食堂車は人の確保と業者の都合が運行計画上の最も大きな要因だったからな

食堂車の業者は構内営業として国鉄にショバ代を払っていた
車内販売は黒字だったが食堂車は赤字基調で、収益も運行系統によって大きな差があった
夜行寝台の食堂車は昼行に比べて拘束時間が長い割には営業時間が短いだけでなく、途中駅での乗客の入れ替わりがないなど旨味がなかった
業者は従業員の人材確保に四苦八苦しており特に西日本ではそれが顕著だった

寝台の利用人員を見ると1974年度の19900人を境に急激な減少に転じ、5年で半減、10年では1/3にまで激減している
このため1970年代の終わりには夜行列車全廃論まで国会に提出された