宮崎へは日豊本線が単線区間が多く、今でも時間がかかる。
逆に飛行機は大阪や東京からだと福岡より距離が短いのと、あとフェリーの選択肢もある。
そのため寝台特急も、宮崎へ行く編成は6〜7両だった。

ただ本格的に飛行機へ移行したのは昭和51年国鉄大幅値上げからだろう。
大阪−宮崎は寝台特急「彗星」が飛行機より高くなって、話にならなくなった。