→お話ありがとうございます。確かに「出雲1・4号」は東京発ブルートレインで「みずほ」と並んで最初に「営業休止」になりましたし,上りの朝食
   営業は出来なかったわけですね。でも,早期に西は「あさかぜ」と「瀬戸」の運用を分離し,「あさかぜ」に食堂車を付けても良かった気がします。

  →様々な理由がありますがそれは無理です。食堂営業の視点から。ファンの方々は何か幻想を抱いておられる方が多いですが、昭和40年代後半
   から寝台特急の食堂車は赤字が膨らみ国鉄本社へ営業各社は廃止の申し入れを行っていました。当時は採算よりも乗客サービス優先の国鉄
   本社は却下。
   乗務員用寝台の無料確保、営業料(ショバ代)の免除で営業継続をさせていたのです。実は100系登場時も国鉄本社から事前に示された案で
   食堂車が連結されると知った4社が猛反発をした経緯もあります。食堂車は華やかに見えますが、実はとんだお荷物でした。
   博多あさかぜ、100系、皆さんから見ても華やかでいい時代ですよね?けど内実は大赤字で営業各社は火の車だったのです。民間企業となった
   JR各社も時代のニーズが寝台特急から新幹線に変わる中で、不採算の列車へのテコ入れは難しいでしょう。
   夢を撃ち壊す現実の話で申し訳ございません。

  →いえいえ、一般ファンから見ても金帯あさかぜや100系の時代には既に限界きたしていたのははっきり分かりましたよ。

  →私の上司が100系登場前に本社におり国鉄との交渉にあたったそうで…食堂車連結に各社代表、猛反発したものの当然国鉄様の意向には
   逆らえず、交換条件とし168に製氷機を設置して欲しいと要望。しかし重量がオーバーするという事で却下。
   2階食堂のモニターだけは取り入れて貰ったとの事です。

  →そういえば100系とほぼ同期のロビーカーも、当初は増結ではなく食堂車を外して代わりに挿入するという案もあったと聞きました。
    種車にオシが選ばれたり車内に意味ありげなカウンターが設けられたりしたのはその名残と。

  →その案ありました。そういう意味では西が下関あさかぜにロビーカーを入れたのは妥当な判断だったでしょう。下関あさかぜはロビーカーの
    カウンターで軽食や飲料の提供をしていました。
    寝台特急の場合、食堂車云々よりも時代の流れと共に列車その物の存在意義を無くしてしまったのでしょうね…

  →あれ、良かったですね。珍しく供食体制が多少なりとも改善された事例として。

  →発足当時の西日本は頑張ってましたよね。ウエストひかりのビュフェ、スーパー雷鳥・489系シリーズのラウンジ、そして、あさかぜ。
   地域性や現実に沿ったギリギリの判断といいますか、分割民営化の本来の趣旨を活かせた提案をしてくれていたと思います。