東京・九州ブルートレイン★135レ
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
利用者からすると、かなり割高だったし、
利用しづらかったのは確か。 だいぶスレチになってきたけど、特別なツアーやクルーズの中じゃなくて、日常の一部としての食堂車にあこがれたものだった
お定食150円は、当時の物価で見て高かったんだろうか、安かったんだろうか
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/o417031366 >>831
大卒初任給
昭和29年(1954年) 10140円
2012年 201800円
物価
たばこ(ゴールデンバット) 30円
新聞購読 月330円
はがき 5円
かけそば 25〜30円
ビール大瓶 125円
米10キロ 765円 >変更するなら
>53.2のあさかぜ1・4の24系化の際、
>品川の出雲1・4と下関+広島のあさかぜ3・2を交換する。つまり、広島配置がたった4か月でなくなる惨劇付
>
>53.10で出雲3・2は専用編成化して食堂車を外す
>これで品川のオシ14は5両未運用が発生するので、うち3両をオシ24 100番台化して宮原へ日本海専用編成に組み込む形で使用開始
やる理由がサッパリ意味が判らない
特に上段の出雲とあさかぜの交換 浜田と出雲市に24系を予備車を含めて新規に分散して配置するメリットがサッパリ思いつかない よくわからんけど、
食堂車が付いている編成と付いていない編成で交換したかったのだろ
そして出雲2往復ともに食堂車なしで統一
ただ、そのセットとなる瀬戸を含めた編成の受け持ちは品川になるから、下関には主に九州ブルトレの付随編成を移管するのだろうか? あさかぜ3・2号と瀬戸が運用上でセットなのすらわかってないんしゃないかと
出雲は山陰線での制約から東海道ブルトレの編成よりも短くせざるを得ないのもわかってないのでは
>>835
九州ブルトレの付属編成を下関持ちにしたら切り離し場所は当然下関になるわけで、九州までの旅客需要の謝絶、食堂車の利用減、駅構内作業の複雑化、
長時間停車による駅ホームの容量不足など、あらゆる面でデメリットしか思い浮かばない ブルトレ食堂車の担当業者(1977年3月改正)
日食長崎 さくら
日食鹿児島 はやぶさ
日食門司 みずほ、富士
日食下関 あさかぜ1・2号(博多・20系)、あさかぜ2・1号(下関・20系)
日食米子 出雲
ソース:鉄道ファン1977年6月号 >>837
瀬戸もセットで浜田と出雲の担当にしたら、そのままだと瀬戸が減車になるわけで、
減車を解消するために毎日品川で増解結をやらせたらそれこそ品川操車が切れるわな >>837
発想としてはセット運用を変えてればの意味もあっただろう。
でも当時の国鉄は労組がそれなりに力を持っていて、今のJRのように弾力的にできず硬直してたのもあったし。 えっ?
浜田出雲からオロネを外して下関あさかぜに付けるの?
なんで? >>828
乗務員だけ切り取ればそうなるが
列車食堂だとそれ以外に地上設備と地上設備から駅のヤードまでの運搬の運転手、
駅のヤードの管理、駅のヤードからホームに荷揚げして列車に積み下ろす要員の人件費もかかってくるんやで
(もちろん持ち列車が2本以上だと分散される)
あと地上店舗だと10名のスタッフプラスαの固定で交代で休み取ればいいが
列車食堂だとある日の25Mの乗務員と翌日の乗務員とは違う(班)で
行路も班ごとに公休になるので列車本数以上に班の数は必要になる >>842
食堂車の従業員だけでみても休暇の付与等を考慮すると毎回の必要人数の概ね3.2倍が必要だからな
1日当たりの法定労働時間8時間をオーバーする片道9時間かかる毎日運転の列車で10名が必要な食堂車を毎日営業するには32名が必要 >>842
出雲を格下扱いにしたいんじゃないかな
実際列車番号も4桁だったり鉄道関係の本とかでもそう見てたところはあるんでなんだけど >>844のアンカー間違えた>>841だった
そんな出雲が結局国鉄時代の編成順に近い形で最後まで走ったのは世の中わからんもんだったが 寝台特急として最後まで生き残ったのは出雲と瀬戸だけという現実 >>844
>出雲を格下扱いにしたいんじゃないかな
本当にそれが理由なら呆れる他ないわ… >>837
そりゃないだろ
出雲1・4だって品川出区前に2両切り離されていたから
オロネ25についてはどうするかはご本人でなければ分からんけど
確かに付属についてはその問題が生じるな
なら全て基本・付属とも下関へ移管しかなさそうだね
下関→東京→西鹿児島→東京→博多→東京→宮崎(もしかして西鹿児島か)→東京→下関
サンクス >出雲1・4だって品川出区前に2両切り離されていたから
当時の出雲1・4号の基本ははやぶさ・富士と一緒の運用だが、付属は出雲のみの単独運用だったから出区前の2両切り離しはありません >下関→東京→西鹿児島→東京→博多→東京→宮崎(もしかして西鹿児島か)→東京→下関
それだと基本編成は10日間下関に戻ってきません
青森までの広域運用で有名だった早岐の14系よりもさらに2日長いんですが
1978年2月改正時の品川には146両の24系が配置になってましたが、これらを62両の配置しかなかった下関が面倒を見れたとでも言うの? >ご本人でなければ
違和感のある言い方だな
あっ() いや、横からだけど勉強になるな
>>849-850
付属編成の出雲分は運用が分かれていたんですか
知りませんでした
wikiに書いている感じでは2両だけ切り離していたように見えたもので
配置両数とか運用に詳しいようですが、どこか参考になるサイトとかありましたらお教えいただけませんか? >>852
改正毎の配置両数が書かれたサイトはいくつかあります(いずれもいくつか間違いがあるので補正は必要)が、改正毎の運用の詳細まで
書かれたサイトは寡聞にして存じ上げません
1980年代以前の事実確認については当時の書籍類が圧倒的な存在で、ネットの情報は信頼性が数段落ちるというのが実感です
下記は1976年10月のダイヤ改正に関する国鉄運転局猪口氏の雑誌記事(鉄道ファン1976年11月号)より
>1.東海道・山陽・九州線
> 東海道・山陽・九州線にあっては,長年の懸案であった東京−九州・山陰間ブルートレインの2段寝台化を行うこととなった.すなわち,新潟鉄工
>および富士重工に102両の24系(25形)2段寝台の発注,その落成を待って東京−西鹿児島間の特急”はやぶさ・富士”と東京−浜田間の特急
>”出雲”の充当されることとなった.
> (中略)
> 上記3列車については,1〜11号車の車種はいずれも共通としたため,列車遅延時など異常時にあっては編成を振り替えることも考慮され,特に
>「オハネフ」については今回の新製車から,前後に埋込式の尾燈も増設されて,従来品川客車区で行なわれていた緩急客車の尾燈合わせ(転車台
>を使用しての客車転向)の苦労も解消することとなった. 1976年10月改正時点の品川客車区の14/24系ブルトレの運用
さくらとみずほだけは基本・付属ともに「1レ→2レ→5レ→6レ」の一体運用で、それ以外は各列車ごとに単独での運用でした
さくら 1レ・2レ(肥前山口〜佐世保:4001レ・4002レ) / みずほ 5レ・6レ(鳥栖〜長崎:4005レ・4006レ)
南東121 ハネフ・ロネ・ハネ・ハネ・ハネ・ハネ・シ・ハネフ 組数4 ※長崎/熊本発着
南東付121 ハネフ・ハネ・ハネ・ハネ・ハネ・ハネフ 組数4 ※佐世保(早岐)/長崎発着
いなば 2003レ・2004レ
南東122 ハネフ・ロネ・ハネ・ハネ・ハネ・ハネ・シ・ハネフ 組数2 ※米子発着
紀伊 2003〜4003レ・4004〜2004レ
南東付122 ハネフ・ハネ・ハネ・ハネ・ハネ・ハネフ 組数2 ※紀伊勝浦(新宮)発着
はやぶさ 3レ・4レ
南東荷141 カニ 組数3 ※西鹿児島発着
南東141 ロネ・ハネ・ハネ・ハネ・シ・ハネフ 組数3 ※西鹿児島発着
南東付141 ハネフ・ハネ・ハネ・ハネ・ハネフ・ハネ・ハネフ 組数2 ※熊本(川尻)発着
富士 7レ・8レ
南東荷142 カニ 組数3 ※西鹿児島発着
南東142 ロネ・ハネ・ハネ・ハネ・シ・ハネフ 組数3 ※西鹿児島発着
南東付142 ハネフ・ハネ・ハネ・ハネ・ハネフ・ハネ・ハネフ 組数2 ※大分発着
出雲 2001レ・2002レ
南東荷143 カニ 組数2 ※浜田発着
南東143 ロネ・ハネ・ハネ・ハネ・シ・ハネフ 組数2 ※浜田発着
南東付143の1 ハネフ 組数2 ※浜田発着
南東付143の2 ハネ・ハネ・ハネ・ハネフ 組数2 ※出雲市発着 1978年2月改正時点の品川客車区の24系ブルトレの運用 ※14系は1976年3月改正と変わらないので略
この改正で20系から24系25形化されたあさかぜは寝台車部分が13両一体の運用でした
はやぶさ 3レ・4レ
南東荷141 カニ 組数3 ※西鹿児島発着
南東141 ロネ・ハネ・ハネ・ハネ・ハネ・ハネフ 組数3 ※西鹿児島発着
南東付141 ハネフ・シ・ハネ・ハネ・ハネフ・ハネ・ハネフ 組数2 ※熊本(川尻)発着
富士 7レ・8レ
南東荷142 カニ 組数3 ※西鹿児島発着
南東142 ロネ・ハネ・ハネ・ハネ・ハネ・ハネフ 組数3 ※西鹿児島発着
南東付142 ハネフ・シ・ハネ・ハネ・ハネフ・ハネ・ハネフ 組数2 ※大分発着
あさあぜ 9レ・10レ
南東荷143 カニ 組数2 ※博多(竹下)発着
南東143 ロネ・ハネ・ハネ・ハネ・ハネ・ハネフ・ハネフ・シ・ハネ・ハネ・ハネフ・ハネ・ハネフ 組数2 ※博多(竹下)発着
出雲 2001レ・2002レ
南東荷144 カニ 組数2 ※浜田発着
南東144 ロネ・ハネ・ハネ・ハネ・シ・ハネフ 組数2 ※浜田発着
南東付144 ハネフ・シ・ハネ・ハネ・ハネフ 組数2 ※出雲市発着
※客車の管理は1両単位なので、実際は検査等のため品川帰着時に必要により編成内の車両の差し換えが1両単位で行われていました 昭和50年代、品川のホーム端で見てると、いつもブルトレを切り離して入れ換え作業してたなー
子供の頃は、なんであんなにしょっちゅう編成を組み替えるのか理解できなかった >>857
鉄道ファン1976年11月号と1978年6月号 >>856
国鉄時代の予備車は編成単位じゃなくて、車種の性格を考慮して車種毎に異なる比率で用意されてましたからね
24系だと電源車の予備率が他の車種よりも高めに設定されてましたし、最後まで1両単位の管理でした
1978年2月改正時点の品川の予備車の数
14系 ロネ1 ハネ5 ハネフ3 シ3(元々余剰車あり)
24系 ロネ2 ハネ9 ハネフ7 シ2 カニ4 >>853 の転記ミスを訂正
× 2段寝台化を行うこととなった.
○ 2段寝台化を行なうこととなった.
× ”出雲”の充当されることとなった.
○ ”出雲”に充当されることとなった. 下関あさかぜに食堂車を組み込むために瀬戸と運用を分離するというヲタの妄想 >>808 が、元日食関係者のツイート >>822 で完全に否定されててクソワロタ
ロビーカーが最初オシから改造されたのは、人手不足の食堂車を軽食提供設備付のロビーカーに置き換える構想が隠れていたのは初めて知ったわ 食堂車を外してロビーカーを入れてたらEF66のブルトレ牽引はなかったんだな >>838
BS朝日「鉄道の時代」のブルトレに密着の回で、門司で列車が発車していくと共に食堂車のスタッフが全員揃って階段を下りていくシーンがあったな
あまりに長すぎて全区間通しでの担当じゃなかったってことか >>864
ブルトレじゃないけど、百關謳カの阿房列車でも、門司で従業員が交代する描写があったね >>863
貨物列車需要が減ってたからどのみちEF66の活用先を考えなければならなくなってたと思う
だからロビーカー増結があろうがなかろうが66の寝台特急牽引は実現してたでしょうね 東海道ブルトレの食堂車は後に新博多と上野になって
一部は仙台も担当したはず
出雲も米子から上野に変更されていた >>866
活用先を考えるって言ったって、東海道山陽筋のブルトレに使われてたPFはその66より新しいんだから性能上の理由がなきゃやらないと思う。
しかもあのタイミングより後だと分割民営化で66は旅客会社に継承されてない。ってことは、65の一般型が代わりに減ってたか、66が清算事業団〜車籍復活だったかもね。
だとすると100番台はどうなってたか・・
ifの話しても意味ないけど。 >>868
JR化後も東海道山陽ブルトレには後期型PFが基本的に担当されていたよな ロビーカーなくてもとかいう前に、66があるからロビーカーとかいう構想も出来たんだろ
59.2で機関車余りまくって66は遊ばせるにはお高いし、PFは15や60の置換や他に転用できる
けど、66は東海道山陽以外に使い道なかったからな でも最近は武蔵野線やら東北本線の66の運用が増えたせいで
静岡あたりから西に住んでる人たちが撮影の機械が減るとぶー垂れてますけどね JR西日本に行った数以上の100番台を作ったってことは結局EF66は余ってなかったってことでしょ >>870
価格の高い66は余剰にしたくなかったんだな >>873-874
JR後に65Nや75の廃車前提だった車両を車籍復活させたりしてた。それくらい
当時、需給を読めた人なんかいなかったってことだよな
ヤード廃止した時点でコンテナは増える予測ついたろうけど、民営化まで大混乱だったし
目先のことで必死だったから、ブルトレの増収を優先した。カルテットもこのころだったような
カネも時間もなくてその中で出来ることやったんでしょう
>>875
鮮魚列車も死にかけてた。66がレサの短編成牽いてるの見て悲しくなった覚えがある
そりゃこんな使い方よりブルトレ牽かせたくなる。万人が待ち望んでたしね 貨物の輸送体系の変化で余ったのは昔ながらの遅い貨物列車を引く機関車。
コンテナ列車=速い貨物列車を引ける機関車は数が限られていた。
EF66にブルトレを引かせるのを待ち望んでたのはマニアだけじゃなくて?現場も? さくらの事故で廃車確定だと思われた55号機も大修理して復帰させたしな。 子供の頃はブルトレの先頭に立つEF66を望んだが、
いざ実現すると「あれ?意外に間抜けな感じだな。フレートライナーの方が格好良かった」だった。 EF66はマンモス機と言われることもあったが、
実はEF81のほうがひと回り大きいというのが面白い。
重さもEF63を除く最大の100.8tで同じだし。
EF65が小さくて軽いだけなのかもしれんけど。
リレー相手のEF30とほぼ同じ長さ(EF30が60mm長い)、
ED76にいたっては900mmも長かったという。
当時は全く感じなかったのが不思議。 >>880
でもパワーは最強やん。擬人化したら、
イケメンマッチョの66
ひょろガリの81
チビだがパワーのある腕白坊主の65
インテリ系の30 >>881
81はガリじゃねぇしw
66と同じ重さあるんだぞ
65ないし71のいでたちで、66並みのパワーの電機があればよかったのに
66の見てくれは個人的には苦手すぎる 昭和50年頃初めてあさかぜに乗った。
食堂車では水がこぼれて、停車駅の度に衝撃で目が覚めて、運転が乱暴すぎて貨物に乗ってんのかと思った。
あの頃はほんとひどかったね 下り富士で一番前のオハネ25(3両目は2号車でいいのかな)だったから、
そんなには揺れなかったけど、やはり停車毎に目が冷めてたかも。
それより、カマ(PF新車!)に近いから汽笛が結構気になったかも。
密着自連でも後ろの方はガタつくのかな? >>883
> 貨物に乗ってんのかと思った
貨物に乗ったこと無いのによく言えるなw EF66の客車に乗ってみたかった
東京近郊じゃヒルネ乗車も設定なかったし ヒルネ設定がなきゃ乗らんの?
あんまり自由になるお金がない子供のころですら貯金崩して乗りに行ったけどなあ
お金のことよりも親の説得が大変だった 乗り鉄ばかりじゃなんだから
何に金を使うかを含めて、いろんな鉄がいていいんだよ 東京から横浜まで寝台券買って乗ってもよかったんやで >>884
密自連は緩いくさびでナックルを押さえてるだけだから連結器にも少しのガタは残るし、緩衝器がけっこう動く
惰行から力行に入った瞬間なんか、編成全体が前後にけっこうガクンガクンと不規則に揺れてた EF66もEF65も男性っぽいから、
さくらのHMってなんか不釣り合いだった。
やはりはやぶさと富士が一番かっこよかった。 さくらのHMはカラーバリエーションが多すぎて、
どれをイメージするかにもよると思うよ。
個人的にはEF65Pに桃地に白花(一番地味だけど)が好きだ。 富士のヘッドマークは富士山型に限る!は、
66牽引以降のヤング()世代か戦前世代。 その二つのグループも表記がFUJIとHUZIで割れるぞ みずほにスハフ14が連結されているレアな動画があった。何だったんだろ? 品川スハフ14代用
まず昭和52年に防火・耐火向上工事
次に昭和58〜59年(尾久は60年、他は知らん)に2段化工事 >>274
新津は新幹線開業で一気に落ちぶれた感があったが、トワイライトエクスプレスの停車駅になったことで見直された感じはあった 1988年には既に入れられてたよ。
>>899
ヘッドマークに訓令式は存在しない。
戦前使用はバックサインしかも昼行列車だし >>907
東京から下関博多長崎に日着は不可能ですw >>906
あれはタダの飾り?
空知機関区のDDは重連仕様と半重連仕様区別出来るよう札入っていた 博多あさかぜ、出雲金帯編成は東日本の車だっけ?
東日本の車が収益薄そうな九州、西行きブルトレによく使われていたもんだ。 >>912
民営化後に割り振りしたんじゃなくて、国鉄最後のダイヤ改正で民営化後の車両の担当に合わせて品川に集中してたブルトレ車両を転属させた 北の北斗星・南の博多あさかぜ
こういう象徴的なものを運転することで、他のブルトレにも伝搬させ、寝台特急再興の礎にする目的があった
たしかに運転開始からバブル崩壊直後まではどうにか保ったものの、新幹線同様「速度がかき消した」
後付けでああしたらよかったと書くのは簡単だが、1986年当時の見通しとしては次点となるものの間違えてはいなかったと思う >>911
・あさかぜは伝統の列車だから東京の会社にやらせた
・グレードアップしたので、さらに新しいことをやりやすいようにカネがありそうな会社持ちにした
・地方の車両基地の容量の問題
とかありそう。 >>908
それは難癖ありきの屁理屈
戦前の富士は「寝台特急」ではない >>911
東京発着九州ブルトレは、国鉄時代看板列車だったからな。
>>916の語ってることも含むが、民営化前に各社の収益で揉める事は想定してなかった。
国鉄時代の全国長距離列車維持を、できるだけ維持していく意向はあった。
しかし民営化から数年して、各社特有の車両が新製されたが、九州ブルトレは4社分割で改造などの動きが取れなく、利用も斬減していった。
そして末端だけど収益が低い東日本と九州が見直し提唱して、みずほ、博多あさかぜ廃止になり、その後どんどん衰退化が進み、往年の輝きを失っていった。 285系やE26系が起爆剤になりえなかったことでお察し 285系の失敗は、発券システムへの設定が特殊過ぎて発券できない窓口ばかりだったため
E26系はそもそもクルーズ
そして寝台特急にトドメをしたのは設備の陳腐さではなくネットダフ
それで各社が何もしない政治屋にブチ切れて、既設(サンライズ)と人気の出ようがないしかもあまり席だけ直前販売のボッタクリ銀河以外、
全てネットダフドタキャン払い戻し不可能な募集型企画旅行式クルーズトレインにした
285系を増備しても自動車を運ぶ電動貨車を併結すなわちカートレイン以外では下関あさかぜも先がないし、
交直流版を作っても285系ができる2年も前から北海道新幹線のお話が出ているため、せいぜいあかつき・彗星程度しか使えない >>919
レール7という平成元年当時の番組の空席情報で週末は満席の赤や残り僅かの黄色だったのが信じられない。 WestExpress銀河の販売方式は元はマルス売りが前提でコロナ対応で暫定的に旅行商品専用にしてるだけやん
事情が違うとはいえ暫定編成時代はパック旅行専用だったTwilightExpressみたいにそのうちマルス売りになるやろ コロナがきっかけで技術革新が取り入れられたらいいな
災い転じて福と成す レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。