、高松⇔豊浜(と思いました)と、高松⇔琴平の朝夕の限定運用的な使い方
スハ44からの改造車も含めて、向かい合わせの4人かけで固定でした
ラッシュ時用のわりに1ドアで大丈夫なのか、勝手に心配していました
(見た限りですが、途中駅でも大きな遅延にはなっていなかったですが)
なお、スハフ43は端に使用される場合、自分が見た限りではドアのない側が一番端になる運用はみませんでした
さすがにこれは考えて編成を組んでいたんでしょうかね 考えて組成していた
122+222レという8時台発の宇高連絡船接続+通勤輸送用快速にも組み込まれていた(50系になる前は最長11両+機関車でスハフ43は222レ側)
ただ、併結すると高松駅以外2〜3両程度はホームから外れるため、ホームのないところから無理やり乗降しない様1か所しかないスハフ43を高松側編成端へ組み込んでいた
※122+222レは昭和57年に50系化され、さらに8両+機関車となった >>37
その車番が当該列車?
乗られたのですか? >>40
対岸の西市・久々原なども似たようなもん。 阿波池田発徳島行き最終が23時頃に出ていたことは知られていない 牟岐線にホームエクスプレス阿南が出来た時に、阿南の留置スペースの問題で徳島から定期増結回送していた時代とか。1500形2次車投入で消滅したけれども ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています