東京・九州ブルートレイン★135レ
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そりゃまあ老朽化で仕方無しにだな
彗星・なは・明星などもオールPC化されてしまった あっちは真冬から温暖と温度差がひどくてよく故障したから
ついでに言えば、それほど急カーブもなかったから
山陽本線なんかワン・ハンドレッドのために半径302mばっかりで、昭和42年だったか福山までどうにか改善したけどそこで力尽きてしまった
でも、東京発着九州ブルトレが電車化されなかったのは、あまりにも長距離を走るから検査日数を要する動力車の検査が頻発するため
まあ国鉄末期の419系や715系へ改造するほど余っていた581/583系にとっては何ら問題ない数
その上、名古屋発着として片道で366km減らした。運転末期の約10年間は仕方ないけど走ってもらうものの、片方は下関止めし、しかも走行編成も走行距離もできるだけ削減した チラ裏にツッコミ入れるのもなんだけど
静岡も山梨も走らない列車に富士とは付けないと思う 東京ー三島の『こだま』を『富士』(三島付近で富士山が見えるので)
ブルトレ『富士』を『にちりん』(富士山付近は夜で見えない、且つ走っているのがほぼ日中なので)
日豊線エル特急『にちりん』を『日向』(反対側を走る『有明』が漢字名なので)
にすれば丸く収まった国鉄時代。 日向は宮崎県の旧国名。有明は有明海。
にちりんは太陽のことだけど、なんで天体名を付けたんだろう? 日向灘と言ったら常夏→太陽燦々のイメージだからだろうねぇ 設定当時は沖縄もアメリカ領だったから国内でいける南国と言ったら鹿児島や宮崎だしな 沖縄県
1945〜1972 アメリカ領
施政権 まあどちらともアメリカ軍だけどね
琉球列島米国軍政府 (占領から)1945〜1950
琉球列島米国民政府 1950〜1972(返還まで)
住民の国籍
名目上は「日本」
実質上は「琉球列島米国民政府」 要するに日本人でもアメリカ人でもなかった
つまり、占領統治の1種類である軍植民地状態だった 日本に返還されるまでは沖縄へ行くのにパスポートが必要だった >>536
うそはいかんぞ
どちらとも名目上は日本だから、日本も沖縄(当時琉球)も「日本国総理府」表記の身分証明書が必要だった
そして沖縄から日本以外の他国へ行く場合は、全く違う「琉球列島米国民政府亜米利加合衆国政府」表記の身分証明書(CERTIFICATE OF IDENTITY)が必要だった
※日本人が沖縄以外の外国へ行く場合は旅券が必要 >>523
あれ使い勝手よかったな 夜上野20時頃出て青森に朝5時 青函使って函館9時台には居れた >>537
正式名称ではないけど、身分証明書のこともみんな普通にパスポートと呼んでて、それで通用してたんだよ
https://okinawa-archives-labo.com/?p=1486 >>540
それは沖縄の人の感覚だろ
本土側からしてみればパスポートじゃないわな 連休だけど外出を自粛中なので古い時刻表をなんとなく開いてみる
1999年5月号より 東海道山陽下りスジのみ抜粋
1レ 富士 東京16:56 大分9:36
3レ さくら 東京17:54 長崎12:16 佐世保12:06
5レ はやぶさ 東京18:12 熊本11:46
7レ あさかぜ 東京19:00 下関9:55
9レ 出雲 東京21:10 出雲市10:47
5031M サンライズ瀬戸 東京22:00 高松7:26
4031M サンライズ出雲 東京22:00 出雲市9:59
9011M サンライズゆめ 東京22:19 広島10:49
31レ なは 新大阪20:26 西鹿児島10:24
33レ 彗星 新大阪20:51 南宮崎10:40
35レ あかつき 京都20:32 長崎8:54 佐世保831
まだ列車の統廃合が本格化する前で、バブルの余波もわずかに残り、青函トンネルを越える寝台特急が6往復も走っていた時代 バブルの余波なんて1997年に全部吹き飛んだろうが 93年じゃね?
出羽廃止。みずほ、あさかぜの食堂車休止。 2003年3月改正の寝台列車時刻表
http://www.asahi-net.or.jp/~EV3K-KWMR/jikoku/cyokyori/tokaido_yakou_ku_20030315.htm >>178で言ってる九州往復割引きっぷのB寝台利用で
1996年に東京・博多を2回往復した。
片道1万7千円程度で九州までブルートレインを利用できるのは
当時としては画期的だった。
現在は九州まで行くとしたらLCC以外はまず考えないけど。 >>547
その当時は食堂車が既に売店扱いだったから、ちょっと残念だったなorz >>545
確かに93年は、分界点だった。
食堂車は九州ブルトレ全列車休止。あとみずほの休止は91年だった。
年末は出羽・ゆうづるの廃止以外に、急行八甲田・津軽の定期列車廃止があって、
鉄道旅行が受難化した雰囲気だった。
他に北海道・九州内夜行列車の特急化もこの年だったな。 1993年は前哨戦
1994年から本格的に蛇の生殺しが始まったねえ >>550
食堂車営業が全面廃止で先が見えてたけどな。
当時でさえも羽田−九州の飛行機と比べて、コスパがそんなに勝るわけでなかった。
しかも10時間以上の長時間かけながら供食サービスが落ちるなら、利用を敬遠したくもなる。 西のHPに出てるが岡山〜福山の夜行列車の輸送人員は87年→94年で半減だったからな
94年から生殺しなんて対処としてはむしろ遅すぎ キテレツ大百科に結構ブルトレが出たりして面白い。ブタゴリラとトンガリが瀬戸に乗って高知行ったり。 >>554
のぞみの登場は92年、博多発着開始は93年だぞ? >>556
1次データ確認してみ
92年から94年にかけて半減じゃないから のぞみ運転で九州ブルトレ衰退は、言うほどでもなかっただろう。
当初は特別扱いで割引きっぷから除外をされていたから、コスパ上で良くなかった。
むしろ福岡空港に地下鉄が直結して、飛行機が便利になったのが大きかったのでは? 東横インが1986年スタート
主要駅前にこだわった立地とB寝台料金より安いホテルが夜行列車の客を奪っていった
高速バスの自由化で値下げ競争が始まったのが2001年
移動時間の節約というメリットはバスに奪われてしまった >>560
その10年以上前のバブル期から、高速バスが寝台特急を脅かしてたよw
新宿−福岡の「はかた号」はその最たるもの。時間的に高速バスの領域か?
とされたが、片道15000円は当時の寝台特急利用よりかなり安く、人気が出た。
今でも運行してるが飛行機との競争も生じ、当時ほどの人気ではない。
2001年あたりは高速バス同士で食い合いが始まっただろうw >>558
俺は国鉄時代末期から旅行会社でマルス叩いてたから知ってるけど、
のぞみの登場で客が一気に減ったよ。
九州ブルトレは繁忙期は発売開始と同時に瞬殺が当たり前だったのに、
のぞみ登場後は普通に空席が目立つ様になったからね。
九州ブルトレの凋落は国鉄時代から始まっていたけど、繁忙期は往時を思わせる売れ行きだった。
それが北斗星登場で、列車で旅をしたい層がそっちに流れ、
安く行きたい層は高速バスへ、
のぞみが急いで帰省したい層を奪って廃止の流れに至ったって感じだな。 >>562
のぞみ博多延伸と同時に食堂車も無くなったから、それも忘れてはいけない。
あの長距離・長時間で食堂車がないと、乗る気も失せる!
それから寝台特急の利用が減ったのは書いてるけど、当ののぞみの利用率に触れられてない。
博多延伸tしても、東京~博多を乗り通す客は考えにくかったが。 >>563
乗る気がしない以前に廃止直前の食堂車は殆ど利用客いなかったんですが >>564
食堂車が廃止されて余計に乗る気がしなくなったので、562の結果になったんだろう。 食堂車の末期はメニューも減って営業時間も短縮され、
何よりも拘束時間が長いことで人材も枯渇した。
新幹線でも終点で仮眠部屋用意しないといけないしな。
JR直営なだまだしも。
昔は食堂のテーブルの上で寝るなんて時代もあったが、
末期は寝台車の一角が食堂スタッフ用に用意された。
1996のO-157で衛生管理基準が厳しくなり、冷水機も
廃止せざるを得なくなって、大衆向け食堂車は止め刺された。 >>565
のぞみが走り始める前から食堂車では閑古鳥が鳴いてましたけど ナシ20の定員が40人、ナハネ20の定員が54人
30分回転で回しても3時間で240人、ナハネ20の5両分賄えないんだから
食堂車全盛期でも食堂車利用者の割合が低かったのは分かるわな 食堂車の全盛期は貧乏学生だったから寝台特急は年に2回ぐらいしか乗れなくて、布団の上で弁当とかおにぎり食べてたなあ
今ならメニューの端から端まで頼めるのに 富士に乗り何回か食堂車行ったけど
何食べたか忘れた。 >>569
>今ならメニューの端から端まで頼めるのに
頼めても食えないよw >>567
実質>>564と同じこと言ってるだけかw >>572
データを見る限り食堂車廃止云々は利用者減とはほぼ関係なかったからね >>561
1便につき2台運行しても60人がせいぜいの夜行バスに脅かされるようじゃそもそも終わってる
しかもバスと違って全員が始発から終点まで乗るわけじゃないし >>575
のぞみとも関係ないよ
一次ソースを確認もしないで噛み付くのはいい加減見苦しい 北九州空港(曽根つまり初代)のジェット化&運航再開(1991.3)
福岡空港への地下鉄駅開業(1993.5)
氷河期入り
この3つ
特に、地下鉄延伸で博多駅と空港間の時間がほぼ定刻になった点が大きい 全滅して10年以上経つのに存廃論なんか見たくないわ 懐かし板の存在意義ってなんだ
新しい話題なんて出てこない
昔話をすると荒れる ときどき思い出したように荒らしてるのはホモのコテハンだけだろ。
想い出話+関連余談だけでいい。無理に回転させる必要もない。
だいいち廃止されてるのに廃止ガーみたいな話題を読みたくもない。現役時代ならまだしも。 思い出話はいい
JRガージミントーガーみたいなのはいらん
こうすれば廃止されずにすんだみたいな妄想もいらん 末期、食堂車が売店だけになっていると知らずに乗って、夕食を食べに行ったら何もなくてガッカリしたことがある
店員さんもすごく申し訳なさそうに応対してくれたのが印象深く記憶に残っている
当然朝食も用意してなかったので、旅行の予定を変更して下関で食事のために列車を降りてしまった 末期あるあるやけどこの板に来るよーなヲタならば情報知らないわけじゃなかろ 長く生きていると、趣味活動に熱中する時期、興味がなくなる時期、忙しくて構ってられなくなる時期の波という物がありまして
かれこれ15年ぐらいブランクがあったんですよ
懐かし板を見るような年寄り連中なら思い当たる部分があるんじゃないでしょうか
自分は一生懸命でも友達が忙しくなって熱意が下がったりとか 俺は新聞眺めたりしてなかなか情報途切れなかったなあ >>579
ガキがどこぞで仕入れた知識であーだこーだ言い合うため 確たる統計もない個人の印象は、ノイジーマイノリティーが目に付いてるだけのことがほとんど こうすればブルトレは廃止されずに済んだ、こんなだったからブルトレ廃止は仕方ないだろう、
みたいな存廃論はうざいし飽きたし、どっちみち廃止されて乗れないんだから議論そのものが不毛だし、
好き好んで見たくないことには違いないわけだが。
逆に、「懐かし」板なのに想い出話を読みたくないってのも極論でおかしいと思う。 埼玉に住みチャレンジ2万kmに挑戦していた自分にとって、東京着のブルトレは「無情にも日常生活に向かって突き進む列車」ってイメージがある。
「あさかぜ4号」以降のブルトレのおはよう放送は静岡県以西で入る。
その時点で東京まで2時間以上かかり、旅の余韻にひたるとともに日常の世界に戻る心の準備みたいなことも出来たので、まだよかった。
しかし「出雲2・4号」「瀬戸」「あさかぜ2号」「銀河」のおはよう放送が入るのは大船あたりで、車窓に映る外の景色は朝のホームと通勤電車で、もうその時点でいきなり日常生活なのだorz
もう、旅の余韻にひたる暇もなく、一気に気が重くなってしまいます。
そんな訳で東京に6・7時台に着くブルトレはちょっとだけ苦手だったorz >>592
灰色のスポーツバッグをそろそろ捨てようと思ってる。
カワはケース入りのトランプ
緑の定期入れ
は大事に取ってある >>592
あーあ
上げて書き込むから荒らしが来たじゃん わかーる わかるよ キミの気持ち♪
オレなんて東京戻って来ちまったツマンネってあさかぜ4号で品川過ぎて
まだ一眠りしてたもんなあ。あのあと3分が気持ちがいいんだコレ
前の晩は下関出た頃、車内うろちょろして食堂車でも行くか?でもちと
眠いから一眠りするかって、結局そのままずーーと寝ちまう。
朝7時とかに着いちゃう列車は今の言葉で言うとアリエネー
確か東京着は11時近くて、陽はとっくのとうに高く上がり、もはや
昼休みのふいんき。何時まで寝てやがるんでえこの木偶の坊がって
俺に言うだけやぼだぜ。
んでせっかくわざわざ東京には東京の楽しみがあるぜってんで秋葉原で降りて
電気街ウロチョロして帰ったもんだなあ。 んでもしこれを見ている20歳くらいの若造がいたら告げる。
オレみたいに東京帰ってきちまったツマンネなんて思ってしまうような生活は
やめろ。女でもサークルでも自分がワクワクドキドキ出来るような
事を探せ。出来ないならそれは甘えだ。今を生きろ。若い時は
永遠ではないんだぞ。
なんてな スレ的には比較的マトモなレス内容なのに上げて書き込んでる点だけが残念。 昔は有名だったし定着していたが、今は完全に廃止になったもの。
「○○○ト○イ○」
これに、「ブルートレイン」と入れる人は、南アに現存していることを想起しなかった人。
これに、「アパルトヘイト」と入れる人は、南アの歴史も今の南アも全然知らない人。 ○○○ト○イ○
ペレストロイカ
Перестройка
物資の不足により高まる国民の不満を背景に、社会主義体制そのものの放棄と、連邦制の崩壊につながった。
現在では、共産圏の民主化を進めるとともに冷戦を終結させた政策として、主に旧ソ連以外の各国で高く評価されている。 >>562-563
>>573
いや09年、東海道筋ブルトレ全廃の日の新聞に利用客の現象の折れ線グラフが
載っていたけど、ターニングポイントといえるのは87年と93年だったよ。
87年に「一つの国鉄」であることが終わったこと=これからは対立する敵であること、
新幹線の補完の意義も終わったこと。これでグラフの急傾斜がはじまり、93年の
食堂車廃止からは減少のグラフがもう直滑降にちかい下がり方だった。
やっぱり九州ブルトレは真ん中に食堂車がある超大編成じゃないとカッコがつかない。
晩年の「富士・はやぶさ」なんか九州にいる間は編成が短すぎて、往年の紀伊を見てる
気分だったよ。
6年後に北斗星廃止だけど、廃止時の姿ならあの情けない富士・はやぶさを見るより
北斗星の方が本物らしさのある貫録を見せたな、ブルートレインとしての。 とはいえやっぱり悠長なことは言ってられないと思う。
本当は90年代のうちに九州ブルトレそのものの全廃でも良かった。
あれ以上の延命は無理だったと思うな。
飛行機の普及がすごすぎるもの。
オリエント急行だってそうだった。戦後はプロペラ機でもパリからイスタンブール
へは6時間で行けるようになった。わざわざ三泊四日かける人はいない。
1962年からは「ダイレクトオリエント急行」となり週に二日、ワゴンリの客車は
二両だけがイスタンブールに直通。
途中でローカルの列車につないだり切り離されたりという形になった。
そして1977年、イスタンブール行きは廃止。 >87年に「一つの国鉄」であることが終わったこと=これからは対立する敵であること
論理の飛躍です ブルトレの改良で各社の足並みが乱れたことは確か
285系の発券方法がこれまでとは違って特異だったことで利用者が激減し、二次車として製造予定だった出雲・あさかぜ分が破棄されたのは痛かった
あれ、#号車2〜・21〜番 ではなく、#号車2番階上個室・2番階下個室ならわかりやすかった
定期は門司駅を改造して4番のりば(5番線)を直流化し、そこに285系を停めて集約化しておけばよかった
修学旅行用はいつぞやの修学旅行協議会として、24系客車を2編成+予備車分保有しておけばよかっただけ
EF65PF牽引になるから、14両編成(カニ24+ハネ6両+オハもしくはオハネフ+ハネ6両)
ハネ6両(うちオハネフ2両)で200床、40人くらいで5クラスだから中学校や小規模の高校なら1校分 14両編成時では2校分は運べる
ただ、これとて九州新幹線全線開業の2011年3月で終了 >>611
勝手な思い込みで創り上げた妄想を披露する自分に酔ってるようなヤツはスルーで >>609
そのターニングポイントの93年にのぞみの博多乗り入れが始まってるんだよ。
実際、夏休みや年末年始にブルトレで帰省していた家族連れが、みんなのぞみにシフトしていったからね。 のぞみ狂発狂
だから、福岡空港へ地下鉄が延伸されたこと、不景気に突入したこと
https://www.westjr.co.jp/company/ir/library/fact/pdf/2010/fact10.pdf
山陽新幹線輸送人キロ
1991.3期 定期193 定期外15871
1992.3期 定期268 定期外16009
1993.3期 定期333 定期外15827
1994.3期 定期385 定期外15639
https://www.pa.qsr.mlit.go.jp/fap/rencho/confe/pdf/15k-4.pdf グラフだけど ↑
目が付いてないトンキン(爆)
うんこくさいんですけどww 九州ブルトレに乗ったとき
どっか(多分広島県内)の駅で
20系急行安芸を抜かした >20系急行安芸を抜かした
存在しないものをどうやって抜かしたのかw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています